44.褪色④
現場は、俺が写真を撮りたいと言ってしまってから少し時間が過ぎたところだ。撮りたいと言った当人を差し置いて、凝った写真を撮ろうと張り切っていた写真会が漸く終わった、
疲労感を覚えながら、自分の席に座り直した時、那珂さんの電話が鳴る。短い音だったため、恐らくメールだと思うが、スマホを取り出して画面を見た瞬間に彼の眉間にシワが寄った。
「あらやだ、可愛くない顔してるわよ那珂ちゃん」
「元からだよ。ナツ君、ちょっと席外すけど、気にせず楽しんでて」
隣に座っていた那珂さんは足早に店の外へと出ていった。いつも笑みを絶やさない人だけれど、一気に機嫌が悪くなったのは、俺でも分かるほどだ。誰から連絡が来たらあんな顔になるのだろうか。
「今の顔は社長から連絡が来たのね」
「社長からメールが来るものなんですか?」
「あの子が今勤めてる会社の社長って、ここの常連さんでねぇ。長い付き合いなの」
「長いって言うと、中学生から……?」
中学生からバイトしてた上に、社長と知り合うだなんて自分では想像できない領域だ。那珂さんはいつも余裕ある雰囲気だったが、中学生からこんな経験しているのであれば納得だ。
「そうよぉ。あの子って昔は金髪だったし、高校生か大学生だと思ったのよねぇ。あ、お給料良いからって真似しちゃ駄目よ?」
「気を付けます」
俺高校生だけど、と思いつつ流れる様にウインクをされた為、なんだか照れくさく感じて目を反らした。人に真正面からウインクされることなんて普段ないため、どういう反応をすればいいのか分からない。ウインクで返した方がいいのだろうか。しかしウインクした事がない。
俺が視線を泳がせていると潤さんは、対面のカウンターに頬杖を付いて真剣な表情でこちらを見た。
「あの子、最近どう?」
「どう、とは?」
どうもフワっとした質問に首を傾げると、潤さんは困ったように眉を下げて自分のグラスをカラカラと揺らす。
「あまりお店の方に顔を出さなくなったから、また悪い方に行ってないか心配でね」
「俺もあまり頻繁に会うわけじゃないですけど……シスコンだなぁとは」
期待されているような答えが用意できていない気がして、申し訳ないが個人的に感じていることはコレ一択である。シスコンになる気持ちは分からんでもないが、あの人は暇さえあれば白石さんと一緒にいる様に見受けられるため重度のシスコンだろう。
「ちゃんとナノツちゃんと向き合えるようになったのねぇ。感慨深いわ、昔は妹の話が出るだけで逃げてたのに」
「逃げてた?」
「那珂ちゃんって昔は家のことで荒れに荒れてて、家に居たくないからってバイトでお金貯めて自分のお金で県外の大学に行ったのよ」
今の彼の様子からは想像ができない話だ。この間、勝手に見てしまった写真に映っていた那珂さんの〝金髪オールバックのピアスだらけ状態″でさえ驚きで、見なかったことにしたと言うのに。
もし、この人が言う事が本当だとしたら白石さんは家族の、那珂さんのことをどう思っていたのだろうか。
「そうなんですね」
「あ、これバラしちゃったの内緒よ? 怒られちゃうから。うふふ」
全然悪気がなさそうだが、これは本当に聞いて良かった話なのだろうか。というかワザと暴露した疑惑もあるな、この人。
「てことは内緒にしてた話なんじゃ」
「人の口に戸は立てられないって言うじゃない?」
「そ、そうですね……?」
あ、この人に秘密なんかは絶対言っちゃ駄目なやつだ。と、心の中で決心した。もう来ないと思うので、秘密なんかを言ってしまう心配はないとは思うけど。
「まぁ、冗談はさておき。あの子誤解されやすいから、こうやって連れてきたお友達には教えちゃうことにしてるの」
他に面白い話あるけど、何が聞きたい? とニコニコで顔を近づけて来たが俺は遠慮した。恐らく、金髪時代の面白い話なのだろうが、なんとなく想像も出来てしまうため怖くて聞けたものではない。最悪、那珂さんと目が合わせられなくなる。
「あら残念。はあ、夜舞刀は元気かしら」
「やまと?」
「那珂ちゃんの家にいるワンちゃんよ、夜の舞う刀って書くの」
なんというか、センスが古いと言えばいいのか。今だから思うのだろうが、なんとも那珂さんらしいネーミングセンスである。
これについてはノータッチがいいだろうと、話し続ける潤さんの声をBGMにケーキを口に入れると、一日の疲れが飛ぶほどの甘さが身に染みた。あまりの美味しさに唸りながら、上に乗っているイチゴもクリームと一緒に頬張り、笑みがこぼれる。
「すごく美味しいです、このケーキ!」
「いい顔して食べてくれるわね、嬉しいわ」
潤さんへ賞賛の言葉を送り、次を口に運ぼうとしたところで横に座っている白石さんのフォークからケーキがボタッと落ちた。幸いにもお皿の上だったから良かったものの、その一片は何度も落とされているのか、原型が留められていないケーキの欠片が無残にも転がっている。
「あ」
「……あら、私ったら気が利かないったらないわ」
一点を見つめて硬直していると、潤さんも彼女の現状に気が付いたのか台拭きでお皿の周りを拭いてくれた。そして新しいフォークを持ってくる。
「す、すみません。ご迷惑おかけしてしまって」
潤さんは、手書き文字をする代わりに優しく白石さんの頭を撫でた。それに、彼女は目を見開いて、また「すみません」と謝る。なんだか複雑そうな顔で笑う彼女の頭を、俺も撫でてあげたくなった。撫でないけど。
「ということで、はい」
そしてなぜか、手に持っていた新しいフォークを白石さんではなく、こちらへ渡してきた。
「なんで俺に?」
「ここはやっぱり、あーんしてあげなきゃ!」
語尾にハートが付きそうな勢いに押されて、フォークを受け取る。チラリと横を見れば、いつの間にか白石さんの手を握り、手書き文字で何か伝えている潤さんがいた。彼女のフォークを回収していることから、恐らく今から行われることへの説明をしているのだろう。
しかし、俺はまだやるとは言っていない。なんて行動の速さだ、まさか俺が目で追えないだなんて。
「え、でも申し訳ないです……そう、かも……?」
困惑顔の白石さんを見て、また適当なことを言っているのではないかと、この短い間に常連さんになった気持ちで2人を見守っていると、良い笑顔で親指をグッと立てられた。
「まじか」
なんでこんな事になっているのか分からないが、これはきっとあれだ。介助的な何かだと思えばいいのだ。
俺はフォークを握りしめて、白石さんのお皿のケーキに突き立てた。一口大に切り分けたケーキを持ち上げ、彼女の目の前まで運ぶ。真正面からマジマジと見ると、口を開けるタイミングを測りかねているのか、微妙に空いた口がとても大人っぽい。
「……って、近いんですけど!」
マジマジと見ていたのはこちらだけではなく、終始笑顔で視線を送ってくる潤さんへ苦言を呈した。只でさえ恥ずかしいのに、見られていたら集中できない。いや、何に集中するんだ。
「いいのよ、気にしないでちょうだい。私は今、アオハルを感じているのよ」
「意味分からないです」
潤さんとの睨み合いの末に、負けたのは俺だった。あんな熱い視線を向けられて、見つめ返せるほど俺は強くない。
取り敢えず深呼吸をして、自分を落ち着かせる。ケーキ自体も大きいわけではないし、6口もあれば食べ終わるだろう。薄く開かれた口へとケーキを近づけると、その気配を感じたのか白石さんは口を開けてくれた。ただそれだけの事にドキッとする。
――いや、普通に無理だ。
漸く、彼女の口へとケーキを運び終えて一気に疲労が押し寄せてきた。1口でこれでは、あと6回なんて無理ゲーにも程がある。なぜこの行為に、こんなにも抵抗が生まれてしまうのか分からないが、もう無理だという事だけはハッキリしている。
「美味しいです」
「うふふ」
白石さんは食べたケーキを飲み込んで、笑みを零した。それに釣られてか分からないが潤さんもニヤニヤと笑みを深めている。
「潤さん、バトンタッチでお願いします」
「えー、でも若い子の――」
「いや、もうマジで、本当にお願いします」
「もう、しょうがないわねぇ」
必死の懇願で、やっと解放された俺は安堵の息を吐き出して席を立ち上がる。興奮したせいか、暖房のせいか分からないが、熱くなった身体を一度外で冷やしたい。
「ちょっと外行ってきます」
「遠くに行っちゃ駄目よ」
「はい」
潤さんが楽しそうに、白石さんへケーキを運んでいる姿を横目に店の外に出る。そこには居ると思っていた那珂さんの姿はなく、薄暗い路地裏だけがひっそりとあった。吐き出した息は白く、空に舞い上がる。
見上げた空は建物に阻まれて、少ししか見えない。しかし、自分が立っているこの場所とは違い、陽の光に当てられた澄んだ青空がキラキラと輝いていた。
次回は7月6日の22時に更新予定です。
よろしくお願いします。