第26話
「悠樹……ご飯を」
「祐介、俺は悠汰だし、パンがいい」
パン以外食べる様子のない悠汰に、祐介という男は大きくため息を吐く。
『悠汰! わがまま言うな! そんなにご飯が食べたくないんなら、俺に変えれ!』
「うるさいよ悠樹。今は俺なの。あとでちゃんとお前の時間もあげるから、ちょっとくらい良いだろう?」
祐介には見えない俺に文句たれる。
肉体は俺。でも、精神は悠汰。
違うのは性格だけで、姿形は同じ。
二重人格という種類ではないとは思う。ただ、肉体を使っていないものは、肉体から離れることも可能。
霊体みたいだけれど、俺は肉体から離れはしない。悠汰が何をするかもわからない。
(前はこんなんじゃなかったんだけどな)
前はもっと、お互い今を楽しんだり、助け合ったりしていた。
それに、悠汰が俺の体を扱うことなんて、出来やしなかった。
霊体になっても、ある程度物などに触れていることができる。
前といっても、一時悠汰は俺のもとから姿を消した。
しかし、世界が何か動いたとき、再び悠汰は現れた。
それからだ。
前とは違う、何かが起こりはじめていると実感したのは。
悠汰はそれを逃げられないことだといった。
悠汰を抑え、強制的に俺に戻すことは簡単だ。でもそれをしないのは、ただでさえ不自由な悠汰を、縛り付ける勇気がなかった。
「じゃぁ行ってきます。祐介も着いてこなくていいよ。前みたいに襲われる事はないし、襲う奴も居ないだろうしね」
「しかし……」
「平気。祐介も、少しは自由にしてろよ。俺だって、たまには一人になりたい」
「……わかりました。お気を付けて」
祐介と悠汰を残して俺は外に出た。
新鮮な空気と、新鮮な風。
いつも屋内に籠もってしまうから、なかなかこのような環境に触れない。
それに、隣には守るかのように、祐介や護衛がいる。
そんな堅苦しいところ、外にいようが中にいようが、押しつぶされそうな感じがした。
俺は、信頼していた人たちの寿命や病気で亡くなる様を見てきた。
佑介は、信頼していた人たちの一人、祐司という人の息子の息子だった。
今はもう23歳で、俺と祐司が出会ったきっかけも、その時起きた事件も知っている。
あれからもう、50年は過ぎた。いや、それ以上経っている。なのに俺だけは、祐司という男と出会った時、いや、人生が変わる瞬間の、悠汰と初めて出会った時から、年齢も老け具合も変わらない。
変わらなくなってしまった。
「……来る……また、新しい魂が……」
体の全身が、目に見えない何者かの魂が近寄ってくるのがわかる。
ただの魂ではない、力持つものの魂が。
「あぁ、君か……君が……」
俺の頬は、涙を流すためだけにあるのだろうか……。
「そう……」
「なぁ、俺たちは何をすれば良いんだと思う?」
「何も」
「え?」
「何もしなければいい。きっと今のおれらは、ボスっていう男に適う気がしない。だったら、こっちからアクション起こしても、ただ死にに行くだけさ」
「まぁ、そうだな」
「だから何もしない。向こうから来るのを、鍛えながら待っていれば良いんだよ」
託された伝言を、杵島はすべて話してくれた。
もう、相澤は居ないこと。
いつかはこうなることがわかっていた。
だから、泣かない。
今泣いたって何も始まらない。
(泣くのは、すべてがおわってからだ……)
泣いてしまいそうに、目頭が熱く熱を持つ。
俺は麻紀に呼ばれて、沚の家に向かっている。
沚の家はここから少し距離があり、そこまで行くには、渉がいるお墓通りを横切り、この前の火事現場の近くを通る。
右に行けば、杵島という男の家があり、もう少し行って、左に曲がれば沚の家。
杵島の家からもっと奥に行き、国道を渡り、渉とよく行った山の方に行けば、相澤の家がある。
こんな遠いところに、麻紀は歩いてきたのだろうか。
「歩くん、声、聞こえた?」
「こえ?」
「えぇ。忠告するような声」
「聞こえた……かも。麻紀が来る本当に少し前」
「そう……なら、時間差があるのね」
「え?」
「沚の家にいるときに、沚が何かが聞こえたって。忠告するような声が。いやな予感がするから、考え込むついでに、歩くことにして、そしたら沚からメールが来て、歩くんをつれてきてって。だから、歩いてきたんだけど、その時に声が聞こえて」
「じゃぁみんなが?」
「多分」
「声の主って誰なんだろう……」
「聞き覚えがない声だった?」
「いや、大事な人の声……」
「そう……私も、大切だった人の声だったの。少し話していいかしら?」
「どうぞ」
沚の家に向かいながら、麻紀は昔を振り替えるように、リズミカルに過去を話した。
兄がいたこと。
兄に親友がいたこと。
いなくなったこと。
沚と会ったこと。
沚と有ったこと。
帰ったこと。
力のことや、最愛の兄がいなくなったこと。
麻紀が聞いた声は、その最愛の兄の親友であり、好きだった優貴の声だった。
沚には、麻紀の最愛の兄の声だったらしい。
「だから、私のもう一人の兄的存在は、沚……だったのよ」
「ふぅん」
「あなたにそういう存在は?」
「え?」
「頼れる人や助けてくれる人。力の発現力になった人」
「……誰だろうな。もう、そういう人はいない。かな」
「もう?」
「俺の家に来たとき、何か違和感がなかったか?」
「違和感……?」
麻紀は、来たときのことを思い出すかのように、少しだけ顔を上げて視線を高くした。
考えるとき、上を向く人なんだ。そう観察しながらも、思い出すのを待つように、周りを見回しながらも歩く。
「お母さん……かな? 違和感っていうのかわからないけど、誰かを待っているような気がした」
「俺の大事な人をね。いや、家宝を待っているんだよ」
「聞こえた大事な人?」
「うん。失ったものは、戻ってくるわけないのにね。代わりなんて、あっていいわけがない」
渉は家の宝だった。
家族の愛すべき宝だった。
子供心でも、嫉妬心もでなかった。
家族や親戚内で、渉だけが愛でられるのも納得ができていたから。
自分だけが愛されない。そんな気持ちになんてならなかった。
今思えば、憎めればよかったのかもしれない。でも、俺も渉を頼った。
愛でられる理由がわかるから、俺も愛した。誰よりも、渉を信用した。渉しか、信用できなかった。
どちらが兄で、どちらが弟かは区別されなかった。でも、内輪では、渉を神といった。
それを失った今、家族内も親戚内でも、変化が少しずつ起きている。
もともと仲が悪かった親戚同士争い、憎しみ、分裂した。
もう、それを止める渉的存在が居なくなったから。
「どういう人だったの?」
「俺にとって、唯一信頼できる相方だった」
「その人は今……?」
「殺しちゃったんだ……俺が」
沚の話は、相澤を失ったということだ。
証を持たないものは、長くは生きられない。渉のように、誰かの犠牲に。何かの犠牲によって消えてしまう。
伝えたのは、退院した杵島の口から。
二人とも、いつかこうなることはわかっていただろう。そんな表情をしている。ついにこの時がきたかと。
ドヨンとした空気に耐えきれなくなり、散歩してくると外にでた。
外は中とはちがく、明るく晴天だった。
(あっつい……)
麻紀と話ながら歩いているときはこんなに暑いとは感じなかったが、沚が熱を放出したかのように、蒸し暑さを感じる。
そっと冷えた左腕に手を当て、暑さを自分の体でしのぐ。
親友だろう人を失い、沚も杵島もこれからどうするのだろう。
あの忠告は、どういう意味なのだろう。
いやな予感はするのに、その基を探すことができない。
どうしてこの力を得たのか、何をすべきなのか。
「わっ」
「えっ」
いきなり驚いた声とともに、身体がぶつかり合う。
つい転んでしまった自分の身体を起こしながら、ぶつかってしまった相手を探すと、同じように後ろに転んでしまっていた。
「ごめんなさい。つい考え事をしてて」
手を差し伸べ、つかませるとグイッと身体を起こしてやる。
謝ると、少しほほえみいいよという。
「俺もちょっと考え事してたしお互い様。怪我とかなかった?」
「あぁ。そっちは?」
「平気平気! 俺強いから」
なんて楽しむように笑うその姿は、俺より身長はあり、裏もなさそうに微笑む表情は、見た目よりも大人という印象を持たせる。
見た目は高校生くらい。身長は、杵島という人や相澤ほどはないが、沚よりはある。いや、沚くらい。
「ねぇ、君ここらへんの子?」
「……? 一応」
道にでも迷ったのだろうか。
キャロキョロ周りを見回しているその姿は、新しい土地に来て方向感覚がつかめていない、何かの好奇心に満ちついる様子だ。
「半分家出みたいに出てきて、適当に歩いてきちゃったから迷っちゃった」
「家出って……」
「たまにあるだろう? 親から逃げたくなることとか、反射的に逃げてみたいっていう気持ち」
好奇心か。
楽しそうな表情でそんなことを言われても、深刻性は感じられないし、冗談にしか聞こえない。でも、きっと家出をしてきた理由はきちんとあるのだろう。
親から逃げたい。
反射的に逃げたい。
この人は同じ事しか言わなかった。
必死にと言うわけでもないが、何かから逃れようとしている。
「あるな。俺も、逃げたい……」
親から、すべてから。逃げてしまいたい。
渉がいるべきあの家にいるのはもういやだ。そう思っていても、家出をするという選択肢は今まで持たなかった。
「……じゃぁ一緒に逃げようか」
一瞬俺の表情を読み取るようにしたあと、にやりと口元を上げ、楽しそうな顔をする。
「どこに?」
「なぁにいってんだよ。家出に行き先を決めるな。行き当たりばったりだからこそ家出になるんだ」
「迷ったとかいった人が」
ついつい楽しくて、クスッと微笑むと、うれしそうに笑顔になった。
「名前は? 俺は悠樹。朝倉悠樹」
「乃木坂歩」
「歩かぁいい名前だね」
「そうか? 悠樹もいい名前だ」
「ありがと。じゃぁ行こうよ」
「ちょっとまって」
一応、麻紀たちに家に帰るといっておけば、帰ってこないことを疑問には思わないだろう。
急ぎの用が出来たから、帰るね。そうメールを送ると、悠樹に向き直る。
「さっきまで、知り合いのところにいたんだ。家に帰るってメールしておいた。あの人たちに心配はかけられないから」
「家出は、心配かけさせるものなのに」
くすくす笑うと、駅の方へと足をすすめていく。
遅れを取らないように、急いでついていく。
知らない人に着いていってはいけないといわれてはいたが、この年になって、いい人か悪い人かを見分けられないわけではない。
だから着いていく。
それで何かを得られる気がしたから。
学校は、サボることになるが、行かなければいけないという使命感が強いわけではないから、気にせずサボる。
「俺が家出しようと思ったのはさ、家にいっつもついて回るような人がいるんだよ。家をでるにしても着いてきて、心配性。そいつを少しは自由にしてやりたくて、逃げてきた。っていっても、俺が自由になりたかったんだけど」
「……その人に心配してほしいんだ?」
「あぁ。歩は? 逃げたいの?」
「あの人が、“俺”を心配するかどうか」
「あの人?」
「親。さっきまで一緒にいた知り合いには心配されたくないかな」
「複雑そうだな。さぁ、見つからないうちに行こうよ」
「あ? あぁ」
複雑なんかじゃない。
ただ、母が精神的病気になっているようなものだ。
きっと、あの人は心配しない。むしろ、いなくなったことで、自分には子供自体いなかったんだ。今までのは夢だったんだと、勝手に納得しようとする。もしくは、歩という俺の存在のみを消すかもしれない。
渉という子供は、小さい頃に亡くなった。と。