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色彩ーremakeー  作者: 蒼依ゆき
病院編
16/79

15.さび色

 ザーザーと雨が降っている。ザーザーなんて安直な表現になるほど、憂鬱すぎる雨が勢いを弱めずに空から降っていた。6月、どうやら梅雨が始まったようだ。


「梅雨なんてなくなればいいのに」


「傘を忘れた責任を天気に負わせんなよ」


 病院の入り口で恨めしそうに空を見上げる俺の横で、傘の水滴をまき散らしている良樹が淡々とそう告げた。雨予報だと分かっていながら傘を置いてきた俺が悪いのは抗いようのない事実だし、学校に置いてあった彼の折り畳み傘を借りている手前、何も言い返せないのだけど。


 1つ大きな溜息を吐いて、借りた折り畳み傘についた雨粒を振るい落とす。そしてギプスの取れた自身の手で鞄や制服についた雨粒を払い落とし、入り口に置いてあった大きさの合わない傘用のビニールに折り畳み傘を入れた。


「もう痛くないか?」


「最初の頃に比べたら雲泥の差ってやつかな」


 テスト期間中の5月中旬に、俺のギプスは取れた。これさえなくなれば俺は自由なのだと信じて疑わなかったのだが、外した直後があんなに痛いものだとは思いもしなかったのだ。確かに事故直後に目覚めた瞬間や、リハビリのときは痛くて苦しかったが、その痛みが再来するなんて思いもしたくなかった。


 そのせいでテスト勉強も満足にできず散々な結果だったと言っても過言ではない。しかし先生たちの計らいで追試を受ける羽目に……いや、受けさせてもらえることになったのだから、まだ赤点を逃れるチャンスはあるのだ。


 という事で、1週間くらいは白石さんにもほとんど会えなかった。せっかく何度か勉強を見てもらっていたのだが、痛すぎて学校も休んでいたのだから仕方がないだろう。


「じゃあ、行くか。何号室?」


「え、来るの?」


「今更かよ」


 自動ドアをくぐり、ちょうど1階に降りてたきたエレベーターへと乗り込む。当たり前のように付いてくる彼の背中を、俺は半分諦めつつ見つめることしか出来ない。ここへ一緒に行くと言い出した時に嫌な予感はしていたのだが、途中まで付き添うだけと言った彼の言葉を信じたのが間違いだったようだ。


「途中までって」


「病室の中までな」


 これが所謂(いわゆる)、詐欺というやつなのではないだろうか。しかしここまで来てしまったのなら腹を決めるしかないだろう。俺は目の前に聳え立つ『白石那津(しらいしなのつ)』の部屋を深呼吸して、見つめる。


「絶対喋るなよ?」


「緊張すんなって」


「お前が言うな」


 早くしてほしそうにこちらを見てくる彼に、俺は再度深呼吸か溜息か分からない息を吐きだし、ドアをノックした。そして少し待ち、返事や物音がないことを確認して開く。


「いいのか?」


「大丈夫」


 さすがの彼も勝手に入ることに抵抗があったようだが、彼女の耳が聞こえないことを(あらかじ)め知っていた為、俺の後に続いて遠慮がちに中へと入ってきた。


 ゆっくりとドアが閉まれば、窓から吹く風が弱まる。雨降っているにも関わらず開いている窓から雨が入り込んでおり、窓付近の床が水浸しになっていた。こんな日まで開けなくてもいいだろうに。


 いつも通り部屋の中心にいる白石さん。ここへ来ると、いきなり世界が変わったような、そんな不思議な感覚になる。 一体彼女は何を考えて1日を過ごしているのだろうか。時折見せる感情が抜け落ちたような表情の理由を知りたい。


 これも好奇心なのか、はたまた別の感情なのか。そんなことはどうでもいいのだけど。


「ちょっと待ってて」


 それだけ言って、急いで開いている窓を閉める。既に手遅れな気もするが、この濡れた床は後で看護師さんにでも報告することにして、そのまま荷物を床に下ろし、俺はいつも通り2度彼女の肩を叩いた。


「黒岩さん?」


『〇』


「3日振りだね、怪我はもう大丈夫?」


 たった3日で大きくは変わらないとは思うが、彼女の手のひらに丸と書くと、優しく微笑んでくれた。ギプス事件からここへ来れなくなって、最近になってようやく久し振りに来れたときに事情を説明してから心配度合いが増したような気がしている。理由としては来るたびに怪我のことを聞いてくるからだ。


『友達、連れてきた』


「友達?」


 首を傾げる彼女を横目に、後ろに控えていた良樹に手招きをする。何か言われるかとも思ったが、意外にも彼は何も言わずに俺の横へときた。きっと俺が喋るなと言ったのを守ってくれているのだろう。


『突然、ごめん』


「それは全然大丈夫だよ」


 そして彼女は、恐らく良樹の方に向かって「だらしない恰好ですみません」と言葉を続けた。初対面であるため気にしているのだろうが、入院しているのだし、そんなことを気にする必要ないのにと思う。

 俺の時も、というか俺の時は気にする余裕がなかったと言った方が正しい。初対面の突然訪問とか常識どうなってんだ。


「お名前、伺ってもよろしいですか?」


 そりゃあ、友達を連れてきたと紹介したのは俺なのだが、なんとなく納得いかずに良樹を睨みつける。すると彼は肩をすくめ首を横に振った。その顔の憎たらしいことと言ったら、今すぐ追い出してやりたいほどだ。


しかし彼女の言葉を無視するわけにもいかないため、彼の名前を書こうとした横から手が伸びてきて、彼女の手を(さら)われた。


「良樹!?」


 彼は悪戯っ子のような、そんな可愛い表現が似合わないような笑みを浮かべて彼女の手のひらに文字を書いていく。(はた)から見ると何を話しているのか全く分からないため、何の話をしているのか気になって仕方がない。


 そもそも長すぎる。内容は分からずとも、絶対名前以外に余計なことを言っていることは書き連なる文字数で分かった。何も喋るなと言ったのに、この裏切りだ。しかし話の腰を折ることも出来ないものだから本当にもどかしい。というか手書き文字している状態ってなんて言うのか、シュールだな。


「そうですね、大丈夫だと思います」


 楽しそうに言う彼女は、いつもと違い言葉を確認するための復唱をしなかった。いつもならするはずの行動がなく、話の内容がどこからも入手できなくなったことに唖然とする。その間に良樹は彼女から手を離していた。


「何言ったんだよ」


 問い詰めようと、近づけば口元で指をバッテンにして首を振る。それはつまり”喋れない”という意思表示に他ならないわけだが、都合が悪くなってからさっきの話をを持ち出すなと心底思う。


 良樹は満足したのか、そのまま背を向けて病室を出て行った。ほんと何しに来たのか分からないが、これで静かになるだろうと胸を撫でおろす。


「よしきくんって優しい人だね」


「良樹くん!?」


 が、何も静かにならなかった。この短い時間で、この2人の間に何が起こったのか、そしてなぜ良樹が名前呼びをされているのか。何を言ったらそういう話になるのか誰か教えてほしい。


 ――俺だってまだ苗字にさん付けだというのに。いや別にいいんだけど。


 しかし、先に白石さんの友人と言う立ち位置にいた身としては、複雑な気持ちになるのだ。なんなのだろう、この名前呼びの方が仲良く見える不思議。


「黒岩さん?」


 何も言わなくなったのを不思議に思ったのか、彼女は首を傾げている。俺は一度心を落ち着かせるために深く息を吸い、ゆっくりと彼女の手を取った。


『よしきと、なに、はなしてた』


「ごめんなさい、よしきと?」


 動揺が文字に出ていたようで、彼女はいつも以上に俺の言葉を理解していないようだった。良樹の言葉は復唱せずに理解していたのに、俺たちの違いはなんなのか。申し訳なさそうにする彼女には悪いが、少し苛立ちを覚える。しかし彼女は何も悪くないため、再度深呼吸をする。


『よしき、何、話す?』


「よしきくんと?……それは内緒かな」


 優しく微笑む彼女の表情からは先ほどの彼とは違い、全く嫌味を感じない。そんな彼女の態度から推察するに、悪い話をしていたわけではないのだろう。俺は詳しく聞き出すのをやめた。聞き出すのなら、主犯から聞き出した方が絶対にいい。


「さて、今日の勉強を始める前に」


『黒』


「黒?ということは……結構雨が降ってるのかな?」


 肯定すると、彼女は窓の方へと視線を戻す。雨の見えていない彼女の瞳の奥には、激しく振り付ける黒い雨が映っている。


 目や耳は後天的だとナカさんが言っていた。記憶のことも彼女本人から聞かされたが、どちらも詳しくは聞かなかった。本人も、ナカさんも俺が深堀することによって辛い記憶なんて思い出したくないだろうし。


「外に、出たいな」


「え?」


 小さく発せられた言葉は、窓越しに聞こえる小さな雨音にかき消される。しかし確かに聞こえた言葉は彼女の小さな願いだった。それを叶える義理は俺にはないし、聞かなかったことにすればいつも通り今から勉強をするだけだ。


 本人も無意識だったのか自分が発した言葉に気づいていないようで、まだ窓の外を眺めていた。そう言えば彼女から何かを頼まれたことなんて今まであっただろうか。


『外、行く?』


「え?……どうして」


 俺の問いかけに一瞬困惑の表情を見せたが、すぐに言葉の意味を理解したようで、迷っている素振りを見せる。しかし彼女は遠慮がちに頷いた。その様子がまるで初めて外に出たときのうちの猫のようで、なんだか可愛らしい。


「なんだ可愛らしいって、馬鹿なの俺、馬鹿なの」


 大きく(かぶり)を振り、彼女の足元にスリッパを置くと今度は転ばないように慎重に履いていた。そしてその手を取り、俺の腕を掴んでもらって病室の外へと歩き出す。


 以前、ナカさんが言っていた「母さん、那津(なのつ)が外に出るのをよく思わないみたいでね」と。特に医者から止められているわけでもなく、(むし)ろ勧められているのだそうだが、母親が過保護でそれが叶わないらしい。それも仕方がないのだろうけど、たったこれだけのことで嬉しそうにする彼女を見て、どうして連れて行かないという選択肢ができるだろうか。


 まぁきっと白石さんのことだから、両親に心配かけまいと我儘を言わないようにしてるんだろうな。


「く、黒岩さん……どこに行くの?」


 病室を出た瞬間、彼女の足が止まった。そう言われてみれば、どこに行くのか考えていなかったため首をひねる。正面から出ると誰かに見られてしまいそうな気がするためできるだけ目立たない場所がいいのだが、病院内で目立たない場所なんて存在するのだろうか。


「そうだ、屋上庭園にするか」


『屋上』


「屋上?屋上があるんだ」


 どこに行くか分かった彼女は、少しウキウキしているように見える。屋上と聞くと心が躍ってしまう気持ちはよく分かる。俺も高校生になれば屋上でお弁当食べたりできると思ってた時期があった。実際は先生同伴でなければ入ることすら叶わなかったわけだけど。


 左右を確認しながらエレベーターホールまでたどり着いた。ここまで来ておいてなんだが、今になって緊張してきている。言ってすぐに帰ってくれば、彼女の家族と鉢合わせることはないだろうが、気を付けなければ。


「ていうか良樹は帰ったのか」


 高らかにエレベーターの到着を知らせる電子音を横目に辺りを見回し、見知った姿を探すも見当たらなかった。俺は探すのを早々に諦めることにし、彼女とエレベーターに乗り込む。


 あいつは自由な奴だから別にいいのだが、すぐに帰るくらいなら来なければいいのにとも思ってしまうのだ。よく思い出してみてほしい、俺のお見舞いをしにきたあいつの事を。


「あ、傘忘れた」


 屋上に到着した瞬間、最大の失敗に気づく。外に出たいと言った彼女のためにここまで来ているのに肝心の傘がなければ外になんて出れないではないか。


 病室の隅に立て掛けた傘のことを思い浮かべて、思わずため息を吐いた。俺はとりあえず最後にある階段を上ってから考えようと彼女の手の平に文字を書く。


『階段、気を付けて』


「階段があるんだね、ありがとう」


 片方の手を俺の肩で支え、もう片方の手は手すりを持たせる。そうやって一歩ずつ階段を上っていると、彼女が微かに手を強く握りしめた。それだけのことでドキリと心臓が跳ねる。俺は彼女に触れられているところに、意識が集中する。心なしか暑くなってきた気がした。


「ごめんね、遅くて」


 一段一段、ゆっくりと上っていると彼女は申し訳さなそうに、そう言った。ちょうど階段も上り終えたため、俺は彼女を離して屋上庭園に続くドアを開く。


 そこには以前来た時のように人はおらず、曇天に染まる空から汚いものを全て投げ出すように激しく雨が降りつける。寂し気に咲く花が、それ逆らえずに揺れていた。


『ついた』


 俺が告げた途端、彼女は何もない空を見上げて手を伸ばした。そしてその手は空を掴み、哀しそうに何も掴めなかった自身の手を見つめる。しかしすぐ顔を上げ、目を瞑って再度空を見上げた。


 その横顔から何を思っているのかは分からない。でもきっと、彼女は空に恋しているのだと思った。俺にも彼女と同じものが見えれば、少しは。


「雨だね」


 彼女の言葉にハッと我に返る。そうだ、傘を取りに行かなければいけないのだった。俺は彼女をそのまま壁際まで誘導し『傘』と言って逃げるようにその場を立ち去った。

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