第15話
「ま……お客様」
遠いところからすぐ近くへ寄ってきたかのような声に、ハッと目が覚めた。
「あ……」
「お客様具合でも?」
顔を上げれば、名前も顔も知らない店員が、心配そうな顔をしていた。
「いえ、すみませんボーッと考え事をしてたら寝てしまっていたみたいで」
必死に言い訳を作りながらも、急いで店を出た。
激しい雨が降っていたことをすっかり忘れていて、急いで傘をさす。
(真っすぐ帰ろう……)
そもそも、なぜ寄り道なんかしてまであの人を呼び出したのだろうか。
家に帰り、のんびり寝てしまうという選択肢は無かったのだろうか。
「俺って……バカ?」
「これ……」
乃木坂歩。15才。中学三年。
髪が黒くて、耳辺りのサイドは多少長い。といっても、肩にはあたらないくらいの後ろ髪。眼鏡を掛けていて、まだすこし幼い顔つき。
性格、生意気とよく言われる。
生意気だという自覚はまったく無い。と思いこもうとしている。思っていることを、素直に口にしているだけであって、周りの言葉に惑わされる人は、ただのお人好しだという性格をしている。
そんな歩が、夏休みが明けたある雨の日の学校帰り。道端で、きれいなエメラルドグリーンのネックレスを見つけた。
ただ、何だかそのネックレスが、見覚えがあるネックレスのような気がしてならない。しかも、とても大切な。大事なものだという記憶があった。でも、どこで見たことがあるのか、誰が持っていたのかという記憶は、まったくなかった。
しゃがんで右手で拾ってみても、まったく思い出せずに。
「交番に届けたほうがいいのか?」
このままもう一度あった場所に置いておくという選択肢はない。あるのは、自分のポケットにしまっていいのかだ。
雨にあたって濡れているものを右ポケットにしまったとき、少しだけポケットが重く感じた。
立ち上がって止みそうもない空を見た。
「あっ。虹だよお兄ちゃん」
海岸の岩場に座っている女の子は、晴天の空を見上げてその見えた虹を指差す。
返ってくる返事はない。
いつもと変わらないしおの匂い。
波は穏やかに流れる。
「お兄ちゃん、今ごろあの人、なにしてるんだろう?」
それでも返事は返ってこない。
「こっちは、特別かわったことはないですよー」
透き通る声が、誰も聞いてくれない海へと響いていった。
「梓あぶない」
という声が聞こえた瞬間、ドテッとベシャッという、思いっきり水溜まりに転んだ音がした。
足を止め、聞こえたほうをむく。そこには、髪の色素が少し抜けたショートヘアーの女の子が、ベッチャリ濡れた制服とともに起き上がろうとしていた。
「あぁあべちゃべちゃ……」
さっき叫んだ声と同じ声。
起き上がる手伝いをしているのは、染めましたという茶髪のショート。転んだ子と同じ制服を着ていた。
「どうしよぉー」
なんて、いまにでも泣きだしそうなその転んだ女の子。どこかで見たことがある気がする。
現実にではない。かといって、写真やテレビとかではないと思うのだ。
(どこでだったっけ?)
じっとその子を見つめていると、不意に目が合ってしまった。
(この目だ)
この、甘えるのが上手そうな瞳。
その、助けている子ではない女の子と一緒に居たというイメージがある。
思い出せない不安感。
見られたのが恥ずかしいと思ったのか、スッと顔を背けた。助けた子は特に何も気付かなかったのか、急いでハンカチか何かで拭いて上げていた。
とても仲が良い様子。
面倒見の良い友達と、おっちょこちょいな女の子。対でいるから、息が合う。
「羨ましいかもな」
三人でいるのがつまらないとか、いやだというわけではない。ただ、たまに疎外感がある。
「それを、不満というのか」
どうしても思い出せなかった。
どこで、あの子をみたのか。
もう一度、女の子はこっちをみた。次は、俺から目をそらした。
「沚!」
「え?」
後ろから杵島の声がした。
後ろを振り向くと、杵島が不思議そうな顔をしていた。
「先に帰ってたんじゃなかったのか? それとも迷った?」
(そっか……こっちは杵島の帰るほうか)
「迷ったって……子供じゃないってば」
「じゃぁどこに行く気だったんだ?」
「あっ……」
ニヤニヤしている杵島の口元が、すごく相澤のなにか企んでいるような口元にすごく似ていた。
確かに、今自宅に帰ろうとしていた。
考え事をしていたから、帰る方向を間違えてしまった。
「う〜……」
何という言い訳も思い浮かばなく、ソロッと先ほど女子高生が転んでいたほうに視線を向けた。
すると、不意に目に入ってきたチカッと光ったものが落ちていた。
ゆっくりと足をすすめる。
「沚?」
近づいてしゃがんでみると、そこにはきれいなエメラルドグリーンのネックレスが落ちていた。
「ネックレス?」
「さっき女の子がここで転んでてさ、その子のかな?」
「どうする?」
「んー放っておく。どこの学校かわかんなかったから、届けようないし、もし無いのに気付いたら戻ってくるだろうし」
「ふぅん」
体を起こし、杵島と別れて家に帰る。
なんだか、ネックレスをみた瞬間、やっぱりあの女子高生をどこかでみた記憶があるというのが頭から余計に離れなくなってしまった。
「これ……やっぱり青山梓か」
家に帰り、ポケットにいれたネックレスを取出し、昔のアルバムを開く。
自分と同じ顔をした男の子の隣に、甘えたようにべったりくっつく女の姿。その女の首に下がっているものは、今手元にあるのと同じネックレスだった。
青山梓。
従姉だ。一個上で、甘えん坊で。一人にさせては不安なイメージを持たせる女。
歩の、大っ嫌いなタイプだった。
でも……。
「ちくしょう!! ちくしょうちくしょうちくしょー!!」
思いっきり叫びながら、手に持っていたネックレスを壁にむかって投げつけた。
「ちくしょう……渉……」
家に帰り、すぐに着替えてベッドに仰向けになった。
(思い出せ……どこで見たことがある?)
歩いていても、そればかり考えていた。
「あー! 脳の小ささが憎い〜! 記憶力こんなに無いのかよーだれか脳みそ割って、過去を読んでくれないかなぁ?」
(俺の脳よー働けぇ)
「ん? 記憶? 読む?」
何か違うことを思い出せそうな予感がする。何か頼りになる……。
「あっ!!」
思い起こせた一つ。
あのなぞの山田くんが言っていた。『おまえがなにをしたのかは覚えてはいるが……』ということば。
「お! なら覚えていてくれるのかな?」
だんだん楽しくなってきた。
目を瞑り、山田くんを呼び起こす。
『なんだ?』
「なんだ? って……どうせわかってるくせに」
『まぁな』
「むかつくー!」
『わけわからん』
なんだか、言わなくてもわかられてしまうというのが、悔しくてたまらない。
「で、覚えてる? あの女の子、どこで見たことがあるのか」
『……いや、ない。一つだけ言っておくが、俺はおまえが独自に見る“夢”は、俺が見せようとする夢以外、俺の記憶には刻まれない。だから、夢で出会ったとか、ただの思い過しとか。もしくは、一目惚れでもしたのではないか?』
「ひっ一目惚れはないけど……。そっかぁ、夢は覚えてくれてないのか。でも、最近夢自体見ないんだよな〜」
『なら思い過しだろう?』
「思い過しだったら良いけどって……、さっき、なんていった?」
『思い過しだろう』
「その前くらい!」
『一目惚れでもしたのではないか?』
「もっと前!」
『どこだ?』
「俺が見せようとする夢だか何だかって言ってたところ! どういう意味?」
夢というのは、見せることができるものだっただろうか。
そもそも、夢はどうやってみることができるのか。夢の原理がわからない。
『覚えているだろう? おまえが毎日同じような夢を見ること』
「あぁあの日の……そういやぁ最近見てないな」
『あれは、一応俺が見せていたようなものだ』
「ようなって……え!? それ本当?」
『あぁ』
「そっかぁ。でも、何で最近は見なくなったんだ?」
『もう必要性が無いからな』
「どういうこと?」
『おまえはもう、俺の存在を知ったからだ』
「あれは知らせるためだったの?」
『そんなものだ』
「あいまいな返事だなぁ」
『まあ、理由は色々あるからな』
「あーもう気になる言い方だなぁ!!」
だだをこねるように、両手両足バタバタと暴れてみせた。
「どうしたんだろう……波が騒いでる。サフィン、何か感じる?」
『かすかに……』
一人しか居ないその海岸に、その子にしか聞こえない返事が聞こえた。
「いやな予感がする。どうすればいい?」
『……』
「そう……」
『報告します』
不気味な薄暗さに囲まれている一部屋に声が響き渡る。
『今日、片割れと話しました。いま、この世界で何が起きているのか。なんのために私たちみたいに、力を持った人が現れてきたのか。しかも、証を持たないものが現れるのか』
『結論は』
『……私たちにもわからない。でした』
『役立たず』
『もっもうしわけありません! でも、知る手立てがありません』
暗き部屋に、パリーンと響くガラスの音。
ガラスが擦り合いながら落ちる音と、水滴の音。
『もういい。他に報告は』
『えっと、“あいつ”の精神状態が、だんだんと落ち着いてきていること。ですね』
『落ち着いてきているだと?』
『はい。いままで不思議がっていた感情や、不安感がだんだんと薄れてきています』
『……この前言っていたよな』
『はい?』
『危険な状態であることを感じさせるだったか何だったか』
『はっはぁ……』
『すぐに……いや、明日からだ。明日、必ず“あのガキ”の精神状態を崩せ』
『御意』
パリーン!
「あっちゃぁ〜……」
お碗が割れる音。
ご飯を注ごうと茶碗を出したときだった。ついつい手が滑って落としてしまったのだ。
「転ぶわ割るわ……まだ何か起きそうで怖いよー」
しゃがんで跳んだ破片を軽く集めようとした。
「あれ?」
いつもなら、チャラッと音が鳴り、首から一つのネックレスが邪魔をする。それが、鳴らないのだ。
無いはずが無いと、首の周りを触ってみる。
「ない……ない!」
いくら探しても、外した記憶の無いネックレスが無い。
「最悪ー!! ……今日絶対厄日だ! どこではずれたんだろう……」
必死に今日起きたことを思い出してみる。
「転んだときかな……」
お碗を片付けるのを放り投げ、急いで家を飛び出す。
雨が降っていることなんて気にせず、雨に濡れながらも足をすすめる。
水溜まりが足に掛かる。そんなことも気になんて掛けない。ただ、失ったエメラルドグリーンのネックレスだけを求めて走った。
「……許せない……」
投げたネックレスをつかみなおし、傘を持って家を飛び出す。
溜まった水溜まりを避けるように走りながらも、丁度来たバスに乗る。
向かう先は、渉の場所。
「ない……ない……ないよぉ……」
水溜まりに座り込み、地面に手を付ける。
「どうしよう……ごめんね、ごめん……」
頬を流れる水滴。すでに雨か涙かわからなくなってきている。
ただ周りは、静かに雨が地面にあたるだけ。
「ねぇ、どうすれば良いと思う? ……うん。そうだよね、知らせに行かなきゃいけないよね……ありがと」
独り言のようなことを言いながら、体を起こし立ち上がる。
雨を気にせず再び走りだす。
涙と雨に濡らした全身を余計に濡らしながら。