5.旗色
本当、最初のころに声をかけられなくてよかった。挙動不審になっていたに違いないし、今よりも頭真っ白になっていそうだ。
「気分を害してしまったのであれば、謝ります。すみません」
丁寧に頭を下げるその姿に、ちゃんとした社会人なのだと感じさせられる。姉さんは家では会社の話はしないし、基本的に大雑把だからとても新鮮なのだ。
「いや、別にそんな」
「あ、気にしてません?なら良かった」
何この人、やっぱりよく分からない!別にいいんだけどさ!
洗礼された大人の動きをするかと思えば、天然発言みたいなこともするし。ニコニコしてはいるが、結局何を考えているのか分からない。今は安心したかのように胸を撫でおろしていたが、本気でこの話なかったことにする気だろうか。いや、とりあえず俺は自身の自己紹介をした方がいいのか。あっちは俺のこと知ってるようだけど、一応。
「改めましてになるんですが、俺は黒岩那津です。1か月くらい前に事故に遭って入院してます」
「だから松葉杖をつかれてるんですね」
「ですです。今は結構よくなって。あ、白石さんとは色々あって病院で知り合ってですね、それで仲良くしてもらっていると言いますか」
ここが重要なのだ、俺は白石さんとしっかり知り合っており、仲良くお付き合いをしているということが。ここを誤解してもらっては立つ瀬がないというものだ。俺は不審者じゃないよ。
「病院で知り合ったんですか?」
聞かれるとは思っていたため、驚きはしなかったが、薄っすらと開かれた彼の瞳に俺の体から変な汗が吹き出してくる。そりゃあ、自分から外に出れない妹とどうやって知り合ったんだ、こいつってなりますよね。しかし誤解してはいけない、わざとではなかったのだ。だからすかさず俺は、白石さんと出会った経緯を事細やかに説明する。あ、好奇心が多少なりともあったってことは伏せたけど。
「悪意があったわけじゃないんですね?」
「もちろん」
「……好奇心から、とかでも?」
「は、はい!神に誓って!」
思わず目を反らしてしまったが、きっと大丈夫だろう。
「神様が一番嘘つきなんだけどね」
彼は、ジッと俺を見た後視線をはずして空を見上げた。相変わらず笑みは浮かべたままだが、横顔からも難しそうな顔をしているのが分かるくらいには、思い悩んでいるようだ。俺はそれ以上は何も言わず。同じように空を見上げる。
その言葉の意味を俺は聞かなかった。
どれくらい経ったか、実際はそんなに経っていないのだろう。ほんの数秒、黙っていたお兄さんは「君は、」と視線はそのままに声をかけてきた。
「那津を昔から知ってるってわけではないんだよね?」
「そうですね、ここで初めて会いました」
気落ちしたような声で「そっか」とだけ言って、また黙り込む。
俺自身、白石さんのことは全然知らない。会って間もないと言うのもあるし、会う時間が短いというのもある。一番は会話をスムーズにできないのが原因だが、俺が彼女のことを積極的に聞かないのも理由の1つだとは思っている。それは相手も同じで、彼女も俺のことを踏み込んで聞いてはこないのだ。でも1つ、気になっていることはあった。
——みんな絶対、「白石さんのことを知っているか」を聞くんだよなぁ。
先生といい、看護師さんといい。そして白石さんのお兄さんでさえ。まぁ白石さんの交友関係なんて家族でも全員は把握してないだろうし、普通か。白石さん友達多そうだし。
「那津は元気にしていますか?」
「え?あぁ、多分。大きな怪我もなさそうですし……不自由はあっても楽しそうにしてますね、少なくとも俺が行くときは、そう見えます」
俺の言葉に何を感じたのかは分からないが、今まで浮かべていた笑みが消える。そしてどことなく悲しそうな表情を浮かべて俺を見た。
「何か聞いていますか?」
「何か、とは」
「今の状態についてです」
今の状態というと、恐らく目や耳のことなのだろう。しかし俺は彼女のことをどこまで知っているかと問われれば何も、としかいいようがない状況だ。さっきも言った通り、お互いがお互いの踏み込んだ話をしないものだから本当に何も知らないのだ。強いて言うのであれば、空が好きなんだろうなってこと。だから目や耳のことは一切聞いていない。
俺が無言で首を横に振れば、お兄さんは少し悩んでから話し出した。
「後天的なんですよ」
「目と耳、ですか?」
「そう、前まで普通に学校にも行っていたんです」
いつも空の色を聞いてくるから元々目が悪いわけではないのかとは思っていたから、特別驚きはなかったが、後天的にもあんな風に何も見えなく、何も聞こえなくなることはあり得るのだろうか。俺は医者とかではないから何も分からないけど、テレビの知識でいくなら頭に強い衝撃が加わったとか、それこそ俺みたいに大きな事故に遭っていても可笑しくない状態なわけだ。でも彼女は大きな怪我を負っていたり、俺みたいにリハビリをしている様子もない。
「結構前から入院してるんですか?」
「いや、1ヶ月も経ってないよ」
「そうなんですね」
怪我の度合いを知らないから、なんとも言えないけど白石さんって俺と同じくらいに入院してたんだ。それで同じ名前で同じ階ってすごいな。病院に入院にしてくる人って結構こういう偶然あったりするのかな。
すげぇなぁ、なんて考えていると、お兄さんは驚いた表情を浮かべた。
「気になりませんか?」
「何がですか?」
「那津のこと」
あぁ、と俺は納得する。気にならないと言えば嘘になるが、あくまで好奇心なのだ。だから必要以上に突っ込む問題ではないのである。それは俺のすることじゃない。好奇心で白石さんの部屋に入ったからこそ。
「白石さん本人から何も聞いてないから」
「思っていたより良い子ですね、黒岩くん」
ここに来て漸く警戒心が解けたのか、お兄さんは肩の力を抜いたように正していた背を逸らし、ベンチに体を預けた。その姿は先ほどとは違い、あまり壁を感じないような気がする。これは危ないやつ枠に入らなくて済んだのではないだろうか。それならば一安心というものだ。
俺も彼に倣って肩の力を抜くことにした。無駄に緊張していた自覚はあるが、それはもうしなくても良さそうだ。
「お兄さんは、いつもこの時間にお見舞いに来るんですか?」
「僕のことは那珂でいいよ、黒岩くん」
「あ、じゃあ俺のことも那津で。あと敬語もいらないですよ」
「遠慮なくそうさせてもらおうかな、よろしくねナツくん」
「よろしくお願いします」
スムーズに仲良くなる手順を踏むあたり、コミュニケーション能力が高いと見た。これが大人の男、社会人の社交性というやつなのだろう。この社交性をうちの姉にも備え付けてやりたいほどだ。
例えばあの姉は馬鹿正直な人間だ。何に対しても真正面から向かっていく。嫌なことも、苦しいことも。それで立ち向かって、喧嘩になる。愛想笑いで済ませればいのに、いつも誰かのために自分が損をしているのだ。
自然と出そうになったため息を飲み込み、那珂さんを見るとベンチの側で咲いていた花を触っていた。それもまぁ絵になること。目は細目だが顔立ちは整っている。イケメンなんて良樹で見慣れてるけどな。
しかし、大人の男とどういう経緯で友達になったのかと聞かれたら終わりな気がしている。友達が増えると姉さんは喜ぶが、どう説明したものか。説明という名の誤魔化しを、あの姉にし切れる自信はないけれど。
「ちなみに毎日来てるわけじゃないんだよ。仕事が早く片付いたときとかね」
「仕事終わりで疲れてるのに、大変じゃないですか?」
「そんなことないけど。ナツくんにだってお見舞いに来てくれる人がいるでしょ?」
「だからです。負担になってるだろうなって思って、早く退院したいんですけど」
「いい子だねぇ」
花を撫でていた手が俺の頭へと移動する。体の線が細い割に力は結構あるのか、一回り大きな硬い掌が頭の上で乱雑に動いた。普段姉さんにされることはあっても、男の人にこうされることはない俺の頭は一瞬でボサボサになった。
「うわ、いや、そんなこと」
そして出来上がる俺の荒れた頭。髪型はいつも短髪にしているから、そんなにボサボサにはならなかったが、良樹みたいに長めの髪だったらやばかっただろう。まぁあいつの場合、頭がどんなに酷い状態だろうが無頓着なのだろうけど。
「君みたいな子が、きっと親孝行者っていうんだろうね」
——それはない。
「え?」
小さく呟いた俺の言葉は那珂さんには届かなかった。
そうだ、一応姉さんへの誤魔化し許容範囲の年齢か聞いておかなければならない。これが30代とかだったら本気でなんて言い訳で乗り切ろうかを考えねばならないのだ。まぁ見た目的にいってても25歳だろう。
「そう言えば那珂さんって何歳なんですか?」
「僕?29歳だよ」
「すごい年上」
思っていたよりも年上。そしてぎりぎりの20代。え、病院関係者でもない29歳男性と病院内から出ない高校生男子の出会いってどこ。年が近ければ仲良くなっちゃった!で押し通せる気もするけど。俺割と人見知りするけど。あ、俺が困ってたところを助けてもらったってことにすればいいのか、良い人そうだしこの人。でも俺が困るって何?何に困るの、俺。
「ナツくんっていくつだっけ」
「15です」
「中学生?」
「高校生です」
俺は即座に言葉をかぶせた。少し驚いたのか、彼はキョトンとしている。相変わらず細い目だが、それも少し見開かれており、驚いた様子が見て取れた。若干失礼ではないかと思うことを許してほし。俺は決して童顔ではない。
「若いね」
「童顔ってことですか」
「中学生か高校生かなんて大した違いもないよ」
「違いますよ!」
確かに中学を卒業して間もないが、それでも中学生と見間違われて嬉しいはずがない。若めに見られるのも、高校生になれば変わると思っていた。周りからは羨ましいと言われるが、那珂さんの言うように中学生か高校生のちょっとした違いで、微妙に若く見られてもなんの得でもないのだ。いっそのこと小学生に見えれば映画代とか電車賃とか安くなるのに。
不貞腐れた俺を横目に、彼は自身の腕時計を見て慌てたように立ち上がる。
「おっと、そろそろ行かないとかな」
「仕事ですか?」
「買い物。今日17時から特売日なんだよね」
まさかの特売日。
彼は鞄から特売日のチラシを取り出し、赤丸のついている商品を最終確認しているようだ。その姿は家にいる姉を見ているようで親近感がわく。俺も人数制限のある商品を買うために付いていくことがあるが、あれは戦争だった。
一通りチェックが終わったのか、チラシを鞄に片付けて改めて俺に向き直った。
「じゃあ最後に僕からアドバイスを1つ」
「アドバイス?」
「妹に会いに来るときはもう少し気を付けてきた方が良いと思うよ」
差し出された手をとって立ち上がり、渡された松葉杖を持つ。彼が何を言っているのかいまいち理解できていないため、俺は首を傾げる他ない。彼は言葉をつづける。
「僕の両親は妹のことに関して過保護が過ぎるから、見つかったら……どうなるかな」
「え、それって」
「中に誰かいる体で、言い訳を考えとくことをお勧めするかな」
「なぜそんな恐ろしいことを」
「親切心」
歩き出した那珂さんに引っ張られるように歩く出した俺は頭を抱えた。彼はおかしそうに笑っているが、それは本当に笑いごとで済む話なのだろうか。わざわざ忠告をするという事は病室に入るときは本当に気を付けないといけないというわけで、そうなってくると白石さんのご両親が相当怖いと言っていることと同義ということだ。俺の人生が終わる気がする、主に社会的に。
「それじゃあまた、機会があったらね」
「あ、はい。また」
3階につき、俺だけがエレベーターを降りてこの日は別れた。那珂さんは特売日ということで病室に寄らずに帰っていったが、一言も言わないで帰って大丈夫なのだろうか。まぁ、大丈夫なのだろうけど。
ほんの15分くらいだったとは思うが、白石さんと過ごす1時間より濃蜜な時間を過ごした気分だ。
「親孝行者、か」
俺は乾いた喉を潤すように唾を飲み込む。久し振りにたくさん喋ったせいだろう。白石さんと話すときに言葉はいらないから。俺は再度、彼女の部屋のドアを叩いた。返事はない。
彼のせいで変な警戒心がついてしまった。俺はため息を吐きつつ人がいないことを確信し、ドアに手をかけた。




