第16話
「なぁ、俺のすべきことって何だと思う」
返事の帰ってこない、雨の墓場。
「どうするべきだったんだろう……ごめんね渉」
耳元には、傘に当たる雨の音がうるさく響いていた。
止む様子も見当たらない、力強い雨。それと、水溜まりを走る足音。その音は、次第にゆっくりとなって、ぴたりと止まった。
「歩……ちゃん」
女の声。
ゆっくりと向いてみれば、雨に濡れた女の姿。
「渉は優しいから。怒らないと思う……渉は。ね」
チャラッとチェーンが擦れる音を鳴らしながらネックレスを見せてみる。
「あっ……それ」
目的のネックレスが、不意に目の前に現われて、思わず手を伸ばす。
しかし、それはまだ届く位置ではなかった。
「雨に濡れてでも探したかった?」
「大事なものだもん……」
「なのに捨てるんだ?」
「捨てたんじゃないもん……転んじゃって」
「そうやって、ドジな所を装うのはなに? そうやって男引っ掛けるつもり? 渉の時みたいに」
「ちがっ! 装ってるわけじゃ……!」
必死に抵抗しようと思ったが、歩が目を逸らしたことにより、その言葉を繋げることができなかった。
「渉はさ、俺が殺した」
「ちっちがっ」
「違くない! ……俺が殺したんだ。おまえは何も知らない。何も知らないから……!」
「じゃぁ教えてよ。何があったの? どれだけ調べても死因は不明。しかも、死体は左腕しかなかったんでしょ? 近くには歩ちゃんもいたけど、意識不明の重体。病院に運ばれて…」
「うるさい! 俺は……俺は渉を助けれなかった。助けられるのは俺しかいなかったのに。俺さえ生まれてこなかったら……俺さえ生まれてこなかったら渉は生きていけたんだ」
「歩ちゃ……歩ちゃん! 変なこといわないでよ……それ、渉くんに失礼だよ」
「失礼? どうして? 渉は生きるべきだった! 俺が代わりに死ぬべきだったんだ!」
怒鳴り付けるように叫ぶ。
渉が消えたときを思い出す。
あの日も、晴天とは言い難い曇りの日だった。雨が降りそうで降らない、肌寒い空気のなか。歩と渉は、向かう先を決めずにただ散歩感覚で歩いていたときだった。
何気ない話をして、たまに店に寄って。何気ない一日が過ぎようとした夕方だった。
町の外れまで行っていて、森のなかへと入っていた。
そこは、小さい頃からよく遊んでいる森で、庭のようにあちこちを知り尽くしていたつもりだった。
しかし、ついたときには、いままで家に帰ろうとする時間で、薄暗く、足元が危ういことはお互いわかっていた。だから、奥には行かずに、途中にある石段に座ってただのんびりと夕日を眺めていた。
昔から見慣れた景色。隣には、自分と同じ顔の男の子。身長も、声質も。すべて同じ。
でも、昔よりも町の光は強くなっていて、町を挟んだ向こうにある山が見え、星は町の光に負けてしまっていた。
「歩。僕らはずっと一緒だよね?」
「当たり前だろ? 一緒じゃないといやだね」
ベーッと舌を出し、子供っぽく渉に甘えてみせた。
いつも一緒だった。
周りと違うことをしたとしても、片割れと違うことはしない。いつも一緒。同じ服を着て、同じ時間くらいに起きて。片方が早く起きてしまえば片方を起こして強制起床。同じ時間に寝て同じご飯を食べて。
「でも渉、何か隠してるでしょ?」
歩はわかっていた。
渉は秘密主義者だと。でも、歩には話していたし、歩も渉にしか話さないことばかりだった。
でも、隠し事をしていることを、いつだったからか気付いていた。
「あーやっぱりばれてたか」
「隠し事するとき、渉、苦しそうだもん」
「苦しそうだった?」
「うん。申し訳ないっていう顔してた」
「そっかぁ〜……歩は昔から鋭かったもんな」
なんて苦笑いを見せる渉は、ゆっくりと両手を胸の前で合わせた。
ちらりと歩の方を見ると、見ててと言った。
一瞬、どこを見ていれば良いのかと疑問におもったが、すぐにその合わせた両手のことだと気付いた。
一瞬合わせた両手に力が込められたと思えば、すぐにそれは離されてゆく。その間には、カチカチに冷えて固まった氷があらわれてきた。
両手から生えるように、所々飛び出している氷の柱が、横に。
渉の肩幅くらいになると、離すのを止め、縦に柱をたてて上の手を離し、片手でそのきれいに透き通った氷の柱を乗せていた。
「どう?」
「……どうって」
何といえば良いのかがわからなかった。
何といえば渉を傷つけないのかも。
「変だと思う?」
「うん。でも怖いとは思わない」
どういう表情をすれば良いのだろう。
笑えばいい?
不思議がればいい?
驚けばいい?
わからなすぎて、ただ茫然とするしかなくなってしまった。
「そう」
「いつからできるように?」
「二ヵ月くらい前から」
たしか、隠し事に気付いたのは、一ヵ月前くらいだったから、結構気付いてあげられなかったのだろう。
「そっか……それ、どういう原理なの?」
「僕にもわからないんだよね。いつのまにか、こう……想像するっていうの? こうなってほしいって形になるんだよね」
体のなかから? 氷が?
「どうして黙っていたの?」
「嫌がったり怖がると思ったから」
「嫌がりも恐がりもしないけど……そっか」
それからおとなしく家に帰ろうとした。
もう、あの空気に耐えられなくなって。
いつも歩き慣れていたはずの獣道。転がっている枝や石に足が引っ掛かりながらも、森から抜けようとした。
「あっ」
そう言葉を出したのは渉だった。
ピタリと足を止め、昔に大きな木があった方を見ていた。
「あぁ。そういえば小さい頃向こうに秘密基地作ってたっけ? 大きな木が目印で……でもあの大きな木、どうして無くなったんだっけ?」
いつだったか、何かの理由で刈られたといっていたが、その理由が思い出せられない。
久しぶりに見てみたくて、大きな木があったほうに足をすすめた。
「あっ待って歩!!」
あわてた様子で渉が腕をつかんできた。
「なに?」
「そっちは……」
「なに? 怖いの? じゃぁちょっと待ってなよ俺だけ行ってみるから」
笑いながら言い、腕を優しく振り払って背を向けて駆けて行った。
後ろから渉が何かを叫んでいたが、さっきの渉のことを考えていたため、耳には入ってこなかった。
しかし、渉の言ったことを聞かなかったからこそ事故は起きた。
少しだけ駆け足になっていた足は、不意に飛び出している木の根に足を引っ掛けた。逆の足で体を支えようとしたが、その足はなぜか空振り、上体が前に倒れてゆく。
その時不意に思い出した。
どうして大きな木が刈られたのかということを。
数年前に少し大きな地震と大雨が重なったことがあった。その時に、地盤が悪くなり土砂崩れが起きた。
運がよかったことに、麓の住民達に怪我も被害もなかった。そのことに対して、どういうことかと問題になった。
奇跡的に被害が無かった。不思議なことに崩れた土砂は、どこに消えたのかもわからない。そんな不可解なことが起きた。
だからそこは、きれいに消えてしまった
「歩!!」
茫然とそんなことを思い出していると、渉の声がすぐそこから聞こえてきた。
宙に浮いた体は、力強くかたく冷たいものにぶつかり、どちらを向いているのかもわからない状態に陥ってしまった。
「歩……」
「わ……たる?」
気付けば渉に頭を抱えるように抱き締められていた。
冷たいものはどこにももうない。
いつのまにか地に横になっていた。
「歩……よかった無事で」
「渉……助けてくれたのか?」
「うん」
「ありがと……」
そういって上体を起こし、ゆっくりと渉の左手をつかんだ。
「ううん。歩が無事で本当によかった。それだけでよかった本当に」
そういって、ホッと安心そうにほほえむ渉。その渉の左手は冷たくなってゆく。氷のように。
体から光り輝く透明な光が、空へと向かって輝く。
「わた……る?」
違和感に気付くのが遅かった。
だんだんと渉の姿が消えてゆくとき、今生きている人生に、渉の存在が消えることに気付いてしまう。
「渉! いやだわたるー!」
しがみ付くように、左手から左腕の付け根を抱き締める。
パアッと目もあけられなくなるほどの光に、ギュッと目を瞑ってしまう。
瞑った目の前は真っ暗。ふらりと体は平行感覚を失い、どこかへとぶつかるのがわかった。 目を開けられない。目を開けてはならない。そんな気がした。