41.褪色
見たくもない文字の羅列。右を見ても左を見ても、文字の種類が違うのにどういう意味か理解が難しい。あまつさえ、日本語であるはずの言葉まで今の俺の頭には難解だった。
「無理だ無理だ、俺にはもう無理なんだ」
「諦めるな那津、期末まであと一週間もないから」
「あぁぁぁ……」
「黒岩君、大丈夫!?」
机に力なく倒れこむ俺を心配してくれたのは向かい側に座る中原さんだけだった。追い打ちをかけようとする良樹に、おかしくて笑っている佐々木さんはきっと鬼なのだろう。
佐々木さんに至っては、最初の頃あった優しさが半分ほど意地悪へ変換されている気がする。
「高校生って大変なんだな」
「中学の時は無理矢理詰め込んで行けたもんな、お前」
「黒岩って意外に馬鹿なんだな」
俺たちは教室の机をくっつけて一緒に勉強をしていた。5つの机を繋ぎ合わせているため1人が誕生日席になるわけだが、その誕生日席で、驚いたように関心しているのは森田だ。
「なんでお前もいるんだ森田」
「だって、俺も部活なくて暇だし」
「こら黒岩君。せっかく教えてくれてるんだし、感謝しなきゃ」
眼鏡をクイッとする佐々木さんの眼光は鋭い。先ほどまで爆笑していた人物だとは思えないほどだ。毎回思うのだが、この学級委員長テストに本気を出しすぎではないだろうか。
「森田も頭いいとか聞いてないんだけど」
「隠れインテリとは俺のことよ」
「インテリは自分のことインテリって言わねぇよ」
良樹の突っ込みで森田はおどけた様に笑う。自然と周りを明るくするのは、きっと彼の才能なのだろう。彼の周りはいつもこんな感じだ。
「てか、いつもこの面子で勉強してんの?」
「テスト前とかたまにするくらいだよ。あと前に一度、私の家で勉強会したことがあるよね」
俺が退院して少し後のことだったな、と懐かしくなる。あの頃は勉強に追いつけるか不安だった上に、すぐテストだったのだから切羽詰まっていたような気がする。あの時ほど佐々木さんの対策ノートに感謝したことはない。今もお世話になっているけど。
「へぇ! 佐々木の家ってなんとなく豪華そう」
「さっちゃん家は大きいよ、和風な感じですごいの」
「まじか。さっちゃん家に行ってみたい。なぁ澤北」
「お前1人で行ってみろよ」
「ぴえん」
ちなみに、あれから佐々木さんの家で勉強会を開いていない。理由としては良樹が遠くて行くのが面倒だと言い始めたからだ。彼が嫌だと言うほど遠くはないと思うが、自転車で行くのが難しい坂道だから嫌なのだろう。
というか、結構前から疲れてもう数字も見たくないのだがこのまま問題解いても大丈夫だろうか、間違えたらまた森田の指導が入る気がするんだが。
「私飲み物買ってくるよ、みんな何がいい?」
突然立ち上がったのは中原さんだった。丁度甘いものを摂取したかったので大変助かる。そしてこの流れで休憩に入ってもらおう。
「俺、お茶」
「俺は甘いやつならなんでもかな」
「私は紅茶で!」
「了解、森田君はどうする?」
彼女の問いに答えることなく、森田は立ち上がった。
「俺も一緒に行くよ、1人じゃ持ちきれないだろ」
「いいの? ありがとう」
仲がよさそうに教室を出て行く2人を静かに見送り、俺は静かに息を吐き出す。今にも頭が爆発してしまいそうだ。きっと今爆発したら数学の問題がたくさん噴火するだろう。
「森介は由衣のことが好きと見た」
考える人のポーズでキリっと決めた佐々木さんはウキウキした顔をしている。この手の話が好きなのだろう。男子同士で話したことはないが、中学の時に女子から良樹のことで相談を受けたことがあるため別に苦手な話でもない。
しかしそれよりも気になったことがある。誰だ森介、新しいキャラか。
「森介?」
「森田君のあだ名だよ」
「そうなんだ」
「結構クラスの連中はそう呼んでるけど、知らなかったのかよ」
良樹にジッと見つめられ、反射的に目を反らす。なんだか最近、良樹にジッと見られることが多くなったような気がする。
「いや、俺は呼んだことなかったってだけ」
「ふーん」
「そんなことより森田が中原さんのこと好きだって?」
話を佐々木さんの方へ戻せば、良樹は何事もなかったようにそっぽを向いた。そして彼女は何かを推理するかのように眼鏡を光らせる。
「そう。最近よく話してるの見かけるんだよね」
「確かによく見るかも」
「由衣も悪くない反応してるっぽいし、両想いかな」
決めつけるには早いような気がするが、そう言えばこの間の文化祭で、好きになったらどうするかといった質問をされた気がするけど、森田のことを聞きたかったのだろうか。
「そんなことないだろ」
キッパリと言い放ったのは俺でも佐々木さんでもなく、良樹だった。また珍しい人物が否定したなと驚きを隠しきれない。これはまさか複雑な恋の矢印、というやつか。どうしよう姉さん、良樹が大人になるかもしれない。
「良樹がそうハッキリ言うの珍しいな」
「まぁ基本興味ないしな」
しかし突然興味がなさそうな態度に戻ったため、彼の本心が本当に分からなくなる。そういった態度ばかりなのに、昔からモテるのだ。
「お前に泣かされてきた女子は一体何人いた事か」
「泣かしてないわ」
「陰で泣いてたかもだろ」
「てかお前、俺が告られたこと言ったろ」
「えーなんのことだろうか」
誤魔化すように大げさに笑えば、包み隠さない舌打ちをされた。あまりの態度の悪さにドン引きである。だって姉さんが良樹のモテ情報を聞きたいと言ってきたのだから仕方がないだろう。俺に罪はないはずだ。
「澤北君は由衣のこと、」
「何、佐々木何か言った?」
小さな声で何かを言った彼女の声は、喧嘩のようにじゃれ合っていた俺たちの耳には届かなかった。しかし特に気にした様子もなく、彼女は首を横に振る。
「いや、なんでもないよ! それじゃあ2人が帰ってくるまでに黒岩君はここまで終わらせよう」
「……休憩は」
「ありません」
無慈悲なる言葉に涙が出そうになったとき、彼女がめくったノートの中から1枚の写真が落ちてきた。机の下にもぐりこんだそれは、良樹の足元へと行ったため、彼が机へともぐり拾う。
「佐々木、これ」
「あ、ごめんね。ここに挟んでたの忘れてた」
手渡された写真はどうやら家族写真のようで、うろ覚えだが以前彼女の家見た人たちが並んでいた。彼女は優しい笑顔で写真を見つめる。
「先週の日曜日に海に行ってね」
「この寒い季節にか」
「弟が行きたいって言って聞かなくて。それで持ってたインスタントカメラで撮ったやつを昨日現像したんだけど挟んだまま忘れてたみたい」
海を背景にみんな笑顔で写真に映っていた。佐々木さんの家族は彼女に似てとても親切な人ばかりだった気がする。そういえば家にも家族写真あったけど、どこに仕舞っていたか。
どこに置いていたかも思い出せないほど、長い間見ていないそれは気づいたら記憶の中で色褪せており、人の記憶はなぜ大事なものほど忘れていくのだろうかと思う。
忘れたくないと思いながらも、写真を見る勇気すらまだないのだけれど。
「那津、寝んなよ」
「ね、寝てないって」
良樹の声に我に返り、改めて教科書を見つめる。相変わらず意味の分からない文字の羅列が目の前を彩るが、集中力の欠けた今では尚のこと理解が出来なかった。
「買ってきたよー」
「ありがとう! しょうがない休憩にしよっか」
中原さんたちが帰ってきて教室は更に賑やかになる。自分がこの中に混ざっていることに違和感を覚えつつ、自然と他人事のようにみんなを見ていた。
明日は白石さんに会う日だ。今日分からなかったところは彼女に聞けば大丈夫だろう。その為には彼女にもらったペンで分からないところをピックアップして行かなければいけない。
窓の隙間から吹く秋風に体が震える。11月にもなると秋と言うより冬だろうか。明日は暖かくして行こう。
最近部屋を片付けていたら、高校の時の教科書が出てきました。多分、いつか資料として使えると思って残していたのでしょうね。懐かしさMAXでめくった後に、元の場所に戻しました。
次回は6月22日の22時に更新予定です。
よろしくお願いします。