第29話
あのままでいたら風邪を引くんじゃないかという予想はしていたが、本当に風邪をこじらすという面倒な状態になった。
しかも、一番ひどいはずの悠樹はピンピンしている。
風邪を引いたのは、俺。
しかも、着替えとして、パーカーと短パンを持ってきていた悠樹は、それに着替え、いったん俺を置いてバスで駅の方まで行き、二人分の服を調達してきて、それに着替えた。
どこまで所持金があるんだか。
「ごめん歩……」
「ばぁか。おまえのせいじゃねぇよ」
もうそろそろ一日がおわりそうな夕日。
砂浜で体を温める。
潮風が冷たく、すぐに冷える俺の体を思い、悠樹は口を開く。
「向こう戻ってホテル探そうか」
「でも金」
「あるから」
「でも……いや、悠樹行ってなよ。もう少し海見てるわ」
「でもこの熱で」
そう。くしゃみや咳がでることもなく、ただ高熱だろう状態。
体温計できちんと測ったわけではないが、悠樹が手を額に当てるかぎり、高熱があるらしい。
「すぐ治る」
「だったらなおしてからまたこよう? ね?」
そう宥めようとする悠樹。その奥から、女性の姿が見えた。
足はこちらにむかい、不審者をみるように、伺わしい目で見られている。
「悠樹……人がいる」
「え!? だめぇ! 歩をつれていかないでぇ」
「はぃ? どんな状態だよ。後ろ!」
誰かが迎えに来たとでも思ったのだろうか、しがみつく悠樹を離しそういうと、首を傾げながら後ろを振り向く。
女性も気付いたことに気付いたのか、少しだけ困ったようだった。
足を進め、近づいてきたと思えば、口を開いてくる。
「ここで何を?」
年齢はすでに、四十をすぎているようだった。化粧のおかげか、遠くから見ればもう少しだけ若めに見えた。
「あ、歩が……熱を出しちゃって……」
「熱を……君たちはどこのこ? ここらの子じゃないわね」
「ちょっと遠くから来てて……」
「泊まるところは?」
「……まだ」
この、悠樹と女性の会話を聞きながらも、内心はらはらドキドキ状態だ。
家出のことをいうんじゃないかと。
「親は? 保護者の方は知っているの?」
「あ……」
意外と素直な奴らしい。
嘘でも、知っていると答えておけば、怪しまれないでうまく事を運べたかもしれないのに。
「知らないのね。私の息子と娘もね……行方不明なんだよ。だから、その部屋でよければ貸してやれる。おいで」
「あ……ありがとうございます」
「私も仕事で飛び回ってたから、子供が行方不明になったのも、家出だと思うの」
隣の部屋から聞こえる声。
女性と悠樹が話をしているのだ。
熱を測ってみれば、三十八度少し。すぐにベッドにつれていかれ、暖かくしていなさいと。
この部屋に入ったとき、一番に目に入ったのは、一度力強く丸めたような名残がある、古い雑誌。だれかがこれで叩かれたのだろうかという想像をする。
「息子さんたち、何才くらいなんですか?」
「17才かなぁ」
(……沚と同じくらい……?)
聞こえてきた声に反応し、少しだけ考えてしまう。
学校はどうしているのかや、どうして家出をしたのか。どうして二人ともいなくなったのか。もしかすると、渉のように……?
何かがわかるかもしれないと、ベッドから出て部屋の中を歩き回る。
机の上には、小さな女の子と、そのサイドに立つ男の子二人。
その女の子には、どことなく見覚えのある人の面影があった。
裏を捲るように見てみると、下の方に立っている順番か、男の子らしい名前から女の子、男の子。という順番に並んでいた。
左から、昌之、麻紀、優貴。
(……麻紀)
聞き覚えどころか、見覚え……いや、会った。
ここにくるまでは一緒に行動していたようなものだ。
しかし、麻紀という名前は他にもいるかもしれない。そう思ったが、その隣の『優貴』という名前、兄の親友であり、好きであった人の名前。
ということは、片方は最愛の兄なのだろう。
少し考え、その写真が入るように携帯で写真を撮った。
優貴はいなくなったといった。兄もいなくなったといった。ということは、この写真のなかの生存者は一人。
『あの母親も可愛そうなもんだ』
(え?)
聞こえてきたのは、渉の声にそっくりなシャベットの声。今まで静かだったのが、今になって不思議に感じる。
『一人は血の繋がりがないにしろ、三人とも姿を消した。優貴の方は知らないが、昌之ってやつはこの世にはいないことを知らされてはいない。ただの行方不明なだけだ。なのに、麻紀までも近くにいないのなら、何のために仕事をしていけばいいのかも、支えもない。生死も知らずに、捜査届けもだしていないだろう』
(出してないなんてわかるのか?)
『なんとなく』
(根拠なしか……でも、麻紀は何でこっちに来たんだろう)
『沚がいるからだろう』
(……そっか)
もし捜査届けを出していないにしたとして、どうしてか。
心配をしていないのか、何か、帰ってきてくれるという確信があったのか。今の状態で考えられるのはそこまで。熱のせいか、頭が働いてくれない。
再びベッドに潜り込み、耳を澄ます。
もう会話は止まってしまったのか、シーンと静まってしまっていた。
足音も、物音もせず、逆に不安感をよぎらせる。そのせいか、自分に高熱があることを、直に知らせるかのように体全体が重み掛かった気がした。
熱が出たのは何年ぶりだろうか。
少なくとも渉がいなくなってからは、熱があるという実感はしない。
感じていられるほど身体的にも精神的にも、余裕がなかった。今になって熱をだしてしまうということは、どこかに余裕を見つけているということなのか。
不意に携帯の存在を思い出す。
濡れるつもりではなかったから、着替えたときにべちゃべちゃになっていて、使えそうもないと、タオルで拭き、放置している。眠れないことをいいことに、再び布団からでて携帯を開く。
元々、電源を切っていたから、確実に使えないとは言い難い。
ゆっくりとパワーボタンを長押しする。
ボタン側がオレンジに光り、ゆっくりとウェイクアップ画面が開くのが通常だが、やはり壊れたのか、画面は真っ暗なままだった。でも、すんなり受け入れることができたのか、急激な睡魔に襲われ、ベッドにそのまま伏せてしまった。
「ど………て………………あ………」
遠くから微かに声が聞こえる。
耳障りがよくって、ついつい二度目の違う夢を見てしまいそうな気がして、でもそれも悪くないかななんて。
よく耳を澄ましてみると、その声は悠樹の声だとわかる。
「……わかったよ」
何が分かったのだろう。
バタンと、遠くの方から玄関の扉が閉まる音がした。
そしてまた、睡魔に襲われ、眠ってしまう。
今起きなかったのが、幸運のか不幸だったのか。
次に目が覚めると、昨日の女性が迎えてくれた。
「あ、おはようございます」
「はいおはよう」
「すみません、少しゆっくりしすぎちゃいましたか?」
「気にするな。おまえは病人、私は拾い人。最後まで世話をするのが当たり前……なんだけどね」
力強く言った割に、語尾は弱々しく、何かがポカンと開いてしまったかのような、素朴感。
首を傾げながらも尋ねてみる。
「何かあったんですか?」
「んー……あんたの相方がね、早朝に迎えが来てさ」
「え……」
(悠樹に迎えが? どうして……)
「まぁ、それまではよかったんだけど、少し揉めちゃってね、どうしてここにいるのがわかったんだって。まだ、歩がいるから待ってくれって言ってたんだけど、向こうは聞いてくれなくって、なんだか歩くんのことも知らないみたいだったし」
「あ……知らないと思います」
「え? 友達でしょ?」
「でも、親とはあったことないですし、実はあったのも家出するときで……っていうか、家出中の悠樹と会ったというか……」
「つまり、面識があまりないって事?」
「言ってしまえば……」
「そう。にしては仲良さそうだったけど……って、そうじゃなくって、熱は?」
いいながら手を額に当ててきた。少しひんやりするその手は、俺の左腕にも似ていた。
「大丈夫そうね。それで、あなたにって、お金を渡されたのだけれど」
手渡された茶封筒は、妙に厚く、硬かった。封は閉じられておらず、何が出てくるのかが不安になる。
お金というのだから、他のなにものでもないのだろうが、なんだろうかこの厚みは。千円札がいくら入っているのか、想像しただけで気がとおくなる。
そっと中を確認するため、束のまま少し顔を出させると、想像よりもゼロの数が一つ多かった。
「万札かよ!」
余計に何かの重みがかかった気がした。
こんな大金、手にしたことがない。少なくとも、二十枚は確実にあるといえるが、それだけでもすごい。考えてみれば、場所を突き止め、迎えにきてもらえるというのだから、相当な坊っちゃんなのかもしれない。
しかし、心配を掛けたかったといっていたが、こんなにも早く迎えにきてくれたということは、相当心配されたのだろう。誰に心配されたかったのかは知らないが。
でも、元々心配性らしいし、こんなことをしなくても、分かっていたのではないか。
逃げたいとも解放されたいとも言っていたが、矛盾していることに今頃気が付く。
「変な奴」
「お金くれることが?」
「あ、いや。なんていうか、矛盾している奴だったなと」
「友達なんでしょ? いらないなら、地元帰ったときでも返してやったら?」
「言ったじゃないですか。家出中の悠樹に会ったんで、学校とか、近所の人とかじゃないんすよ」
「ふぅん。あなたのほうがよっぽど変な奴……だよ」
「え?」
「あまり悠樹の話も信じてなかったけど、あなたの話を聞くところ本当らしいわね。あなた、悠樹の家出に付き合ってあげてるんでしょ?」
「え?」
「道に迷って、助けられてそのままつれてきちゃったって」
「ちがっそれ、なんかちがう」
悠樹が言ったことは間違えないのだろうが、そのままでは、悠樹がすべて悪いかのような言い方でないのだろうか。
どちらが悪いというわけでもないという事を証明するため、出会いからあったことまで、だいたいの話をした。
すると、少し首を傾げたときもあったが、ある程度納得するように首を縦に振った。
「なるほどね。要は二人とも、誰かに心配してほしくてたまらないのね」
「って事になるんですかね」
「あの子達もそうだったのかな」
「え?」
「私の娘たち」
「あぁ」
「“あぁ”?」
「え?」
「いや、知ってるの?」
「ごめんなさい。昨日寝てたら聞こえちゃって」
「あ、隣で話してたものね。聞こえて当たり前よね」
なんて薄ら微笑むけれど、相当心配したのだろう。
心配しながらも、帰ってくると信じて待っているのか、もう、帰ってこないと思っているのだろうか。
ベッドからようやくおり、机の上にある写真を手にする。
「この人ですよね」
「えぇ。一人は近くの子で昌之……息子の親友なんだけど、その子も行方不明。それは何年前だったかしらね……優貴っていうの。あなたの相方と同じ名前ね」
「相方……」
「少しの間でも人生をともにしていれば、相方。でしょ?」
「ですね」
「娘は麻紀。いっつもお兄ちゃんについて回って、仲のいい兄弟だったわ」
「羨ましいです。きっと麻紀さんは、目的があってここを離れたんだと思います」
「だといいわ。でも何で娘のみ?」
「……」