第3章 第49話 前回更新から2か月経ってるらしいけど、嘘だと言ってくれ
やることが多い人生だよまったく
なんで『今』を生きる自分たちがはるか過去の話である歴史を学ばなければならないのか。別にこんな昔の話、知らなくたって生きていけるじゃないか。
己が小学生だった時分に、そんな感想を抱いたことはないだろうか?(ちなみに僕はあった。)
成長した今の僕からすると、『勉強嫌いの子供がよく口にする常套句だな、お子ちゃまめ。』と思わずにはいられない言葉で、実に懐かしいというか、ほほえましい気持ちになるセリフである。勉強する側の当事者だった当初は、こんな気持ちを抱くようになると言われてもとても信じないだろうが、大人になるということはそういうことなので、今の成長した僕から当時の自分に向かって言えることはといえば、「諦めて勉強してくれ。」という他はない。
しかし、ただひとこと「勉強しろよ。」と言われたところで、素直に「わかりました勉強します。」となる子供はごく少数だ。何事においてもそうだが、人をやる気にさせるには、『なぜそれを行う必要があるのか』を理解させ、納得させる必要があるものだ。今回の場合で言うなら、「歴史を学ぶ理由としては、主に2つある。1つは『一般教養として身に着けてしかるべきものだから』、もう1つは『過去の教訓を未来に生かすため』。」というところを伝えればよいだろう。
さて、なぜ今こんな話をしているかと言えば、読者諸氏に知ってもらいたいことがあるからである。それは、『未来を予測する場合は、過去のデータや出来事を基準にする』という、当たり前と言えば当たり前の『事実』だ。当たり前であるがゆえに、自然と頭の片隅で「過去の事例ではこうだったな。だから次はこうなるはずだ。」という論理展開で考えてしまう。これはもうヒトに染み付いた習性のようなものなので、わかっていてもこの思考を行わないようにすることは難しい。であるからこそ。
「では先攻は僕から行かせていただきますね。僕はこのカードで行きますよ。」
今僕が出したこの1枚を予測することは難しいのだ。
「・・・。」
冒頭で長々とした脳内トークをかましていたため勘違いしそうだが、カードを配り終えてから手札を場に出すまでの間で、ほんの7秒くらいしかたっていない。今後がかかっているのにそんな浅慮で大丈夫か、という声が聞こえてきそうなところだが、問題はない。向こうが即断でカードを出してこなければ、十中八九この勝負は勝てるはずだ。
「・・・では、私はこれで行かせてもらおう。」
祈りが通じたか、長考を挟んだのちにフリナックさんはカードを一枚セットする。お互いに装備カードを使わないことを確認したのち、二人同時にカードをめくった。
「私はスペードの10。」
フリナックさんのカードはスペードの10だった。一方こちらが出していたカードは・・・。
「こちらはクローバーのKです。」
手持ちの中で最強カードの『クローバーのK』。このセット、これでまずは1勝だ。




