第9話
「ここ、私の特等席なんだ」
誇らしげに自慢するようにそういう麻紀の隣に座る。
お兄さんがご飯を食べ終えた後、おれらは海岸に来ていた。海岸というより浜辺といったほうがあっているような気もする。
ゴツゴツとした岩場に座った麻紀は、すごくその場に溶けこんでいるような気がした。
長い間その場にとどまり、その場を愛していたように。
「すごい……綺麗で澄んでる……。こんなのテレビでしか見たことないし、沖縄以外にもこんなに綺麗な海してる場所なんてあるんだ……」
「あっ……それは。そうっだね」
少しだけ言ってはいけないことを言ってしまったのか、少しばかり焦るような様子を見せる麻紀。
今になって、ごめんだなんて謝ることはできない。
もしかしたら、ただ返答に困っただけかもしれない。
「こんなに綺麗だったら、汚すわけにはいかないよね。なんだか、神の聖域みたい」
「たしかに、聖域かもな。にしても、おまえ……沚って結構ロマンチックなのとか好きだろ?」
「良くわかってるじゃないかお兄さん」
なんだか今の会話、何かを思い出させる。
いつもこんなふうに話して、こんなふうに笑いあえて、一緒に居て幸せを感じさせるやつらを、俺は知っている。
今までだって一緒に居たというのに、自分から突き放した奴ら。
「おまえさ、いざ誰か一人にしか会えなくなった場合、誰を選ぶ?」
「えっなにを唐突に……そうだなぁ。だれだろう……」
一人だけ選ぶだなんてできやしない。
あの人にもこの人にも……と言うわけではないが、選ぶ難しさを問われているような気がする。
実際、そんなことになった場合、杵島にだって会いたいし、相澤にだって会いたい。このきょうだいにだって会いたい。
「一人にしか会えないなら、誰にも会わない。絶対に会わなきゃいけないなら、名前も知らない、赤髪の男の人に会いに行くかな」
「赤髪?」
「そっ。一回だけ会ったことがあるんだ。土砂降りの雨の日に……っと…気にしないで。俺もよくわかんないし気付いたら病院にいたし」
「お前……」
兄さんと麻紀は、少しだけ心当たりがあるかのように、じっと俺を見つめる。
少しだけ胸騒ぎがする胸と、何かを追い詰めるかのような瞳。どちらも痛いもの。苦しいものだった。
ゆっくりと麻紀は俺の右手に触れた。その瞬間、何かに反応したかのように体がびくついた。
そういえば、ここに来てから左手に熱を感じなくなった。というより、左手の熱が抑えをなくし、左腕全体を占めるかのように熱を伝え、熱くなるという感覚をマヒさせているようだ。
まだ右手には熱はいっていないはずだ。
にしても、麻紀の手はすごく冷たい。何かで急激に冷やされたような冷たさだ。
確かにここはお世辞にも暖かいとは言えないけれど、適温のはずである右腕ですらすごく冷たく感じられた。
「冷た……寒いのか?」
あまりにも異常な冷たさだ。
冬、北海道に住んでいればこの冷たさも納得はいくのだけれど、そんなにも寒くはない。
それに、冷え性という冷たさを通り越してる。どこかで感じた異常な冷たさ。
あの時はこんなにも感じなかったが、あいつ……相澤と同じような冷たさ。
「水……」
「知ってるんだ?」
「あっと……」
「なにを知っている? どこまで知っているんだ?」
「わかんない。どの話をしているのか」
「そう……か」
少しだけ残念そうに言う兄さんの表情に、少しだけ何かの違いを感じた。
問い詰めようとはしない。素直に諦めてくれるこのやりとりが、少しだけ淋しかったけれど、うれしかった。
「私もね? 似たような経験をしたんだ。青……というよりスカイブルーの髪した女性。実際そんなヒトがいたら変な人じゃない? でも、その人にはそれが当たり前のような気がした。しっかりとした表情で、私をじっと見つめてきた。その人には、私は何か懐かしいものを感じたんだ。あなた……沚さんにはそういう感じの人とは思わなかった?」
「その言い方だと、俺が会った人と、何か関連があるって言いたいのか?」
「うん。私はその人のことを知っているし、きっとあなたがいった人のこともわかる。知りたい?」
真剣な眼差し。
きっと麻紀に聞けば簡単にわかることのようなきがした。
どんなに危ない人だって、どんなに人が恐れるようなものだって、あそこにいた理由とはなした理由があるはずだ。
「いや。知りたくない」
首を横に振る自分。
本当は物凄く知りたくて、体がこれ以上ないくらいうずうずしているくれど、何となくわかった気もする。本当のことがどうかはわからないし、麻紀が言うなら、麻紀がいったほうが正解で確実なのかもしれないけれど、あえてそれを聞きたくなかった。
「そう」
「沚。いざとなったら麻紀を頼むな」
「え?」
「おっお兄ちゃん!?」
麻紀もそんなことをいってくるだなんて思わなかったのか、二人揃って兄さんの方を見る。
俺には意味はわからないが、麻紀は少しだけ心当たりというのか、そういうお兄さんのほうが言いたい意味が多少でもわかったようで、それが確実にも、良い方向ではないようだ。
何かをお別れするかのように。
お兄さんは、特に淋しそうな表情を見せているわけではない。ただ、何かををすっきりさせたいかのような表情だった。
「……わかった。ただし、いざとなったらだ。普段はお兄さんが、必死にお守りするんだろう?」
「あぁ。いざとなったらな。それまでは、俺が麻紀を護ってる」
麻紀を挟んでの会話。
麻紀のほうが内容を深く知っているようなのに、今の会話にはついていけていないようだ。
でも、その時感じた。
左腕に熱がこもってきているのが。
正確には左手だ。
何かに反応している。確実にこの体を乗っ取るかのように、左手を燃やすかのように……。
火傷をする。なんて感覚はない。なんだか、左手の意志で熱をためているかのように。
ゆっくりと左手に目をやるが、異変を見ることなんてできやしない。
その眺めていた左手を、ゆっくりと麻紀の手に添える。
「あっ……」
何かに反応したような顔をした後、驚いた表情のままもう片方の手で俺の左手を包み込む。
「暖かい……」
(これを暖かいというのか。俺には、すごく熱いんだけどなぁ)
その奥からも、身を乗り出した兄さんの右手が左手に触れた。
「不思議だな。俺は右手なのに、おまえは左手か。対になっているみたいだな」
「え?」
「おまえ、俺の手も冷たく感じるか?」
「いや……」
「同じくらいの温度同士では、熱いも冷たいも感じないだろう?」
「えっ?」
わけもわからなく、手をかえ右手で兄さんの右手に触れた。
(あつ……い)
「熱があるのか?」
「頼むから風邪を引いたのか?とかは聞かないでくれよ?」
「じゃあ……?」
「ここまで言えばわかってくれると思うんだが?」
手を離し、じっと二人を見つめる。
もしかしたら、この二人は杵島や相澤と同じ力を持っているというのだろうか。
もしかしたら、俺もその同じような力を持っているかもしれない。
もしかしたら、旅をはじめ、ここにたどり着いたのも、こうなると何かで決められているのだろうか。
(もしかして……駅に着いたときに感じた、行くのが当然な感覚はこの二人に会うため?)
「わかるよ。なんとなくだけど、俺も同じかもしれないってことだよね?」
「あぁ」
「……俺がここにきたの、考え事があったからみたいなこといっただろ? それ、そのことなんだよ。メールみただろ? あいつも、同じような力持ってて……」
「私は水だよ。沚さんのことだからどうせ、理解しようとしてあげなかったんでしょ?こうやって力を見せられて動転した?」
そういって両手を目の前にある海に向けて軽くのばし、何かを唱えるように静まった。と思った瞬間だった。
ザバーンと言うような大きな音を鳴らしながら、岩場よりも……おれらがどう必死に背伸びをしたって、どんな道具を使ったってとうてい届かないくらいの水柱がのびたと思いきや、それは形を変えて空想の龍の形に似ていた。
それが自然現象じゃないことくらい考えなくったってわかった。
麻紀だ。
麻紀が今、オレらと向かい合っている龍を作り上げている。
「それとも、こんなの?」
次に口を開いたのは兄さんの方だった。
立ち上がった兄さんは、右腕をボールを投げるとき、軽く後ろに降る腕のように振り上げ、一気に体重を前に持っていく。
ボールを無鉄砲に、力任せに投げるような振り方だった。
手は火玉に囲まれるようになったのも一瞬で、その火玉は形を変えて兄さんの目の前を力強い勢いで飛んでいく。
火玉は玉ではなく、同じように兄さんが火柱をたてたような形になるなり、龍というよりはもう少しからだがはっきりしているような、ドラゴンに似た姿になった。
それと麻紀の龍が絡み合い、仲がいいのを証明するように、一気に何とも言えない鳴き声に似たものを鳴らした。
ちらりと二人を見ると、麻紀は両手で。兄さんは右手だけであれらを操作しているようだった。
再び絡み合う龍たちを見るなり、今まで俺が悩んでいたことが、馬鹿馬鹿しく感じてきてしまう。
「でも……俺にはそんな力はない。ただ手が暖かいだけさ。その火を見ていると、懐かしい感じがするだけ。でも、俺には使えない」
「……おまえはガキか?」
「え?」
いきなり言ってきたのは、手をグーにしてドラゴンを握り消し、ため息を吐いて振り向く兄さん。
麻紀も手を下ろし、兄さんの方を見上げる。
「何度も試してみりゃいいんだよ。おまえに力があることは確実なんだよ」
「なっ何で言い切れるんだよ?!」
「今のこれをみておまえはなにを感じた? 怖くて逃げようだなんて考えちゃいなかった。懐かしいと感じているようだし、叫ぶことすらしなかった」
「そっそれだけで?」
「それだけじゃない。俺が、なんだか主にあったような感覚なんだ」
「主?」
「人というのは、意識的にでも、無意識でも無自覚でも、権力や能力が高い奴に集まる性質をもっているんだ。その無意識になったリーダー。それがおまえは、沚に感じたんだよ」
「俺が……リーダー?」
「……この力は、同じものが集まってはいけない。リーダーだけが集まったって意見が食い違い、まともに話し合いができなくって、争いをはじめてしまう。そのためには力が必要となる。そしてその力が適わないと、自滅行為に走ってしまう。だから、同じものは消えてしまう。違う種類のものを集めなければいけないのさ」
「えっそれ……どう言うこと?」
震えた声で質問するのは麻紀だった。
何かを恐れているかのように、表情はすごく青ざめていた。
「麻紀には黙っていたんだけど、そういうことさ。俺の主は沚さ。沚には未だ力は呼び出されていないみたいだけど、きっと目覚めたら俺は沚には適わない」
「もし、俺に力が目覚めたら……どうなるんだ?」
「きっと俺は、炎に食われる」
「そんな……!」
「沚……。おまえは目覚めるべきだ。おまえなら、何もかもを変えてくれそうな気がする。護りたいものをしっかりと近くに寄せておきな。力は、護りたいという思いの力に反応する」
食われることに恐れを持っていない目だ。
でも、俺の力が目覚めたって、兄さんが死ぬとは限らない。同じ力を必要とされないなら……。
「でも、兄さんが死ぬって言い切れるのか? いなくなるべきは俺かもしれないだろ?」
「いや、わかるんだ……何となくだけど」
「……」
自信満々にいわれては言い返す言葉が見当たらなかった。
護りたいものを傍に置く。
でも、もし今のことが本当なら、傍にいてくれないほうがいい。
護りたいほど誰にも気付かれない場所に隠しておきたい。近くに置いておいて、守り切れずに傷つけてしまうだなんていやだ。
だからなのだろうか。二人から離れた理由は、二人を危ない目に遭わせたくない。遭わせたくないから一緒にいることがつらかったのか。一緒にいたくないと思ったのか。
「……わかったよ。俺が二人から逃げてここにきた理由が」
「その理由はなんだ? その二人を敵だとみなしたのか?」
「違う。二人が大事だから。すごく失いたくない奴だったから、一緒に行動したくなかったんだ。だから考えるために来た」
「護るべきものが怖かったってことか?」
「……多分。これから危ない目に遭うかもしれないならよけいに」
涙が出てきた。
杵島や相澤のことを考えると不安が舞い降りてきたようだ。
怖い。相澤が。
同時に兄さんと麻紀までも不安だった。