第25話 振り向けばスタート地点
結局、二人が眠りについたのは三時を過ぎていた。
明日は休みだから遅くまで寝られていても問題はないが、この先二人はどうするのだろう。
沚って方は、家に帰れるだろうけれど、麻紀の方はどうなのだろう。聞けば、遠くの方から来ているらしく、こちらに通うには大変だろう。
なかなか寝付けずに、俺はサイドテーブルにある渉と俺の写真をとった。
急いで伏せさせたため、無造作におかれていた。
俺は渉の肩に腕を回して、できるだけ自分に密着するように押し付け、空いた手でカメラに向かってピースを向ける。
渉は控えめにほほえみ、俺の居ないほうの手でピースを見せ、軽く首を俺の方に傾ける。
きっと気付いていたのは俺だけだと思うが、渉は控えめにもピースをしていない、俺側の腕をそっと腰に回していた。
渉といるときだけ大胆になる俺は、あまり他の人がいるところで渉にむやみに触れなかった。
手をつないだり、少しくっついたりしてはいたが、肩に腕を回すことなどそうなかったが、意外にも渉は俺とくっついているのを好んでいた。
(お互い意外と甘えん坊……だったんだよな)
『仲がいいな』
(うらやましい?)
『何が』
(仲がいいの)
『別に? いいことなんじゃないのか』
(そう……だね。うん)
「じゃぁ、お見舞いいってくる」
「あぁ」
お見舞い。
相澤と杵島という男のお見舞いだ。
二人はまだ相澤がついていたボスとご対面はしないものの、準備ができしだい会うつもりで いるのだろう。
その頃俺はどうしているか、沚たちとはどんな関係にいるか。
敵か……味方か……。
二人のいない家で一人、ボーッとそんなことを考えていた。
病院に着くと、杵島と相澤は、二日たった今日で元気を取り戻していた。
医者に話を聞いてみても、回復は思った以上に速く、早めに退院できるらしい。
「沚」
「よっ、二人とも元気そうじゃん」
「まぁな、俺だし」
杵島は何かと楽しそうだが、俺を見た相澤は、少し苦しそうな瞳をしていた。
「どうした相澤。傷、痛むのか?」
「いや、平気だけど……沚、俺……おまえにも、ひどいことしたし。なんつうか」
「気にすんなよ。確かに心のどこかじゃ裏切られたとも思ったけど、信じてたから」
「あぁ」
「でも、相澤いまじゃもう向こう側を裏切ったことになるんだろう? 麻紀から聞いた」
「あぁ。元からあっちを裏切るつもりでいたからな。俺の命もそうないことくらいしってるし、死ぬくらいだったら、あっちに尽くしたところで時間の無駄だしな。だから、この命がこの世に残ってるうちに、何でも聞けよ。わかること、全部話す」
「わかった」
端に積み重ねてあったみどりの丸椅子を二つとり、並べて置く。
枕に近いほうに俺が座り、隣に麻紀が座った。
(この世から命が……か)
「どうして、あの牢屋に杵島を入れた」
「あそこに並ばれるのは、おまえらのように証を持つ者だ。沚を逃がしたのは、やり方が気に入らなかったから。ボスは、証を集めて自分の物にしたいんだ。この世界を滅ぼし、裁いた地球が、体内に証をばらまいたのを後悔させてやるって」
「証が集まると、膨大な力を得る……? でも、俺たちが抵抗したらどうするんだ? 力を集めるっていったって、どうやって」
「ボスの力は、証のなかの心臓なんだ。そうだな……神の肉体というべきか。ボスを中心に、証はバラバラになった」
「心臓……」
「ボスの名前は悠汰といわれている」
「悠汰……」
「でも、何かがおかしいときがある」
「おかしい?」
「俺、水で盗聴することもできるし。ボスは俺の力を奪ってお互い水で会話するんだけど、たまに何かと戦ってるんだ。苦しんでいるっていうか」
「そんなことまでできるのか……」
「そのボスって人の近くには、誰かいないのか?」
聞いていた杵島が横から聞いてくる。
「たまにいるけど、話してきたりはしない」
「そうか」
「顔は? 見たことあるの?」
「いや、キングサイズのベッドが入るくらいの余裕がある大きさで、白い布が囲まれてるんだ。それがある場所自体薄暗いし、気味が悪い。声だって、変声機を使ってるようだしな」
「そうか」
「場所を教えたいのは山々だけど、行ったことがあるのは一回くらいで、何度か移動してるらしいから、今の居場所まではわからないんだ」
「そっか。わからないんだったら仕方がないさ。無理にとは言わないし」
「すまない」
「じゃぁ、今日はこの辺で帰るよ」
ガタッと椅子をずらし、立ち上がると、杵島が待ってと制止させる。
「どうした?」
「今日来てない、もう一人の男の子」
「歩くん?」
「今度はその子もくるか?」
「どうだろう。相澤に会いにくいって言ってこなかったから」
「会いにくいって?」
「相澤を攻撃したのは俺だからって」
「だったら、俺は気にしてないから来てくれって言っておいてくれ」
相澤は、まったく気にしていないというように、うっすらほほえんでいた。
「直接礼が言いたい。もしこれないっていうなら、退院後に行くけどな。もともと、どこか負傷してたわけでもない。ま、相澤はもろ攻撃食らってたけどな」
「うるへー」
楽しげに笑い合うその姿は、俺が望んでいた平和だった。
バカなことを言い合って笑い飛ばす。
そんな一日が続けばいい。
続くのならば。
家に帰ると、母も帰っていた。
ちょうどいいと、麻紀を家にしばらく置いてほしいと言い、了承をもらって空き部屋を掃除した。
客用布団を取り出し、隅の方にまとめ、中心で向き合うように話す。
「学校どうしてるんだ?」
「退学。お兄ちゃんがいなくなったことで、お母さんたちも現状呑み込めなくって、そのうちに逃げるように出てきちゃった」
「きちゃったって……そんな簡単に……」
「うん。でもね? お兄ちゃん、自分がもうすぐ消えること薄々気付いてたんだと思う」
「……気付いてた?」
「お母さんたちは、いなくなったっていうの、家出とか行方不明とかだと思ってるから」
「行方不明!?」
「ほら、死体が残らないから。死んだっていうのもよくわかんないことになるから、行方不明になったって。しかも、運悪くお兄ちゃんが食われてから一週間もしないで母さん帰ってきたからさ」
「そっか……」
「手紙がさ、見つかったんだよね」
「手紙?」
「これ」
ゴソッと、持ってきた手提げバックから、白いお手紙風封筒が出てきた。
手渡されるなり、もう封をとられたところから手紙を取り出す。
『こんにちは。いや、こんばんは。かな? おはようかもしれないな。
こういう手紙、一回で良いから書いてみたいって思ったのは間違いかな?
きっと、この手紙を読んでいるってことは、俺はきっと姿を消したってことだろう? 麻紀。
本当は、おまえを残してはいきたくなかった。こんなしょうもない兄貴でごめんな。
でも、俺はおまえを残すことに、あんま未練はないんだ。全然ないってわけじゃないんだけどな。
だって、俺が信用する奴がいる。
この手紙を見たら、できるだけはやく、あいつのもとに行け。
麻紀なら、あいつが誰だかはわかるな?
よく、あいつの話で盛り上がったし、変なことも言い合った。あいつは本当に話のネタにしやすかったけど、その分、良い奴だ。良い奴過ぎて損してなきゃ良いんだけど。
最後になったというべきか、もしこの手紙を読んだら、麻紀はできるだけはやくあいつのところにいくんだ。
わかんねぇけど。助けたのは俺たちの方のはずなんだけど、あいつには助けられた気がしたんだ。
だから、悪いけど、俺に代わって、あいつを助けてやってほしい。
また、次の世で会おうな。
兄貴より』
他には何も入っておらず、その手紙を封筒のなかに戻した。
「あいつって、俺?」
「えぇ」
「……結局、二人には助けられてばかりなんだけどなぁ」
なんて苦笑してしまう。
「そうでもない。お兄ちゃんがあんなに人のこと楽しそうに話す姿なんて、そう見れるものでもなかったから」
「そうなんだ」
「はぁあ、結局早めに裏切ったわねぇ」
椅子に座り、脚を組んで、ちょっとばかし頬を手で優しく撫でるようなかたちで、大きなため息をこぼす。
「そんなの、あいつがこっちについてからすぐにわかってたことだろう」
向かいの三人座れるくらいの、フワフワソファーのど真ん中に、偉そうにふんぞり返りながらも座る、小学校高学年くらいの生意気そうな男の子が、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに口を開いた。
その言葉にも、大きなため息をこぼす。
「ため息ばかり吐いていますと、幸せが逃げていきますよ」
紅茶が入ったグラスを、そっと私の目の前に置く男性。
いつも昼夜関係なくタキシードを着ている、25歳くらいのこの男は、身の回りをする人のように、いつもお茶や紅茶。茶菓子や洋菓子をタイミングよく持ってくる。
「毒なんて入ってないだろうな、藤堂」
「バカね和。この男が毒なんて私たちに盛るわけないでしょ」
「そうですよ。盛ったところで得はしませんから」
ニコニコほほえんだままのこのタキシード男。藤堂は、ニコニコほほえんでいる姿しか見たことはない。
元は、バーの店長だったのだが、先日どこかのバカが暴れて、相手に火を点けられ全焼。
一部の人間は助かったものの、地下にいたものは丸焼け。助かる見込みもなかった。
もちろん店長は、そうなることを予想し、焼ける1分前に、速やかに立ち去った。
残念なことに、私はそこに立ち合うことはできなかったが、一応仲間の一人が裏切った情報を楽しんでいた。
「フフフッ」
ついつい考えただけで笑みがこぼれてしまう。
「ヤス……思い出し笑い、気色悪いからやめてもらえない?」
「和さん、そんな直球に言わないであげてください。恭恵さんだって、人ですからもう少し遠回りを……」
「藤堂。それはフォローのつもりか?」
「いいえ恭恵さん。本心です」
「尚更悪いわよ!」
「ヒーリン。今頃歩、何してるかなぁ」
悩むときはお菓子を作って気を紛らわす。それが私流だ。
今日はあまりにもいやな予感がするから、気を紛らわすためにクッキーを焼いていた。
『心配か?』
「いやな、予感がするんだ」
『あぁ。心配なら会いに行ってみれば良い』
「だよね。そうだよね、毎度毎度ありがとうヒーリン」
『でも、行くのは良いけど、火は消していってね。ちょっと焦げ臭い』
「へ……あー!」
使っていたオーブンのなかを見てみると、焼きすぎて真っ黒になっている、クッキーたち。
「最悪〜! 力作だったのにぃ!」
「杵島」
「あ?」
「沚のこと、頼んだからな」
「は?」
退院の支度をしている最中、いきなり相澤がそんなことを言ってきた。
俺は検査入院みたいな感じだったから長くはかからなかったけれど、相澤は、歩という男に氷付けにされ、色々な器官が負傷しているらしく、退院までには幾度かの手術が必要らしい。
しかし、それも治らないわけではなく、“さよなら”を言うのは早い。
「俺には迎えが来たらしい。おまえがいるから沚の心配をしなくて済むのかもしれないって思ったからかな」
「でも、沚にはおまえが必要だろう?」
「杵島はもうわかっているんだろう? 俺だって、ずっとこの世に残っているはずではないんだ。おれら証を持たない奴は、証を支えるためにいるんだ」
「でも……」
「良いからおまえはそれを持って病院から出ろ。この病室、おれら以外のベッドは空なんだ。運が良いだろう?」
「……わかった」
しぶしぶうなずいてみせた。
「沚によろしく。そして、沚をよろしく」
「わかった」
カバンを持つと、俺は振り向かずに病室を出ていく。
泣きたいけれど、これを沚に伝えるまで、崩れてはいけない。
沚のところまで距離はある。
そこまでの我慢だ。
「……? どうかしたの?」
「いや、今、誰かに呼ばれたような気が」
大切な誰かに、大切な何かを言われた気がした。
声が届いたわけではない。なにか、引っ掛かる何かが何かを通じて伝わってきた。
「何かの予兆ってことも、ありえるわよ?」
「……うん」
「いっ!」
何かが聞こえた気がして、持っていた茶碗を落としてしまった。その欠けらを一つ一つ、丁寧にとっていると、その切れ目で、指をスッと切ってしまった。
反射的にその指をくわえると、再び声が聞こえてきた。
《もうすぐだよ……》
「え……?」
とおくからかすかに聞こえるように、耳のなかに入り込んでくる。
まわりを見回していても、人の実態は見当たらない。でも、目の前に誰かがいる気がする。
「わた……る?」
《始まる……気を付けて!》
「へ?」
首を傾げた瞬間、目の前にいたものは、すっと消えた。
姿形がはっきりしなかった。
ぼんやりしていて、じっと集中していないと見えないなにかが、俺に警告してきた。
声も特定しない。
渉とも言えない。
今の声を思い出そうとしても、はっきりとは思い出せない。
透き通っていて、脳に覚えさせない声。
「歩くん!」
リビングの戸が開くなり、聞き覚えのある声がキッチンまで聞こえてきた。
「お、お前……」
「始まっちゃう……」
「……」
「どうして……」
「何泣いてるんだよ。お前は喜ぶべきだろう?」
「いやだよ! こんなの、こんなの……!」
「最高じゃないか!」
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいー!」
「お前に、」
「いや、言わないで……!」
「言わないで? お前だってわかっているんだろう?」
「いや……!」
「ほら、耳を塞いだって聞こえているはずだ」
「やぁ……」
「神の怒りが……さぁ、パーティの始まりだよ! 喜ぶんだ!」
「いやだ……」
「言っただろう? お前は」
「いやだ……どうして。変わっちゃったんだよ!」
一人の口元が、にやりとあがる。
「お前は、逃げられない!」