33.変色②
ジリジリと迫る暑さと、騒がしい蝉の合唱が耳に刺さる。流石8月と言ったところか、日陰の中にいるにも関わらず、暑い空気だけで汗が流れ出て行く。風一つ吹かないこの公園には昼間だというのに人がいなかった。
「やっちまった」
白石さんと一緒にベンチに座り、俺は頭を抱える。頭に血が上ってしまったとはいえ、つい勢いで那珂さんにあんな事を言ってしまうとは思わなかった。
でも――
―――……
自分の買った物をその場において、急いで彼女から離れる。カウントダウンを始めた人ごみをかき分けて、ひたすら静かな場所を探した。しかし、この場所に静かな場所なんて存在するはずもなく、多少開けた場所に出られるだけで落ち着けるようなところではない。
「黒岩、那津くん……?」
……―――
昨日見たばかりの花火と、聞いた声はまるで遠い過去のように記憶の片隅で燻っている。俺はあの後言われたことを覚えていない。ただ、あの人が佐竹の姉だと聞いた瞬間に頭が真っ白になって、意識が遠のいていったのだ。
―――……
陽が傾いてきた頃、連れてこられなのは古い校舎の一角だった。工事用のシートが被さり、外からの光は遮断され薄暗くなった校舎内は肌寒く、不気味だ。隣にいた佐竹は終始、俯いており何も話そうとはしない。
「ごめんなさい……でも僕は悪くないんだ、黒岩君は強いから――」
やっと声を発したと思った彼は、こちらが何かを言う前に走り去っていった。その背中を見たのはこの日が最後だった気がする。
……―――
「なんで、こうも」
頭の中にチラつく佐竹の存在。彼の姉の存在は知っていたけれど、実際に会った事なんて一度もなかった。しかし今さら、そんな事はどうでもいいのだ。
横には何も言わず、隣に座っている白石さんがいた。彼女が嫌いとか、面倒くさくて離れたいとかは思っていない。でも、もう助けてなんて言葉が聞きたくないのも本心だ。
もし、彼女本人からそんな事を言われたら、俺は今まで通り彼女に接することができる自信がない。俺には人を助けるほどの力はないんだよ。
「今日は何色ですか?」
彼女の言葉に空を見上げ、夏らしい眩しさに思わず目を細める。昨日よりも青く感じる空は雲一つなかった。【青】と伝えようと彼女の手を取り、それに躊躇する。
ただ、青と伝えればいい空模様なのだが、病室で見上げた青と、今ここで見上げた青は違うような気がした。
『真青』
絞りだした自分の中の言葉があまりにも安直で恥ずかしくなる。青に他のバリエーションがあるだなんて思っても見なかったのだが、確かに何か違う青に感じたのだ。
「なんだ、真っ青って」
「夏が近いんだね」
気持ち程度の風が吹き抜ける。彼女の長い髪は静かに揺れ、瞬きをする姿がゆっくりと過ぎていく。それはまるで、映画のワンシーンのように感じた。
彼女は絵心が全くない俺の、趣もない色の表現で夏を感じることも出来るのか。いや、恐らく目と耳の代わりに感覚で夏を感じているだけなのだから、俺のお陰で夏を感じているだなんて事は流石にありえない。もしかしたら、彼女は夏が好きなのだろうか。
『夏、好き?』
「好きだよ」
真っすぐこちらを見て言われたため、ドキリと胸が大きく跳ねる。そう言う意味でないのは分かっている。それよりも、あまりにも純粋な目で言うものだから、過去の自分も思い出してしまいそうだ。
―――……
「那津くん」
「なっちゃん」
……―――
もう今日はこれ以上何も思い出したくないというのに、こういう日に限って色々思い出してしまう。きっと命日が近づいてるせいだ。これだから、夏なんてなければ良いのにと思う。
『どこが』
俺は、なつが嫌いだ。それでいいはずなのだけど、どうしてか彼女に聞きたくなった。そんなに真っすぐ、なつを好きだと言える理由を。
「夏の青々とした空気かな」
しかし彼女の回答は不確かなもので、意味は分からない。とりあえず青々と言われたため、空を見上げてみた。
「青々って空じゃないんだ」
「目を瞑って、深く息を吸い込むの」
息を吸う気配がして、隣を見やれば白石さんは目を瞑って大きく深呼吸をしていた。俺もそれに習って大きく息を吸う。
「それで、吐き出して空を見上げるんだよ」
言葉通りに息を吐き出す。空を見上げ目を開ければ、先ほどよりも青々とした空は嫌なほど爛々としていた。あまりの眩しさに目の前が歪み始め、溢れそうになる何かを必死に我慢する。
彼女が見ている景色は、全てがこんなにも心に響くものなのだろうか。何に、かは分からない。でも確実にさっきよりも今の空は胸を震わせるものだった。
「そうしたら夏だなって感じない?」
「……すごいなぁ」
心の底から、そう思った。まともに会話をしたことがない女の人。それでも彼女の優しさは色んな所から感じて、何気ない言葉に心を動かされる握る手に、力がこもる。
「白石さんは、友達に裏切られたことってある?」
記憶のない、声の聞こえていない彼女にこんな問いかけをしてなんの意味があるのか。そもそも聞いてほしいと思っているかも分からない。けど、彼女ならなんて応えてくれるのだろうか。
「今までの自分に後悔して、でも今さら何も変えられなくて」
どうなのだろうか。自分で自分の気持ちが分からない。昨日のこと、那珂さんのこと……そして彼女の存在。思い出の中の自分は腹が立つほど前向きで、見ていられないくらい全てを信じていた。
「黒岩君、寄りかかってもいいんだよ」
「白石さん……?」
「疲れたら私なんかでも、肩は黒岩君の為に空けておくので」
横に座っていた彼女は、ポンポンと自分の肩を叩く。また胸の奥から何かが込み上げてきそうで、それを我慢するためにグッと奥歯を噛みしめる。
夏は嫌いだ。嫌な思い出が暑さとともに濃く色づく。いくら忘れようとしても、佐竹に裏切られたことをなかったことにはできない、母さんと父さんが死んだことは変わらない。
でも、今だけは夏を忘れてもいいだろうか。
俺は彼女の肩に顔を埋める。そっと頭を撫でるその手は冷たくて、心地良かった。
そしてこの日を最後に、白石さんとは会えなくなった。
次回はもう少し明るいお話になるはずです!
次は5/2の22時更新予定です、よろしくお願いいたします。