第3話
息を整えながらも部屋を見回すと、電気は付けっ放しだし、カーテンの向こう側だって、まだまだ真っ暗だ。
時計を見るとまだ深夜の二時。
寝てからそんなに経っていないはずだ。なのにあんなに長く感じる夢は最悪だ。
ぱっちり目が覚めてしまった所為で、二度寝ができる様子もない。
手にもっている携帯が、ピコピコと光っている。
ベッドから降りながらも、杵島か相澤からのメールを開き、部屋を出る。
誰も起きている様子はない。静かなリビングの戸を開け、台所のほうにメールの返信を打ちながらも足を進めた。
何処にどうなっているのか、もう感覚で覚えている手でコップをとり、足で飲み物専用冷蔵庫をあける。
父さんが昔に一人暮らしをしていた頃使っていた小さい冷蔵庫だ。だから俺の家には冷蔵庫が二台もある。
コップにコポコポと牛乳を左手でついでいく。
いつもよりも冷たく感じる牛乳。
でもそれは、異常に熱い左手がそう感じさせている。
いつも返事が早い二人から、なかなか返事は返ってこなかった。時間が時間だから仕方がないのかもしれない。
熱い喉に冷たい牛乳を通すなり、その使ったコップをその辺に放置し、携帯を持ってリビングを後にした。
深夜に外に出るだなんて初めて……いや懐かしいかもしれない。中学のいつだったかの日に、ちょっとだけの好奇心で抜け出したことがあった。
空を見上げると本当に真っ暗で、その中に飲み込まれるかのように濁って見える、ポツポツと広がっているお星さま達。その濁った星は変わらないのだが、あんな星は見たことがなかった。
白く輝くお月さまの近くに、なんの濁りもない真っ赤な満月に似たものが、何気なく月と肩を並べていた。
夢で見た……あの炎に似ていた。
「あの時間に送るのは卑怯だよ」
次の日。
登校中に二人からの苦情。といっても、笑い飛ばすことができるようなことだ。
「ごめんごめん。あの後寝ちゃって、目が覚めたのがあの時間だったもん…ごめんー」
「ったくぅ……いつもならメールでも起きるのに、やっぱりあの時間帯だったからか、目が覚めなかったみたいだよ……朝見たときはびっくりしたぁ」
「メールに?」
「そうそう」
にっこり笑いながらもおれらはのんきに学校へと通っていく。
月のことはいわなかった。なんだかちょっとだけ眠気があったから、そのせいだと感じてもいたから。
「でもあんな時間に起きたら、二度寝なんてできなくないか?」
「うん。できそうもなかったから、外に出て眺めてた」
「はぁ? おまえ風邪引くだろ」
「大丈夫大丈夫」
「病み上がりに近いっていうのに」
渋い顔をしながらも相澤はそう説教してくる。
それと反面するかのように、杵島が少し頬笑みながらも聞いてくる。
「きれいだった?」
「んーどうかなぁ。あんまりってところかな? 空気濁ってる感じだった」
「そっか。なら今度、空気がきれいだろう森でキャンプでもしてみるか?」
「キャンプとか趣味?」
意外なものを見るかのように相澤の目が見開いていた。
「あぁ。詳しいわけじゃねぇけど、自然に少しだけ興味があってな」
初めて知った。杵島にそういう興味があったなんて。今までそういう会話にならなかったからだろうか。
少しだけ知らない部分をしって嬉しく感じてくる。
「じゃぁ今度三人で行こうか」
提案したのは俺だ。
この三人だったら、何の問題もなく過ごせそうな気がする。
やっぱり一緒にいる時期が長いからだろうか。あまり時間などを気にしたくはなかったのだが、気楽に話せる相手と最初は行きたいものだ。
それは俺のわがままだろうか。少しだけ不安になりながらも二人を見上げる。
「そうだな。行こうか」
最初に賛成したのは意外にも相澤のほうだった。
「うん。行こう」
にっこり頬笑む杵島。
ホッと安心しながらも、俺も強くうなずいた。
あれから何度見ても紅い月らしきものは見当たらなかった。
あれはただ寝呆けていただけだ。そう諦めに近い納得を覚え、約束のキャンプだ。
もともと杵島の父さんがキャンプ好きだったからか、ほとんどの準備は、杵島のほうでやってくれていた。
場所取りとかがある場所らしく、より山に近く、より施設がきれいな場所を選んでくれたらしい。保護者としてご一緒してくれるらしく、本当に任せっきりとなってしまった。
二泊三日という、キャンプが初めての人にとってはつらいかもしれない日程だ。
一日目で楽しければいいのだが、一日目が最悪だと、三日間はつらいらしい。
「いい天気ですね!山のほうは天気の変化が激しいっていいますけど、何だか今日は大丈夫みたいですね!」
まだついてはいないのだが、もう少しだといわれ、ついつい窓から顔を出してしまう。
きっと一番はしゃいでるのは俺だと思う。
何ともいえないけれど、すごく胸のどこかがざわざわしている。
今の俺には、そのざわめきは良い方向にしか感じられなかった。
つくなり早々荷物下ろしだ。
それがなんとか落ち着くなり、力一杯腕に力をいれ、その腕をのばして体を反らして力一杯のびをした。
新鮮な冷ための空気が口に入り、すぐに喉に通っては肺一杯に入り、一気に吐き出す。
「新鮮ってこういうことなんだな」
隣でも伸びをしている相澤にいう。
来慣れているだろう杵島は、そんなこともせず、のんびりテントの中で荷物の整理をしては、虫除けスプレーを取出し、テントから出てきた。
伸びをし、ボーッとしているおれらに、力一杯遠慮なく全身にスプレーを放射した。
「ばっ! ゲホッゲホッ」
不意にスプレーをかけるなんて、肺にスプレーの粉が入っていってしまう。
体をまるめ、新鮮な空気捜し求めるようにしゃがみこんだ。
「こんのやろぉ〜……」
怒りを見せたのは相澤の方だった。
一緒にしゃがみこんだ相澤は、一瞬にして立ち上がり杵島の胸元を掴みあげ、ギャーギャーと怒鳴り付ける。
早口でうまく聞き取ることは俺にはできなかったが、杵島はきちんと聞き取れているらしく、きちんと言い返している様子だった。それすらも聞き取れない。
「元気だなぁ〜」
隣に顔を出してきたのは、杵島の父さんだった。
「まだまだ若者ですから」
なんとなく、あんなに楽しそうな杵島と相澤を見れるのは、後もう少ししかないような気がして、胸のどこかが冷たく、苦しい気分になる。
この二人を残しておきたく、携帯を取り出しカメラモードにし、テントを背景に写真を撮った。
カシャッとなったその音を合図かのように二人は固まり、ゆっくりと俺の方に振り向いた。
もうすでにその時には、自動保存設定でSDに保存されていた。
消してやろうと思ったのか、二人して俺の方に手を延ばしてきた。
「なぎさぁ〜!」
「なに撮ってやがる!」
「えぇ〜いいじゃんかぁ! 記念だ記念!」
「何の記念だバカもの!」
「いいじゃぁん!」
携帯を撮ってやろうとのびてくる二人の手が、どうしてかすごく焦っていておもしろい。
そんなに二人戯れているところを見られたくなかったのだろうか。でも、こんな二人は可愛くてからかいがいがあるのだ。
ハッハッハッと笑っている杵島の父さんが横目に見える。うれしくて、にっこり笑顔を向けてみる。
「沚ぁ」
「ハハッ取れるもんだったら取ってみや……あっ」
グイッと後ろに体重をかけたとき、踵の方に少しでかめの石があり、それに少々乗ってしまい体勢を崩す。
「おぃ」
「ばかっ」
二人して俺を支えようと手をのばすが、完璧に俺の体重は倒れる方向にむいている。もし俺を捕まえられたとしても、杵島達も巻き添えを食らう。
ガシッと二の腕辺りの服を掴み、自分達の方に腕を引っ張るが、思った通り足に力が入っていない俺を起こすのは無理で、杵島達までもが倒れこんだ。
二人の体重がかかるのはそれなりにつらいが、そんなことよりも、今のこの状態が楽しくて、ついつい笑ってしまう。
「あっははははは……巻き添え巻き添え!」
「てめっ……わざとかよ」
「助けようとしたおれらがバカだった」
ゆっくりと体を起こしながらも、呆れるような口調で言ってくる。
「おい杵島……何で複数形なんだ? バカはおまえ一人で十分だ」
「あぁ? せぇっかくおまえだけじゃないっていうのを示してやったのに、なんだ? その言い草は! 本当は、バカはおまえだけで十分だ」
「あんだとぉ!? てめぇ調子に乗るのも大概にしろよ?」
再び相澤は杵島の胸倉を掴み上げ、杵島も相澤の胸倉を掴む。
「はいはいはいはい!」
パンパンッと手をたたき、二人の行動を止めたのは、近くで見守っていた杵島の父さんだった。
「喧嘩も良いけど、ちゃっちゃっとご飯作っちゃおうねぇ〜。二人だけご飯抜きを食らいたいかな?」
『それだけは勘弁してください』
二人して手を離し、ぺこりと頭を下げる。
二人に気付かれないようにくすっと笑い、杵島の父さんに三人でついていった。
男だけで作る料理はかなり大雑把で、キャンプといえばカレーを作った。その芋はもうボコボコででかく、まさに男の料理という感じだった。
食べているときも、ちょっとしたことで喧嘩する杵島と相澤に、杵島父さんと笑いながらも、観覧する。
すごく楽しい。楽しいけれど、俺の頭には、あの見たこともなく、怪しい男の言葉が脳裏を過りつづける。
守れるか……大事な人を。
それは一体どういう意味なのだろうか。
「元気だなぁ」
「仲良い証拠ですよ?」
「だな……おれにもこんな時代があったさ」
懐かしいような口調でそんなことをいうものだから、どういう意味なのか、どうしてそんなことを話したのか。
時代。
どうして時代というのは変わっていってしまうのだろうか。同じ時代というのはないのだろうか。何の問題も起きない時代というのは、現われることはないのだろうか。
こう考えるようになったのは、全てあの怪しいおじさん。いや、怪しいお兄さんの言葉が気になって仕方がないからだ。
不吉な予感。
きっと、感じる人は不安に感じてくるのだろう。
「夜といえば天体観測だろ」
夜になり、おれらはテントに戻った。
「さすが相澤、キャンプの夜の心得を知ってるな」
にやりと微笑み、めずらしく相澤を誉める杵島。
「まだまだ序の口よ」
「序の口の意味を知ってのことか?」
「ばぁか。しらねぇで使ったんだよ。まだまだ始まったばかりみたいな意味だろう?」
適当な奴だなぁと杵島がいい、そこに相澤が言い返し、喧嘩になる。いつものことだ。
また喧嘩をするのかと呆れるように杵島父。少しだけ気持ちは解りますよと苦笑する俺。
ワイワイガヤガヤと言うのはこういうことだろう。
「こぉら。そこで喧嘩してるお子さま達よ、さっさとこないと置いていくぞー」
さっさと観測する準備をして、テントから出ようとした。
二人の口喧嘩は止まり、できるだけ暖かい格好に急いで着替えた。
「あいつらを扱うコツがわかってきたぞ」
楽しそうに言う杵島父に、くすっと笑い、上手いですねとほほえんだ。