21.二色②
「黒岩さん、そんな所でどうした……あれ、那津くん」
言い訳するにも絶望的な状況下で現れたのは、俺が求めていた人物である那珂さんがだった。驚いた表情で立っているその姿は魔王のように現れた姉と違い、後光を浴びた神のように見える。
彼は後ろの様子を気にして、姉の背中をそっと押す。姉はそれに申し訳なさそうに従い、苦笑いを浮かべていた。その顔からは魔王は消えているため、驚きを隠せない。
「那珂さん、こんばんは」
「こんばんは、こんな所で会えるとは思わなかったよ」
出てきた彼は黒色のスキニーパンツに青の縦ストライプのシャツ、その上に暗い色の上着を羽織っていた。今までスーツ姿ばかり見ていたせいか不思議な感覚であるが、とりあえずオシャレだという事は分かる。周りに気も遣えて、オシャレだなんて流石大人の男だ。そして流石は白石さんのお兄さんである。
俺は今回の目標が達成でき、骨折り損にならなかったことに満足していたせいで完全に良樹の存在を忘れていた。その彼に脛を蹴られ、思わずしゃがみ込む。
「いぃっ!」
「説明しろ」
決して強く蹴られたわけではないが、脛は良くない。俺はそのまま文句を言おうと良樹を見上げるが、周りが暗くて表情が見えなかった。それが一層彼の怒りを表しているように思えてホラー映画のようだ。姉は姉で大きな溜息を吐いて、頭を抱えているわけだが誰か俺の状態を気にしてほしい。
「すみません、白石さん」
「大丈夫ですよ、予定が少し早まっただけですし……取り敢えず移動しましょうか」
「そうですね。えっと、2人はどうやってここまで?」
姉の問いに俺がチラリと自転車を置いているマンションの方を見れば、姉もその視線を追っていき見覚えのある自転車の姿を視認する。そしてニコリと笑みを深めたため、俺は勢いよく立ち上がり姿勢を正す。
「随分暗いところに置いたのね?」
「那津がここならバレないって」
「おいこらぁ!」
秒で裏切った良樹を思いっきり睨めば目を逸らされた。そして視線を感じた方へ恐る恐る目を向けると目が笑っていない姉が、そこにいた。これはもう駄目な奴だと直感で感じる。こうなったら意地でも良樹同伴で説教を受けよう、そうしよう。
「ははは。じゃあ車での移動も難しそうだね」
既に説教モードの姉と、縮こまる俺たちを見て那珂さんは可笑しそうに笑った。俺にとっては笑いごとではないし、出来ればさっきのように姉の行動を止めてもらえると嬉しいと心底思う。
腕を組んで思案し始める那珂さんは、恐らく店の入り口で立ち往生していては他のお客さんの邪魔になると思っているのだろう。ここのお店は人気店のようだから先ほどから途切れることなくお客が入っている。入り口が2つあるからと言って長居するわけにはいかないのも確かだ。何より扉が開く度に「まだいんのか」みたいな目で店員さんに見られるのが苦しくなってきた。
「車の中で話しましょうか? それならまだ迷惑にはならないと思いますし」
姉が腕時計を確認しつつ提案をすると、那珂さんは少し悩む素振りを見せたがすぐに笑みを浮かべた。
「ではお言葉に甘えて」
「少し古い車で変な音もしますが、気にしないでくださいね」
「僕の車も似たようなものですから」
どうやら方向性は決まったようだが、先ほどから無言の良樹が怖すぎて何も集中が出来ない。早く説明をしろと脛まで蹴って来たというのに。しかし2人が車の方へ歩き始めると、良樹も無言で先を歩き始めた。こちらも慌てて後を追う。
「良樹?」
「あれ、誰」
小声で問いかけてきた彼の声は少し元気がないようにも思う。そう言えば彼にしてみれば何が起こっているのか一番意味が分からない立場だろう。それなのに脛を蹴るなと言う方が……いや、それにしても脛は蹴っちゃいけない。
すぐ目の前に車が見えてきた為、俺も声を小さくして彼の耳元で囁く。
「白石さんのお兄さん」
「なんだそれ、なんで雪那さんと?」
「俺が聞きたい」
世間は狭いとはこういう時に使うのだろう。もう会うこともないと思っていたにも関わらず、まさかこんな形で会えることになるとは思いもしなかった。姉さんに那珂さんのことを隠していたのは俺のはずなのに、2人が知り合いだったとは、なんだか騙された気分である。
「2人は後ろに座ってね」
車の傍に到着すると那珂さんはすでに車内で待機しており、姉はそれだけ言って先に運転席へと乗り込んだ。開かれた扉からは軋む音が聞こえるほど、この車は古い。新車はお金がかかるからと言って知り合いから中古車を安くで譲ってもらったもので、3年間ずっと買い替えずに使っている。ずっと働きづめでお金も貯まっているはずだし、いつでも買い換えられるはずなのに買わないのは姉さんが俺のために節約してくれているからだ。
「入るかぁ……良樹、どうした?」
眉間にシワを寄せている友人の姿に首を傾げると、彼は「なんでもない」と言って車に乗り込んだ。不思議に思いつつも、俺も乗り込む。
中はきちんと整理されており、座席にはテッシュケースと足元には小さいゴミ箱もある。古い車だということが分からないくらい姉さんの綺麗好きが発揮された車内だ。ちなみに俺は割とズボラである。
「まず、ここまで勝手に来たことは帰ってから話すとして」
「えぇ」
「何」
「ナンデモアリマセン」
不満気な声を出したら、物凄い目力で睨まれた。
「雪那さんとの関係は?」
間髪入れずに問いかけた彼を見ると、相変わらずの無表情ではあったが若干前のめりになっていた。俺と那珂さんの関係については何も触れてこないのは何故なのか。別にいいんだけど。
「まぁ、知り合い……かな?」
難しい顔をして曖昧に答える姉に、詳しく言えない理由があるのかと変に勘繰ってしまうわけだが、横を見ると俺よりも分かりやすく眉間のシワが濃くなるやつがいた。チラリと那珂さんの方も見てみると、いつもの変わらない調子で笑みを浮かべている。
「病院で知り合ったんですよね。迷惑をかけてしまったし、お礼にお茶でもどうかなって」
その答えにまだ不満気な様子だが、良樹はそれ以上なにも言わずに黙り込んだ。姉さんは姉さんで、何かに驚いたらしく目をパチパチとさせて那珂さんを見ていた。だからそれはどういう反応なのだ。
「那津くんも病院で会って、友達になったんだよね」
「へあ、はい!そうです!」
突然話題を振られて変な声が出てしまった。初対面の印象は絶対最悪だったはずなのに、友達認定するだなんて白石さんも那珂さんも兄妹揃って優しすぎると改めて感じる。まぁ那珂さんに限っては少し恐ろしく感じるところもあったけれど。
「とりあえず……どうしましょうか?」
姉は考えることを放棄したのか、話題を別のものへと変える。俺ももういいかなって思い始めていたところだったのだが、難しいことは後回しにするという思考回路はまさに似た者姉弟である。
「もう9時過ぎてますし、解散にしましょうか……高校生を遅い時間まで連れ回すのは良くないですからね」
腕時計を見た那珂さんにつられ、姉さんも車のデジタル時計に視線を落とす。いつの間にかそんな時間になっていたようで、驚いた。自転車でここまで来るのにもけっこう時間がかかったし、妥当な時間ではあるのだろうけど。しかしここからまた自転車で帰るのは怠いなと思う今日この頃。
「良樹くんは今日は折り畳みじゃ……なさそうだね」
暗がりに留めてある自転車をよく見た姉は、溜息を一つはいた。俺は1台しか持っていないが、良樹は通学用と別に折り畳み自転車を持っているのだ。しかし今は俺が彼を急かしたため通学用の自転車で来ている。そうなってくると姉の車に入りきらないのだ。恐らくその溜息だろう。
「俺はチャリ漕いで帰るよ」
「駄目に決まってるでしょ」
姉の言葉に少しムスっとする彼はきっと、帰宅後に説教を受けるのが嫌で1人だけ逃げようと考えていたに違いない。そうは問屋が卸さないってんだ。
「じゃあ那津くんの自転車は僕の車に乗せましょうか」
「え、そんな申し訳ないですよ」
「いえ、こんな時間に呼んでしまったのは僕ですし、那津くんと話したいこともあるので」
ニコッと笑みを向けられた俺は無言で頷いた。なんだか有無を言わせない圧のようなものを感じたのだ。そんな俺たちの様子を訝し気に思いながらも、姉は渋々首を縦に振る。
しかし俺に話したいこととは何だろうか。白石さんの事だとは思うけれど。
俺はそのまま車から降りて、那珂さんと自転車を取りに行く。その間に姉さんたちは車の座席を動かしていた。
「どうしたんですか?」
「今日は黒岩さんに、那津くんと会わせてもらえないか頼むために呼んだんだよ」
歩き出した彼の後を追いつつ、彼の言葉に首を傾げる。俺は姉さんのことを那珂さんに喋った記憶がない。いやもしかしたら言ってたかな。でも顔写真を見せたことは絶対にないと断言できる。それなのになぜ分かったのだろうか。
那珂さんは俺の考えていることが分かったのか、おかしそうに笑う。
「彼女とも病院で会って、弟さんがいるって聞いてたし、名前が黒岩だったからね」
「それを今日確認しに?」
「そうそう、そしたら大当たりで。今回ばかりは神様に感謝したね」
自転車の鍵を外しながら、彼は言った。背中を向けられているために一体どんな表情をしていたかは分からないが、今まで聞いた中で一番冷たい声色だったように思う。
「ところで、連絡先でも交換しない?」
振り向きざまにいつも通りの笑顔を向けられ、キョトンとしてしまったが断る理由もないため流れるように連絡先の交換をした。これが、できる大人というやつなのだろうか。やはり姉を誘っただけはある。
「妹が連絡できないことに気を悪くしないでね」
「え、なんで」
「キミのことがバレちゃったせいで携帯没収されちゃって。連絡先を消されてた」
「おう……」
そこまでするのかと正直思ったが、あの母親ならやりかねないかもしれない。初めて会ったあの日のことを少し思い出す。あの薄暗い目つき、本当に思い出したくないけれど。
カラカラと自転車を押し、那珂さんの車であろう車の前に到着する。想像していたのはカッコいいスポーツカーか大きめの後ろにタイヤが付いている系だと思っていたが、普通に白の軽自動車だった。しかもうちのより小さいかもしれない。
「それで相談なんだけど、今度開いてる日に妹に会ってもらえないかな」
背の低い車に肩肘を乗せて俺を見る姿は、どこか真面目で真剣な表情をしてる気がした。