イシュとライラとバルザの話2
リグルのハーピー族に穏やかでない動きがあると人魚の女王は言った。同じ一つの国に居てもお互い必要以上に干渉しないでやってきたが、それでもハーピー族の王子が生まれた頃から極端に何かを警戒して自身の領域内から出ることがなくなったという。それでいて魔道師と契約を交わしたのか時々彼女たちの住居のある方から怪しげな強い魔力を感じる時がある。女王同士で話をしようにも行き来はもちろん水鏡に姿を現すことさえ拒絶され今は話が出来るだけの状態になってしまった。
王子のバルザはとても賢い子供だがその辺りの異常な状態が良くわかっていない。バルザが何らかの原因かもしれないと人魚の女王はイシュの母に言った。
「今後なにか不測の事態で我が娘に助けが必要になった時、出来うる範囲で良いそなたに助けて貰いたいのだ。何事も起こらぬ可能性もある。杞憂で終われば良いのだが。」
イシュの母は先程またイシュと会っても良いかとたずねた利発そうなハーピーの王子を思った。母に内緒で出てきたとも言っていたが過干渉気味な母親に内緒に出来るほど知恵が回るのだろうか。
しばらく人魚の館に滞在することとなった人狼親子は水底の館で人魚達と楽しく日々を過ごしていた。館の中は大きな魔道具が作用しているようで見目麗しい人魚たちは人型をとり、薄物の衣を纏って優雅に二本の足で歩く。番の居ない男性には地獄でもあり天国でもあるような所だ。イシュも館では可愛いと構い倒されている。嫌がって母親かライラにくっついているのが常になってきた。ライラはイシュを連れて毎日最初に出会った水場に出かける。バルザとも会っているらしい。
「ライラはあの岩まで泳ぐ。僕はあの木を持って半刻羽ばたき続ける。イシュは・・昨日と同じ人型になれるようにがんばれ。」
バルザの宣言で三人はそれぞれの課題に手をつける。親達はてっきり仲良く遊んでいるものと思っていたが少なくとも二人はストイックに練習したり、身体を鍛えていた。もちろん人型に成る方法など三人ともわからない。ライラは館で人型で過ごすが魔道具あってのことで本来の尾のある状態が人型なのだ。
イシュはころころ転がったり、跳び上がったり、走ってみるが狼は狼のままだ。昨日と同じ一通りのメニューをこなした子狼は一人休憩に入る。年上の二人から無理はするなと言われている。昼になってバルザは森で食べ物を探そうとイシュを誘った。ライラは岩の上で休憩し手を振って二人で行くよう合図する。女の子のライラを一人で残すのはどうかと振り返ってはバルザを見上げるが二人とも慣れているのかイシュの懸念の仕草はまるっと無視された。
バルザはその日初めて岩場に隠された檻があることに気が付いた。もぎ取っていた果物の木の下でしばらく待つようイシュに言うと檻に近づく。それまで巧みに隠されていたそれの中には薄汚れたハーピーの雄が幾人も捕らわれていた。
「なぜ・・」
彼らに問うというよりもただ疑問が口に出ただけだ。雄のハーピーはこの国にはいないはずだ。薄汚れ、疲れたような状態から以前からここに捕らわれていたようだ。一人がバルザに気づき声をかけてきた。まだ声に力がある。
「おい、坊主、なぜここに来た。早くここから逃げろ。雌たちに見つかったら捕まってしまう。」
「なぜあなた達はそこに入れられている?なにか罪をおかしたのか?」
「悪さなんざしてねぇ。確かに色香に負けてふらふらしたのは事実だが罪とは言えねぇな。リグルのハーピーは皆美人で雄なしで一族を増やしてるって言うから珍しさに見てやろうとしたのがこの様だ。もう長いこと雄を捕らえて昼は労働、蜜月期は繁殖をさせているようだ。こいつらみたいに疲れてしまう前に俺は逃げるぞ。」
別の雄が言う。
「逃げられやしない。魔道師が作る結界が出られないように覆っている。俺達が逃げようとしたことがなかったと思うか?諦めてしまえば食事はあるし、労働も慣れてしまえばきついものでもない。蜜月期はリグルの美人をより取り見取りだ。いい暮らしだと言えない事もない。」
また別の雄が言う。
「決して逃げられないこともないぜ。特定の雌に気に入られれば外に出られると聞いたことがある。」
バルザは彼らの話を聞きたかったが今はイシュを残している。雌達の姦しい気配も遠くに感じられた。
「何人捕らわれているんだ?」
「坊主は何者だ?やけに落ち着いているな。昼間の労働で俺達が見たのはせいぜい100名程度、まだ別のところに居るかもしれない。」
(落ち着いているじゃない。怒っているんだ。)
「また来る。逃げたい者は必ず後日手助けしよう。」
始めに『逃げろ』と言った雄が驚いてバルザを見る。
「坊主がか?誰か他に協力して貰える大人がいるのか?」
それに答えずバルザは檻にの中の雄達に自分の能力を使う。
《僕が何に見える?》
しばらくの沈黙の後声を上げた者がいた。
「解放してくれる者」「俺達を率いてくれるも者」「リグルの雌達を懲らしめる者」
皆が賛同する。バルザは片手を動かしそれ以上の意見を制した。
《もしそれが今以上悪い状況になっても皆は僕にそれを求めるか?》
「自由のない今が最悪だ。これ以上悪くならねぇ。」
《ここに約束しよう。我はリグルの次期王、リグルに捕らわれた者を解放し、率い、リグルの民と戦う。それがリグルのハーピーを滅することになったとしても。》
雄達は一瞬にしてバルザを指導者として認め、リグルの雌達に相当の報復を与えて逃げることを目的に一つにまとまった。
他人の望む姿にバルザ本人が同意すると世界のすべての物がバルザをその通りの者に変えていく。バルザの能力か、神の加護か、世界の約束事がそこにあるのかわからない。幼い頃母の望むままにすべてを同意していた。金髪も麗しい顔も美しい羽も大人になれば立派な体躯になることも同意した。次期王になることも、次期王として必要な賢さや慎重さ、決断する能力も備えた者になるよう同意した。ふと・・・、自分が成りたい者にはなれないのか?と思い当たった時からバルザは母達を疑うようになった。
大人しく待っていたイシュを褒めて抱き上げ一足飛びにその場を離れる。雌の気配が近くなっていた。檻の雄たちを見に来たのかバルザを探しに来たのか。雄達にはしばらく従順にしているよう命じた。これから忙しくなる。バルザの生きる道が決まった。
ライラの悲鳴が聞こえたのはその時だ。慌てて水場に向かう。ライラは人族の男に網で手繰られていた。手にした魔道具で水の中に逃げようとしているがすでに身体が水面に半分近く出ている。バルザは男の目を狙って攻撃した。イシュは足に齧り付く。幼い二人だが男の片目を潰し、男が立てなくなるほどの傷を負わせた為、男は網を手放した。気を失ってしまったライラを岸に引き上げようと絡まった網を動かした途端、ライラは人魚の声で悲鳴をあげた。聞いたものを死に導く声だ。息苦しい二人は正気に戻させようとライラの腕にバルザの爪をわき腹にイシュの爪を立てる。それでも叫び続けるライラにイシュは小さな手で何度も頬を叩いた。
(気づけ!)
ライラの青い瞳がイシュを捉える。視線が定まりイシュとバルザを確認して抱きついた。大声で泣き始める。バルザと人型になったイシュはライラの頭と背を撫で続けた。
ライラが人族に襲われ捕らわれそうになったことで三人が水場に行くことは禁止された。バルザとイシュがライラの腕とわき腹に傷をつけたことで人魚の女王は二人をライラの婚約者候補だと明言した。大人になった二人のどちらを選ぶかはライラに任すと付け加えた。機嫌の良い母親の前では言わなかったがライラはこれは事故だから気にしないようにと大勢の人魚の前でバルザとイシュに言っている。
いよいよ帰ってこないイシュ達を泣き落としにかかった情けない姿の王弟を見て満足した人魚の女王は、ようやく二人が自国に帰ることを許した。
イシュが帰る前日友達となった三人は集まり、ライラの一番大きくて綺麗な鱗、バルザの長くて立派な尾羽、イシュの抜け落ちた小さな犬歯をお互い交換しあった。
数年が経ち、リグルの国で大変なことが起こる。王となったバルザがリグルのハーピー達を殲滅し始めた。抵抗する前女王と一揆打ちの後、バルザは勝利するが姿を消した。女王と共に死んでしまったとも、国を追われて放浪しているとも、残ったリグルのハーピーに捕らえられたとも言われているがどれも確かなことではない。ライラはバルザの行方を捜す為に自身の能力を昼夜問わず使ったが本人からの応えもなく他からの情報も思うように集まらない中、無理がたたって長い休息の眠りが必要になった。数少ないリグルのハーピー族の雌達は国を出て行くか、住み続けるか決めかねているようだ。今までのように女王のいる国の形は取れない。リグルを代表するのは人魚の女王だが、末娘の状態に元気をなくしている。これが続けばリグルの国力も弱っていく懸念がある。
バルザが行方不明のまま、当人達の知らぬところでライラが15歳の時、人魚の館で末娘の婚約式が行われた。イシュはライラの正式な婚約者となり人魚達は自身の崇めるターヒラ神に二人の婚約の報告をする。しかしターヒラ神からの応えは無いまま時間は過ぎていった。