45.発色
吸い込む空気の、その冷たさにギュッと体に力を込める。深く吐き出される息は白く、夕闇に吸い込まれていった。
既に11時を過ぎていると言うのに、周辺の人が減ることはなく、寧ろ屋台の明かりも益々盛り上がっているように感じる。
「寒い」
「言うな、もっと寒くなる」
本日は大晦日、人々がどうやら浮かれている日らしい。かく言う俺も、初めてする外での年越しに先程まで浮かれていた側の人間だ。
「あんた達、もう少しシャキッとしなさいよ」
「じゃあ、姉さんは寒くないんだ」
「クソ寒い」
俺の隣でしゃがみ込み縮こまっている姉は、マフラーに帽子、手袋と分厚いダウンに見を包み完全防備をしている。それでも寒そうに手を擦っているのだから、真冬の寒さは油断ならない。
その更に隣にいる良樹は、微動だにせずにポケットへ手を突っ込んだまま棒立ちしていた。
「雪那さん、カイロいる?」
「え、あるの?」
「あるよ」
一生動かないと思っていた良樹は、ポケットから既に温め終えたカイロを取り出して姉に渡した。来るときからポケットに手を突っ込んでいたが、まさかカイロを温めていたとは思わなかった。
「ありがとう。あったけぇ…」
「俺もほしい」
「ない」
「何でだよ」
その温かさで、幸せそうにカイロをスリスリしている姉が羨ましいが、何故俺の分がないのか。恨めしく彼を睨むと、無表情で返された。
今日誘ったことを怒ってでもいるのだろうか。しかし、嫌なら来なければよかっただけの話だ。
「すみません、お待たせしました」
聞き覚えのある声に振り向けば、那珂さんと白石さんが並んで来ていた。相変わらずスマートな雰囲気の彼と、腕を組んで並ぶ彼女の姿は正に“様になっている”と言うべきだろう。この兄弟は美男美女なのだ。白石さんは、この寒さのせいか鼻が少し赤くなっている。
しかし、那珂さんの昔の話を聞いてしまったせいか、金髪オールバックピアスの姿が後ろにチラついて良くない。そのせいか、白石さんと違って彼の頬の赤が血に見える。
「白石さん、その頬どうかされたんですか?」
姉が目を丸くして那珂さんに言った。そこで幻の那珂さんではなく、現実の彼から血が流れていると認識する。
寒さのせいか分からないが、血は既に固まっているようだ。驚いた様子の彼が頬に触れても、手に血がついていなかった。
「頬、どうかしてます?」
「血がついているんです!」
血を認識できなかったため、全く動じずにフワッとしている那珂さんの態度に姉は若干キレ始めているようだ。鞄からコンビニで貰って溜まっていたウエットティッシュを取り出して、彼の頬を力強く拭う。
「あいた、痛たたた!」
「我慢して下さい」
何となく、姉のお説教タイムが始まりそうな予感がしたため、密やかに白石さんの所へ移動する。痛みに震える那珂さんに、状況が分からず不思議そうにしている彼女の肩を2度叩いた。
「黒岩君?」
『行こう』
それだけを伝えれば、彼女は掴んでいた腕を離して俺の腕を掴む。この数ヶ月で当たり前になった、その動作に不思議と胸がギュッとなった。
「良樹、先にーー」
「俺は残る」
「はぁ?」
壁に寄りかかり、梃子でも動かないという固い意志を彼からは感じた。姉はクドクドと那珂さんへ何かを言っているようだから、もう暫くは手当に時間がかかるだろう。
そうなると年越し直ぐにお詣りに行けない。別に待てばいずれ初詣には行けるのだが、せっかくこんな時間にここまで来ているのだから、年を越した瞬間に神社の鈴を鳴らしたい。
「あ、那津たちは先に行ってていいから」
「待つ」
「何でだよ」
間髪入れずに待機宣言をした良樹に、流石の姉も困惑の表情を浮かべる。そんな中、那珂さんは苦笑いで俺達を見ていた。
そして「僕の事は気にせず」と言いかけた彼を一睨みで黙らせた姉は、きっとあの写真を見ても今と変わらない対応をするのだろうと思う。
「那津と2人で行かせれば?」
「流石に2人だと、迷子になった時に困るでしょ」
「じゃあ、みんなで行けばいいじゃん」
「白石さんの傷を洗わないといけないから、すぐには行けないけど……いいの?」
チラリとこちらを見る姉に、俺は首を横に振った。こちらも断固拒否の姿勢である。
この謎の押し問答は暫くの間繰り広げられたが、良樹がこの姉に勝てるはずもなく、直ぐに決着がつく。その瞬間の彼の無表情と言ったら、見慣れた俺でも怖いと思った。
「……さっさと終わらせるぞ」
「なんでお前まで繋いでるんだよ!」
打って変わって気合十分の良樹は、白石さんの左手を掴んだ。もちろん右手は俺の腕を掴んでもらっているのだが、決して繋いでいるわけではない。
「あの、黒岩君と……?」
案の定、白石さんは混乱しており、左右を見て首を傾げている。両手が塞がれては、驚くのも無理はない。それでも気にせず歩き出した良樹に引っ張られて、彼女に説明する日間もなく先を急いだのだった。
◇ ◇ ◇
きっと、来年は来ないと思う。いや、もう今年か。
漸く抜け出した人混みの外で、吐き出した溜息は白く舞い上がる。時間は既に12時を回っていた。無事、お詣りは出来たのだが息をつく暇もなかった。
実際は行列の待ち時間で隙を持て余してはいたのだが、ひたすら張り詰めた空気を出す良樹と、その繋がれた手に心の余裕など皆無だったのだ。
「よし、戻るぞ」
「もう先に戻っていいよ……」
「あ、おーい!」
声のした方への顔を向けると、紙コップを片手に大きく手を振る姉がいた。隣には絆創膏を頬に貼り付けた那珂さんもおり、その手にも紙コップが握られている。
2人の姿を見た良樹は、さっさと白石さんから手を離して姉の元へ行ってしまった。俺は白石さんが転ばないよう、その後を追う。
「それ何?」
「甘酒、配ってたよ。お餅とかあったし、みんなで食べておいで」
「姉さんはもう食べた?」
「こんな時間に食べるわけないでしょ」
万年ダイエットの姉に聞くのは愚問だったようだ。
「俺、買いにいくけど」
良樹の方を横目で見れば、腕を組み鳥居に寄りかかっていた。彼はこれ以上動く気がないようだ。
ならば俺だけでも買いにいこうと、すぐそこにある焼餅の屋台へと足を向ける。必然的に俺の腕に摑まっている白石さんは、そのまま俺と共に歩き出した。
「もう、年を越したんだよね?」
『○』
歩きながら聞かれた問いに、わざわざ立ち止まるのも手間だと思ったため腕を掴まれている方の手の甲に丸を書く。
せっかく初詣というやつだったのに、人も多いせいでゆっくり出来なかったのは白石さんも残念だっただろう。そう言えば、彼女はこんな風に年越しを過ごしたことはあるのだろうか。
「では、改めまして。昨年は数え切れないほど、お世話になりました。黒岩君に出会えて良かったと思ってます。今年もよろしくお願いします」
「あ、こちらそ。その……」
足を止めて頭を下げる姿に釣られて、俺も慌てて頭を下げた。しかし、恐らくどれも彼女には伝わっていないため、手を取り『こちらこそ』と改めて伝える。
彼女に、たくさん言葉を伝えられないのは何とも歯がゆいものだ。
「ありがとう」
端的な俺の返事に、告げられたお礼の言葉はとても優しい声色だった。
去年白石さんと出会ってから、多くは無いが何度も話をした。入院していた頃は毎日1時間、俺が退院してからは週に1回程度。彼女が退院してからは月に2、3回くらいになった。合わない月もあったっけ。
「那津ー、良樹君の分もお願ーい!」
先程居た鳥居の下から姉が声を張り上げる。人混みを掻き分けて届いた元気な声に、俺は手を上げて応えた。あいつは自分で買いに来たくなかっただけなのか。別にいいんだけど。
みんなの姿を見て、心から思う。今年も姉さんと良樹が幸せでありますようにと。出来ることなら、白石さんも笑顔でいられると良いなと思った。
私は元旦に初詣に行ったことがありませぬ。
初詣は大体GWに行きます。
次回は6月10日22時に更新予定です。
よろしくお願いします!