第20話
「沚……もういい……」
「まだだよ……左手は外したんだ」
頑張っていることに気付いたのだろう杵島が、そう慰めてくれる。
でも、まだ見つかったわけではない。
あの兄弟にできたことだから、俺もいつかできる日がくるかもしれない。その日を、ぜひ今日にしてみたいという、好奇心もあった。
「でも……」
「大丈夫! まだ見つかったわけじゃないんだ」
「……そうか。すまない」
すまないと謝る杵島に、むしろ俺から詫びを入れたいと言いそうになったのを口閉じたときガチャリと言う音がした。
誰かがこの空間に入ってきたのだろう。
コツッコツッと床を靴がたたく音がする。その音は確実に近づいてきている。
無駄にでもごまかそうと、ぶらりとぶら下げていた左手を右手の後ろに重ね、あたかも括られている振りをしてみせた。
足音は、目の前にとまる。姿は、相澤だった。
「具合はどう?」
「ボチボチかな」
「そう」
「相澤。出来れば杵島の姿が見たい」
「仲がよろしいことで」
「だってオレらの仲だし」
少しだけ嫌味っぽく口を開いてみた。すると、そこに何を突っ込むこともなく、視線は俺の両手首へと向かっていた。
「……一応努力はしたんだ? 力、開放しちゃったんだ」
「ダチがピンチだし」
「自分が来たいっていったのに」
「来ても杵島もお前も助けられないんじゃ意味がない」
「じゃぁ帰してあげようか?」
「杵島もお前も帰るなら帰る。俺だけ帰ることはできない」
「それは無理」
「なんで」
直球的に言い合う言葉は、その俺の質問にピタリととまった。
「時間がないんだ」
「時間?」
聞き返すと、答えることもせずに、牢のカギを開け、すぐそこまで近づいてきた。
カギを取り出し、両足を自由にし、すぐに右手首も自由にする。
「あっ相澤?」
解放した俺を、殴られる前のようにピタリと体を近付けた。
そして、あの時のように、いまにでも消えてなくなりそうな声を耳に残した。
気付けば、目を覚ませばいつもみる景色。自室だった。
あれは夢だったのだろうか。
どこから、夢だったのだろうか。
夢であっても、経験したことすべて、覚えている。
はじめにバカ野郎と囁いて、最後にごめんといった相澤の言葉。
あれらがすべて嘘だとは思えない。
体を起こし、携帯電話を探す。
その時不意に気付いた。
布団にはかぶらず、あの時の服のままだ。ということは、あのまま相澤がここまで運んできたということだろうか。
杵島をどうするつもりか。
あそこはどこにある場所だったのか。
相澤の目的は何か。
結局何も聞けずにここに戻ってしまった。
朝日が眩しい。
母さんはどうしたのだろうか。
夜おそくまで帰ってこなかったはずの俺を怒るだろうか。
とりあえず服を着替えて階段を下りていく。
母さんはいるだろうか。
特にテレビの音や、料理をしているような音も何も聞こえてこない。
カチャリと戸を開けても、誰かがいる様子がない。
台所のテーブルに、何か紙切れがあるのに気付いた。
とても見つけやすい位置で、いつも母さんが夜いないときに置いている紙に似ている。
少し急いで近づいてみるとこうかかれていた。
「親戚の家に行ってきます。帰りは明後日になるから」
と。
一昨日は置かれていなかった。
昨日の朝は母さんがいたし、帰ってきてからはここに立っていない。
昨日のうちに出かけたということは、帰ってくるのは明日。今日いなくたって問題はないみたいだ。
でも、杵島がいる場所がわからない。
メールも誰かから来ている様子もなかった。
「とりあえず学校……かな?」
行ってみれば、どうした?と笑って迎えてくれる二人がいてくれたりして。
きっといまごろ、ラスティカは、馬鹿馬鹿しいと笑っているのだろう。
(助けようとしてるのは悪いことなのかな?)
いつもの待ち合わせ場所まで行くと、相澤だと思われし者が立っていた。
思われし者。
昨日とは姿が違う。
「相澤……?」
もし、今の相澤の姿ではなければ、杵島をあんな状態にしている相澤を無視して学校にいこうとした。
でも相澤は親友だ。
この、親友の顔に、湿布だろう者が右頬に。左頬の口元には絆創膏がはられていた。
昨日はこんな姿ではなかった。
よく見てみれば口元も切れている。
「……声かけてくるなんて思わなかった」
「かけるつもりはなかった」
学校に行くつもりではあるのだろう。
いつもどおり制服だった。
「そうか」
相澤は一切こっちを見ない。
よく考えれば顔を合わせにくい。悪く考えれば、合わせるつもりがない。
「その怪我、どうしたんだよ」
「お前には関係ない」
相澤はかわりすぎた。
今までの相澤は、こんな冷たい口調は使わなかった。
こんな相澤にしたのは誰だ。
もしかしたら、今まで無理をさせていたのだろうか。
「関係ならあるね。俺はお前の親友だ」
「親友? 昨日、あんなことした奴を親友なんて呼ぶのか? お前は」
「あんなこと?」
「お前を殴ったし牢屋にいれた」
「何かあったんでしょ? それに、俺は帰してくれた。あの時点で、俺を帰すのは結構リスクがあったはずだよ。俺が誰か、助けを呼んでいたら? 騒ぎを大きくされたら、相澤だって動きにくくなる。どうして俺を帰した?」
「学校に行こう。遅刻する」
「……」
答えにくいのか。
何もいわずに足を進めた俺の、一歩後ろを歩いてくる。
「で? その傷は杵島にでもやられたの?」
「いや」
「杵島はどうしてあそこに閉じ込められているのかわかってるの?」
「知らないはずだ」
「……」
知らないでつれていかれた杵島に、少しだけ同情。
「えっとぉ……確か記憶があってれば、この駅で降りれば着くはずなんだけどぉ」
ある紙を見ては、駅の出口付近でまわりを見る。
こんなにも建物に囲まれた土地なんて、本当に何年ぶりだろうか。
ましてや一人だなんて。
「えっと、今の時間なら学校だよね。えっと、学校の場所はっと……」
紙を裏側にすると、地図が書かれている。
「近くまで行ってみよう」
慣れない土地に来て、慣れない道を通って、少しだけ恐れながらまわりを見回して。
あと何分で着くのか、あと何歩歩けばいいのか。
「あの人も、こんな気分だったのかなぁ」
不安だけどちょっと楽しい。
都会の匂いは、地元に流れる香りとは程遠い。
「サフィン。ここがあの人の生きている場所だよ」
白い雲のうえに青い空が覆いかぶさっている。
「空はかわらないねぇ」
『麻紀。あんまりうえ向いて歩くと転ぶよ』
「大丈夫だよ」
行き先は決まっている。ただ、連絡の取りようがないから、いきなり来た感じになってしまう。
私の兄はもういない。
だから、一つの重みが消えたと思ってほしい。
あの海はきれいなままを保ち続けてるよ。だから、安心してあそこから離れれたよ。
すべてあなたのおかげで、悩むことも苦しむこともしなくて済んだよ。
だから。だから、次はあなたの近くにいさせてもらえませんか?
私にできることは何でも致します。
そう、言いに来た。
調べた学校の位置と、今いる位置は間違いない。
確か、近くに公園があるはず。
授業がおわる時間まで、あと一時間ほどある。
歩き疲れもしているし、座る場所がほしい。
「あった」
公園をみつけ、ブランコに腰を下ろした。
子供の頃、数回だけ記憶にあるブランコ。
あまりブランコや滑り台等に興味を持たない、大人にとっては面倒な子供だっただろう。
つながっている鎖をつかみ、両足をのばして下を見る。
子供用なのか、小さい頃に座ったブランコよりも地面に近い気がした。
不意に自分が影に入る。
「こんなところで何してるんすか」
聞き覚えのある声が、頭上から聞こえてくる。
すっと顔を上げてみれば、そこには見覚えのある顔。そして、探していた顔だった。
少し、息を切らしている。走ってきたのだろうか。しかしいったいなぜ?
「沚くん! どうして……」
思ってた時間より全然早いものだから、話したい言葉がまとまらない。
「どうしてはこっちの台詞です! でも、久しぶりに会えてうれしい。麻紀さん」
うっすらとほほえみ、隣のブランコに腰を下ろし、一息ついていた。
「大丈夫? 走ってきたの?」
「ちょっと逃げてて……でも、麻紀さんがいれば逃げなくてすむかな」
「逃げるって、何から!?」
「友人を拉致った友人」
「は?」
「まぁ、もうおってはこないだろうけど。それよりさ、元気にしてた?」
なんだか、沚の印象がかわった気がした。
前はもっと、何かに追い込まれていて、それに精一杯で、他に手を付けられる余裕がない印象を持っていた。でも今は、その追い込まれているものが、もっと違う何かにかわったかのように、すっきりした表情をしてる。
「えぇ、おかげさまで」
「そう。よかった。えっと……お兄さんは?」
「お兄ちゃんはもういないよ。沚によろしくっていって消えていっちゃった。あんなに清々しい顔をしてたお兄ちゃん、久しぶりにみたよ。何の後悔もなかったみたい。沚がいるから、私を置いていっても安心できるーって、言って私のところから消えちゃった」
「……そっか」
「うん。不思議と怖くなかった。優貴を失ったときはあんなにも怖くて、苦しかったのに、どうしてだろう。全然怖くなかった。たぶんそれは、あなたがこの世界のどこかにいるって、わかってるから……」
「そんな……オレが何かしてあげたみたいな言い方するなよ。寧ろ、麻紀たちがオレを支えて、助けてくれていたんだ。何かしてあげたいほどに」
「なにか、してくれるの?」
「あぁ。してあげたい」
「だったら、お願いしてもいいかな?」
「なに?」
お願いしたいこと。
いっぱいあった。大きく分けて三つ。
笑顔でいてほしい。
一緒にいさせてほしい。
そして、不穏な動きをしている人を、共に止めたい。
不穏な動きを感じたのは、だいたい沚が私たちの前から姿を消したあとくらいだった。
お兄ちゃんには、何を心配することもなく、私の近くにいてほしかったから何も言わないでいた。
感じ取ってくれたのは、私の故郷にある海たちだった。
あの海には、何にも汚されたくなかったから、私の水が少々含まれている。だから、お友達みたいなものだった。その、海が教えてくれた。だからここに来た。
その話を沚にすると、ピタリと動作を止め、驚いた様子で私をみていた。
「その話、本当だと思っていいんだよな?」
「えぇ」
「今、すごく麻紀が来てくれて安心している。あと、その話をしてくれたのも」
うれしそうな表情。
少しだけホッとした。なんだか、無事でいてくれたんだなって、いまさら安心している。
「なにかあったの?」
「オレの親友が、閉じ込められてる。しかも、オレの親友に」
「え?」
「前に、二人こっちにおいて来たっていってた二人。どうしてかはわからないんだけど」
以前、私たちのところにいたときだ。
「あいつらって言ってた人たちね?」
「あぁ。一度オレも捕まったんだが、何があったのかオレだけ帰してくれた。もともとオレを捕まえる気は、あいつにはなかったらしい。逃げろってさっき言われた」
「だから早かったの?」
「うん。でも、何で逃げないといけないのか。何が起きているのか教えてはくれなかった。逃げろといわれたって逃げる場所は、麻紀たちのところしかないんだけど、そんなお金、既にないし」
「……ねぇ、その捕まったお友達、もしかして証を持つ者?」
「う、うん」
「あなたが捕まったとき、そのお友達が捕まっている場所と同じだった?」
「うん。でも姿は見えなかった。どこかの地下みたいで、牢屋みたいに囲まれてて。見えない位置にいたけど会話はできた」
「他の人は?」
「いたのかな? 声も何も聞こえなかったから。潜んでいたことがないかぎりはいないと思う」
「そう……その、捕まえたお友達は力を持っているの?」
「あ……それは、うんまぁ、力は持っているけど証はいないみたい」
「何の力か聞いても?」
「うん……水のはず」
「そう、私と一緒。ね」
「うん。でもあいつは卑怯だ。力を使って盗聴した」
「水で!?」
「うん。雨を降らし、オレらに付着させて電話を盗聴。飲み物で水蒸気となり乾く前のかすかな水で増幅させてとかなんとか……」
(そ、そんなことまで可能なの!?)
私はあまり窮地に立たされたわけではないから、そのような実戦的に使われる力を使用したことはなかったし、思いつきもしなかった。
証を持っていないものの、応用術。私にそのような力がなかっただけだろうか。
「そう……裏に誰かいる可能性もあるわね」
「誰か?」
「えぇ。その友達と、裏で命令してる人の意見が一致して、メリットのある行動を。でも、沚さんが帰ることを許されたのはわからないわ。捕まえるつもりがないにしても、きっと上の人にとっては、沚さんもいずれ捕まえろって言われているのかも」
「だから逃げろって? その人とつながってるのに?もしそうだとしても、逃げ続けるわけにはいかないんだ。友達……杵島が捕まってる。助けに行きたいんだ」
気持ちは分かるけれど、きっとその捕まえたほうのお友達と、裏で命令している人との力の差は大きいだろう。
だから沚さんだけでも助けたかったのかも。三人の間に何があるのか分からない私から言わせてもらえば、その人は、沚さんを助けたいのかもしれない。
今、沚さんがその捕まっている友達を助けに行くのは危ない。捕まえた側の友達の行為を無駄にすることかもしれない。
「だから沚さんは逃げて? 私はまだ顔は知れていないはず。まずは私がその捕まったお友達を助けに行くわ」
「どうやって!」
「捕まえたそのお友達と接触したいわ。その友達の顔を教えてもらえないかな?」
「でも、麻紀を危険な目に遭わせたくない」
「戦闘態勢にはならないように努力する」
言ったことに悔いることはしない。
成功するかどうかは分からないけれど、危険は数ヶ所だけ。争いになる計画だけは立てたくはない。
力を使うことにはなるけれど、お互い怪我をさせたくはない。
「でもどうやって?」
「それは、さっきあなたが教えてくれたことを私が実行するだけよ」
「教えた……?」
「大丈夫。捕まった人を無事につれてくるわ」
名前は相澤。
性別は男。
身長は高め、髪を伸ばすことはない。
写真とみれば、すぐにわかるらしい。
登下校路を教えてもらい、できるだけ不審がられない程度に、周りを何度か見回す。
もしかしたら、捕まった、杵島という友達のところにいってしまい、その道にはいない可能性もある。
杵島というのは、以前、沚さんが目を覚まさないうちにメールが来て、兄が勝手に見てしまった時の人だったはずだ。
沚さんが捕まったのは、その杵島という男の自宅前だから、またそこにいるかもしれないということで、その位置も印してもらった。
「ここからそんなに離れてるわけじゃなさそうね」
今のところ、下校中の相澤という男は見つからない。今から行ってみたほうが無駄足にはならない。寄り道をしているかもしれないし、真っすぐ捕まえた場所に行ったのかもしれない。
回れ右をするように、クルリと後ろを振り向くと、いつのまにやらその写真の男、相澤が見下すように立っていた。
「俺に何か用ですか?」
見下した状態で、微笑むその顔は、恐ろしく、口を開くことはできても、言葉が発せなかった。