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熱の手  作者: 壬哉
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第6話

『お兄ちゃん……お兄ちゃん? ……お兄ちゃん!! おにーちゃーん!』


 穴に落ちていく。

 驚いた妹の顔がだんだんと離れていき、自分はただ真っ暗な穴のなかに沈むように落ちていく。

 だんだん泣きじゃくる姿になる妹が微かに見えては、消えていく。

 なにが起きたのかわからない。

 ただ妹を残して、自分がもう元いた場所に戻れないということだけがなぜかわかる。

 真っ暗に染まったとき、まわりからクスクスと、なにが面白いのかもわからない、子供の笑い声がすぐ耳元で聞こえてくる。

 その瞬間……パッと目が覚めた。

 反射的に上体を起こしたその視界は、いつもの部屋のなかだ。

 窓の外からは、雀の高い鳴き声が響き渡る。

「……夢?」

 何の変哲もないいつもの朝。

 自分が、消えていく夢。

 いやな予感で胸が騒ついてくる。なにか、現れてはいけない何かが近づいてきているような。



 胸騒ぎは、時間が経つにつれて大きくなる。

 心臓が跳ねるような感覚がして、口から本当に心臓が飛び出してくるのではないかというくらい。

 緊張しているときとは、少しだけ違うような、何とも言い難い感覚。

麻紀(まき)……」

 ハッと大事なものを思い出し、布団を捲り足をベッドから出し、飛び出す勢いで部屋から出る。

 すぐ隣の部屋の戸を、ノックをせずに力一杯開き、まだ寝ているだろう妹の姿を探す。

 しかし、その中はきれいに誰もいなく、すでに起きて、外に出ている。

 妹である麻紀の場合、部屋にいなければ、すぐそこの浜辺の岩場のちょっとした場所にいては、じっと海を眺めている。

 なにを考えているのかは知らない。ただぼんやりと眺めているのかもしれない。人の気持ちまで知ることなんか、できやしない。


 誰にも。


 急いで家を飛び出し、すぐそこの浜辺まで走った。



「麻紀!」

 浜辺に出る数段の階段を駈け下り、足を浜に取られながらも岩場に急ぐ。

 微かに見えた麻紀の姿にホッと胸を撫で下ろし、岩に脚を掛け、息を整えながら近づいていく。

 相変わらず近づく気配に気付くこともなく、ただぼんやりと海を眺め続けている。

 いつものように隣に腰を下ろす。

「お兄ちゃん。今日は来るの早かったね。いつも夕方近いのに」

 うっすらと微笑む妹にやさしく抱き締める。

「怖い夢……厭な夢を見た」

「厭な?」

「うん。怖かった」

「珍し。お兄ちゃんの弱み初めて聞いたかも」

「弱み? 弱音じゃなくて?」

「うっ……そうとも言う」

 かわいい。そんなちょっとした間違えが可愛い。妹だからこそ、憎めない可愛さも持ち合わせている妹。

「どんな夢なの?」

「どんなって……どんなのだったかな? ……忘れた」

 なんて嘘だ。しっかりと落ちていく感覚も、はっきりと覚えている。でも、今それを言って、妹を心配なんかさせたくない。

 べつに、ただの夢なんだしと割り切ったってかまわないことなんだけど、あいつのことがあったから。あいつのことを、麻紀が一番根に持っているから。


『優貴! 優貴ー!!』


 血相を変えて、どうにか助けてやろうと手を伸ばす麻紀。その隣で、現実が飲み込めていない自分が、見開いた眼で、あいつ……優貴を見つめていた。

 あいつを助けることが出来ない自分達。ただあいつを呼び、叫んでは現実逃避をしかけてしまう。

 姿が薄くなる優貴を、麻紀はあきらめずに優貴に触れようとした。しかし、いくら触れようとしても、結局触れられずに。

 その場には泣き崩れる麻紀の声しか響いてはいない。

 でも、最後に見た優貴の微笑みだけが脳裏に焼き付いて離れない。

 どうして微笑んだのか。

 どうしてその微笑みが、麻紀と俺を納得させるかのような、少しだけこうなることを知っていたかのような微笑みだったのか。

 もう聞くことなく、自分で理解しようとしなければいけなくなった。

 この場所が愉快な場所である麻紀と優貴に、この場所が天敵な俺。いつかはここを離れたいと思っている。もちろん麻紀と、と思ってはいる。

 でも、きっとそれは難しいだろう。

 麻紀がここにいれば、麻紀自身の身くらい、守ることくらいは出来るだろう。でも、俺にはただの弱点にしかならない。

 それを回避するにはここを離れなければならない。でも、麻紀を一人にしたくない。

 結局この循環だ。

 優貴は、俺を護るといった。麻紀を護るといった。でも、俺と麻紀は、対立してしまう位置関係だ。

 麻紀や優貴が俺を護るということは、直接的なダメージはなくとも、ほんの少しのダメージを食らってしまうのは確実だろう。




「麻紀。おれな、いつかはここを離れようと思ってるんだ」

「……え?」

 なにを言っているの? と言うように、軽く眼を見開いたまま、ゆっくりと顔を向けた。

「いっしょに……いてくれるんじゃないの?」

「あぁ。だからその時は、お前も……一緒に来てくれるか?」

 見開いていた眼は、ゆっくりと目尻が下がって、すごくうれしそうな顔をしていた。

 ここは麻紀にとって愉快な場所。いつかはかならず返ってくる場所。

 うっすらと閉じた目蓋には、再びここに戻ってきた麻紀の姿が見えた。でも、どうしてもそこには返ってくる自分自身の姿が見当たらなかった。

 でも一人じゃない。それ位はわかった。でも、そこには確実に自分はいないだろう。

 寂しいはずなのに、それが当たり前な気がした。

 ここを離れるのは今すぐというわけには行かないだろう。俺にも麻紀にも学校がある。今は夏休みだけれど、いつかは夏休みも終わってしまい、自由が利かなくなってしまう。

「いきたい……行きたいよ。お兄ちゃんと一緒だったら、どこにだって行ける気がするよ」

「じゃぁ、学校卒業したら行こうか」

「うん。じゃぁそれまでにバイトで旅費稼ごうかなぁ」

「それは俺がするから、麻紀は勉学に励んで?」

「それ、私が馬鹿だって遠回りに言ってる?」

 少しだけ疑うように、プゥッと頬を膨らませた顔が可愛い。

 結構成長したと思う。

 数ヵ月前。優貴を失ってからはそういうふうに、表情を変えることなんて、知らないかのように、無表情。というよりは、寂しそうな顔しかしなかったから。

 話しているうちに表情が変わるなんて進歩したほうだと思う。

「言ってない言ってない」

 うっすらと微笑み、そういい聞かせるように言った。





 一日が過ぎるのは、今では目的がある俺にとって早く感じられた。

 それもこれも、無謀なことをしてしまったからなのかもしれない。でも、そこへ行くという選択を選べれなくなってしまった身からしてみると、「歩く」という選択以外には考えられなかった。

 悔しいほどに、真っ赤に腫れた太陽が東に見えていた。

「あと何キロだろ……」

 気が遠くなってきた気がする。

 と感じられるなら、あと一時間は大丈夫だろう。

 夜更かしが得意なわけではない。

 長距離歩くのが得意なわけではない。

 数メートル前に、「海水浴場まで後15キロメートル」だったか、数字はあやふやだったが、もうすでに何キロも歩いた自分には、億劫にしかならなかった。

 近づいてきたせいか、不思議と海の匂いがしてきた。

 いや、向かっている先が海だから、海の匂いがしてきて喜ぶべきだろうか。


 …海に行ってどうするんだ?


 ―自分の答えを見つけにいく。


 …そこに答えがあるのか?


 ―わからない。なかったらなかっただけど、なにか、行かなければならない気がする。


 …もし答えが見当たらなかったらどうする?


 ―だから……なかったらなかっただ。行ってみないとわからない。やってみないとわからない。

 好奇心って、そういうことだろう?


 …子供じみた思考だと思わないか?


 ―大人になったら、それも必要だ。

 理屈だけをしゃべって、実行に移さないだなんて、かっこわるい。

 子供の思考は、無意味な疑問だって抱くことが出来る。

 無鉄砲な行動が出来る。

 それの何が悪い。



 誰ともしゃべらない日々がつづいてしまい、自問自答で必死に自分が今ここにいるということを実感させる。

 すぐそこに見えているところから質問し、自分に必死に頑張れっと応援させる。

 だれもいってくれないなら、自分で言えばいい。

 最終的に意地だってかまいやしない。

 意地だとしても、目的にたどり着きたい。歩けばつくんだ。

 今までの人生上、そんなこと簡単にわかることが出来た。

 わかっていても、行動に移せないのが現状だが。

「もー足が動かないよぉ」

 足が重くって、ついしゃがんだら腰をあげることが出来なくなってしまった。

 一日中歩いたのと一緒なのだ。少しくらい休んだって罰は当たらないだろう。もし当たるのならば、死んででも神を呪い、祟ってみせる。

「ほんと……何してるんだろう俺……」

 曲げた膝のうえに肘を乗せ、その間に頭を埋めるようにしゃがみこみ、肘をまげて頭を覆った。

 眠気は起き続けたせいか、真夜中よりは消し去っていっている。おかげで精神的には歩いて行けるのだけれど。

「肉体的に……ねぇ」

 しゃがんだ拍子に伸びた筋肉が痛い。

 いかにも「筋肉を異常に使いました」と、身体がヘルプを出しているのが見え見えだ。

「あともう少し……」

 と自分に言い聞かせる。

 でもこの時の俺には、大事なことを忘れていた。

 この長い距離を歩いていくなら、帰りだって……。





 日は東から昇って西に落ちる。

 いまは、真っ赤な太陽が西にいる。

 もうすでに一日が過ぎようとしていた。

 夢を見たあと、何度も考えていた。今日、何かが変わるはずなんだ。と。

 変わってはいけないものというものが必ずある。でも、自然の摂理というのか、変わってしまうことなんてある。

 仕方のないことだろうけれど、人はそれを恨み、呪う。

 例えるならば、数年前に起きた関東大震災。

 だれもが興るだなんて思わなかった事態が、自然現象で起こり、人生を台無しにされる。

 それを恨み呪った人は、少なくったって、一人はいるだろう。十人はいるだろう。

 でも、呪ったところで人生は返してくれない。

 ただ苦痛に耐え、助けを求めるしかない。

 いま、そんなようなことが起きるような気がしてならない。

「寒くなる。何か上着をとってきてあげる」

「ほんと? じゃぁまって……るって、お兄ちゃん!」

 立ち上がり、家に戻ろうとしたところ、ギュッと服を掴まれる。

「なっなに?」

「あれ!」

 振り向くなり、指を差した方向は、車どおり人通りの少ない、すぐそこの道路だ。

 じっと見てみると、かすかだがふらつき、いまにでも倒れるんじゃないのかという、ヒト……をみつけた。

「本当にあれ、ヒトか?」

 ふらふらしていて、ヒト……ではあるだろうが、正常ではない。

 なんだか、断食していて、まともな肉が付いていないような気がする。

 ゆっくりと麻紀と共に砂場におり、道路に向かって恐る恐る足をすすめた。

 ふらりふらりと歩く姿は、すごく惨めで、だらしないように見える。

 近づけば、だんだん本当にヒトなんだなと納得出来るようになってきた。

 年はまだまだ若い。麻紀か俺くらい。もしくは、もう少ししたくらいだろう。背を曲げ、長いとも短いとも言えない前髪が垂れ、きちんとした顔まではわからない。

 身長はきっと、160くらい。悪くてもう少し低いだろうか、というところだ。

 道路につながる、三段くらいの階段を下ってきた。

 オレらが接触するまであと数歩というところで、いきなり前のめりに倒れてきた。

 反射的に受け止めるのではなく、二人して一歩ひく。

 二歩ほど前へ足を出していればぶつかっていたかも。受け止められたかもしれないが、雰囲気が怖くて避けてしまった。

 しかし、下が砂だからといって、受け身をとらなかったらさすがに痛いだろうに、そんなうめき声すら聞こえなかった。

 起き上がるような様子はない。

 このままにしておけば、砂によって窒息死してしまう。

 ゆっくりと肩に手を触れ、グイッと仰向きにさせてやる。

 決して汚い顔というわけではなかった。何かを成し遂げてやったというような、達成感を感じている清々しい顔に見えた。


 きれいな顔だ。


 ふとそう思えることが出来た。

 口に出していたかもしれないが、あまり覚えちゃいなかった。

 そっとその男の子の口元に手を近付けてみる。

 息はしている。心のそこからホッと肩を落とす。

 

 

 

 


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