57.等色③
――中原由衣side
今日は待ちに待ったお花見の日だった。お正月の初詣の時に、黒岩君と澤北君を誘ってお花見に行きたいねと、さっちゃんと話していたのだ。
クリスマスや初詣は文化祭でのこともあって、勇気が出なくて誘えなかったけれど今回はお互いが頑張って誘うという、気合と根性論で私たちは頑張った。
実は先週が誕生日だったので、そのことも黒岩君に言うのが今日の目標だ。何かプレゼントが欲しいわけではなく、ただおめでとうと言う言葉が聞きたい。
「中原はさ、なっつんの事どう思ってるの?」
隣を歩く森田君と一緒の歩幅で、元来た道を歩く。先にあった立派な桜の木は、流石に人が多くて長居は出来ず、写真だけ収めて帰っている途中だった。
「黒岩君? 優しい人だなぁと思うよ」
文化祭の時、私が余計なことを聞いてしまったせいで黒岩君に言いたくないことを言わせてしまった、と思う。初めて見る、彼の彼らしくない表情に私は戸惑ったし、気まずく感じてしまっていた。
でも、よく考えてみればあれが黒岩君が初めて見せてくれた素の瞬間だったのかもしれないと思ったのだ。
「そうか? あいつ、なぜか俺には当たりキツイ気がすんだよなぁ」
「ふふっ、だって森田君わざと黒岩君を揶揄ってるでしょ?」
「あ、バレてた」
おちゃらけた顔で笑う森田君を横目に、道の先の黒岩君のいるであろう場所へと視線を移す。そこには、白石さんの手を大事そうに握りしめる黒岩君の姿が見えた。
「白石さんって、いつからあんな感じなんだろーな」
私の視線の先を追って見た森田君が真面目な表情で呟く。あんな、とは恐らく視力と聴力のことを言っているのだろう。私たちは詳しいことはほとんど知らず、事故でそうなったとしか聞いていなかった。
「やっぱり黒岩君は優しいと思うよ」
人と距離を置いているけれど、本当は誰にでも優しい黒岩君はきっと人一倍疲れているはずだ。白石さんのことも本来なら黒岩君は気にしなくてもいいはずなのに。
でも、彼なら助けてくれると周りが勝手に押し付けているのだろう。
「そうだなぁ……やっほーなっつん! 逢引き中か?」
だからこそ、私は彼の気持ちが一番理解できる。周りにレッテルを張られる辛さを。文化祭の、あの時の言葉は彼の心の叫びだったんだよね。
「……逢引きなんてしてねぇよ。あと、なっつんって言うな」
森田君の言葉を否定しながらも、2人の手は握られたままだ。それがなぜか私の心を締め付ける。
ただの良心で握られているだけの手のはずなのに、どうして黒岩君は壊れものを扱うみたいに彼女の手を握っているように見えるのだろうか。どうして私は、そこにいるの彼女を羨ましいと思っているのだろうか。
「なんかテンション低い?」
「眠いだけだよ」
「食って眠くなるって赤ちゃんかよー」
森田君はいつものように黒岩君を揶揄い始めたが、黒岩君の表情は浮かない。こんなにあからさまに暗いのは初めて見たかもしれない。
「黒岩君、ちょっと散歩に行かない?」
森田君が靴を脱いでシートに座ったところで、私は黒岩君の手を掴む。その行動に黒岩君の目が丸くなり、森田君も驚いた様子だった。
「え? いやでも、留守番してないといけないし」
「少し散歩したら眠気も冷めると思うよ、だから少しだけ。いいかな、森田君」
「別にいいけど……あんまり1人にしないでね、寂しいから」
泣きまねをしながらも快く見送ってくれる姿に、森田君も結構周りを見ている人なんだなと改めて思う。クラスをまとめているのも、イベントごとで中心にいるのもいつも彼なのだから、そういう事なのだろう。
「じゃあ少しだけ」
黒岩君が白石さんに何か伝えると、彼女は笑顔で「気を付けて」と言った。そんな会話にもなんだかモヤモヤした感情を生み出す。
「あっちの方は人が多かったから、向こう側行こっか」
「うん」
人ごみと逆の方角を示せば、黒岩君は先を歩き始める。私はその後ろをゆっくりと着いて歩いた。
しばらく無言で歩いていると、とうとう人がいない場所にまで来てしまった。全くいない訳ではないが、桜の木もないため、行き来する人がいるばかりだ。それでも、黒岩君は何かを考え込むようにして歩き続ける。
――黒岩君が好きかもしれない、そう最初に感じたのは文化祭の時だった。
私たち以外の女子生徒とはあまり会話をしない彼に、私は気付かないふりをして少し高を括っていたのかもしれない。
だからこそあの日、旧校舎裏で身体を張って知らない女の人を、白石さんを助けている黒岩君を見つけたとき、胸が苦しくなった。
「黒岩君が好き」
少し前を歩く黒岩君が歩を止める。
こちらを振り向かないのは、困惑しているからだろうか。好きという感情には『無理』と答えているのを私は知っているはずだから。
私だって本当はまだ黙っているつもりだった。
「……中原さんらしくない冗談だね」
振り向いた彼は、あの日見た冷たい笑顔を貼り付けていた。私が上辺だけを繕うのと同じように、彼はその笑顔で自分を守っているのだ。
「冗談じゃないよ。私、ずっと息苦しかった。でも黒岩君の言葉に救われたから」
家でも学校でも、私を見てくれる人はいなくて。誰かに助けてほしいって思ってた。本当の空気だった。でも、私にはそれが正解で、それでよかった。本当の自分を曝け出す勇気もなかったから。
「俺、そういうの無理だって言わなかったっけ」
「うん。だからこそ、そういう黒岩君の優しさとか、苦しさが私なら分かるよ」
決して向き合って話はくれない黒岩君の姿を、隠すように木の影が覆う。
黒岩君に出会って、空気みたいと言われてなぜか救われた。もっと話したいなと思った。そしてあなたの隣には既に、特別な人がいる事を知った。
「私と一緒にいてほしい。私たちは同じだから、私を助けてほしい」
どうか私を否定しないで、黒岩君にならきっと本音を曝け出せる。だって、黒岩君は相談することを受け入れてくれた、私が黒岩君の些細な変化に気づくことを、あなたは感謝してくれたのだから。
「中原さんは、俺じゃなくても良いんだと思う」
息が止まる。
「たまたま俺だっただけだよ」
背中を向ける彼の顔は見えない。しかし、言葉の刃はちゃんと向けられている気がした。
好意をすぐに受け入れてもらえるわけではないとは思っていた。だから、今後もう少し時間をかけてお互いの本心を知っていければ、と。
けれど、私の気持ちを否定されるとは微塵も思っていなかった。
「なんで、そんなこと言うの?」
「……自分で言ったでしょ。助けてくれるなら誰でも良かったんだ」
「違うよ、そうじゃない」
「違わないよ」
それ以上何も聞きたくないと言うように、黒岩君は先を歩き出す。
「なんで、なんで誰も私を分かってくれないの!」
そんなことが言いたかったわけではない。でも、やっとこの息苦しさから抜け出せると、そう思って彼とこの1年を過ごしていたはずなのだ。
「じゃあ、中原さんは俺の何が分かってるって言うの。優しさ、苦しさ? 分かるなら教えてよ、なんで俺が生きてて……」
彼の声が震えている気がした。そのまま歩みを止めずに先を行く黒岩君を、追いかけることはできずに私も彼に背を向ける。
どうして冷たい言葉を言っているあなたの声の方がそんなに泣き出してしまいそうなのかも、何で自分自身を責めるようなその言葉を放っているのかも私には分からなかった。
「嘘つき」
ただ、私は振られてしまって、これ以上は彼の中に踏み込ませてくれないのだという事だけは理解できた。
ぼやける小さなピンク色が、どこから来たのか1枚だけ足元を舞う。どんなに綺麗な花弁も、散ってしまえば多くの土に埋もれていくだけだった。
何があったとしても、好きだと言ってくれた人に対して気のせいだと言ってはいけない。
それが分かっていても変わらないで欲しいものと、自分の心を守るために人は言葉を突きつけてしまうのでしょう。
次回は8月31日22時に更新予定です。
よろしくお願いします。