川崎さんは夢信者
お題
「縁」「夢」「夜」
それはいつも通りお昼を一緒に食べてるときに訪れた。
「ねぇ木更津」
「なんだ」
「あたしたち別れない?」
「……は?」
木更津空。
それが俺に与えられた名前だった。
木更津というのは千葉県の中西部に存在しているらしい。しかし俺も両親も親戚も誰も木更津には住んでいない。故にどんなところだかわからない。
空というのは日々場所や時間で変わり続けるもの。俺の命名には関係ないと母が言っていた。でもあの母親のことだし、何かもっと奥深くに意味がある気がしてたまらない。しかし何もわからない。父親に名前の意味を聞いてもただニヤッとするだけでわけがわからない。
ていうか話に収拾がつかない。今は俺の名前なんてどうでもいいんだ。
「で、別れたいと思った理由は?」
「バカにされそうだから言わないっ」
で、拗ねているのか怒っているのか悲しんでいるのかなんとも取れない表情をして真正面で腕を組んでいるこいつは川崎恵莉。
川崎というのは神奈川県の北東部に存在している。有名な都市だよな。
恵莉というのはなんだかわからない。前にその名前の意味を聞いたが川崎も知らないらしい。もしやみんな適当に名前をつけてるのか、と聞きたくなってしまう。
だから川崎の名前もどうでもいいんだ。
「じゃあちゃんと理由があるんだな」
「あるってばぁ、そこはちゃんとしてますぅ」
「だいぶ初期だな」
「よくわからないこと言わないでよぉ」
「通じてるくせに」
「……知らないっ」
まるで現実から目をそらしたいかのように……いや、大げさすぎだな。
怒ったのかなんなのか知らんが突然箸を持ってお弁当を食べる川崎。ていうか案外こいつ大口開けて食べるんだよな。
出会った当初はお弁当箱とか小さめで、ちびちびちびちび食べてるような印象の強い……今言うなら「女子を演じていた」感じだったからな、お弁当箱大きくなって突然大口でまるで大食い選手のように食べられ始めるとびっくりするよな、付き合ってすぐだったっけな。あまり記憶にないな。
……あまり記憶にないくらいこいつと一緒にいたのか、俺。
「で、返事をください返事!」
「そんなせかすことか?」
ていうか告白してきたのはお前だろう、と心の中でツッコミを入れる。
隣の席になってわざと俺に突っかかってきたくせして勝手に恋に落ちて俺のヘンテコな趣味バレるわ化けの皮も剥がれてむしろ素のほうが個人的には接しやすいわでも学校ではいつもの女子対応でこいつなんなんだよとか思ったりだとか互いに素を見せ合ったせいかその後もなんとなく一緒にいることが増えてあーなんかこいつだんだん俺にデレてきてるなぁとか柄にもないこと考えて自分の部屋で勝手に川崎のこと考えて赤くなってたり釘バット振り回したりでもちゃんと勉強はしたり時々あのバカな川崎が脳内を駆け巡ってうざいからハリネズミ与えて静かになってもらったりなんだかんだほんと一緒にいることが多くて席替えで席が遠くなったらその日のうちに告られてびっくりしたけどいつかはこうなるだろうと思っていたのでまあ俺も好きなんでなんていうよくわかんない俺らしくない気がする台詞で答えてそこからはもう恋人関係っていうことが川崎の背中を押したのかいやもうなんかいろいろやったよな書かないがまあそんなこんなで一年経った。
んだが? なぜそのような人間が突然俺に別れを告げるのだろうか。昨日まで仲良くしてたのはなんだったのか。ああ夢か。それなら納得だ。
「……理由を教えてくれるならば返事も今してやろう」
「……そらっちのいじわる」
「唐突なそらっち呼び笑えるわ」
「じゃあ木更津のいじわるっ!」
「あー、しっくりくる」
そらっちが木更津に変わったのはいつだったのだろうか。付き合う前からいつのまにか木更津だった気がするな。自分自身があだ名ってものを好いてないからか苗字呼びの方が心の距離が近くなったら気がする。
「……夢占いって知ってるぅ?」
「…………いや」
「夜に見た夢でね、占いするの」
「それで恋愛関係で俺を上回るようないい男が出るでしょう的な結果が出たから別れたいと」
「いや、ここから彼氏との関係が最悪になるでしょう別れるなら今です的な結果が出たから別れたいです」
今の状況が割と最悪だと川崎はいつ気づくのだろうか。まあいい。
「嫌だ」
「……別れるなら今だよ? ほんとに」
「だとしても嫌だ」
自分が川崎の何を気に入ったのかわからないが、とにかく今はこいつを手放したくない。
仮に川崎の見た夢が擬人化して川崎の右手を引っ張ろうと、むしろ引っ張っているんだったら、俺は川崎の左手を思い切り掴んで離さない。
夢なんかに奪われてたまるか。
「夢占いがどのようなものでどんな感じに結果が出るのか俺は知らんし興味ないが……」
「……なんですかぁ」
「……あ、お前にもう一度『木更津が好きだ』と言わせてやろう。今日中に」
「……千葉?」
「いいや俺だとぼけんなバカ」
ちょうど授業五分前のチャイムが鳴った。ずいぶん前から空だった弁当箱をしまって教室へと戻った。
川崎は半分くらい残ったお弁当を急いで食べていた。それ以降の行動は知らない。
とはいったものの。
何をすればいいのか全くもってわからない。
「で、ここでこの公式を使う、と」
そう、愛の公式……いや、これは国語の先生だ。
ていうか愛の公式ってなんだ。わけわかんないな。
「そうすると、答えが……」
答えが……なるほど、俺が愛の公式とやらを見つけてそれを川崎の前で使うと川崎から「好きだよ」という答えが求められる……と。
んなわけあるか。一年前二年前はもっとまじめに考えられただろ俺。
さあ、どうすれば川崎は夢から右手を離すのか。どうすれば戻ってくるのか。
どうせ授業なんて知ってる内容しか出てこないし、川崎のこと考えてたっていいよな。
とはいったものの。
授業時間ではやはり最適な方法が思い浮かばず、部活は帰宅部だから安全に帰宅しつつ考えたがまあやはり思い浮かばず、勉強中も考えたが思い浮かばず、そろそろ川崎の部活が終わる頃だなというときにも何も思い浮かんでいなかった。
最適な方法ではない方法はいくつか上がっている。
川崎に会って説得したり(できるとは限らないし余計に怒らせる可能性もある)占い師呼んで彼氏との関係はさらに良好となるでしょう的な結果を出させたり(水晶的なやつじゃないときついしそもそも呼ぶお金がない)いっそ一緒に神社に願掛けに行こうと誘ってみるか(なぜ)……いっそ全部やるか、なんてお財布の中身を眺めながら考える。
部活帰り疲れてないか心配だが……まあいい。占いなんて信じたお前が悪いとでも責めようか、いやそれだと、
「ほぉらやっぱり! やっぱり木更津はあたしのこと嫌いだったんだ!」
と責めてきそうだ。挙げ句の果てには「夢占い信じて正解だ」とか言い出しそう。女子は弱いからな。いや偏見か。言い換えよう、川崎は弱いからな。案外。
とりあえず「部活終わったら会おう」「強制」「いつものとこで」とメールを送って、いつもの待ち合わせの駅へと向かった。
「……強制ってひどい」
「ひどいっていわれてもな」
駅に着いて五分くらい待った頃に川崎はやってきた。ここまで走ってきたのか早歩きだったのかなんなのか知らないが息が切れていた。
「……で、何考えてるのよ」
「夢からお前を取り返そうと考えている」
「……時々わけわかんないよねぇ、木更津」
ある程度川崎の息が整うまで待ってから、川崎の左手を握って歩き始めた。
なんかうめき声が聞こえた気がするが、とりあえずスルーした。
「……なんで神社なのよ」
「ちょうど社会の授業で出てきたんだよ神社」
……というのは嘘で、自分の鞄にお守りがあったから神頼みでもしてみようかなというだけである。
にしても、夜の神社というのは割と不気味である。いや、電灯が一本くらいしかない神社を選んだ俺が悪いのか。
「……こここそ幽霊出るでしょ」
「知らん」
鳥居をくぐる。石畳を二人無言で歩き、拝殿の前で賽銭箱へお金を投げる。カランと心地よい音が鳴る。
どこかから水の流れる音がする。ああ、そういえば順番違うな。今更遅いか。
俺ら以外誰もいない神社に鈴の音が響く。手拍子、それからまた静かになる。
さあ、何を願おうか。
彼女が夢から手を離しますように? 彼女がもう一度俺のことを好きと言ってくれますように? どうか彼女との縁が切れませんように? 彼女と結婚できますように? それは早すぎるか。
全部願っておけばいいか。どれか叶えてください神様。
つぶっていた目を開けて、一礼して隣を見る。
ちょうど願い事が終わったのか、一礼してこっちを見てきた。
目線が合う。五秒くらいじっと見ていたら川崎が目をそらした。
「……何願ったの」
「そうだなぁ……川崎との縁が切れませんようにとも願った」
「……縁」
ぽつり、川崎が呟いた。下を向いているから表情はわからない。言葉を探しているのか。困惑しているのか。笑っているのか。それとも嗤っているのか。何もわからない。
「……お前は何願ったんだ」
「縁なんて元からなかったんじゃないのかな」
ぱっと川崎は顔を上げた。また目線が合う。目元が緩やかに笑っていた。諦めか。
「隣の席になったのは縁ですか?」
「縁じゃないのか」
「同じクラスになったのも縁ですか?」
「縁じゃないのか」
「付き合ったのも縁ですか?」
「縁じゃないのか」
ていうかお前インターネット好きだろ、調べろよ、と言葉を発したくなる。
目元はまだ笑っている。全く表情が崩れない。正直怖い。
「縁なんてなかったんじゃないのかなぁ」
独り言なのか、俺に答えを求めているのかまったくわからない。
縁がない、か。縁ってなんだ。わからないな。人間との関わりなのか、元からあるものなのか、それとも……つくるものなのか。
もしもつくるものならば。
「縁をつくったのはお前じゃないのか?」
「……へ?」
あの頃のしつこく、本当にしつこく話しかけてきた川崎を思い出す。
隣の席になったのは偶然だったとしても、話しかけて関わろうとしたのは川崎だ。休日に家に来たのもなんもかんも川崎だ。
川崎が俺に関わってきた。だからここまできた。
じゃあ、川崎がこの縁を作った、といってもいいだろう。
「縁のなかっただろう俺たちの縁を結んだのはお前じゃないのか」
「……はぁ」
「だからこの縁の責任はお前にある、お前から切られては困る……これでどうだ」
……て、どうだってなんだ。だからってこいつから好きという言葉を引き出せるか。
「……木更津は切らないの?」
「切らないな」
「……ほんとに?」
「ああ、ほんとだ」
そっか、と川崎の口が動いた。それから目を閉じて、ぼーっと突っ立っている。
今日の夢の回想をしているのか、それとも俺の言葉を身体中に行き渡らせているのか、わからない。
目を閉じたまま、川崎が言葉を投げかけてきた。
「不満があるならちゃんと言ってね」
わかった、と答えると川崎は目を開けた。風が吹いてポニーテールが揺れる。制服のスカートも揺れる。
絵になるな、と頭の片隅で思いつつ、ふと思いついた不満を口にした。
「お前、頭良くなれ」
「えっ」
「あと、俺の気持ちもちゃんと知っとけ」
「あっはい」
「夢なんかに頼るな」
「……うん」
「縁の責任はお前にあるんだ、頼むから自ら切らないでくれ」
「……はい」
「不満言った」
「……これだけなの?」
もっとあるでしょ、と言ってくるが特に思い浮かばなかった。不満というより願い事な感じが強い気がする。一年前の川崎になら言いたいことはたくさんある。声とか態度とかなんとかかんとか……。
でも、一年前は隠していた素には、文句も不満もほとんどない。
「これだけだ」
拍子抜けしてるのか困っているのかまたよくわからない表情をして、また下を向いた。
「……定番な質問だけど」
「なんだ」
「あたしでいいの?」
顔を上げる気配がしない。まあいい。どちらにせよ答えは変わらない。
「あたりまえだろ」
そっか、と呟いたのが聞こえた。
風がまた吹いた。さっきよりも冷たい。時間がそこそこ経っているのだろう。
「さ、帰ろう」
「……うん」
ちょっと先を歩いてから振り向いて左手を伸ばしてみた。
顔を上げた川崎が右手で掴んだ。
「あ、そういえば木更津」
「なんだ」
「やっぱりあたしは君のことが好きです」
「……あっそ」
「うわぁ冷たい」
「……改めて言われると恥ずかしいんだよバカ」
「……言わせてやるって言ったのはあんたでしょ!?」
「あー聞こえん聞こえん」
こいつやっぱ面白いな、とぼんやり思った。
こいつらは書いてて面白いな、と思った。