いちごの冷凍保存方法
お題
「苺」
(2020/06/08執筆)
①まずいちごのヘタを取り、水洗いする。
②洗ったときに付いた水滴をキッチンペーパーなどで拭き取る。
③ジップロックに入れ、グラニュー糖をいちごにまんべんなくつくように入れる。
④そのまま冷凍庫に入れる。以上。
※賞味期限は一ヶ月くらいなので、それまでには食べきること。
〇 〇 〇
(この物語は、彼とぼくだけの思い出でいい)
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帰りに寄ったスーパーで、いちごがそこそこ安く売られていた。
三百八十八円。いつもは三百九十八円なので、十円引き。赤く熟れた小さないちごが、パックいっぱいに詰まってる。
少し立ち止まって考える。買うべきか、買わぬべきか。
『美味しいですよ、騙されたと思って食べてみてください』
薄く透き通った、懐かしい声がどこかから聞こえた。辺りを少し見回して、彼女がいない事を確認する。
残念な事に、今回も俺の幻聴だったようだ。
少しがっかりしつつ、いちごに手を伸ばす。
……いちごを見ると、彼女を必ず思い出す。
〇 〇 〇
その日俺は告白して、振られた。
告白した相手は、同じクラスのちょっと可愛い女の子。別にちょっと好きだっただけ。振られたからってそんなにショックでもなんでもないし、付き合えるか賭けに出た、好かれてるなら付き合いたい程度だった。
だから、そんなに心に傷もなにも負わないはずだった。
なのに、やけに晴れている空を見ていると、心にぽっかり穴が空いたような、悲しい気分になって、どうしてだか涙がでてきた。
この状態じゃ帰った時に母に心配されるかもしれない。そう思った俺は近所の公園に立ち寄った。
その辺のベンチに座り、顔を押さえて俯く。
目を閉じると、あの子の顔が思い浮かぶ。
ああ、あれはパンを頬張っている顔、それは友だちと笑ってる顔、これは体育の授業で負けたのが悔しくて泣いていた顔。
思い出すと、どれもこれも可愛らしくて、どこか守ってあげたい衝動に駆られた。
……もしかして本当は、彼女のことは、ちょっと好きなんじゃなくて______
「ふじたとおるさん、案の定振られてますね」
「……!?」
突然見知らぬ声に名前を呼ばれて、驚いて顔を上げる。涙の粒がほろりと一つ頬を伝う。
俺の目の前に、小さな女の子が立っていた。
黒くサラサラとした髪の毛をハーフアップにしていて、少しつり目がち。白いワンピースを着ていて、裸足だ。
その腕には女の子の半分くらいの大きさの兎が抱えられていた。茶色の大きな、その兎一匹入りそうな肩掛けカバンを掛けている。
……見覚えは全くない。むしろあったら覚えているはずだ、こんな特徴的な人。人生で初めて会うはず、なんだけど。
「ふじたとおるさん、ここでネタばらしをしましょう! 実ははるのすみれさんは、ふじたとおるさんと同じクラスの、あずまそうたろうさんのことが好きなんですよ〜」
しかも、笑顔で何やらネタばらしと題して春野さんの好きな人を聞いてしまった。東くんのことが好きなのか……とぼんやり考えて、気づく。
「あの、君は誰? なんで俺の名前とか、春野さんの名前とか知ってるの?」
「えー、それも教えなきゃなんですか? 他の人の事を知る前に、まず自分のことを知るべきじゃないですか?」
女の子はカバンの中身を俺の座ってるベンチの上に広げつつ、俺の事をやんわり睨んできた。
「結局どうなんです? ふじたとおるさんは、はるのすみれさんのこと、好きなんですか? まあ好きなんですかまあ嫌いなんですか? 嫌いなんですか?」
そんなアンケートみたいな聞き方しなくても、とつい口から漏れるが、女の子はその呟きに何も反応を示さずに、抱えていた兎をカバンの中にしまっていた。しまうのか。それはいいのか?
パチン、といい音が公園に響く。ふう、と女の子が一息つく。
「んで、どうなんです? それにちゃんと答えられたら、ぼくの名前を教えます」
ちゃんと答えられたら、を特に強調される。
ということは……何故だか俺には分からないけれど、女の子には俺の事は全てお見通しで、この問いに対する正しい答えも知っている……んだろうか。
答えを知っているなら渋らないで教えてくれたっていいじゃん。どうしてすぐに教えないんだ。
……いや、ただ考えてほしいだけなんだろうか。もしそうだとしたら、俺にその事を考えてほしい理由はなんなのだろうか。
かあかあとカラスが鳴いている。空を見上げると、空の青が薄くなり始めていた。
「結構悩んでます?」
「うーん、まあ……」
「ですよね〜、知ってますよ〜。そんなふじたとおるさんに、不思議と答えがわかるようになるものをあげます」
ちょっと待ってくださいね、と先程出したカバンの中身シリーズから、赤い物体の入ったジップロックを取り出して、中身をガサゴソと、何故だか目を閉じて漁る。
形で判断しているのだろうか、それとも、見ながら漁るということをこの子が知らないだけなのだろうか……と、またぼんやり考えていると、ある時ぱっと女の子は目を開け、どこか明るい表情で俺にその『実』を渡してきた。
見覚えのある形の『実』は、触れた時どこか冷たく、どこかざらついていた。
「……いちご?」
「これはただのいちごじゃないんですよ〜、目を閉じて食べてみてください」
んふふ、と口元を隠して怪しげに笑われる。その様子をまた不思議に思いながらも、言う通りにしていちごを食べる。
『初めまして、春野菫です』
ぱっと、頭の中に映像が流れてきた。
『出身小学校は宮内小学校で、えっと……好きな食べ物は、蜜柑です。よろしくお願いします』
(春野さん……俺と出席番号一個違いかぁ……可愛らしい声だなあ)
ぱちん、と場面が変わる。
『藤田透さんと言うんですね。えっと、授業中寝てたら起こしてください……ね、あはは』
(春野さん……笑顔が素敵だなあ)
『藤田さん藤田さん、ここどうして答えられたんですか? ちょっと私に教えてください!』
(春野さん……可愛いなあ)
『藤田さん、帰宅部なんですか? 演劇部、おすすめですよ!』
(春野さん……そっか、演劇部に入ってるんだ)
『偶然ですね! 藤田さん、一人でしょう? 一緒に帰りましょう!』
(春野さん……そっちも一人じゃん)
『……実は、部活に居場所がなくて……ずる休みしちゃいました、あはは』
(春野さん……居場所がないなんて……可哀想)
『不思議ですね……藤田さんに対してだけかな、こういう事言えるの……』
(春野さん……俺の事、頼ってくれてるのかな)
『ごめんなさい、他に好きな人がいるんです』
次々と切り替わっていた映像が、ここで途切れた。
無意識的に噛んでいたいちごを飲み込む。苦い。
鼻の奥がつんとするのを我慢して、潤んだ目を、上を見ることでちょっとでも抑えて、それから女の子の方をみる。
女の子は、どこか寂しげな笑みを浮かべて俺の事を見ていた。
「……ぼくの名前は、はるかわさつきです。春の川に、紗に、月」
「……紗月ちゃん」
まだふじたとおるさんの答えは聞いてないけど、その表情が答えな気がしたので、と頬をぽりぽり掻きながら言われる。
「さて、タネ明かしをしましょう! ……多分これ、はるのすみれさんの策略にまんまとハマった可哀想なふじたとおるさん、というお話です」
不思議ですね、すみれの花言葉は謙虚とか、誠実とか、そういうまっすぐな、明るくて優しい言葉なのに、とぼそぼそ呟いている。
策略にまんまとハマった、という言葉が心にグサリと刺さった。多分という単語が最初についていたから、紗月ちゃん自身も相手の気持ちまでは分からないんだろう……と考察する。
紗月ちゃんという存在は謎すぎるけれど、不思議な、俺の記憶の破片を思い出させるいちごをこの子が持っているから、ただならぬ者なんだろう。きっと俺の前に現れたのも何か理由があって、このいちごを食べさせたのも、こうやってタネ明かしをするのも、ちゃんと彼女の頭の中でこの行動をする理由も、意味も、あるんだろう。
……小さな子どもじゃ、ないんだろうな。
「そんな可哀想なふじたとおるさんには、特別にぼくの正体を明かしましょう! ずばり神です! 驚いたでしょう?」
えっへんと威張ってくる。が、『神』という言葉に全く重みを感じない。
でも、そうか、神かと思うと、今まで不思議だった紗月ちゃんのことが、どこか納得いってしまう。なんでだろう。俺の神に対する思い込みとかのせいだろうか。神さまって、なんでもできるように思えるもんな。
「そしてさらに! ふじたとおるさんには、賞味期限のきれそうな甘い甘い冷凍いちごをあげます!」
「賞味期限のきれそうなって……」
ふふんと上機嫌な紗月ちゃんは、またさっきのジップロックの中を目を閉じて漁り、三つほど取り出して俺に渡してきた。やはりいちごは冷たい。
これが賞味期限のきれそうないちご……いや、見た目は特に変わりない、赤い赤いいちごだ。でもきっと腐りかけ、そう考えると少し口が遠のく……。
「ちゃんと選んだいちごですよ、美味しいですよ、騙されたと思って食べてみてください」
ほら、さらに特別にあーんしてあげます、と手に乗ったいちごを一つ取られ、口を無理やり開けられていちごを放り込まれる。仕方なく目をつぶる。
今度は知らない人の映像が、淡々と頭の中で流れていた。
その映像の中の男の子、女の子は、どこか幸せそうで、明るくて、眩しくて、甘かった。
「ね? すっごい甘いでしょ?」
「うん、甘い」
この人たちは、おおばりんごさんとひのこうたさんです、と補足説明をしてくれる。聞いた事のない名前だけど、きっと実在する人で、紗月ちゃんは手を出さないんだろう。
「残り二つもふじたとおるさんにあげます。お家に帰って、じっくり堪能してくださいね」
あ、袋渡しますね、と広げられていたカバンの中身セットからビニール袋をひとつ取りだし、手に乗っているいちごを移して、袋の口をきゅっと結ぶ。それからまた俺の手に戻ってくる。
「さて、ぼくの用は済んだので帰りますね」
と、強い風が吹く。公園の砂が舞って、反射的に目を閉じていた。
「二度と会わないと信じてますよ」
そっと耳元で囁かれた、薄く透き通った、優しい声。
風が止んで目を開けたら、彼女はもういなかった。
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「お会計、千二十一円です」
財布の中から小銭を取り出して、そっとトレイの上に乗せる。
「千二十一円ちょうどお預かりいたします」
ジャラジャラとレジの機械の中に小銭が吸い込まれ、代わりにレシートが出てくる。
レシートと商品を持って、丁寧にお辞儀をしてくる店員さんにありがとうと礼を告げて、袋詰めするために台へと移動する。
いちごと、グラニュー糖、それと炒め物用の野菜をエコバッグに入れ、スーパーを後にする。
家に帰ったら、真っ先にいちごを凍らそう。
きっとその方が、美味しく食べられるから。