昇らない太陽
お題内容
「電話」「存在」「夏至」
参考サイト・https://shindanmaker.com/411777
……ただいま、電話に出ることはできません。ピーという音が鳴ったら、お名前とご用件をお伝えください。
ピーという若干耳障りな音が部屋の中で響く。しばしの沈黙。
窓から見える外はまだ暗く、月も真上に浮いている。
受話器を持った男がその様子をぼーっと眺め、眺め、一分くらい経った頃。
男が大きく息を吸い、社内に響き渡る大声で叫んだ。
「おいこら月課のお前らとっとと起きて仕事しやがれクソ野郎こっちがすげー迷惑かかってんだよわかってんのか? この留守電聞いて誰か起きてとっとと月沈めて寝やがれクソども!」
ガチャンと思い切り受話器を置く。それがきっかけで部屋にいるみんな揃ってため息をつく。
「先輩、あいつら……何やってるんすかねぇ」
「俺に聞かれても困る」
実は日本の天気は気象庁にばれないようにこっそり空庁が全て管理していて、空庁の中でもそれぞれ天気課、気温課、星空課、月課、太陽課と分かれて天気や気温を変化させていたのである。だから令和元年の五月の異常気象も梅雨ももっと前の災害級の雨も逆に災害級の暑さもなにもかも空庁で働いているみんなが誰かが作ったマニュアル通りに天気や気温を変化させているのである。
「……つまり、令和ちゃんはいないと、そういうことですね先輩!」
「……働き始めて三ヶ月、ようやく気付いたのかお前」
それぞれの課の仕事はいたって簡単で、天気課はマニュアル通りに天気を変化させ、気温課は天気課と連携を取りつつ大気を移動させたりなんだりしてまたマニュアル通りに天気を変化させ、星空課も……あれ?
まあとにかく天気課や気温課、星空課は大気をみんなで話し合ったり分担しあったりして移動させているのである。
「ちなみに先輩、このマニュアルって誰が作ったんですか?」
「……俺に聞かれても困る」
「先輩それ好きですよね〜」
「あ? お前煽ってんの?」
太陽課と月課は少し仕事が特殊で、それこそ大気なんて関係ないものを動かしている。仕事内容としてはどちらも、また誰かが書いたマニュアル通りに太陽と月の出ている時間を変えるだけである。
「それで先輩! 今日僕が太陽の時間を設定する担当なんですけど、もう設定して昇らせちゃだめですか?」
「……お前今日月が満月だって知っててそれ言ってるか?」
「……?」
「だからな、月が満月の時は太陽が昇る時に月が沈むんだ、そんなことも覚えてないのか?」
「……あー! ほんとですね先輩! さすが先輩です!」
「……ぱちぱちうっせーな」
で、どうして俺らがこんなにも月課の奴らに腹を立てているのかというと、理由はいたって簡単である。
……今日は満月の夏至である。
そう、夏至といえば俺らが一番活躍する(といってもただ太陽が出ている時間変えてボタン押せば勝手に太陽昇って沈むだけだから太陽が活躍してるだけなんだがまあいいや)そう、最高の日である。ちなみに今日の夜は太陽課のみんなで飲みに行く予定だ。
「にしても先輩、月、まだ沈みませんね〜」
「……ほんっとあいつらなんなのかなあ」
時間設定の機械の前で全力でため息をつく。現在時刻四時二十分。いい加減気象庁が「月がおかしいな」と思う頃じゃないのだろうか。いや知らないが。気象庁は俺らの敵だ。
「ところで先輩!」
「お前今さっきからいちいちうっせーな」
「可愛い後輩の言うことを聞くのが良い先輩というものではないのでしょうか?」
「俺に聞かれても困るがとりあえずどうでもいいし良い先輩になろうとも思わんので聞かん」
「うわあ先輩のいじわる〜……って課長に泣きついてきていいですか?」
「……その前に月課の奴ら叩き起こしてこい、それからなら許そう仕方がない」
ありがとうございますとキラキラした目で言い、後輩は部屋を飛び出して行った。
……話を戻そう。
そもそも月や太陽の不具合は気象庁が怪しむのだろうか。実はJAXAとかその辺のよくわからない宇宙系の研究をしている組織が怪しむ可能性の方が高いのではないか。そうすると敵は日本ではなく世界や宇宙に広がるわけで、そうすると月課の過ちは世界中の天気を操っている人々に謝らなきゃいけないことになって……ああ面倒。俺らは関係ないだろうし、考えることをやめよう。
「にしても君の後輩は元気な子だねぇ」
突然ひょこっと俺の視界に顔をドアップで映してくる五十代超えた見た目の男性。
「……そうだな課長」
しかし何事もなかったかのように目線を時計の方に逸らす。四時二十三分。あと二分で月沈まなきゃなんだが……。
「おや? 一応私の方が身分が高いのだよ? そこは敬語を使うべきではないか?」
「……そうですね課長、失礼しました」
「まあ、どうでもいいんだがな」
「……」
というか一応ってなんだろう。年齢は課長の方がうえなのに。まあ確かに太陽課……いや、空庁全体が身分なんてほとんど関係ないな。誰にだってできる仕事の集合体で、責任を負うのは誰か一人ではなくその課全体で……課の中で犯人探しなんて馬鹿らしいからみんなであはは、次は間違えないように頑張りましょうねで終わるこの重大責務。こんなぬるくていいのか。
「ところで君、名前はなんて言うんだっけ?」
「……俺?」
「そうそう、そこの後輩が可愛いく見えて仕方のない先輩の君だよ」
「おう、俺じゃねえな」
とはいえ今この太陽課の部屋(部屋の広さ的には俺基準で大体中学校の時の教室ぐらいの広さ)の中には人が俺含め四人しかいない。一人は課長、残り二人はこっちの様子をチラ見しながらも仲良く談笑中。時折「大丈夫ですか?」と聞きにきていたがまあこの仕事正直一人でやりくりできるので全部断った結果がこれである。
「じゃあそのボードの前で暇そうにしている君だよ」
「俺暇じゃねえな、あいつらの中の誰かだな、ふむふむ」
「渚君、それじゃあボードの前でっていうところがおかしくなることに君は気づかないかい?」
「……課長俺の名前覚えてるじゃないですか」
くっくっくと自分の席で笑う課長を見て再びため息をつく。四時二十五分……月が沈む予定時刻だ。
常に開けられている窓から見える空はやはり暗く、満月もやはりのんびり空で浮かんでいる。
「ところで渚君、不思議に思わないかい?」
「……突然なんですか課長、おふざけにはもうつきあいませんよ?」
「月課と太陽課が使っている太陽管理または月管理ボードは同じような感じで操作できるはずだから、時間設定さえ間違えなければちゃんと予定時刻に沈むとは思わないかい?」
「……まともなこと言ったな課長、確かにその通りだ」
満足げな表情をこっちに見せてくる課長。五十代超えた男性。ちょっとぽっちゃり気質。まあ見ていられないわけではない。
ちらりと時間を見ると……四時半。後輩は帰ってこないし、月も浮かんだまま。
喋っていた二人組もいつのまにか静かに窓の外を不安げに見ていた。
そんな中、一人の男が口を開いた。
「もしこのまま、月が出ていたらどうしますか?」
どうしようか、と課長が呟く。二人組の片割れもうーんと唸る。
ぼんやり、静かな時が流れる。
後輩はまだ帰ってこない。
「……課長は、ボードは同じ感じで操作できるっていいましたよね」
「そうだね涙ちゃん。雑談してても私の話、聞こえてるんだね、安心したよ」
「……それなら、月が沈まないことってないんじゃないですか?」
そうだね、と発問者が頷く。軽く課長の雑談うんぬんかんぬんをスルーする涙ちゃん……苗字はなんだったっけな。
「じゃあルイ、月も沈んで太陽も昇らなかったら、空には何が残ると思う?」
「……星かなぁ」
「そうだね、星は恒星だから、月と違って自分で輝くことができる」
発問者……確か名前は星宮だったか、なんで星空課に入らなかったのか不思議な男が質問を振っていく。
「課長、じゃあ、月の存在価値ってなんですか?」
「……夕夜君、難しいことを聞いてきたね。それこそ月課のみんなに聞いてくるべきじゃないかな?」
「俺は課長に答えてもらいたいです」
「…………存在価値、ね」
課長は顎に手を添え、机に肘をついて考える。周りにぽわぽわした何かが見えるのはおそらく幻覚だろう。
後輩が本当に帰ってこない。時計は四時三十五分を指している。
「じゃあ夕夜君、質問返しでいいかな?」
「どうぞ」
「そしたら『太陽課』の存在意義ってなんだと思う?」
課長は肘をつきながら続ける。その目はどこか遠くを見ていた。
「こんな仕事、誰にだってできるし、わざわざ五人も人がいる必要性はない。時間設定して太陽昇らせたらあとは沈むのをぼんやりと冷房が効いた部屋もしくは暖房が効いた部屋で待つだけ。これで給料がもらえる。なんて楽な仕事なんだろうね」
これこそ税金泥棒……いや、税金が給料だとおかしいな俺ら。
「しかもこの給料、日本銀行が特別に裏でこっそり作ってくれているから……だから給料はいつも新札を私の手渡しであげているんだよ君たち」
「それはとっても驚きです課長!」
ドアが突然バンッと開け放たれ一同動揺。一同起立みたいなノリだな。どうでもいいや。
「で、お話中すみませんが、月課の女を一人連れ込んで来ました! さあこいつ、どうします?」
「……ヒナタ君、言い方言い方、そうとうやばいよそれ」
「……そうですか?」
「ていうか日本語的におかしい気がする」
「……そうですか?」
いまいちピンと来ていない様子の後輩。その後ろに後輩に引っ張られてこっちまで来たのか眠気やだるさでやられていそうな全体的に黒い女が下を向いて立っていた。
とりあえず課長が女に近づいて話しかけてみた。
「月課の君は……ふむふむ、名前が読めないなぁ、渚君、代わりに彼女の名前を読んでくれ」
「老眼ですか」
「そうじゃのう……いや、私はまだそこまで老けてないからね?」
ぼけているのかなんなのかわからない課長はほっといて、仕方なく胸元の名札を見る。そこには『月課・影山月菜』と書いてあった。
「影山って子です」
「下の名前を私は聞きたかったな」
「はぁ……月菜だそうです」
「月菜ちゃん、可愛らしい名前だね。私は太陽課の」
「課長日向夏月男性五十三歳十二月十五日誕生日スリーサイズは上から93」
「待ってくれ月菜ちゃん、私の個人情報をばらなさいでくれないかな」
顔をうつ向けたまま呟く姿はある意味怖かった。さすが全体的に暗い印象の月課である。
「……それで、どうしてあたしを叩き起こしてここまで連れてきたのでしょうか。誰か説明お願いします」
空気がピリッとしたのがわかった。というか、一斉に俺に視線が集まった。
「……お前、窓の外見てそれ言ってんのか?」
顔を上げ、目を細めつつ月課の女は窓の外を見た。
サラサラの黒髪が月光を反射してどこか幻想的だった。
「…………ええそうですね」
が、質問に対する反応は俺をさらに苛立たせるものだった。
だがここで怒るのは子供だろう、自分の気持ちを落ち着かせつつ月課の女にまた問いかけた。
「今日の担当は誰だったんだ?」
「あたしです」
「……おかしいと思わないか?」
「なにがですか? 何もおかしくないじゃないですか」
月を眺めながら答える姿も腹が立つ。我慢の限界が近いがグッとこらえて、気になったことを聞いてみた。
「……それはわざとか? それともミスか?」
「わざとですね、私ミスは犯さないので」
即答だった。
俺の方も太陽課のみんなの方も見ずに、さらりと答えた。
その台詞と態度に耐えきれず、ついに俺は口に出してしまった。
「……お前、ふざけてんのか?」
「むしろそっちの方がふざけてるしおかしいと思いますよあたし」
「は?」
思わず眉間にしわを寄せる。
なんだこいつ。何言ってるんだ。
そんな空気が部屋の中に充満していた。それが俺にも伝わってきたし、もしくは俺が主にその空気を出しているのかもしれない。
月課の女は続けた。
「いつもマニュアル通りマニュアル通りってうるさくて嫌にならないんですか? せっかく自分たちが天気変えられるんだから自由に変えたいと思いません?例えば晴れの日を多くしたり、星がよく見えるようにしたり」
「それは俺らの仕事じゃねぇだろ」
「でもあいつらも……いえ、あの人たちもみんな同じマニュアルに従って天気を変えているだけ。せっかく人間が関わっているのに、せっかく自分たちで変えることができるのに、なんでマニュアルに従うんですか? マニュアルに従わないことは間違いですか? じゃあなんで全自動にしないんですか? あたしたちがここで働いている意味、ここにいる、存在価値って、存在意義って、存在する理由って、なんですか?」
その質問、聞き覚えがある。
『月の存在価値ってなんですか?』
『太陽課の存在意義ってなんだと思う?』
きっと今後輩以外の全ての太陽課の人間が思い出したであろう、答えの出ていない質問。
「……そうすると、存在存在うるさいわけだね、月菜ちゃん」
いつの間にか席に戻ってまた肩肘をついていた課長が月課の女を優しく睨みつつ笑った。それはもう、いつもの課長の雰囲気を残しつつ、でもどこか怒りつつ、口元は笑っていた。
「別に、存在価値なんてなくたって、存在意義も理由もなくたって、私はいいと思うんだ。この考え方はおかしいかな?」
「……知らないです」
そうやってまた俯いた。
おかしいと否定もおかしくないと肯定もせず逃げたな、とつい思ってしまった。
「確かに人は時に自分が存在している理由を知りたくなる。涙君、なんでだと思う?」
「えっ、俺当てるっすか!?」
「じゃあやっぱり夕夜君。なんでだと思う?」
当てられた星宮はただ突っ立っていて、とても考えているようには見えない。が、きっと脳でたくさんのことを考えているのだろう。
そうやって、また部屋が静かになった。時計は四時五十分を指していた。あと十分で五時だ。
「…………人間の心理」
「うわあそうやって逃げんのかよ夕夜、ずるいなぁ」
「じゃあ、自分が今息をしていることを不思議に思ってしまうからとか、この世界の仕組み、宇宙があるのはなぜかとか、色々な一生わからない問題について考えるからとか……そういうのじゃないですか?」
おお、と素直に思った。
宇宙が存在しなければ、自分も存在しないのか、それともどこかで存在するのか、この世とはなんなのか、じゃあどうしてこうやって息して誰かと争って、どういう意味があるのか。それって、存在価値がなんなのかって思うのと同じなのではないか。彼の言いたいことが伝わって来た気がする。
他のみんながぽかんとしてるからもしかすると伝わってないかもだけど。
「まあ、この先に『神様が』うんたらかんたらとかって言うと軽く宗教勧誘風になるから答えられないので……宿題にでもしましょうか」
「宿題にって……太陽課課長それでいいんですか」
「自分で答えを出してその答えに自信を持つことは大事だと思わないかい? 月菜ちゃん」
今度は優しく笑った。それは、子供の成長を見守る父親のような、暖かい瞳だった。いや、大げさか。
「……それで月菜ちゃん、月を沈める気にはなったかい?」
うーんとしばらく女は考えていた。
窓から入ってくる月の光は彼女を照らし、異物の存在感を出す。太陽課には、太陽には、存在するとは思えない光。太陽の光が反射して輝いているだけなのに、どうして月の光はそんなに優しい光になるのか。
きっと太陽だけじゃ刺さる日差しだけで痛いから、月があるのかもしれない。そこはわからないけど、俺の中ではそういうことにしておこう。
マニュアル通りに従うんだったらどうして全自動にしないのか。
人間同士のぶつかり合いを空庁の偉い人が楽しみたいからかもしれない。俺らが全自動ロボットの代わりだかもしれない。それはわからない。きっと俺らじゃわかることはできない。でも、前者なら偉い人を楽しませるため、後者なら全自動ロボットの代わりという存在意義がある。価値もある。きっと。
ゆっくりと女が顔を上げた。月の光を見て、それから課長の目を見て。
「沈めてきます」
そう言い残すと、駆け足で部屋を出ていった。
四時五十七分、月が沈んだ代わりに、太陽が昇った。