31. ③
しばらく歩いて到着した美術室には、生徒はだれも居なかった。薄暗い教室の電気を付けて、準備室内のいつもの場所へと向かう。そこには1m四方の発泡スチロールに様々な色のつまようじが刺さっている絵がいくつか重ねてあった。
なぜこのサイズかと言うと、完成品は大体20m程度の大きなつまようじアートになるため、1mずつで切り分けていくつかのグループに分けて作業をしているのだ。
「よし、とりあえず今ある分だけでもやるか」
「続き、どれくらいで来るかな」
「来なかったら遊ぶか」
「駄目だよ」
真顔で断られたことに苦笑を漏らし、準備室から終わっていない分を運び出す。つまようじ自体が不足しているため、まだ手を付けていない分はこの時間で終わらせるのは難しいかもしれない。
それにしても、女子たちはどのくらいで来るだろうか。先ほどクラスを出るときに色塗り班に混ざっている姿だけは見たから、もしかしたら向こうを手伝っている可能性もあるだろうな。
「佐竹って昔から絵描くの好きなんだよな?」
作業を進めつつ、隣にいる佐竹へ声をかける。無言の時間はあまり好きじゃないと言うか、喋っている方が楽しいし、せっかく誰かと一緒にいるのに何も話さないのは勿体ない気がするのだ。
「うん。お姉ちゃんが持ってる漫画が好きで、よく描いてる」
「俺、少女漫画とか読まないからなぁ」
「今どき少女漫画読んでない人いるんだね、結構男子も読むってネットに書いてあったけど」
「そんなもん? じゃあ読んでみるかなぁ」
俺の家は姉がいるのだけど少女漫画は一切置いていない。なぜなら少女漫画よりもゲームを優先してやる家族だからだ。発端は父で、姉も小さい頃からずっとゲームばかりしているらしい。その影響で俺も昔からみんなとゲームばかりしているし、母も時間を決めてやらないと怒るけど、なんだかんだ最後は一緒に参加をしていたりもする。
「もしよければ、貸すし」
発泡スチロールにつまよじを差し込みながら、彼は遠慮がちにそう言った。そう言えば友人間の貸し借りを一度してみたいと言っていたような気がする。
可愛いやつだなぁ、と思いつつ「今度お勧め借りようかな」と相槌を打ち、顔を上げると視線の先に絵画コンクールの紹介ポスターが目に入った。
「なぁ佐竹、美術部入れば?」
「突然なんで?」
「あれ」
困惑した様子の彼に、目の前にあったポスターを指さして教えると更に戸惑ったような様子で首を横に振る。
「僕なんて出したところで駄目に決まってるよ!」
「なんでだよ、この間見せてもらった、ほら、魔女っ子なんとか」
「リリコ」
すごい速さで訂正を入れられた。いつもの彼とは思えないほどの真剣な表情に、今度は俺が困惑してしまう。
アニメ好きの心境は分からないが、好きで使ってるゲームキャラを弱いとか言われたらイラっとする感覚に似ているのかもしれない。俺の場合、意地でもそのキャラで勝とうとする。レア度の低いキャラでも育成次第でどうとでもなるのだと分からせるために。
「そう、それ。すごい上手だったじゃん」
「あれと、これはどう考えてもジャンルが違うって。見れば分かるじゃん」
「絵は絵じゃない?」
俺の言葉に佐竹は呆れたように肩を竦ませる。確かに美術で油絵とか色々習いはしたが、それでも絵は絵だし、上手に描けるのであれば関係ないと思う。しかし彼はそうは思わないようだ。
「黒岩君は絵が壊滅的だから分かんないと思うけど」
「それは言うんじゃない」
俺の絵は壊滅的だ、それは仕方がない。絵なんて描く機会なかったわけで、いざ描けと言われても見本がなければ風景を思い出す事すらできない。
いや見本があったところで綺麗に曲線とか描けないし、無理なものは無理なんだけど。なんでああいうのってコンパス使っても上手く描けないんだろうな。
「無理無理、絶対無理」
「やるだけ損はないと思うけど、まぁやりたくなったら応募してみればってことで」
小さくなる彼は、未だに自信というものが足りないようだ。どうしてそこまで自身を卑下するのか、理由を未だに聞けていない俺には分からない。
「まだ黒岩くん意外に絵のことさえ言えてないのに……」
「いい機会だし、佐竹も絵の班に行けば良かったのに」
「僕が行っても迷惑かけちゃうし、みんなと絵の感じが合わなそうだし」
「そんなことないと思うけど」
こんな風に、何度誘ってもクラスのやつらに絵が描けることを打ち明けようとすらしないのだ。クラスにも普通に絵が上手い奴はいて、勿論そいつらは下絵の班にいる。
「黒岩君だけだよ、そんな風に言ってくれるの」
「他のやつとも話してみれば? みんな良いやつばっかりだけど」
「でも……」
「あんまクラスに馴染めないのって、なんか理由でもある?」
食い下がる彼に、いつもならここで話を切り上げるのだが今は誰も来なさそうだし踏み込んで聞いてみることにした。最初の時も聞こうとは何度か考えていたが、今以上に暗かったため聞くに聞けなかったのだ。
「……実は僕、前の学校で虐められてて。2回転校してるんだ」
なんとなくは察していたが、やはり虐めがあったようだ。俺の場合は幸いにも、今まで周りで虐めが起こったことはなく、あっても喧嘩ばかりだった。
それでも虐めに発展しそうなものは有ったと言えば有ったわけだけど、全部喧嘩にシフトチェンジさせてもらってた。みんな根が良いやつだったからできた事だけど。
「2回とも虐めで?」
「うん。最初の学校では僕の絵を見たクラスメイトから、変なのって言われたのが始まりで」
「喧嘩になったか」
それで人に絵を見られることに抵抗があるのだと納得する。当時は小学生だろうし、絵が変でも可笑しくはなさそうだが、喧嘩になるという事は相当な何かがあったのかもしれない。もし、喧嘩だけで済んでいれば、佐竹ももっと前向きになれたのだろうか。
「結構仲良かったんだ。変な子だったけど、よく揶揄って遊んでたな」
「それで転校?」
「3か月くらいして、やっぱり仲直りできなくて」
「そっか」
終業のチャイムが鳴り響き、人のいない美術室は寂寥としている。
彼は苦悶の表情を浮かべ、俯いた。きっと、自分なりにどうにかしようと頑張ったのだろう。元々仲が良ければ尚更である。
「転校先でも、最初は仲良くなろうって頑張ったんだけど」
「うん」
「みんな気づいたら僕と目も合わせてくれなくなって」
そして、3度目の転校を経てこの学校へ来たということだ。仲良くなりたくても、それに足る勇気が、積み重なる転校ですり減っていたのかもしれない。しかし、そう何度も虐めが起こるのも変な話だ。
――まぁ少し、原因は佐竹にもありそうな気がするけど。
彼と接してきたこの数か月、少し気になっていたのが所々に感じられる無神経な物言いだった。ただ、良樹の方が口が悪いと思うので俺自身は気にしていないが、会話の度に余計な一言を言われれば嫌になってくる人もいるだろう。
「理由は何にせよ、虐めが正しいことはないから」
「そう、だよね。やっぱり僕が悪いわけじゃないんだ」
長く鳴り響いていたチャイムの音に小さく呟かれた彼の声がかき消される。何か晴れたような表情を浮べている為、きっと悪いことではないのだろう。
「なんか言った?」
「ううん、ただ黒岩くんに話せて良かったって思って」
「へへっ、いつでも頼ってくれていいから。ここには俺もいるし、とりあえず誰かに話しかけてみるのが大事ってことで」
大きく頷いた佐竹に満足し、足元に転がっている道具の片付けに移る。結局来なかった女子の分の道具は、使われることなく転がったままだ。帰りの会に遅れる前に急いで片付けよう。
「那津」
美術室の戸が開いた音に振り向けば、絵具で汚れた良樹が立っていた。それだけで、しっかり作業をしてきたことが分かる。
「あれ、どうした良樹」
「色塗り班がこの後の分、このままじゃ間に合わなそうでさ」
「だから女子が来なかったのか」
そうだろうとは思っていたが、時間一杯使っても間に合わなそうというのは相当作業に遅れが出ているのかもしれない。
彼は俺たちの制作物を見ながら近くの席に腰を下ろした。どうやら片付けを手伝う気はないらしい。
「謎に色塗り手伝ってくれてんだよな、他にも色塗り班あんのに」
それはお前と話したいからだ、とは決して言わない。顔だけは良いこいつがモテるだなんて決して本人には言ってやらん。俺が良樹の恋愛相談を一体何度されたことか、そしてその時の俺の気持ちが分かるだろうか。
「それでお前は何しに来たんだよ」
「女子がうるせーから逃げてきた」
「作業放棄してか」
「人数足りてるからいいだろ、もう終わりだし」
「それは俺の班の連中だろうが!」
相変わらずの彼に、呆れて首を振る。人の班から人員を持って行ってこの態度。彼が頼んだわけでは無いにしてもサボる理由にはならないだろう。彼なりに作業を行ってから来ているのは絵具まみれの姿で明白ではあるのだが、後一歩足りない。
「でもここ、佐竹と2人で足りてるだろ?」
「こら良樹、佐竹を睨むな」
「睨んでねぇし」
表情を変えずに眉間にシワを寄せる彼は、圧倒的威圧感だ。長くいる連中は慣れているし、女子はそれがクールでいいらしいが気弱な佐竹にはまだ刺激が強すぎる。
「お前は無駄に顔が良いせいで真顔の威圧感がすごいんだよ」
顔が良いと褒めたくはないが、それが事実だ。しかし彼は見た目にこだわりが一切なく、興味なさげに、佐竹を無言で見つめた。それが怖いのだと言ったのに言う事を聞かない男だ。佐竹は困った様子で俺に助けを求める視線を送ってきた。
「佐竹もいい加減1人立ちしろよ、いつでも那津がいるわけじゃないんだし」
「おい良樹、いいじゃん友達なんだし」
まだ数か月しか一緒にいない相手に容赦がない。しかしそれも、良樹自身が昔から大抵の事を1人で解決してきているため言えることだ。小学生の頃の彼は今以上に人にも自分にも興味がないやつで、いつも1人でいたから、もしかしたら気弱な佐竹が気に入らないのかもしれない。
「この似非ヒーロー」
「お前は俺を怒らせたぜ」
「やるか?」
「暴力反対」
勢いよく掲げた拳を、潔く下げる。口喧嘩でも殴り合いの喧嘩でも良樹に勝ったことがないのだ、仕方がない。喧嘩を好まない癖に強いとはこれ如何に。もう彼に挑むことはきっとないとは、小学校を卒業した当初に思った事だった。
「お前の正義理論は聞き飽きたしなー」
「聞き流してただろ」
「なんでバレてんだ」
「バレないわけがないんだよ」
可笑しそうに笑う良樹の横で俺と佐竹は片付けを進める。楽しそうで何よりだが、お陰で俺の悲しき日々が蘇ってきた。あの幼かった俺が必死に正義とは何かを言い聞かせた日々を。全く聞く耳を持たない彼に何度泣かされたことか。
片付けも終盤と言ったところで、また美術室の戸が開けられた。次は誰かと見れば、番長と数人の男子たちが入ってくる。
「あ、番長じゃん」
「ッチ。お前らか」
目が合った番長は嫌そうに顔を歪める。俺は別に彼に嫌われてはいないと思うのだが、良樹が相当嫌われているせいで、いつも舌打ちの流れ弾を食らっている。
「舌打ちすんなよー」
「ッチ」
「お前もだよ」
喧嘩を好まない性格はどこに行ったのか、なぜか彼はツンケンしたいつもの態度から更に上乗せした悪い態度を、番長たちにはするのだ。そのため、出会ったら一触即発の空気になる。
「んだよ、やんのか澤北」
「やらないやらない。番長は手伝いにきてくれたり?」
「んなわけねーだろ、誰もいねーと思って来たんだよ」
イライラしたように頭を搔きむしる彼だが、ここから出て行く気はないようだ。恐らく今からここで遊ぶのだろう、彼から早く出て行けオーラを感じる。ちなみに彼らは、学校には来るが授業には出ていない。
「番田くんって、澤北くんと仲悪いのに喧嘩しないよね」
「ああん?」
さっさと片付けを終わらせて出て行こうと思った矢先、急に佐竹がぶっこんできた。あと少しだったのだ、あとはこのつまようじを容器に戻すだけだったのに、何事だ。
「あ、実は仲良しとか」
「佐竹、急にどうした!」
「え? 黒岩君がとりあえず話してみたらッて言ったから」
「タイミングと相手が悪い……!」
素直なのはいいが、相手を選ばないといけない。あともう少し空気の読める質問を出来ないものか。良樹なら不機嫌にはなるが手は出しては来ないだろう。しかし番長はいけない、怒らせたら絶対手が出る。
「仕上げ班ー、早く戻って……番田もいたのか」
早く退散しなければと思っていると、国語の先生がやってきた。先生は彼らを見つけて、不愉快そうに表情を歪める。
タイミングが良いのか悪いのか分からないが、今のうちに佐竹だけでも戻ってもらおう。
「お前佐竹っつたよな」
が、番長は先生の来訪でも気にせず、佐竹へと睨みをきかせる。ピリつく空気に佐竹と良樹だけが別空間にいるかのような和やかさだ。この2人はもしかしたら似たもの同士か。
「あ、はい」
「随分面白いやつと絡んでんな、黒岩。相変わらずで笑えるわ」
何を思ったのか居座る気だった番長は席を立ち、教室から出て行った。一気に教室内の雰囲気が柔らかくなったことに、大きく息を吐き出す。
「みんな、何もされてないな?」
「大丈夫です、すぐ戻ります」
心配する先生を見送り、残りのつまようじを容器へと戻す。不思議そうにしている佐竹に、呆れたように良樹が溜息を吐き、先に教室へ戻っていった。
佐竹には今度、番長はまだ早いと言い聞かせなければいけないかもしれない。さすがに大丈夫だろうが、番長と佐竹が会わないように今度から気をつけなければ駄目だろう。
先が思いやられる秋の日。それでも充実した日々に満足していた。しかしこの世に悪いやつはいない、と言うのは間違いだと気づくのが遅すぎたのかもしれない。
次回は15日更新です。よろしくお願いいたします。




