22.景色
〈7/13の18時頃に錨緑地公園で会えるかな?〉
そんなレインが来たのが、連絡先を交換して2日後の夜だった。姉からの承認もあり、特に断る理由もなかったため〈大丈夫です〉と返事をしてから一週間。指定された公園は近所ではなかったけれど、自転車を使えば10分程度で着く場所だ。
そして今、家から自転車を漕いで待ち合わせ場所へと向かっているところである。
学校から直接向かうのもありだったのだが、部活もしていない上に、何より家事を先に終わらせたかったと言うのもある。時間が時間だったし、姉が帰ってくる前に夕飯を作り終えねばいけなかった。
「今日ってどっか祭りでもあるのかな」
点字ブロックの敷かれた狭い歩道を、多くの男女が浴衣を着て歩いている姿が目に映る。カップルで来ている人もいれば、両親に連れられて楽し気に歩く子供たちの姿も見られた。
姉さんと戦隊ごっことかしながら歩いてたら必ず父さんが悪者役で出てきて、それで戦いが始まるんだけど俺と姉さんにではなく、母さんに倒されて終わってたんだよな。倒されるというか全員が怒られるって言うか。
反対車線ではしゃぎ過ぎて怒られている子供が、幼かった頃の自分に見えて少し懐かしくなった。
同じ方向に歩いていく人々を横目に、車が1台しか通れないであろう細い道に入る。この辺に来ることは殆どない為、マップがないと迷子になってしまいそうだ。
「ここら辺のはずだけど」
更に左に曲がり、少し広い道に出る。一度止まりスマホを確認すれば、あと少しで公園だというのでスマホをポケットへ戻し自転車を漕いだ。
すると見覚えのある白の軽自動車が見えてきて、その横には手を振る那珂さんがいた。
「なつくん、久し振り」
「お久し振りです」
頭を下げてチラリと横を見ると、車の中には2か月ぶりの白石さんの姿があった。グレーのワンピースに白いシャツのシンプルな服を着ており、夏らしい涼し気な雰囲気だ。
久し振りに見た彼女の姿には変わりはなく安心するが、私服姿は初めて見る気がする。
「久し振りで嬉しいのは分かるけど、見つめ過ぎだよ」
「あ、いえ別に」
微笑ましそうに目を細める彼に、慌てて顔を逸らす。久し振りだし、私服が新鮮だったためつい見てしまっただけだが、言い訳も聞いてくれなさそうな雰囲気であるため何も言わずに諦める。
「そう言えば向こうで六月灯をやってるみたいだけど、ちょうどいいし行く?」
「行きたいです!」
思わず声をあげると、那珂さんは驚いた顔をして目をぱちぱちさせていた。昔のことを思い出したせいか、ついテンションが上がってしまったようだ。俺は恥ずかしくなり、苦笑を洩らして謝る。
「お祭り、好きなんだ」
「好きと言うかなんというか。ほら、嫌いな人っていないじゃないですか」
「……そうだね」
ニコリと笑った彼は、それ以上何も言わずに俺の自転車を車の中へと入れ込もうと後ろの扉を開ける。俺もそれに従い、自転車を車体の近くへ近づけるが、そこで1つ問題があることに気が付いた。
「那珂さん、これ俺ってどこに座ればいいですか」
「困ったね、定員オーバーだ」
肩を竦める彼からは全然困ったような雰囲気を感じないが、気のせいだろうか。
「じゃあ俺、普通に自転車漕いで行きますよ」
「助かるよ。場所は柏野神社で、ここをまっすぐ行くだけだから」
聞き覚えのない神社に多少の不安はあるが、マップで調べればすぐ出るだろうから大丈夫だろう。車に乗り込む彼を横目に、俺は軽く返事をして言われた神社まで向かった。
◇ ◇ ◇
「じゃあ俺はここで待ってるから」
神社付近には思ったよりも人がごった返している上に、付近にパーキングもなさそうとのことで那珂さんは車と自転車の番をコンビニの駐車場でしてくれることになった。
そして当たり前のように俺は白石さんと2人きりになったわけだけど、そこまではいい。ただなぜ、俺は白石さんと手を繋いでこんな所にいるのだろうということだ。しかし、裾を軽く掴まれていた手は、すぐ離されて彼女は俺と向かい合う。
「ごめんね、せっかくのお祭りなのに」
『大丈夫』
いや、理由としては単純明快なのだ。久し振りに会ったのに急に手を繋がなくちゃいけないって何の試練なんだとか思ったりはしたし、手を繋ぐのなんて屋上に連れて行った時が最後だと思っていた。 繋いだというか、腕を掴んでもらったって感じなのだけど、俺にとってはどちらも差異はない。
こんなの嫌でもあの日の屋上の景色を思い出してしまうではないか……景色だから、景色を思い出すだけだから。
細い道を進み、石でできた鳥居の前まで来ると神社内にたくさんの屋台が見えた。道が狭いため、どこに屋台が並ぶのかと思ったが、中が思っているよりも広いようだ。
鳥居をくぐり、中に入れば向日葵などのイラストの描かれた燈籠が頭上を照らしていた。敷地中央には簡易的な舞台が置かれており、知らない音楽が流れている。
「見えなくてもお祭りの雰囲気って分かるものだね」
悶々とした思考を振り払うように頭を振る横で、白石さんは見えない景色をキョロキョロと見まわしていた。見えないし、聞こえないのに今の彼女はお祭り気分で少し浮かれているようにも見える。せっかくだし一緒に見て回りたいが、この人込みの中を連れて歩くのは危なすぎる気がする。
『何、食べたい?』
「綿あめ、かな」
少し考える素振りを見せて、彼女は照れくさそうにはにかんだ。はしまきとか、たこ焼きとかを言われると思っていたため驚いたが、綿あめはちょうど俺も買いたいと思っていたので良かった。
『待ってて』
「あ、せめてお金は」
足早に屋台へと向かおうとすると、彼女は慌てて服の裾を掴んだ。そして手探りで肩にかけていたウエストポーチの中から財布を取り出す。綿あめくらい別にいいのにと一瞬思うが、500円くらいする高級品だということに気づき、なんとなく胸を撫でおろしてしまった。
「いくらか入ってると思うからこれで好きなもの買ってきていいよ」
「え」
「あ、私が貯金してたお金みたいだから気にしないで使ってね」
「寧ろ気にするって言うか」
財布をそのまま差し出されて困惑を隠せずに彼女の財布を見つめる。黒色でシンプルな長財布で、特に目立った特徴はない。再度彼女の顔を見ると、不思議そうに首を傾げていた。
今気にすべきは誰のお金かというところではなくて、見えない状態で無暗に人へ財布を預けてはいけないという点だと思う。
しかしそのまま断ることも出来ない為、財布を受け取り恐る恐る中身を空けてみる。中にはポイントカードがぎっしに詰まっており、空きスペースはなかった。寧ろあふれ出したカード類で埋まっている状態だ。こんなにカードを使う場面があるという事は、こうなってしまう前は結構アクティブだったのだろうか。
まぁ、それは今はどうでもいい事なのだけど。俺は数枚並んでいる千円札を確認してとても安心した。
「大金が入ってなくて良かった」
これで一万円がたくさん入っていたら突き返そうと思っていたところだ。そんなお金、俺が持つには荷が重すぎる。財布持ってるだけで挙動不審になってしまいそうだ。
『買ってくる』
彼女を壁際に残して、賑わっている屋台の中を進む。たこ焼き、焼きそば、りんご飴。くじ引きや型抜きなど懐かしいお店が立ち並ぶ中を色んな人が楽し気に歩いていた。こっちの方の六月灯には来たことがなかったが、俺がいつも行くところより人が多いかもしれない。
あと謎に高校生カップルが多い。高校が近いからだろうか。生徒を見守るために先生らしい人もチラホラ伺えた。
少し歩いたところに綿あめ屋さんを見つけ、列の最後尾へと並ぶ。グルグルと回る割りばしに白い色が絡まり大きな綿あめが出来ている。前にはそれを心待ちにしている親子がいた。綿あめを作っている横でキャラクターの袋に詰め込んでいるおばさんも、そわそわしている子供を見て笑みを浮かべている。
――どれにしようかな。
よく見る某ネズミランドのキャラや日曜朝に放送している正義の女の子ヒーロー、今流行のアニメキャラ。様々な綿あめが売っている。悩みはするものの、いつも買うものは同じだった。
「パパ、僕レッドが良い!」
「またレッドでいいのか?」
「うん!レッドが好き!お姉ちゃんにはブルーで、ママはピンク!」
「またママが可愛くないって拗ねそうだなぁ」
苦笑いを浮かべながらも、子供に言われた綿あめを全て買い、抱き抱えている姿は微笑ましい。戦隊ものが家族で好きなのだろうか、母親を除いてだけど。
帰ったら言葉通りあの家族の母親は残念そうにするのだろう。そして一緒に綿あめを食べるのだ。それを想像すると自然と笑みがこぼれた。
「いらっしゃい、どれに致します?」
いつの間にやら自分の番になっていたようで、綿あめを詰め込むおばさんに人当たりの良い笑顔で声をかけられた。違うことを考えていた俺は動揺を隠せずに言葉に詰まる。
しまった、何も考えてなかった。俺は慌てて並んでいる様々な袋を見て、先ほどの親子が買っていった戦隊もののヒーローたちが目に入った。
「そこのレッドと、ブルー……あとピンクもください」
「はい3つね。1800円だよ」
ちょっと値上がりしてないか。そう思いながら自分の財布と白石さんの財布から必要なお金を渡した。そして両手いっぱいに抱きしめる羽目になった綿あめを見て失敗したことに気づく。
「まいどあり、気を付けてね」
「……先に他のやつ買えばよかった」
小さく息を吐いて、俺は他の屋台へと足を運んだ。
綿あめ、たこ焼き、ラムネ。俺はこれだけ買ってこれ以上は無理だと諦めて帰って来た。十分健闘したのではないだろうか。最後のラムネを買うときなんか、屋台のおじさんにお金を出してもらったほどだ。
脇に綿あめを挟み、左手でたこ焼き、肩掛けのバックに財布とラムネを突っ込んでいるがチャックが閉められなかったため右手で鞄を閉じている。これはなんとも格好のつかない姿である。目の前に見えてきた白石さんの姿を見て、心底彼女の目が見えなくて良かったと思った。
綿あめを一度地面に置き、肩を回す。変な恰好でいたため肩が吊りそうだ。一つ息をついてから彼女の肩を叩いた。
「黒岩さん、おかえりなさい」
祭りの景色を眺めていた彼女は俺の方へ視線を戻し、笑みを浮かべた。燈篭の淡い光に照らされた彼女はいつもよりも表情が見にくく、そして優しい光に包まれた姿になんとなく非日常を感じる。ドキリと胸が鳴った。
「結構込んでたよね、ありがとう」
ハッと我に返り、辺りを見渡す。どこか座れる場所があればと思ったが、ここにはなさそうだ。短い階段はあったが、そこはすでに他の人が使っており今から割って入る訳にはいかないだろう。
であれば少し外に出て、塀にでも寄り掛かりながら食べるか、那珂さんの所に戻って一緒に食べるかだけど。
『立って、食べる?』
「うん、大丈夫だよ」
なんとなく、もう少しここにいたいと思った。久し振りの祭りの雰囲気に、俺も浮かれているのかもしれない。たこ焼きを渡すと、同じように浮かれた様子で受け取った彼女に吹き出してしまったのは内緒だ。