8 懐かしいファミコン
今日、普段、作家の仕事以外で仕事場にしている所で、私と同年代の男性とゲームの話で盛り上がった。
今日はそのゲームの話をしたいと思う。
友人でもあるその男性とは結構、ゲームの話やスポーツの話題、世の中で起こっている政治や世界の話をしたりしながら仕事をする。
割とその男性は堅い政治の話から、ゲームなどの軽い話題を話したりして、真面目一辺倒という感じでもない。
その友人は、今日は仕事場の雰囲気が殺伐としていたので、私に最近、ニンテンドー3DSのバーチャルコンソールで昔のファミコンの作品をプレイするのが最近好きなのだと説明してくれた。
今ではファミコンのゲームも復刻版として、データとしてダウンロードしてプレイできるのだという。
実は私は女だが、かなりのゲーマーである。当然、ファミコン世代のゲームは知っているし、初めてやったファミコンゲームはスーパーマリオブラザーズだった。
今では友人はIPhoneを使用しているが、そこから昔のゲームの攻略情報が手に入るという。だが、ゲームの中身はファミコンで発売された時と全く同じ内容で音もあのファミコン独特のピコピコしたサウンドだという。
そして、友人は昔のファミコンのほうが攻略が難しいと言っていた。ゲームバランスという面での話だと思う。
確かに昔のファミコンのゲームは難しかった。単純に難易度も高いし、昔のドラゴンクエストの方も特に二作目は恐ろしい難易度で有名なゲームである。
友人はゼルダの伝説をプレイしているらしいが、それもかなりの難易度を誇るらしい。
ゼルダの伝説は今でも様々な作品が派生している人気作品だ。メーカーは任天堂。誰でも知っている日本の大手ゲームメーカーだ。
その話を聴いて、私はとあるゲームを思いだした。
シューティングゲームであるが、なかなかその世界観が面白い。物語としては、とある謎のミュータントに襲われたある宇宙の話で、だが何故かプレイヤーは魔道士として、”戦いの力”がある異世界から召喚された戦闘機「ガンナック」に乗り、世界の命運をかけた戦いに出るのである。
またその導入され方が面白い。何故か工場に生の何の比喩もない魚が現れたり、巨大なウサギが暴れたりして、防衛隊を結成されても歯が立たない。
そこにプレイヤーでもある「魔道士」が唐突に会議室に現れて、「強大な邪悪な力に立ち向かうには、”戦いの力”に溢れた世界から、全く違う”力”を手に入れる必要がある」といって、召喚の儀式をして、現れたのが実際にシューティングゲームでプレイヤーが動かすことになる戦闘機だったのだ。
そして「魔道士」はそのままパイロットして、その世界の命運をかけた戦いに身を入れるという導入ストーリーだった。
そこからは全くシューティングゲームで、でも結構、戦略を考えながら戦うゲームだった。
5つの武装と4つの爆弾を使い分けながら、途中でお店によって戦闘機の性能を上げながらエリアを攻略するシューティングゲームだった。
昔のファミコンのゲームとしては、良くできていて、そのゲームは面白い。
シューティングゲームでは当然、プレイヤーは敵を撃ち落としながら先に進むわけだが、その敵がまた破天荒な設定だった。
ストーリーは要は現実の世界でいう普段私達が何気なく言っている「月」曜日とか「火」曜日とかと同じで、月の星からはじまり、火の星、水の星、木の星・・と曜日順に先に進む。
なので、そこで登場する敵も、例えば「月の星」だったら、何故かウサギが人参を飛ばして攻撃してきたり、ボスもウサギ型の機械の敵だった。
「火の星」なら、そこは一面、火山や炎で埋めつくされていて、何故かろうそくがあったり、マッチの棒が飛んできたりと、思わず笑ってしまう敵が出てくる。
「木の星」では、何故かトイレットペーパーが襲ってきたり、コピー用紙が刃物みたいに飛んできたりと、思わず腹を抱えて爆笑すること請け合いである。
そうしたら、友人は爆笑しながら、言った。
「そのゲームを考えた人は天才だね」
確かにそうだ。こんな破天荒な設定はまず考えない。
昔のファミコンのゲームだからこそ出来た”隠れた名作”だと思う。
ちなみにその「ガンナック」というゲームは音楽も非常にいい。疲れた時にこのゲームのBGMを聞くと元気になれるほど、メロディーが憶えやすく、とってもキャッチ―なのだ。
ノリもいい。その破天荒な設定に負けないほど、音楽も非常に明るく、そしてノリもいいし、何より元気が出る。
少しイライラしていた私は、先程までずっと、ユーチューブでそのガンナックのBGMを検索して、ずっと聴いていた。
テンポもいいし、なかなかメロディーもしっかりとしているし、盛り上げるべき所は盛り上げ、徹底的にテンションは高い。
だが、覚えやすいメロディーで、ゲームをやめてあれから十年以上も経っているが、鮮明に憶えているのだ。
これこそが名作だと思う。
昔のファミコンのゲームは、今のように、声優を使って表現を出来ない代わりに、音楽でその世界を表現する必要があった。
だから、自然と昔のファミコンのゲームは綺麗な音楽が多い。
それに、昔はファミコンのゲームでは、たった数音しか音を奏でることしか出来なかった。
だから、自然と覚えやすいキャッチ―なメロディーを作ったのだと思う。
今では当たり前のように生のオーケストラみたいな音を出すことが出来てしまう。だが、私個人として言うと、何だか記憶に残らない音楽ばかりで惹かれるものも感じない。
要はハリウッド映画の効果音みたいな音楽になってしまっていると言えてしまうかも知れない。
何より、この「ガンナック」というファミコンのゲームは私に重要なことを教えてくれた。
創作の自由を感じたのである。
ある程度、現代を舞台にした作品では説得力が必要なため、実際の地名などを使う方が多い。
だが、破天荒な設定なら、どんな風にも描けるし、制約に縛られる必要もない。
私は”制約”という言葉に少し抵抗を感じる。
それは、限りなく自由な世界観だからこそ、どのようにも描ける自由が欲しいと思ってしまうのだ。
この「ガンナック」というゲームは、その普通では考えられない何物にも縛られていない表現の自由を感じた。
見事に私の心に風穴を空けてくれた。
無意識のうちに”こうしないと話が変”と自分に課してしまって所があった。
それを今日、友人の何気ない話から、昔のファミコンのゲームを思いだすきっかけをくれた。
多分、これから私に必要なアイデアは、それこそ読者の皆さまの心の”風穴”を空けるくらいに斬新な考えが必要になると思う。
そして”こうあるべき”という考えを捨てて、私のインスピレーションを信じて、それを表現していきたいと思う。
私は今日、”忘れてきた想い出”と出逢ってきたのかも知れない。
そして、その”想い出”はきちんと糧となり、身となり血となると思えた一日だった。
昔の想い出をたまには思いだしてみるのもありかも知れない。
それを今の自分なら、そこから”何か”を見つけることが出来るはずだから・・・。
本当に持つべきものは”友”である。
その人が昔のファミコンのゲームの話題を話してくれなかったら、記憶の底に埋まったまま、引き出しの肥やしになっていた可能性があったかも知れない。
本当に世間話をするなら、こういうくだらないけど面白い話題を話したいと思う。
その一見くだらない話の中に、意外なヒントが隠されているかも知れないと、今日は心底そう思った。