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はるかなる残響

 宮平藤真が死んだ。交通事故に遭ったらしい。


 いつも一緒にいたでしょう、さぞお辛いでしょう。

 周りの人はそうやって俺を心配していたけれど、内心はとてもほっとしていた。


 彼には、中学一年生で出会って以来、ずっと付きまとわれていた。

 学校がある日は毎日家まで送られて、部活も半分強制的に一緒にされた。

 どこへ行くにも隣を歩いてきて、ちょっと指を切るだけで過剰に心配された。

 ……別に、断る理由もなかったから、断っていなかったけれど。


 それでも――彼のいない日々を送るうちに、彼のことが気になるようになった。

 なぜ俺に付きまとっていたのか。

 時折見せた、あの寂しそうな顔は、なんだったのか。


 答えはきっと、彼の家に落ちている。

 なぜそう思うのか、理由は説明できないが、そうだという確信だけがあった。


 一度、気まぐれで彼に「家まで送るよ」と言ったことがある。彼は非常に嫌そうな顔をしていたが、気づかないふりをして彼の家まで行った。だから家は知っている。

 彼の家のインターホンを鳴らすと、待ち構えていたかのように、彼のお母さんが出てきた。


「あなたが遥架さん?」


 静かに微笑みながら、観察するようにこちらを見てくる。

 なんとなく寒気を覚えながらも、答える。


「ええ、そうですが……」

「よかった。来ると聞いていたのよ、上がっていって」


 ドアをぐいと大きく開けて、彼のお母さんは家の中に戻っていく。

 小首を傾げながら、家に入った。


  ◇◆◇


 仏壇に手を合わせたのち、二階へと案内された。


「ここが藤真の部屋よ。そのままにしてたから、すごい汚いんだけど……」

「あ、いえ……」


 そう答えながら彼の部屋のドアを開けると。

 まず目に飛び込んできたのは、床一面に散らかった、大量の紙だった。

 一枚拾って見てみると、鉛筆で人が描かれていた。他のものもざっと見た感じ、全て同じ人物を描こうとしていたようだ。

 反射的に、嬉しいなと思った。描かれているのは、俺ではないのに。


 ……この気持ち悪い心の動きは、覚えがある。

 初めてサックスを吹いたのに、簡単に音が出て、なんとなく運指もわかってしまった、あの時だ。


 眉間に力が入るのを感じながら、部屋を見渡す。

 紙の山の中に、サックスケースが置かれているのを発見した。

 開けてみると、彼が吹いていたアルトサックスが入っていた。いつも綺麗に拭いていたからか、新品のようにキラキラと光っている。

 売りに出したら、きっとそれなりの値段が付くだろうな。そう思った自分に若干嫌気がさす。


 机の上を見ると、たくさんの画材や筆記用具に混じって、一冊のノートが置かれていた。

 表紙には『記録』とだけ書かれていた。

 これだ、と直感が叫ぶ。手にとってすぐにページをめくった。


『私は宮平藤真ではない』

『猿橋藤華。今世も藤の字が付くらしい』


 ……どう読んでも、そうとしか読めない。

 それに、この几帳面そうな字は、藤真の譜面でよく見たものだ。


『これがいわゆる転生ってやつかも。この世界に遥先輩はいるのかな』

『いつかあの人に会ったときにわかるように、覚えてることを全部書く』


 頭がすっと冷えていく感覚。

 はるかせんぱい。そういえば彼は、俺のことを時折そう呼んでいた。

 あれは――この文章を全て信じるならだが――前世、俺に会っていたからか。

 でも、いや、ただ同じ読みなだけなんじゃないか。人違いだろう。そう言い聞かせながら、次のページをめくる。


 そのまま、何十分もかけて、『記録』に書かれていた、前世の記憶たちを読んだ。

 ざっと要約すると、彼……正確には彼女と、『遥先輩』は付き合っていたようだ。

 彼女たちは吹奏楽部で出会って、二人ともアルトサックスを吹いていたようで。

 しかし、『遥先輩』は社会人になる春に、交通事故に遭って死んでしまったようだ。

 それを追いかけるように、私は電車に飛び込んだはずだ、と書かれていた。


 パタンとノートを閉じると、心がざわめいた。

 それもそうか。信じられないようなものを読んだし、彼が俺に付きまとっていたのは、単純に「はるかが事故に遭って欲しくないから」だったようだから。

 ……なのに、自分が事故に遭ってどうすんだよ。

 なんとなく居た堪れないような気持ちになりながら、彼の部屋を後にした。


  ◇◆◇


 その日の夜は、奇妙な夢を見た。

 全く知らない教室で、全く知らない人と話していた。


「二年くらい前に、坂倉小学校で演奏していたと思うんですけど……私、そのとき初めて、サックスに出会って」

「へぇ、あれ覚えててくれてるんだ。ちょっと嬉しいな」


 自分は首筋をぽりぽりと掻きながら、知らない誰かの方を見る。

 目が合うと、まだ少し緊張しているのだろう、彼女は斜め下に目線を向けた。


「まあ、少し吹いてみよっか。ちょっと待ってね、準備するから……」


 組み立てきっていたアルトサックスからネックの部分(吹き口だ)を抜こうとすると、「待って」と彼女から止められた。


「あの、先輩の音を、聞いてみたくて……」

「なるほど……何吹いてほしい?」

「な、何があるのか、わからないです……」

「ふぅん……じゃあ、このファイルの中から気になるもの、選んで」


 ちょうど机の上にあった黒いファイルを彼女に渡す。中には自分が今まで吹いた譜面が入っている。

 ……よく考えると、自分が合奏中に書いたメモを他人に見られるの、ちょっと恥ずかしいような。

 しかし、彼女の顔を見ていると、そんな気持ちもどこかへ吹き飛んでしまった。


 彼女は恐る恐るページをめくる。すると、何を渡されたのかがわかったのだろうか、ぱあっと顔を明るくした。


「これ、すごい、こんなの見てもよかったの……んですか?」

「まあ、うん……どうぞどうぞ」


 やった、と小さく声を上げて、彼女は一枚一枚ページをゆっくり、じっくりめくっていく。

 しばらくすると、とある曲で手が止まった。


「この曲って……」

「Septemberか。ちょうどこの間の定演でやったね」

「ていえん……?」

「ああ、定期演奏会ね、略して定演」

「それ、聞きに行った……行きました、かっこよかったです」


 まだ敬語に慣れていないようで、少したどたどしい様子が微笑ましい。


「私、この曲聞きたいです」

「わかった」


 軽く楽器から音を出してから、ぱたぱたと足でテンポを取る。


「じゃあ、聞いててね」


 頭の中でカウントを取って、素早く息を吸って、鋭く吹き込む。

 教室に、自分の音がめいっぱい広がる。

 楽譜など見なくても勝手に指が、体が動く。

 ある程度のところまで吹ききって、彼女の方を見ると……両手で口を隠して、頬をわずかに赤くしていた。


「すご……」


 小さな声が聞こえた。ちょっと恥ずかしくて、楽器に添えた指をぱらぱらと動かしてしまう。


「私もこんな風に、吹けるようになるかなぁ……」


 続けて聞こえた声には、不安がにじみ出ていた。

 表情も少し陰る。さっきまであんなに輝いていたのに。

 なんとなくそれが嫌で。


「なれるよ。絶対」

「……絶対?」

「うん、絶対」


『絶対』なんて普段は言わないのに、思わず口から出てしまった。

 でも、彼女の顔は先程までの明るい顔に戻ったから、いっか。


「そういえばきみ、名前は?」


 再度ネックの部分を外しながら、彼女の方を見やる。


「さ、さるはしとうかです、猿の橋に、藤の、華やかな華」


 先輩は? と返されたので、彼女にネックを渡しながら、言う。


「俺は、大月遥。これからよろしく、」


 藤華ちゃん。

 そう呟いた俺の声で、目が覚めた。


  ◇◆◇


 あの日以来、彼女たち……藤華ちゃんと遥が、夢に出てくるようになった。それも、毎日。

 寝ているはずなのに眠っている気がしない。何クールも続いているドラマを、飛ばしたり戻したり、乱雑に見ている感じだ。

 それでも、まだ俺は、前世があったとか、前世で付き合っていたとか、そんなことは信じていなかった。


 宮平藤真が死んで、ひと月経った頃。卒業式での演奏に、定演での演奏が終わり、次は新入生歓迎会での演奏に向けて、練習が始まっていた。

 四月になれば最高学年。高校入試も待っているし、部活もまだ、もう少しだけ頑張りたい。……吹奏楽部に入った元凶は、死んだけど。


「ところで、和田先輩。宝島のソロどうします?」

「宝島ねぇ……」


 部活の個人練中。そろそろ曲を練習しようかな、と譜面をパラパラ見ていたところで、後輩に話しかけられた。

 宝島……吹奏楽のアンコール曲として有名なこの曲は、間にサックスのソロがある。譜面通り吹く人が多いが、人によっては譜面をガン無視してかっこよく吹く人もいる。

 俺自身、この曲を吹くのは初めてだ。


「どうしよっか。夏実ちゃんが吹いてくれてもいいけど……」

「いやいや、先輩が吹きましょうよ! 私合いの手入れたいので!」

「あそう……」

「先輩のソロ、楽しみにしてますね!」


 半ば押し付けられてしまったが、まだサックスを吹き始めて一年も経ってない後輩にやらせるのも酷な話だ。当然の流れだろう。


 その日の夜は、一際不思議な夢を見た。

 いつもは遥の視点で、ずっと二人の前世を見ていたのだけれど。


「ねえ、遥架くん! 宝島のソロ吹くんでしょ?」

「まさか譜面通りに吹こうなんて考えてないよね」


 青空を背景に、ショートカット姿の藤華ちゃん(今までの夢を鑑みるに、二十歳ぐらいだ)と、藤真の部屋で見た絵によく似た……遥の姿があった。

 ……てか。


「二人とも、近いですって」


 ぐいと押しのけると、確かにそこに質量があった。

 二人はにこにこ笑顔で立っている。


「で、宝島ね。私は譜面通りに吹くことが多かったけど……遥先輩は?」

「え? 最初以外は全部アドリブで吹いてたよ、何回か聞いてなかったっけ」

「聞いたことある気がするけども〜、昔のことすぎて覚えてないですぅ〜」

「それはそれは勿体無い……どれ、遥架くんにも見せつけてあげよう」


 遥がパチンと指を鳴らすと、空からアルトサックスが降ってきた。

 ストラップを首にかけて、カチッとサックスに繋げる。軽く息を吹き込んで、よし、と遥が呟いた。


「じゃあ、聞いててね」


 足でカウントを取って、吹き始める。その音色は……自分が吹く音に酷似していた。

 譜面上は十六小節プラスちょっと。吹き切ると、遥は一つ礼をした。反射で拍手する。


「遥先輩、やっぱかっこいいですね」

「えぇ……藤華ちゃんでもこのくらい吹けるよ、絶対」

「絶対? うーん、まあ、でも、確かに先輩の絶対は絶対だしなぁ」


 ふふ、と遥が笑みを漏らしてから、こちらの方をすっと見る。


「まあ、きみは俺だから吹けると思うけど……念のため、あと三回だけ吹いてあげる。耳で覚えて。できるでしょ?」


 口角だけ上がっていて、目元は全く笑っていない。

 内心ビクビクしながら、三回聞いたところで、目が覚めた。


 その日、宝島のソロを練習したら、運指も、息継ぎも、何もかも問題なく吹けた。

 ……認めざるを得なかった。

 あれは、俺の前世なんだ。


 それでも、俺は……大月遥ではなく、和田遥架だ。

 だから、藤華ちゃんみたいに、藤真のあとを追いかけたりしない。


  ◇◆◇


 それから毎日、俺が死ぬ夢ばかり見ていた。

 ある時は電車に飛び込み、ある時は川に飛び込み、ある時は屋上から飛び降り、ある時は首を吊り……。

 彼女たちの夢は、全く見なくなった。俺が死なないと、来世には行けないってことだろう。

 だから、死んでほしいんだろう。酷い話だ。


 だんだん、夢を見るのが怖くなって、眠るのも怖くなった。

 睡眠不足が続いていたのだろう。


 ある日の、部活のない帰り道だった。

 藤真によく似た背中が、前を歩いていた。


 思わず、追いかけてしまう。絶対に違うと知っているのに。

 彼は死んだ。彼らは死んだ。俺は和田遥架で、大月遥なんて名前じゃない。だから死なない。そう決めているのに。


 気づいたら、藤棚の綺麗な公園にたどり着いていた。

 その下で、藤真が背を向けて、立っている。


 ゆっくり近づくと、藤の甘く爽やかな香りが、どんどん強くなっていく。

 大きな風が一つ吹いて、彼がこちらを振り返った。


「……ふふ、待ってたのに来ないから、迎えにきちゃった」


 その顔は……いつか夢の中で見た、藤華ちゃんと全く同じだった。


「じゃあ、行きましょうか。私たちの、行くべき来世へ」


 右手を掴まれて、ぐいっと引っ張られる。


 瞬きすると、そこは線路の上で、宙に浮いていた。

 目の前には、藤華ちゃんがいる。


「ねえ、知ってる? 電車の警笛音、私は、先輩のサックスみたいだなって、思ったの」


 プォーン、と大きく長い音が聞こえる。見ると、電車がもう、目の前にいて、


「あ、」

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