29.脚色②
先ほどいたところから少し歩いたところに着く。ここは屋台がないせいか人が少ないようだ。
「なぁ黒岩」
森田は急に立ち止まり、振り返った。その表情は真剣そのもので更に戸惑う。呼び出しに良い思い出はないし、出来るだけ早く用件だけ聞いて戻りたい。
「な、なに?」
「中原のこと狙ってたりする?」
ナカハラノコトナラッテタリスル? ……何言ってんだこの人。
何を言われたのか意味が分からず思考が停止する。しかし彼の顔は真剣そのもので、冗談を言っている感じではない。言葉の意味を理解しようと、頭の処理をフル回転で行う。
そして1つの結論にたどり着いて、一気に冷や汗が流れる。
「は……はぁ!? そんなわけないだろ!」
「まじ? なら気をつけろよ、中原って結構モテるみたいだからさぁ」
「まじか」
衝撃の事実に頭を鈍器で殴られたような感覚だ。普段からよく話しているが、それは世話焼きな佐々木さんが俺の席と近いだけで他意はない。しかし、どうやら俺は彼女たちと良樹意外に会話をすることがないせいで、そういった情報にも疎くなっていたようだ。
もしかしたら良樹は知っていたのだろうか? いや、興味ないだろうな。
「知らなかったんかウケる。結構可愛いじゃん中原」
「かわ……そっか」
俺が唖然として動かなくなると、森田はおかしそうに笑い出した。それで、更に焦る姿を見て彼は、本当に俺に中原との間に何もないと思ったのかホッとしたように肩の力を抜いていた。肩の力を抜きたいのは俺の方である。
「ちなみに佐々木とは?」
「ないです」
「ははっ! まぁ、あんまクラスの連中に見つからんようにな」
「分かった、ありがとう」
思わず溜息を吐き出す。これから2人との距離感を少し考え直した方がいいようだ。それ以前に、もう怪我が治った上に授業も前に比べればついていけるようになった。であれば、佐々木さんにお世話になる必要などもうないのではないだろうか。
「てか黒岩、結構喋んじゃん。いつもそんくらい喋ればいいのに」
「じゃあ、待たせてるから」と、人懐っこい笑顔で去っていく彼の背中を見送り、体の力が抜けて壁に寄りかかる。驚きのあまり、いつもの調子で森田と話してしまったし、色々と悩ましい事実に頭が痛くなりそうだ。
しかし、花火までの時間も差し迫っている。あまり長くここに居座る訳にもいかないだろう。急いで中原さんのいる場所まで戻らなければいけないため、その場を後にした。
「大丈夫だった?」
戻ると、かき氷をシャリシャリと混ぜている中原さんがいた。すでにほとんどの氷は溶けてしまっているようで、俺が先ほどまで食べていたものも、ほぼ液体になっている。
「うん。ごめんね荷物」
「それは全然」
彼女に渡していたものを受け取り、溶けたかき氷をストローで飲む。真っ赤に染まった液体は甘ったるい。
チラリと横を盗み見れば、彼女はボーっと屋台を見ていた。不意に先ほど森田が言っていた言葉を思い出す。
――結構可愛いじゃん、中原。
一重で、キリっとした目だが雰囲気が柔らかいため怖い印象はない。健康そうな色白の肌に、シュッとした顔立ち。普段長い髪をポニーテールにしているが今日は浴衣に合わせてまとめていた。
考えたこともなかった。まともに彼女たちの顔を見ることがなかったせいかもしれないけれど。白石さんの顔ならこの間よく見たし、綺麗な人だってことは分かってる。
――いやよく見たってなんだよ。
思い出してはいけないことを思い出したため首を振り、頭から彼女の存在を消す。
「黒岩君、最近元気ない?」
「俺? 普通に元気だよ」
彼女と俺の視線は合わずに、ただ人ごみを見つめる。
花火開始時刻が迫っているせいか、先ほどよりも人の数が増えてきているようだ。見えやすい場所を探し求めて、右往左往している人々がごった返していた。こんな状態で良樹たちは時間内にここまで戻ってこれるのだろうか。
「黒岩君は優しいし、悩みがないように見せてるけど……私でよければ何でも聞くよ」
心臓が大きく跳ねた。
「ほら、友達にしか話せない事ってあるし」
ガヤガヤと騒がしい人々の声が遠のいていく。流れる汗と、張り付く服が気持ち悪くて吐きそうだ。
それは一番嫌いな言葉。そんな言葉を吐いた自分が一番嫌いだ。あの夏の寒さを、何も見えなくなった嵐を思い出してしまうから。
「黒岩君?」
我に返った瞬間、寒さを感じていた自身の手を握ると、確かに温かくて不思議と安心する。しかし落ちつかない心臓は早く逃げろと囃し立てる。それでも何から逃げればいいのか俺には分からなかった。
「や、さしいのは中原さんだよ」
なんとか絞りだした声は裏返ってしまった気がする。このままでは彼女にいらぬ心配をかけてしまいそうだ。彼女はまだこちらの様子に気づかず、前を見つめているため、気づかれずにこの場から一度離れるなら今しかないのだろう。
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるね」
「あ、うん」
自分の買った物をその場に置いて、急いで彼女から離れる。カウントダウンを始めた人ごみをかき分けて、ひたすら静かな場所を探した。しかしこの場所で静かな場所なんて存在するはずもなく、多少開けた場所に出れるだけで、落ち着けるようなところではない。
「黒岩、那津くん……?」
なんとなく聞き覚えのある、呟き程度の声。その声がなぜかはっきりと耳に届き、心臓がさらに速足になった気がした。きれる息を整え、ふらふらになりつつ後ろを振り向く。
音楽と共に花火が上がった。
―――澤北良樹side
唐揚げ、お好み焼きクレープ。近所の祭りではあまり見ないような屋台が多く並んでおり、胸が高鳴る。すでにいくつもの食べ物を買ってはいるが、できれば全制覇を目指して更に、雪那さんにも買って帰りたいところだ。
「澤北君本当によく食べるね」
「そう?」
「うちは兄弟が多いからご飯もよく減るけど、みんな少食だから。澤北君見てると楽しくなっちゃう」
楽しそうに俺が買った物をビニール袋へ詰め込む佐々木の姿は1人の姉の姿だ。なんとなく雪那さんとダブル瞬間もある。
那津と来ても誰も袋を持参しないため、いつも両手いっぱいに持って帰っていたが、限界もあり諦めて買えなかったものも今まではあった。だからこそ彼女の袋はありがたいわけだ。
「そんなこと初めて言われたわ」
「言われたことないの?」
「まぁ、良い食いっぷりだから作りがいがあるとは言われたことあるかな」
頻繁に那津の家に言っては、雪那さんの手料理を食べている。それは小学生の頃からの日常だった。
俺に母親がいないことを知った黒岩家の両親はいつでも俺を歓迎してくれたし、だからこそ毎回多めに俺の分まで作ってくれるあの家の人々には感謝をしていた。ここ数年は雪那さんのご飯ばかりだが昔は那津の母親、千佳さんのご飯もよく食べていたな。
「確かに作りがいはありそう。そう言えばこの間うちに来てたお姉ちゃんの友達は良く食べる人でね」
「……あの、金髪の?」
思い出したくない人物の話に無意識に眉間へシワが寄る。
あの日、不運にも那津と出会わせてしまったのは、仕方のない偶然だ。まさか市内にあの姉がいるとは思ってもいなかったし、話しかけてくるなんて微塵も思わなかった。幸いだったのが、那津本人が彼女の顔を知らなかったことである。あいつは彼女を見る前に学校を休み始めていたのだから知らなくて当然なんだが。
「そうそう、毛先がね。そう言えば今日はお姉ちゃんたちも来てたからどこかで会えるかも――」
「来てる? 今日、ここに?」
我ながらすごい剣幕だと他人事のように思う。しかし、それどころではない。あの女がここに来ている、それは那津と出会ってしまう可能性があるということだ。
那津は知らなくても、相手はこっちのことを知っており、どの面下げてか分からんが、那津に話しかけようとしている人物だ。絶対に止めなければならない。
あまりの勢いに佐々木はたじろぎつつも、スマホを取り出し時計を見る。すると困ったように眉を下げた。
「うん、花火が始まるときに来るって言ってたから、もう来てると思う」
手に持っていたものを全て投げ出して、俺は走り出した。この人ごみだ、あの2人が出会う確率なんてそう高くはないはずだ。しかし妙な胸騒ぎがするのだ。
頭の中を霞める、暗い部屋に閉じこもる那津の後姿。自責の念にかられ、日に日にやつれていく彼と、それを必死に支えようと夢を諦めた雪那さんの無理に浮かべた笑顔。もう2度とそんな光景を俺は見たくない。
「さ、澤北君。どうしたの、急に」
佐々木は息を切らしつつも、俺の投げ捨てたものを全て手に持ち追いかけてきたようだ。少々申し訳なく思うが、俺にそれ以上構っている余裕はない。
「悪い、今急いでるから。もしかしたらここで解散になるかもしれん」
「それってどういう……」
彼女の声をかき消すように、花火が上がる。それに続いて流行りの音楽が流れ出した。人々は上を見上げ、感嘆の声を漏らす。
辺りを見まわして探せども、花火が始まったことによって人が増えており中々見つけられない。
「こんなことなら早く戻っていれば――」
そこで待ち合わせ場所の存在を思い出した。なぜすぐ思い出さなかったのか、花火が始まったのならそこにいるはずなのだ。踵を返し、そこへ急ぐ。人ごみをかき分け、見えた先には中原の姿があった。
「中原、那津は!?」
「へ? 黒岩君ならトイレ行くって」
「まだ戻ってきてないのか?」
佐々木はしばらく動くことができなさそうで、壁に手を着き息を整えていた。息を切らした俺たちが戻ってきたことで中原は不思議そうに首を傾げ、そして那津が行くと言っていたトイレとは逆方向を、彼女は指さした。
「多分、向こうでサタちゃん、えっと……さっちゃんのお姉さんの友達と話してるっぽかったから、」
「馬鹿たれっ」
言葉も途中で俺は走り出し、ポケットからスマホを取り出す。ワンタッチで設定していた連絡先に電話をかければ、電話相手はすぐに出た。
〈もしもーし、どうした――〉
〈今すぐオプリア、は無理か。ドムキの駐車場に来て〉
相手の返答を聞かずに電話を切る。きっとこれだけでも彼女は、雪那さんは理由を聞かずに駆けつけてくれるだろう。そう、あの家の人たちはみんな、そういう人たちだ。
なぜこんなに焦っているのか、自分でも分からない。あいつは確かに立ち直って、今こうして祭りにも行けるようになっている。だから過去に何があろうが、その元凶諸々が出てこようが、大丈夫なはずなのだ。なのになぜ、こんなにも落ち着かないのだろうか。
少し進んだ先に棒立ちなっている那津の姿が見えた。その表情までは見えないが、その視線の先にいる人物で嫌でも状況が分かる。
「那津!」
しかし、花火と音楽の音で俺の声は届かない。人ごみをかき分け、やっと手が届くところまで来たと思った瞬間、目の前から那津が消えた。驚いて駆け寄ると、頭を抱えて座り込んでいる親友の姿が目に入る。
「おい那津!」
「大丈夫!? って君はこの間の」
同じようにしゃがみ込んだ目の前の女は、心配そうに那津を見ていた。一体誰のせいでこんなことになっているのか理解していないのか、ただの性悪女なのか分からない。
「ご、めんなさい」
苦しそうに呟かれた言葉は人々の声にかき消されていく。まるで那津の謝罪をあざ笑うように。その顔は真っ青で、枯れた涙を出すことすら許されないほど苦し気だった。
自然と俺の頭に血が上る。なぜこの事態を予想できなかったのか、回避できたはずなのに。
「今さら何しに来たんだよ」
無感情に吐き出された言葉に意味はなかった。ただ聞きたかったのだ、なぜ2年も経って今さら俺たちの前に現れたのか。いや正直興味はないのかもしれない、ただ目の前の人間を殴りかかる理由が欲しいだけなのかもしれない。
「あの、弟の事でお礼と、」
彼女の言葉に思わず顔を見ると何が起こっているか分かっていない、といった顔で俺たちを見ていた。それに俺の中にあった何かがプツン、と切れる音がする。
「ふざけんなよ、どの面下げてお礼なんてしにきてんだ。迷惑だって――」
思わず手が出そうになった瞬間、ポケットでスマホが揺れた。我に返り、怒りで震える手で電話を取る。
〈もしもし良樹くん、ドムキに着いたよ〉
彼女の声を聞いて、頭に上っていた血が少し引いた気がした。目の前を見れば未だに状況を飲み込めていない女の姿があり、那津はまだ苦しそうだ。
辺りを見渡せば、心配そうにこちらを見る人もいれば、迷惑そうにしている人もいた。そうだ、こんなところで油を売っている暇なんてないのだ。
俺は何も言わずにその場を離れ、生気のない那津を支えて雪那さんのいる場所へと向かったのだった。