4 年賀状
十一月の初旬に郵便局へ行き、住んでいる家の家賃を振り込みに向かった帰り、年賀状の売り出しの準備を外でしている様子を見て、年賀状の季節になったのかと思った。
何だか一年があっという間に思える。
ところで、皆さんは毎年、年賀状を出しているのだろうか?
もはや街中で無線Wi-Fiが張られていて、スマートフォンが普及して、街中で当然のようにネットを見られる時代になった。
LINEとかツイッター、フェイスブックも当然のように存在する今、郵便局離れもしているという話も最近、聴いた。
携帯電話のメールで”あけましておめでとうございます”と言えてしまう時代にもなっている。
仕事場の友人の一人には、全てガラケーの携帯電話のメールで、新年の挨拶を済ませてしまい、一枚も出す予定がないのだ、という友人もいた。
私はというと、年賀状は必ず出すようにしている。
主に同人仲間への年賀状が多いが、今年は人数が増えそうな気がする。
新しく友人も出来たし、私の担当編集者の女性へも出さないといけないと思うし、同人仲間へもきちんと出したいと思う。
同人仲間の友人の年賀状は、どれもこれも個性的で素敵な年賀状が多い。
中には、年賀状一つにここまで力を入れているのかと思う程、手の込んだ素晴らしい年賀状を送ってくれる方もいる。
だが、今年は様々な場所で災害もあったし、友人の中には喪中にいる方も残念ながらいるのが現状だ。
だけど、ふと思ったのは、今年で”平成”という年号と時代が終わろうとしていることだった。
今年は本当に色々あった。周囲だけではなく、私自身も色々あった年だった。
初めて親元を離れ、一人暮らしを始めたこと。自分自身でお金の管理をすることになったこと。初めてクレジットカードを使って、月々の支払い義務を背負ったこと。
でも、初めてづくしだったのに、割と簡単にすんなりとそれが出来てきた自分もダイレクトに感じることが出来る。
今まで、世の中の大人が当然のようにしていることをやっと自分も出来るようになって、ようやく私も大人になれたんだと思える。
両親が一番心配していたのは、お金の管理だったらしいが、とりあえずは自分なりに学んで、どうやったらシンプルにお金が管理できるのか考えたこともあった。
結局のところ、”入る所はいっぱいあるが、出口を一つにしてしまえばいい”というとある家電量販店の店員さんが教えてくれた言葉で、結論を出せた。
今年に入ってから、私は仕事上でもプライベートでも携帯電話の必要性を学んだ私は、ガラケーではあるが、携帯電話を持つことになった。
支払いは、私が使っているメーカーがauなので、auウォレットというクレジットカードで支払っている。それはauの”じぶん銀行”というネット銀行というのか、それを通して支払っている。
その月々の支払いには、自費出版のための支払いも入っている。こちらの方がメインというか重要だが、携帯電話も同じ位大事なのでそんなに苦しいとは感じない。
だが、一人暮らしをしているため、当然、家賃の支払いもあるし、滞ると追い出されるので、むしろこちらが重要ともいえる。
はっきり言えば、全部重要だから、限られた収入でどうやりくりするかで頭を悩ませる。
でも、それもまた楽しいと思えるようになった。
一人暮らしをして、とりあえずは私は両親からの束縛は無くなった。
両親と暮らしていた時は、様々な束縛を感じて、正直かなりイライラした。
今はもう、元の生活に戻る気もないし、戻りたくない。一人暮らしをして、セミナーとかにも通えるようになったし、自分が夢見た職業に就くことも出来る。
年賀状の話に戻るが、私は今年の年賀状は本格的なイラストソフトを使用したオリジナルの年賀状にしようと今、考えている。
イラストレーターの方が利用しているというイラストソフト、クリップスタジオというソフトを使用して作ってみようと思っている。
年賀状のデザインは来年の干支はイノシシだが、それは置いておいてオリジナルの世界で一つしかない年賀状を作りたい。
たかが年賀状にそれ程の労力を注ぐのか?という方もいるだろうが、されど年賀状である。
それに”平成”最後の年賀状だし、新しい年号が何になるかはまだわからないけど、初めの年はやっぱり特別な感慨がある。
平成最後の作家にはなれなかったが、新しい年号の作家になれると思うと、その労力は苦痛には感じない。
今年でもう”平成”という時代が終わろうとしている。
なら、皆さんも、平成最後の年賀状として、友人に出してみてはいかがだろうか?
いつもは、携帯電話のメールとかLINEで”あけましておめでとうございます”と済ませている方も、”平成”という時代が今年で終わってしまうなら、記念に出してみてはどうだろうか?
たかが、2018年が2019年になるだけだが、受け取った友人の手元にそれが残るなら、どこにでも売っているような年賀状でもいいので、出してみれば?
ふと、そんな風に、秋が深まる朝、郵便局の前を通った私にはそう感じた。