49.着色②
――黒岩雪那②
「黒岩さんのご両親は、まだ仕事ですか?」
白石さんの言葉に空気が止まった気がした。気がしただけで、時計はちゃんと動いている。そして時間は既に8時半を回っている所だった。こんな時間になっても帰ってきていない両親について気になるのはしょうがないことだろう。
「両親は2人共、亡くなっているんです」
「そうだったんですね。すみません、踏み込んだことを聞いてしまって」
「いえ私は……ただ、那津には出来れば」
言葉を言い終える前に、良樹君が立ち上がった。驚いて彼を見上げれば、ジッと私を見てから何も言わずに台所へと向かう。それと同時に那津がクロを連れて戻ってきた。
「姉さん、クロがトイレットペーパー散らして遊んでたんだけど」
「嘘! 買ったばっかりなのに!」
大きな声に驚いたのか、クロは弟の腕の中から逃げ出し階段を駆けて行く。
叫んでしまったのは申し訳ないが、クロは遊び始めたら絶対1ロールは駄目にする。だから事後であれば確実に最低でも1ロールは犠牲になっているはずだ。これを叫ばずにいられるだろうか。
「俺、片付けてくるから良樹も手伝って」
「分かった」
そして手伝いを要するという事は、1ロールの被害で済んでいないという事だ。どうか被害は最小限で済んでくれと祈ることしかできない。
「じゃあ忙しそうですし、僕たちは帰りますね」
「せっかく来ていただいたのに、すみません」
「いえ、楽しかったです。車のエンジンを付けて来るので、ナノツをお願います」
荷物を持って出て行く白石さんの背中も見送り、私はナノツちゃんと取り残される形になった。静かに正座をする彼女は周りの状況が分からないだろうから、今周りに誰もいないことを知らないだろう。
那津に紹介されてから、何度か話す機会はあった。滅多にはなかったが、ナノツちゃんが良い子なのだろうという事を理解するのには時間がかからなかったと思う。だからこそ、2人が仲良くするのを反対はしなかった。
『もう帰るみたい』
「あ、そうなんですね。お邪魔しました」
「あぁ待って!」
今からの予定を伝えようと思ったが、すぐに帰るのだと勘違いさせてしまったようで立ち上がったナノツちゃんの腕を慌てて掴む。想像通りに立ち上がれなかった彼女は尻もちをついて元の場所に戻った。
『ごめんね』
「大丈夫です、すみません。早とちりでしたか?」
『もう少し、待ってね』
眉を下げて頷くナノツちゃんの頭を思わず撫でる。謙虚な姿が可愛らしかったのだ。こんな可愛い子と、家の弟は普段どんな話をしているのだろうか。
「なつ?」
ナノツちゃんの声にハッと我に返れば、首を傾げる彼女の姿が目に入った。
どうやら無意識に那津の事を聞こうとしていたらしい。気になっていたとは言え、なんとも末恐ろしい話である。彼女から話を聞いたことがバレれば弟は怒るような気はするが、気にしても仕方がないだろうか。
『どんな話、するの?』
「黒岩君と、どんな話をするか?」
『うん』
ナノツちゃんは少し考える素振りを見せて、ゆっくりと顔を上げる。
「他愛もない話が多いです。けど、考え込んでいるように感じる瞬間が、よくあります」
言うのを躊躇うように、言葉を詰まらせながら彼女は言った。「多分ですけど」と自信無さげな様子に、仕方ないと思う。
我が弟は顔に出るタイプだ。だからこそ嘘は吐けないし、素直な良い子い育ったと思う。ただ、あまりにも人の問題ごとに首を突っ込むのが好きすぎるという、ある意味問題児でもあった。
だからこそ、表情さえ見えていれば隠し事しているかどうかも分かるが、それが見えない彼女からしたら自信がないのも仕方がない話だ。
「しかし、それでもバレるのは如何なものか」
若干、弟の素直すぎる性格が心配になった。一体どんな行動をしたらナノツちゃんに考え込んでいるなんて思われるのか。
しかし、そうであれば両親の事を早めに彼女へ伝えていたほうが良いかもしれない。他愛ない話の中で家族の事を聞かれたら那津は確実に動揺するだろうし、それを彼女は察してしまうだろう。そんな気まずい雰囲気にはさせたくない。
『うちは、両親が、亡くなってる』
オブラートに包んで伝えるべきかとも思ったが、なんだかまどろっこしい気がしてストレートに伝えた。ナノツちゃんは一瞬目を丸くして驚いていたが、すぐに哀し気な表情へと変わる。
「伝えてくださって、ありがとうございます。黒岩君に触れない方がいい事なんですよね」
随分と察しの良い子だ。こういう気の回せる子だからこそ、現状でも周りと上手に関わっていけるのだろう。自分自身が一番大変だというのに、本当に良い子だと思う。
「他に触れていはいけない話題とか、あったりしますか?」
「そうだなぁ」
徹底して那津の嫌な話題を避けてくれるらしい。それは有り難いが、私の知っている範囲のことは限られており、恐らく学校生活での出来事なんかは良樹君の方が詳しい。圧倒的言葉足らずな彼から聞いた話では一部の事しか分かっていない。
『さたけ』
「さ、たけ?」
反復される言葉に頷いて、考える。
佐竹君という生徒が関係している、虐めの疑いがあった件。那津は両親の事故の日以降、その生徒の名前を出すことはなかった。
良樹君曰く「あいつのせいで事故が起こった」ということだが、多分あの台風の日にメールをしてきたのが、その生徒なのだろう。だからと言って一概に彼の所為と、私は言い切れない気がした。
「だからって、簡単に佐竹なんてワードが会話の中に出るわけないか……?」
言ってしまった後であり、撤回はできないため続く言葉を思案する。頭を悩ませつつ、ナノツちゃんへ視線を移すと青白い顔をしているのが目に入った。
「あれ、大丈夫?」
元々細い子で、不健康そうだとは思っていたが今のこれは不健康そのものの雰囲気だ。
『顔色わるい』
「す、すみません。大丈夫です。それでその、さたけって?」
冷や汗を流しながら微笑む彼女が、一度言ったら聞かない弟の姿と重なる。取り敢えず置いてあったお茶を飲んでもらい、汗を拭いてあげた。凄く申し訳なさそうな顔をされたが、大したことは出来ていないので、逆に申し訳ない。
『なつ、同級生』
「同級生の方と何かあったんですね。分かりました」
本当はもう少し詳しく説明したいところだが、そんな時間もなさそうだ。
ガチャリと開いたドアから3人が戻ってきた。
「巻き取るのは良いけど、引き裂かないでほしいよ」
「紙屑を片付けるなら絶対掃除機の方が早かっただろ」
「掃除機だと風で紙が舞うじゃん」
「いやぁ、外は寒いですよ」
どんよりとした顔でゴミ袋を持つ那津と、同じく疲れた様子の良樹君。どうやら被害は大きそうだ。そして手を摩りながら戻ってきた白石さんの鼻は赤くなっていた。
『お迎え』
「はい。ありがとうございました」
白石さんに支えられて、ナノツちゃんは立ち上がる。
「今日はお邪魔しました」
「こちらこそ、ありがとうございました。ハンカチ、大切に使いますね」
白石さんはナノツちゃんに上着を着せて、忘れ物がないかを見回した。掃除をしていた2人は台所で箒と塵取を探しているようで、未だに騒いでいる。それを横目に私たちは玄関へと向かう。
「今さらですが、今日ってどういう経緯で白石さんも来ることに?」
「偶然、妹が黒岩さんの誕生日を知っていたみたいで。お世話になっていますし、何かできたらとナツ君に相談したんですよ」
「なるほど。ではお返しをしたいので白石さんのお誕生日を伺っても?」
靴を履き替えた白石さんは、キョトンとした顔でこちらを見る。いつも笑みを絶やさない彼の珍しい表情だった。
何と言えばいいのか。珍しいものを見たときのレア感という、ゲーム内で配付されたガチャチケットで、どうせ出ないだろうと思いながら回したらピックアップキャラが出た時の感じに似ている気がする。
細かすぎて伝わらない選手権一位かもしれない。
「……すみません。まさかそう来るとは思わず、驚きました。僕は12月22日で、妹は11月15日です。期待してますね」
クシャリとした笑顔はナノツちゃんに似ており、なんだか幼さを感じられた。その表情も初めて見るもので、今度は私も驚いてしまう。
「あ、白石さんもう帰るの!?」
ドタドタと騒がしくリビングからやってきた那津の手には、箒が握られている。その箒を壁へ立てかけ、こちらへ来て何かを話すかと思いきや、チラリと視線を送られた。
ナノツちゃんと話したいが、私たちが気になって話せないといった所だろうか。そんな可愛い弟の姿に口角が上がる。
「仕方ないわねぇ」
「に、ニヤニヤするな!」
真っ赤になる弟に口元を抑えつつ、白石さんと一緒に玄関の外へ出ることにした。
本当は近くで見守りたいところだけど、あまり揶揄いすぎると拗ねてすまうだろうから機会があればいつか遠くから見守ろう。
「ナツ君って、普段から素直ですよね」
「どうしようもないほど馬鹿正直な子ですよ」
自動で点いた玄関の明かりは、すぐに消えた。お互いその場から動かず、ただ立っているせいか再び明かりが点くことはない。暗闇に包まれた静寂の中で、白石さんがかけた車のエンジン音だけが空気を揺らす。
「ナツ君から、僕の事で何か聞いたりしましたか?」
「え、白石さんの事ですか? 特に聞かなかったですけど」
「なら良かったです。気にしないでください」
そうは言われても気になる言い方をされているわけだが。那津と何かあったのだろうか。しかし、何かあったのなら今日ここに呼んだりはしないはずだろう。
暗闇の中で、彼の表情は分からない。更にエンジン音のせいか、声も雑音が交じりちゃんと聞こえない状況だ。
「何かあったんですか?」
「……ストレートに聞いてきますね」
「変化球は好きではないので」
白石さんが動揺から身体を動かしたため、玄関の明かりが光る。チラリと彼を見れば、困ったように眉を下げてこちらを見ていた。
「ちょとナツ君に頼みごとをしたんですが、振られてしまって。無理なお願いをしたのかも知れないんですけど」
「それって、どんな?」
「あまり詳しく話してしまうと、彼に怒られてしまいそうなので。このことは内密にお願いします」
ニコリと微笑み、玄関の戸を開けた彼の背中はなんだか物悲しく見える。ドアを開けた先にはナノツちゃんの手を取り、目を見開いてこちらを見ている弟の姿があった。
せっかくの時間を邪魔をしてしまったようだ。慌てて別れの挨拶を済ます2人と、それを見守る彼は、結局最後まで私と目を合わせることはなかった。
ガチャって、「どうせ出ないし」と思っている時に限って出るのに祈願している時に一切出ない天邪鬼な感じは何でなんでしょうね。
次回は7月31日22時に更新予定です。
よろしくお願いします。