情景描写
お題
「シャーペン」「紺」「草」
蝉が外で鳴いている。冷房の冷たい風が少女に当たって髪がなびく。顔が見えなくなる。
相変わらず先生は異国語を話している。それを右から左に聞き流す。
B5のノートの上をシャーペンが気持ち良さげに走っている。少女との距離は成年男性一人寝っ転がれるくらいだが、走っている足音がこちら側まで聞こえてきそうだ。
いい加減邪魔になったのか、少女が髪を耳にかける。少しつり目がちな目がチラリと見える。その目はノートを写すのにキョロキョロと動いていた。
思わず見惚れる。
もはや暗号と化した黒板をただ無意味に書き写すより、少女の横顔を何時間もかけて丁寧に描き写す方が得がある。そうは思うが、写生技術があいにくない。
よって、心のカメラで少女の横顔を何枚も何枚も撮って、家に帰って見返して一人でニヤついているという、なんとも変態的な行為に走っている。
……多分自分に写生技術があったとしても、家に帰って見返して一人でニヤついているのだろう。
日頃心のカメラで写真を撮っていることがバレたのだろうか。
昼休みに突然少女が話しかけてきた。
澄んだ綺麗な声だった。
いつもは遠くから聞いてるだけだったから、自分のために向けられた少女の声は初めてで、それだけで幸せなんだけれど。
顔を赤くして自分の前に立つ少女。目線を横にそらしつつ、何やら後ろに隠していたチラシを少年に見せる。
大きく描かれた花火とそれを見る浴衣の男女ペア。どうやら花火大会に自分を誘っているようだ。
もちろん即答で行くと返事した。
君ならそういうと思っていたと感謝と笑顔を心に置いて、机の上にはチラシを置いて少女は去っていった。
その後の授業はいつも以上に先生の話を聞けなかった。うきうき、わくわく……どきどき。そんな異様に明るい雰囲気で包まれていた。
しかし、家に帰ってからはたと気がついた。
……なぜ僕は花火大会に誘われたのか。
そこから悩んだ。今までの明るい雰囲気がいつもの暗めな雰囲気になった。
しかし、家に帰って塾に行っても、塾の授業中も、家に帰る道でも、夜ご飯食べても、お風呂に入っても、歯を磨いても、布団に入っても、誘われた理由は思いつかなかった。
だからって、本人に聞くことなんて到底できない。
そもそも人脈というものがないのだ。さすがクラスの端っこで生きている自分。しかも本も読まないから、存在意義とはなんなのだろうか、というレベルの自分。とりあえず呼吸している自分。
心の中で開催されている写真展をぐるりと一周して心の目を現実からそらして、その日は眠りについた。
電子的な目覚ましの音で目覚める。うるさいと思いながら止める。
まだ眠い。思わず二度寝をしたくなる。が、左に寝返りを打ってぼんやりとしていると、カレンダーが目に飛び込んでくる。
思わずガバッと起き上がる。ベットが軋む。空はぽつぽつと白い雲が浮いている。遠くから鳥の鳴き声が聞こえる。
なんてことないシンプルな卓上カレンダーにはやや汚い文字で『花火大会』と書かれている。
答えが出ないまま、この日がやってきてしまった。
掛け布団をたたみながらぼんやり考える。
結局僕はどうして誘われたのか。というか洋服何も用意してないや、何着て行こう。髪型とか気にした方がいいのかな。というか女子とどこかへ行くっていうシチュエーション実は人生初めてなのでは。
充電器からスマホを奪い取って、ベットに腰掛けて色々調べる。
最近のインターネットはすごい。自分の知りたいことを打って検索をかけるだけで答えが出てくる。
花火大会に誘われた理由とかも、きっと見ず知らずの誰かが答えを出してくれる……そうか、最初から自分で考えないで誰かに聞けばよかったのか。
充電満タンのスマホを開く。少し眩しい。慣れた手つきでパスコードを打つ。それから某有名な検索サイトを開き、文字を一文字一文字丁寧に打っていく。
『花火大会 誘われた 女から』
勇気を出して検索ボタンを押す。すぐに答えが出される。女の人向けのサイトを何個か見送ると、男の人に向けてのサイトが出てくる。
思わずキョロキョロしてしまう。これを開いていいのか、開いたら最後、答えが出てしまう。誰かに見られていないか、実は少女に見られていたりしないか、見られていたら怒られるのか、呆れられるのか。
外から蝉の鳴く声が聞こえてくる。下で誰かが料理をしているのか、肉を焼いている音がかすかにだが聞こえてくる。近くに人の気配はしない。大丈夫、誰にも見られていない。
思い切って画面に触れる。
インターネット環境がいいのか、待ち時間約一秒でサイトが開いた。
ゆっくり指を動かす。一文字一文字、逃がさず追いかける。
約二分かけて読み終えた。それからため息。
なんだよ、とつい呟く。秒針の音、どこかで鳥が飛び立った音。鳴き声。下から聞こえる水が沸騰した音。
書いてあったことは単純だった。
要するに『脈の有無はわからない、世の中にはいろんな女性がいるからね』という感じだ。
まるで綺麗な鳥を追いかけていたのに、捕まえてみたらただのカラスだったようなもんだ。しかもそのカラスもどこかへ逃げていったし。
再びため息をつく。
もういっそ何も気にせずに普段着でいこう。どう思われても知らない。
集合時間は口で決めたのではなく文字で決めたから、若干心配があった。
もしも画面の先にいたのが少女じゃなかったら……集合時間から二時間経って花火が終わりそうになっても僕と合流できないのだろう。
それならばやはり最初に「あなたは少女ですか?」と聞いておけばよかった…いや、待てよ、少女の名前をそもそも僕は覚えていない、ということは画面の先にいるのが少女だという証明は出来ないのではないか。
なんで僕は少女の名前を覚えていないのだろう。いや、苗字はきっと高橋とか高田とか竹田とか武田とかた行のどっかなんだろうけど。テストの座席は真ん中の方だし。なんで覚えていないんだろう。不思議だ。
……いや、わざと忘れているはない。それとはまた違った……本当に覚えていないだけなのだろうか。真実は僕にもわからない。
もういいや。きっと集合時間に少女は来る……絶対来る。
ポケットからスマホを取り出し、時間を確認する。もうすぐ四時。ここから花火大会の会場までは一時間もかからないから……まあ、待ち合わせの十分前に着けるだろう。
特に何も入っていないリュックを背負って、玄関でスニーカーを履く。
解けかけてた靴紐を結んで、いつもお父さんが身だしなみをチェックしている鏡をなんとなく覗く。
無地の白いティーシャツに、膝下までの紺のハーフパンツ、髪型は寝起きを梳かしただけ。
変に見られたって知らない。
誰もいない部屋にいってきますと声をかけて、扉を思い切り開けた。
バタンと後ろでドアが閉まった。
少女は予定時刻になっても来なかった。
空に大きな花が咲いては枯れ、咲いては枯れを繰り返す。
一人芝生の上でそれを鑑賞する。
隣に少女がいたら……目を輝かせて花火を見るだろうか、それとも音にビビりながら見るだろうか、それとも……いや、どれにせよ間近で可愛い姿を見れるのはもはや死と捉えてもよいだろう。
しかもその少女が浴衣姿だったら……ピンクだろうか、赤だろうか、それとも紫、緑……どれにせよ可愛い。まともに会話出来る自信が無い。
会話できる自信が無いなら、この結末で合ってるじゃないか。少女に会わなくてよかった。もうそれでよい。
一人で見る花火なんて、寂しくもなんともない。
次々と上がっていく花火をぼんやりと見る。赤、緑、青……。
声。
僕の名前を呼ぶ声。
また空に花が咲く。その光で声の持ち主の顔が照らされる。
紺地に大きな白い花が咲いている、赤い帯の浴衣の少女が立っていた。
少女は息を切らしつつ、慎重に慎重にこっちにやってきた。
髪の毛が少し乱れている。汗もかいていて、普段の美しい姿がどこかへ行っている。
どのくらい僕のことを探してくれたのだろうか。やはり集合時間を間違えていたのだろうか。それとも集合場所? いや、もしかすると集合時間に少女が遅れて来たのかもしれない。
遅れてごめん、とやはり澄んで綺麗な声が耳に届く。
すっと隣に少女が座る。柑橘系の香りがほんのりする。
一際大きな花が空に咲いた。
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