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星のないよる

作者: S-ro箒

1999年2月、私の唯一の祖父が亡くなった。

父は忙しい人間だったので、私は祖父母の家で小学校へ入学するまで生活していた。

寡黙な人だったが、木片を器用に組み合わせておもちゃを作ってくれた。

後で父に聞いた話によると、祖父はかつて大工だったのだと言う。


かけがえのない存在に違いない。しかし、葬儀のときも骨拾いのときも私は泣くことは無かった。

今になって思えば、まだランドセルに背負わされているような子供が、死というものを正確に認識できるはずもなかった。


ただ、この日を境に母の親戚と頻繁に会うことはなくなっていった。

父にとってみれば、幼い私を連れて車で4時間もかかる遠出は難儀なことだったのだろう。



私は高校卒業と同時に家を出た。

都会に住むことへの憧れがあった訳でもないし進学先が特別魅力的な訳でもなかったのだが、成り行きから住むことになってしまった。

熱い意思を持つ人が注目や尊敬をされる世の中で、彼らにとって消極的な旅立ちなど理解の範疇を超えているのだ。

友人や親戚には無関心な私の内心を理解できる者は1人も居なかった。

地元にUターン就職することも考えた。専攻に関連する企業の募集はやはり首都近郊が多く、気が付けば20kmばかりの引っ越しで済むような会社に就職していた。


日本一の人口を持つ都市とは言われていても、首都と比較すれば人の数は少なく息苦しさを感じることは無い。

駅と駅の間には畑や空き地が点在していて、地元を思い出す瞬間もある程だった。


いつも通りの会社の帰り道、川面に映ったビルの光が美しく煌めいていた。

満開の夜桜は街灯に照らされて白く光る。

高層ビル群が遠くに見えるが夜空の黒い色を変えてしまう程ではなく、月明かりに負けじと星もいくつか輝いていた。


改まって空を見上げることもなくなってしまったが、子供のころはもっと星がたくさん見えていたように思う。

液晶画面を見る時間が急激に増え、気づかぬ間に視力は低下した。

至極当然のことだが、こうして老化を感じるのは妙に切ない気分になるものだ。



出社の支度をしながら朝の情報番組を眺めるのが日課になった。

地元にいた頃も時たま見ることはあったが、遠い観光地の情報を知る気持ちで視聴するものだと思っていた。

本日は議題はおはぎとぼたもちの違いについて、コメンテーターが一生懸命に議論していた。

翌日が春分の日だからだろうか。


そういえば、祖父はご飯にあんこを乗せて食べるほど甘いものが好きだった。

味噌汁や納豆に砂糖を入れて食べる様子を見て、祖母と一緒に嫌そうな顔をした記憶がある。


テレビのボリュームを下げてスマートフォンの連絡先を漁った。

私は数年ぶりに叔母に連絡を取った。

夜にでもメッセージを見てくれれば良いという淡い期待は、1分後に裏切られることになった。

叔母から来たのは兎が「OK!」と書かれた看板を掲げているスタンプと、私の申し出を快く受け入れてくれた嬉しい返事だった。




そして私は今、新幹線に乗っている。

トンネルと深い山が交互に来るせいでスマートフォンはずっと圏外のままだ。

背もたれのポケットに挟まれたフリーペーパーを読むくらいしか暇をつぶせるもの無い。


それでも心が躍ってしまう。帰省とはこんなにわくわくとするものだっただろうか。

さながら遠足に向かう小学生のような心持だった。



終点の1つ前の駅で降りる。

降りる人はまばらで、天井の高い駅舎で大声を出せば何度もこだまが返ってきそうだ。


駅のロータリーに向かえば春の心地よい日差しが私を包み込んだ。

太陽は真上にあるもののまだ少し肌寒く、もう少し厚着をしてくれば良かったと思った。

よくよく日陰を見てみれば泥にまみれた雪が残っていた。いっそのことマフラーを持ってきても良かった。


今住んでいるところも良い意味で田舎っぽいところがあるが、こんなに空は広くない。

上京したとき、空が狭くなったとは思わなかったのだが。


突然クラクションが鳴り、驚いてそちらを見やる。

青い車の中でブンブンと手を振るのは叔母、後部座席から顔を出しているのは従姉妹だ。

手を振り返してガラガラとキャリーケースを引っ張った。


「迷わなかった?」

車内で叔母は問いかけた。

「迷うところなんてないよ」と、私は答えた。

「あんたの母ちゃんは新幹線降りられなくて終点まで行っちゃったんだよ!次の便で戻ってきたと思ったら、駅で迷子になったの」

「あの舞ママが?何でもできる人ってイメージあったけどなぁ」

私の母は私が物心がつく前に亡くなった。しっかり者だったという話とか、とんでもなく抜けてるとか、母に関する逸話は多数聞いてきた。

としても、「まさか、改札1つしかないのに?」なんて疑問を抱かずにはいられなかった。


叔母に会ったのは約10年ぶりだったが、その月日を感じさせないのは彼女が誰とも親しみやすい「おばちゃん」のような人だからだろう。



叔母の運転する車はホームセンターに入っていった。

県外ナンバーも何台か留まっていた。店先に並んだ仏花がどんどん売れていく様子に彼岸の需要を感じた。

私もどの花を買おうかとしゃがんで眺める。

仏花は洋花とは違った特徴的な香りがする。フローラル系の柔軟剤や芳香剤など、花をイメージする香りとは印象が異なる。


「ほら、舞、行くよ」

右手には線香の入った袋があった。この短時間の間で買い物を済ませたというのか。

「花はばあちゃんが作ったんよ」

従姉妹に言われて、急いで2人の元へ向かった。



車がガタゴトと左右に激しく揺れ、立派な本堂と鐘楼が眼前に現れる。

夕日に変わりつつある陽光に照らされた金装飾がきらきらと輝いている。

祖父の眠る墓を訪れるのはこれが初めてのことだった。


ロウソクと線香を持った。

トランクにはバケツに入れられた仏花が新聞紙に巻かれて置かれていた。


あちらこちらの墓から線香の煙がもくもくと上がっている。西日の眩しさも相まって、空気が濁って見える。

「もうおじちゃんたち来てるね」

立ち止まって叔母が言った。

「あ、おはぎ」

おはぎと花が2組既に供えられていた。いや、今は春だからぼたもちと言うのかな。


慣れた手つきでロウソクを燭台に刺し、マッチで火を灯す。2つ目を付けている間に、もう一方の火が消えてしまったのでロウソクを取り外して火を移す。

風よけになれと言われ、従姉妹とコートを広げて風上に立つ。

煙がモワっと広がりあたりが煙たくなった。


2人の念仏に合わせて、私も手を合わせて念仏を唱える。

じーちゃん、来るの遅くなってごめんね。帰ってきたよ、ただいま。ちゃんとおはぎ食べるんだよ。

心の中でそう伝えた。

目を開き前を向くと、2人はもう合掌を終えていた。



その後は、かつて暮らしていた祖父母の家で過ごした。

家の真ん中には池があって、部屋から足を下ろすとくるぶしぐらいまで水に浸かることができた。

祭で掬った金魚は、鯉になるのではないかと思えるほど育っているのだった。

そんな記憶の中の池はすっかり干上がり苔むしていて、訪れなかった年月を思わせた。


祖母は久しぶりに顔を見せた私を見て、少し目を潤ませていた。

思い出にある姿よりも多少小柄になったように思うが、私を撫でる暖かな手は昔と変わらなかった。



夜遅くに叔母の家に3人で行った。今日と明日は泊まらせてもらうのだ。


好きに過ごして良いよと言われたので、私はウッドデッキに出た。

しっかりと手入れされた洋風の庭は、仄かなオレンジのガーデンライトに照らされていた。


寝巻姿で外に出るには随分と寒い。

吐いた息が白く、昼に感じた春は遠くに逃げてしまった。



私は夜空を見上げて、はっと息を飲んだ。


いくつかの星はきらきらと瞬く。数えられないほどの星が頭上に煌めいている。

少し赤みがかった星、黄色い星、真っ白な星など色味もさまざまだ。

小学生の頃に星座盤で覚えた星々を1つ1つ指さす。


住宅街の真ん中にあり明かりが少ないとは言えない環境にも関わらず、感動を覚えるほどの星空だった。

まるで憂えていた私を優しく抱擁するようだった。


私は冷たい空気も忘れ、しばらくの間空を見上げた。



おわり


「変わってしまったと感じたとき、大抵は自分が変わっている」

ですから一呼吸おいて冷静になりましょう、という他人の忠告によって自分自身を苦しめていた。

自分を信じて良い時もあるのです。

見知らぬ誰かの自戒によって、必要以上に悩まれませんように。

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