50.着色③
――黒岩雪那③
いつの間にか弟の友達として、我が家に来るようになった男の子。今に比べて髪は短かったが、幼くも整った顔立ちをした、表情に変化の少ない彼に少しドキリとした事を覚えている。
しかしそれも、彼が喋りだすまでの話だった。
「これ、お前の兄さん?」
「馬鹿! 姉ちゃんだよ」
確かに当時バスケをしていた私は、髪の毛が邪魔でベリーショートにしていた。まさか初対面で男と見間違われるとはおもっていなかった。
いや、別にそれはいいのだ。
「ふーん」
「おい良樹!」
「良樹君? 先ずは……こんにちはでしょうがっ」
玄関で、興味なさげにポケットに手を突っ込んでいた小さな少年。礼儀のなっていない彼に、私は容赦なく頭をグリギリしてやる。
「いで、いででで! ここんにちは!」
那津から喧嘩が強いという話は聞いていたが、ここまで生意気な奴だとは想像していなかった。
自慢ではないが、私の弟は喧嘩に首を突っ込みたがるものの、素直で良い子なのだ。だからこそ、こんな捻くれた友達を連れてくるとは思わなかった。
「……なんだよ、あのゴリ……お前の姉さん」
「お前が怒らせるからぁ」
お仕置きの後にリビングへと通すと、2人は真新しいクリーム色のソファーに腰を下ろした。私は水を飲みに、母がいる台所へ向かう。良樹君は未だにこめかみを抑えているので、どうやらやり過ぎたらしい。
だからゴリラなんて聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしたが、今は聞かなかったことにしてやろう。
「良樹君、ティラミスは好きかしら」
「……好きです」
急須にお気に入りの茶葉を入れ、茶器をお湯で温めながら楽しそうにしている母親を横目に水道の水をコップに入れて飲む。
まだ1月とあってか水はキンキンに冷えており、身体が芯まで冷えていくようだ。
「こら雪ちゃん、身体を冷やしちゃ駄目だって言ってるでしょ」
「でもお湯は熱いし、一気飲みできないし」
「ゆっくり飲みなさい」
3人分のお茶と、ケーキを盆に乗せて母に渡される。母の顔をジッと見つめると、優しく微笑んでからリビングを出て行ってしまった。
これは恐らく3人でケーキを食べなさいということだろうが、昨日の誕生日でたくさん食べ過ぎたせいで今はまだケーキと言う食べ物を食べられる気がしない。
「へぇ、結構ゲームあるじゃん」
「だろー! どれやる?」
TV台の中に収納されている様々なゲームソフトに、良樹君の目がキラキラしているのが、よく分かる。全部父さんが揃えたものだが、それでも鼻高そうに自慢している弟が可愛いと思うのはブラコン故だろうと言う自覚はあった。
「2人とも、ゲームの前にケーキ食べな」
「姉ちゃん、なんかケーキ見るとウゥっとする」
「あんたは昨日食べ過ぎたのよ」
ティラミスを深刻そうに見つめる那津を無視して、テーブルにお皿を並べていく。良樹君は、ティラミスの存在も気になるのか、ゲームソフトとティラミスを交互に見比べていた。
なぜティラミス含むケーキが余っているかというと、昨日行われた私の誕生日で母と父が各自でケーキを買ってきたことが問題だった。話し合いをしていなかったのか、母が大きいサイズのホールケーキを持って帰ってきた後に、父が小分けのケーキを16個ほど買ってきたのだ。
話し合っていなかったにしても、父は普通に買い過ぎだと思うけど。
「だって、たくさんあったし」
それで張り切って食べ始めた那津と父は無事、ダウン。私と母もそれなりに食べたが、さすがに小分けのケーキは食べきれなかった。それらは冷凍保存したのだ。
「……食べていいの?」
いつの間にかゲームから離れて机の前にチョコンと座っていた良樹君は、ティラミスを見つめて離さない。まるで、待てをする犬のようだ。それが可愛くて、私は思わず笑みを漏らした。
「いいよ。好きなら私の分もあげる」
「ありがとう」
一気に目の輝きを増す姿は更に可愛い。生意気だし、表情が全く変化しない姿に小学生に必要な可愛げが一切ないものと思っていたが、年相応の反応もしてくれて安心した。
「おはよー。あ、ケーキ食べてるぅ」
着崩されたスウェット姿で現れたのは、気だるげな様子の父だった。その手にはゲーム機が握られており、一瞬で正義執行帰りだといことが分かる。
「おはようお父さん、無事に正義執行できて何よりだよ」
「ふふふ、今回は手こずったけどね。1日で完遂出来て良かった」
目が据わっている気がするが、気のせいではないだろう。昨日の夜から、このお昼過ぎまで寝ずにゲームへ向かっていたのなら仕方がないことだ。
「正義執行?」
「うちの父さん、新作ゲームが出ると完全クリアするまで止めないんだ。すげぇだろ」
頬にティラミスをいっぱい含んだまま不思議そうにする良樹君に、那津が「世界を平和にするまで寝ないんだぜ」と自慢気に語る。正直、子供に自慢していい行いかどうかは私にも分からない。
そもそも私自身も熱中すると、気づいたら朝になっていることもあるから人のことは言えないのだ。ただ1つ言えることは、これに関して母にバレると怒られるということだけ。
「隣でお母さんが寝てるのに、よくバレないで出来るね」
「コツがあるのさ」
得意げに微笑む父だが、目が半分開いていない。その覚束ない足取りのまま台所へと向かい、朝ご飯で残った豚汁を温め始めた。
父は知らない。父がゲームでオールした際には必ず豚汁を食べること、そして母がそれを知っていて朝に豚汁を作っているという事に。
「那津、ゲームしよ」
いつの間にか食べ終えていた良樹君が、那津を促す。弟のケーキはまだ半分で止まっていたが、それを一気に頬張りお茶を飲み干した。
「よっしゃ、何する!?」
「ゲームするの? お父さんも参加しまーす」
「じゃあ4人で出来るやつしよ、いいだろ良樹!」
「別にいいけど」
なぜか私も参加することになっているが、暇を持て余していたしいいだろう。
父含む男子諸君が選びに選び抜いたのはデタモンワールドだった。これは4人の協力プレイで進めるRPGゲームだ。私も好きでやりこんだものだから、これは張り切らねば。
「あら、良和さん。起きて早々ゲーム?」
「千佳さん、おはよう。だって那津君が初めてお友達を連れてきたんだよ?」
「また、なっちゃんをいい言い訳をして」
やれやれと呆れた様子の母だが、強く止める気はないようだ。母はゲームに関してはそんなに興味はない。だから普段は見ているだけであり、3人プレイなのだが今日は良樹君がいるお陰で4人プレイが出来る。
「そうだ、良樹君にも良い物をあげよう」
那津がコントローラーを準備しているところで、父は立ち上がりリビングを出て行く。私と那津は首を傾げていたが、母だけは苦笑を漏らしていた。
少しして父が戻ってくると、両手に何かを握っていた。
「お父さん、どうしたの?」
「良樹君に、キビ団子をプレゼント、ってね」
父が良樹君の手のひらに置いたものを覗き込むと、そこには橙色で1センチ程の丸い物が置いてあった。キビ団子と言うには些か小さすぎる気がするが、そこは突っ込んではいけないのだろう。
「父さん、俺も欲しい!」
「那津と雪那ちゃんの分もあるよ」
渡されたのは、同じように小さくて丸いものだった。硬さ的には石だろうか。気を抜いたらすぐに無くしてしまいそうだ。
「お父さん、これ何?」
「狐の小判って言うんだよ、たまたま拾ってね!」
嬉々として語る父に、私も苦笑を漏らす。弟は喜んでおり、良樹君は相変わらずの無表情だ。いや、少し困惑しているような気もする。
その後はゲームを開始して、良樹君が帰る際には那津が無くしたと言って、ひと騒ぎもあった。
どういう意図で父が、これをくれたのかは分からない。当時は用途も分からない上に、すぐに無くしてしまいそうなほどの小ささだったので、保管方法にも頭を悩ませた。
大学に上がる前、ふと正体が気になり〝狐の小判″で検索をかけてみたが、世の中知らなくても良いことで溢れているんだなと後悔した。
それでも、無くさないように小箱に入れて保存している。勿論、父の分と母の分も一緒だ。
「お父さん、お母さん。私また1つ年を取ったよ」
仏壇には、笑顔の両親の写真が置いてある。あの日から止まった両親の時間と、動き続ける私の時間。少しずつ両親の年齢に近づいて行くのを喜べばいいのか、哀しく思えばいいのかまだ分からないけど、今年の那津の誕生日は喜んで祝いたいと思う。
「雪那さん、俺帰るけど」
「送ろうか?」
「大丈夫」
仏壇のある部屋から出ると、ソファーには眠っている弟の姿があった。なんとも穏やかな寝顔だ。優しく頭を撫でると、小さく身じろぎした。
「ごめんね、先に寝ちゃって」
「いいよ。疲れたんだろうし」
「ありがとう、気を付けてね」
良樹君も見送れば、先程まで賑やかだった部屋が一気に静かになった。嫌な程、寂し気な空間に息が詰まる。この家は、いつも賑やかだったのに、今ではこんなに寂れている。
いつかまた、あの日みたいにみんなでワイワイ出来る日が来ればいいなと願わずに話いられない。
次回は8月7日22時に更新予定です。
よろしくお願いします。