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曖昧

お題


「恋愛」

(2023/08/21執筆)

 ぽつり、ぽつり。雫がスマホに落ちてきた、曖昧。


 さっきまでカンカン照りだったじゃないか。なぜ今降ってくるんだ。スマホの画面を軽く拭って、ポケットにしまう。

 湿気をはらんだ風がひと吹き、雨の匂い。暑い、というか不快。これだから夏は嫌いだ。


 耳を澄ますと、地面に雨が叩きつけられる音がする。まだら模様はまだ疎らで、傘を差すか差さないか、迷う。スクバのチャックに手をかけるが、引っ張る気は起きない。

 しばらく雨粒を受けながら、歩く。


 かすかに、チャイムが聞こえる。それが授業開始のチャイムか、終わりのチャイムか、それとも昼休みのチャイムか、僕にはわからない。夏休み前は時間割がガタガタになるから。

 でもまあ、どうせ関係ない。一学期で出るべき授業分はもう出た。今日学校に行くのは、単に夏休みの課題を取りに行くためだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。


 学校につく頃には、雨はどこかに消えていた。


   *


 暖と冷が、扉一つで途端にぶつかり合う、曖昧。


 二つノックし、横開きに開ける。足元にすぅっと、涼しい風が舞い降りた。

 中はがらんとしていて、今は授業中なことを悟る。


「失礼します。二年四組の潮崎(しおさき)です。新田(にった)先生いらっしゃいますか」


 扉の近くにいた先生が職員室内に呼びかけるが、返事はないようだ。


「ごめんなさい、いないみたい。何か伝えておきますか?」

「いえ、大丈夫です。失礼しま——」


 後ろに妙な威圧を感じた。思わず背筋をしゃんと伸ばす。

 振り返らずともわかる。


「潮崎じゃあないか、よく来たなあ!!」


 耳がキンとなるほど大きな声。僕の肩を掴む大きな手。一回り高い背。焼けた肌。

 新田だ。


「ちゃんと職員室に顔出してくれたんだなあ、偉いぞお」


 満面の笑みでこちらの顔を覗き込む。普通ならちょっと怖い光景だが、さすがにもう慣れてしまった。


「顔出してって言ったのは先生っすよ」

「それを守ってくれるのが、偉いんだよなあ」


 よおしよしよし、と頭が左右に揺れるぐらい強く撫でられる。言われてることが少し照れくさい。

 自分のクラス担任がこんな先生でよかった、と心の片隅で思う。うるさくてでかくて面倒な人ではあるが。


「とりあえず夏休みの課題、いただけませんか」

「おう、任せろ!」


 と、その前に……新田はドアを閉めずに、再度こちらを向いて、笑顔で聞いてきた。


「保健室には寄ったか?」

「寄ってるわけないっすよ」

「確かにそうだな! 秋風先生が寂しがってたぞお、寄ってってくれないか?」


 宿題もそっちに持ってくからなあ! とだけ残して、パタンと扉を閉じられる。返事の余地も残されない。


 ほんのり涼しい空間に、一人取り残された。


  *


 手を伸ばしたら掴めそうか否か。そのまま(くう)を舞いそうな、曖昧。


 ドアノブを右に回して、重たい扉を静かに開ける。それでもギィ……と微かに音は鳴ってしまい、なんとなく気まずい気持ちになってしまう。

 薄ら涼しい風が、身体を包む。ほのかに混ざるアルコールの匂いが、気持ちをひそかに切り替える。


「わ、ひさしぶりだ」


 中から雀のような声が聞こえた。秋風先生だ。

 ドアを静かに閉めて、なるべく足音を立てずに進んでいく。

 入ってちょっとしたところのテーブルに片肘ついて、先生は微笑んでいた。


「だいじょぶよ、いま誰もねてないから」

「あ、そうなんすか」


 そうなんすよ〜、と僕の口調を真似て言う。

 それならまあ遠慮なく、何も気遣わずに先生の正面へと座る。

 確かにベッドには誰もいない。


「きょう、なにかあったの?」

「夏休みの課題取りに来ただけです」

「あら、そっかぁ」


 先生はさらさらと笑う。よく保健室に来た女子たちに「笑い方可愛い〜!」などと言われているが、その意見に賛成だ。

 純色の白を思わせるような、それでいて小川を流れる水のような、飾り気のない美しさ。秋風先生はそんな人だ。それが笑い方一つにちゃんと出る。育ちがいいんだろうな、などと言われていることも噂で聞いた。


「なにかおはなし聞かせてほしいな」

「ないっすよそんなもん」

「えー、なんでもいいのよ?」


 ねだられてもないものはないのに。

 返事に困っていると、ギィ、と扉の開く音がした。


「わ、なおちゃんだ」


 先生の声と共に自分も振り返る。

 そこには、体操服姿でおずおずと入ってくる、見知った顔がいた。


「え、ともりじゃん」


 思ったよりも大きな声が出たらしく、ハッと口元を押さえている。僕と同じように、誰もいないことを先生から聞くと、ほっとしたようにずかずかとこちらに近づいてきた。


「一週間と二日ぶりだね」

「なんでそこまで覚えてんだ……」


 誇らしげに笑む彼女は、(さかい)なお。同じクラスだ。下の名前は秋風先生のおかげで覚えている。


「この間は教室に来てたのに」

「数学の授業受けにね」

「じゃあ今日は何しに学校へ?」

「そんな『ユーは何しにニッポンへ』みたいなノリで……夏休みの課題取りに来ただけですよ」

「むぅ、そうなのか」


 境はふくれっ面をしながら、僕の隣の椅子に座った。


「ふたりとも、なかよしさんだねぇ」

「そうでもないでしょ、保健室に来なけりゃ話もしないよ」

「ここに来たらおはなしするでしょ、それだけでじゅーぶんだよ」


 またさらさらと笑う。さっきより楽しげに見えるのは、やはり女子同士だからだろうか。


「そうかなあ……」


 境は不服そうに唇をとがらせた。


「そういうものよ、だからあんしんして、ね?」

「……? え、そういう話? ねえせんせその話今じゃないでしょどう考えても!」


 勢いよく境が立ち、机をばんばんと叩く。その揺れで鉛筆がぶつかり合う音が鳴る。彼女の横顔を覗き見ると、頬が赤みがかっている気がした。

 しかしまあ、僕には何の話をしているのかさっぱりだ。やはり女子同士でしかわかり合えない何かがあるんだろうな。


「まあまあ、それはそれとして」


 座るように促され、彼女はまた唇をとがらせながら椅子に座った。


「きょうも、例のあれ?」


 先生はいたって平然と問いかけるが、彼女の方は平然と答えられる話題ではないらしい、顔つきが険しくなった。

 僕もこの流れを見るのは初めてではない。保健室に境が来るたび、同じような質問で、同じような空気になる。『例の』が何のことなのかは僕にはわからないが。

 でも、その『例の』を明かすことが良いこととはさすがに思わない。


 ……明かしてもらえるほど、僕らは仲良くない、はずだ。

 手を伸ばしても、彼女の手を掴める気はしない。そう僕は考えているけど、境がどう思っているかはわからない。

 誰も彼も、他人の腹の中なんて見えやしないのだ。


 それでも僕らは話す。教室では顔を合わせても話さないが、ここでならば。

 この関係に、何と名前をつけるのが正しいのか。


  *


 不自然と自然の境目が見えない、曖昧。


 秋風先生の助言により、二人で数学の課題(境がスマホで問題を撮っていた)を解いていたら、扉をノックする音が聞こえた。


「誰か怪我でもしたのかな」


 境がぼそっともらしながら、ベッドの方へと向かう。

 初めてこの光景を見たときは頭にたくさんハテナを浮かばせていたが、そこも踏み込んじゃいけないところらしいことを、何となく察した。『例の』が関わっているのだろう。


「失礼します」


 聞き覚えのある声だ。ちょっと前に耳をキンキンいわせていた声。

 振り返ると、片手に紙束を持った新田が、ドアを静かに閉めていた。


「もしかして、潮崎くんの課題ですか?」


 秋風先生が椅子から立って、駆けるように近づく。


「あっ、いま、ねてる生徒さんいるので、お静かに」

「かしこまりました」


 新田が小声になっている様子を初めて見た。


 ……妙に引っかかる。

 僕が来た時も、境が来た時も、秋風先生が立つことはなかった。

 僕や境が常連じみてるせいかもしれないが。


「そういえば、境は来ました?」

「境さん、ですか? まだきょうは見てないですよ」


 思わず目を開いて、「嘘だ」と言ってしまうところだった。全部を抑えて、二人から目を逸らす。


「潮崎、なぜ今そっぽ向いたんだ?」


 ……しくった。

 やってはいけないことをした、気がする。


「……後ろ振り返っているのに、疲れたので」

「そうかあ」


 この距離なのに、声が耳に響く。少し棘のあるように感じたので、信じていなさそうだ。


「新田先生、声をおさえてください」

「ああ、すまない」


 これは課題だ、と恐らく秋風先生に、紙の束が渡される。僕のところまで持ってこなかったのは、秋風先生が何かしら圧をかけていたのかもしれない。


「それと、境がいるなら、ちゃんと授業に出ろと伝えてくれ」

「わかりました」

「それでは、失礼しました」


 新田は乱暴にドアを開け、大きな音を立ててドアを閉めた。

 後ろを振り返ると、先生はドアの方をじっと見つめている。何秒、何十秒。

 耳を澄ますと、すすり泣く声が聞こえた。音の方向的に、先生ではない。


 ……『例の』に、新田が関係していることは、間違いないようだ。


 しばらくすると、先生が動き出した。僕の隣に課題を乱雑に置いて、境のいるベッドへと向かう。


「なおちゃん、もうだいじょぶだよ」

「――――」


 何をしているのかわからないし、そもそも知る権利もない。

 何もわからないが、何もわからないなりに、間違えたことはわかる。もう少し察するのが早くて、秋風先生と一緒に僕も駆け寄っていたら。

 ……いや、だめだ。だとしても境の話題が出たときに、表情を隠すことができないだろう。良くも悪くも昔から素直だし、だからこそ――――その先を考えるのはやめよう。


「そうだね、うん」

「――――」


 微かに声が聞こえるが、何と言っているのかは聞き取れない。


「……わかった、平気なんだね?」


 布が擦れる音が聞こえた。頷いたのだろう。

 でも僕には首をつっこむ権利のない事柄だ。課題も貰ったし、もうここいらで撤退した方が良いのではないのか。

 課題を鞄に詰めようと、椅子から立つと、カーテンの隙間から、わずかに口角の上がった顔で、こちらに手招きする秋風先生が見えた。

 思わず首を傾げる。


「なおちゃんがお呼びですよ」


 誘われるままカーテンの内側に入り、そこに座ってと先生が言うのでベッド近くの椅子に座った。

 思っていたよりも境の表情は明るい。少し眠たげに笑っていた。

 目元には涙のあとが見えるような、見えないような。


「ともり、手を貸して」


 どういうことだ、と聞く前に、毛布から手が伸びてきた。その手は少し空をさまよった後、僕の手を掴む。

 物理的に手を借りたかったらしいことを察するのに、少し時間がかかった。

 それから数分もせずに、境は寝た。

 ……その顔は、少し苦しそうに見える。


 先程の笑みは、不自然なものだったのかもしれない。それでも不自然と決め打ちできないのは、境が隠すのが上手いのか、僕が境のことをまだ知らないのか。

 どちらにせよ、境が僕を呼んで、僕の手を借りている理由は、まだ何もわからなかった。

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