第14話
それから日にちは、一日二日が過ぎたある日、ようやく覚悟というものがついたような気がした。
特に変わった何かがあったわけではないが、じっと考えた末の覚悟だった。
相談できる相手には相談したし、あとは自分の勇気と自信しだい。
こんなに悩んだというのに、能力が備わっていなかったらと思うと、今までの自分に自信が無くなってくる。
「一つ問題が、名前なんだよなぁ」
そのことを考えるたびに、冷たく重いため息が、口から出される。
まったく良いものが出てこないし、杵島がいうには、名前は付けるものではないらしい。しかしあいつは教えてはくれないし、思いつきも閃きもしない。
ということは、とことんどうでもいいから質問攻めし、ほんの少しでもあの男のことを知る必要がある。知っておいて損することはないだろうし、暇つぶしにもなる。
「じゃぁさっさと寝よ……」
ゴソゴソと布団のなかに潜り込み、枕元のリモコンで電気を消した。
余韻として残っている電気の光が目に残る。
いざ寝ようとするときに限って、睡魔はまったく現れやしない。
ゴロゴロと、あっちをむいたりこっちをむいたり、質問事項を色々整理しながら、目を瞑った。
『呼び出しておきながらなにを考えている』
「えっ……あぁ。あんたに恋人いるのかなぁって、当初の質問から脱線してた」
なんだか、どうでも良いことも質問しようという考えがでてきては、色々考えた末、恋人まで脱線していた。
「で? 恋人いるの?」
『いいから呼び出した理由は?』
「なんだよ。怒らなくったって……。じゃぁ聞くけど、あなた、男だよね? っていうか、名前を知るまであんたで通すの面倒だからさ、仮名として、山田くんって言わせてもらうよ?」
偽名でも仮名でも、何か呼び方がないと、呼ぶのに苦労する。
たぶん一応年上だろうし。
「山田くんさ、性別は男であってるの?」
床という床はないが、今立っているのだろう態勢から、ゆっくりと座り込んだ。
『あぁ』
「……」
『……?』
「えっそれだけ?」
『なにがだ?』
「なんかもっと付け足してくれるとかいう親切心はないわけ? 聞き返すとかさ」
『沚。性別は男。趣味は寝ること。特技は人を振り回すこと。好きなものは、とりあえず不思議なもの。嫌いなものは、不思議なものに関われないこと。大体こういうことは知っているんだ。なにを聞き返せというんだ?』
すらすらと何も関心がないような口調で言う。
もともと干渉するタイプではないのだろうか。
「何でそこまで知ってるんだよ」
『いつも俺はおまえを見ている』
「ストーカー?」
『……』
ため息混じりの無言。
呆れていることなんて、改めて聞かなくったってわかったものだ。
「いったい山田くんは、何者なの?俺の何?」
『俺はおまえの証』
“証”。麻紀や、お兄ちゃんが言っていた証。でも、その証の意味が、今まで考えていたような意味とは異なっているような気がする。
能力の“証”と俺の“証”。
「俺の……?」
『他に聞きたいことは?』
意味を答えないかのように、次へと話を変えようとする。
これは、きっと沚である俺が、知っていかないといけないものなのだろう。
「あの雨の日、家の前に現れたのは、お前?」
『あぁ』
「どうしてあんなところにいた? どうして……雨が降った?」
不思議すぎた。
テレビでは、快晴。雨が降るような様子はないと、笑顔で言っていた。それと、あんなことを言った相澤が傘を持っていた。
『あそこにいたのは、今おまえが危険な状態にいるのを気付かせるためだった。しかし、あの雨は誤算だった。きっと何者かが邪魔をした』
「何者か……?」
『そこまで突き止めることはできなかったが』
鈍く重い声質。この声でわかる。
今この人は、すごく悔しいんだ。
「どうして?」
『……炎は何に弱いかわかるか?』
「……水……雨か!」
『……力が足りなすぎた』
悔しいのは、自分の無力さ。
きっと誰のせいにすることも、できない、しない生き方をしていたのだろう。
誰のせいにもできないことは多くある。明らかに自分のせいだったり、そうなる運命だということわかっていたりすること。
自分ではどうしようもできない苦しさを、ずっと苦しんでいるのだろうか。
「だったら、こうやって夢のなかに現れればよかった」
『夢を見ているとき、おまえが落ち着いているときが、一度でもあったか?』
「……」
『直接会うことで、おまえは俺のことを気にするようになる。違うか?』
「うん。きっと、夢だったら、所詮夢だって流していたかも。もしかして、俺が倒れたのも……あんたのせいじゃなくて、雨……」
『そうだ』
別にこの人のせいにすべてしていたわけではないが、関係しているのではないかとは思っていた。しかしそれは、直接的に俺に関わっていた。
しかし誤算といった。あの時、いきなり雨が降った。なのに、相澤は傘を持ってきていた。降ることを知っていたかのように……。
雨を降らせるという自然現象に関係するようなことまでもやってしまえれるのだろうか。
「あなたと俺は、同体?」
『あぁ』
「俺が怪我をしたとき、おまえも同じような傷がある?」
『あぁ』
「じゃぁどうして姿は違う? どうして姿を現さない?」
『おまえは俺の姿を見ようとはしていない』
「……」
別に見えないならそれで良いと、諦めることをするまえに、願うことすらしなかった。
姿を見せてはくれないものだとおもっていたから。
「うん。そうだね。今は俺、まだ顔をあわせたくないのかもしれない」
『知ってる』
「山田くん、本当に何でも知ってるんだね?」
『同体だからな』
「知ってる? 感情までわかっちゃえるのは、一心同体っていうんだよ?」
『……知ってる』
目を覚ましたときは、目覚ましがなる前だった。
まだ寝ていたいという余韻は残ってはいない。目覚めは、まぁまぁいい気分だ。
名前を知ったわけではない。ただ、最初にしては順調に話が進んだ気がする。
一心同体。
今考えていることも、何もかも気付かれていたなら話は早い。いつかは、何かをわかりあえるかもしれない。
(でも一心同体って、意見の相違はないのかな?)
一心同体といったって、相違があっては一心同体とはいわないのではないのだろうか。
今はまだ相違はないかもしれないが、これからあるかもしれない。
でも、向こうは俺のことをわかっていても、こっちは向こうのことを何一つわかっていないといえるようなものだし、考えていることなどまったくだ。
一心同体というよりは、向こうが俺のことを一方的に感じ取れるだけなのではないのだろうか。
一心同体といったのは俺だ。でも、違うのかもしれないと気付いてしまった。
きっと俺があの人、山田くんを見ようとしないのと同じように、山田くんの心までを見ようとはしていないのだろう。
きっと知ろうとすれば、知ることができるのかもしれない。
考え込んでいるとき、いきなり携帯から音楽が流れた。
目覚ましだ。
鳴る前に起きてしまったのだから、鳴って当たり前だというのに、肩がびくっとびくついた。
携帯に手を伸ばし、恐る恐る目覚ましを止めた。
(準備するか)
着替えようと、まずはじめにカーテンをあけた。しかし、次に進むことなく、俺はその状態で固まった。
「……雨?」
『……炎は何に弱いかわかるか?』
そう聞かれたとき、俺は、水・雨と答えた。
(雨に中のは極力避けたほうが良いな……)
この前みたいに倒れるとは考えにくいが、あとであの山田くんに何かを言われるのもいやだ。
でも、雨なんかに負けていたら、今までの風呂はどうだったのだろうか。
(故意的な雨しか効かないとかだったら良いのに)
傘さえあれば、雨はたいてい防ぐことはできる。
もし、乱闘することになったら、俺は反射的に傘を選ぶだろうか。
(存在を忘れてるだろうな)
雨が降れば、一面は傘でうめられるか、水溜まり、もしくはまったく人気がなくなってしまう。
人が多ければ、傘が重なり合い、すごく歩きにくいという状態になり、人と人との間があく。進むスピードも遅くなり、いらいらしてくる。
そして足取りが少なくなるのを待つかのように、雨宿りを口実にカフェや喫茶店に入る。
もしかしたら、そこで何かの出会いが起きるかもしれない。
もしかしたら、自分と同じように立ち寄った人に出会えるかもしれないと感じた放課後だった。
一人で放課後フラフラ歩くのは慣れない。
なんだか、杵島と相澤は、二人で話したいことがあるらしく、先に帰ってくれといわれてしまった。
どちらかといえば、杵島から誘ったような様子が見当たれた。
(仲間外れかぁ)
こんなことは今までなかった。
二人で話していたり会っていたりすることはあっても、放課後まで一人にさせられるのは初めてだ。
「暇くさいなぁ」
暇覚悟で喫茶店に入ったけれど、まさかこんなにもはっきり暇になるのは淋しい。
頼んで出されたオレンジジュースにストローを刺す。
“刺した”というような手応えが感じられないのも無理はない。
刺したまま回してみても、カラカラと氷が重なり、ガラスのコップと擦れ合う音が響く。
それだけだ。
ストローをくわえてなかのものを吸い上げる。
甘酸っぱい味が口のなかに広がっていく。
それもすべて当たり前なこと。
当たり前なことが当たり前に過ぎていく。だからこそ当たり前なのだ。
なのに俺の中には、“俺の中に”いて当たり前なものがいる。
その“当たり前”は、誰が言ったのだろうか。
そっと目蓋をおろす。
このまま眠ってしまえば、その“当たり前”の存在に出会うことができる。
すぐそこにある窓の向こうには、大粒の雨がコンクリートにむかって叩くように降っている。音も聞こえる。
止む様子はまだ見当たらない。むしろ、余計に強くなってきているような気がする。その反面、人の混み具合は、それなり減ってきてはいた。
この喫茶店に向かい合うかのように、国道を挟んである眼鏡屋。
よくCMで見かける有名な眼鏡店だ。
眼鏡の女王。
フレームの柄的にも、女性が多く利用し、好評である。
海外のほうにも出店しているという噂が流れているが、本来のところはわからない。
わかろうとしない。
窓とは逆の腕の肘を乗せ、立たせてはその手のひらに頬を乗せ、窓の外を眺めるふりをする。
そのまま、ゆっくりと目蓋をおろす。
(山田くん……)
眠っていないけど、現われてくれるだろうか。願いながら暗やみを探した。
知りたいけどわかろうとしない。聞こうとしない。
知って損をするのを恐れている。その反面、好奇心は遠慮せずにあらわれる。
知らないで損をするのを恐れて、知って損をするのを恐れている。
矛盾。
山田くんのことを知らない。知って、何かを抱えてしまったり、崩れてしまうのを恐れている。
『知りたいなら聞けばいい。知って後悔するなら、知らないふりをすればいい』
「あっ山田くん……山田くんは卑怯だ」
『は?』
「聞かなくても答えをくれる」
『今のが答えか?』
いつもどおりの暗やみ。
(だんだんここが安心するような場所となっていく)
「変なの」
『いいことじゃないのか?』
くすっと微笑んで言ったその言葉にそう答える。
「口に出してないことに答えないで貰いたいなー」
『それはすまない』
心がわかるというのも、いいものなのか悪いものなのか。
「もっと謝れよー」
『なにを考えているのかはわかるんだ。一人で悩んでないで、俺にでも言えばいい。だから呼んだんだろ?』
「うん。一人じゃ淋しいや」
相澤や杵島においてかれるのは慣れない。
『それだけか?』
「だめ? でも変だよねぇ。前に一人で旅に出たっていうのに、いまさら一人が淋しいんだよ? バカみたい」
『寂しがってなにが悪い? 人は淋しがる動物だろう?』
「淋しがる動物は兎だよウーサーギー!」
『人が淋しがるのはいけないことか?』
「いっ……いけなくはないけどさー」
何だかテンポが狂う。
人間だろうに、スイッチがONになりたてのロボットのような……いや、生まれた赤ちゃんが、いきなり大人になってしまって、基本的なことを知らない人みたいだ。
「調子狂う」
調子が狂う?
いや、違う。
(頭痛がする)
だ。
『俺は何ともないが?』
「あーもー無意味に心を読むな!」
不安だ。すごく。
一心同体だとかぬかしたが、まったくの別人にしか感じられなくなってきた。
ゆっくりと目蓋を瞑る。
目蓋を開いても真っ暗に近いが、その暗さを余計に暗くし、自分の世界に入るように……。
感じ取る。
目には見えていないものを、目で見ようだなんて思う人は少ないし、目には見えていないものを信じる人は少ない。それに、その存在を知らないものもいる。でも、今の俺には感じ取り、知らなければならないものがある。
大きい大事なものから逃げるには、何か計画を立てなければいけない。
大事なものは、警察だって人生だってなんだっていい。逃げ切らなければならないものは、その逃げ切る方法を考えなければならない。
そしてその方法や計画の一つの項目には、逃げ切る期間も必要とすれば尚善いだろう。
だから今の俺にも期間を作らなければいけない。
自分の気持ちから逃げ続ける期間を。
逃げ切ってはいけない。逃げ隠れしてはいけない。
逃げ続けなければいけなかった。
でも、いつかは自分の気持ちと向かい合わなければいけない。
『なにを考えている?』
不意に黙っていた山田くんが口を開いた。いや、閉じていたのかもわからないが。
「山田くんにはわからないこと」
聞いてくるということはわからないのだろう。
今の気持ちは、自分にしかわからないことだから。
覚悟と勇気と自信。
思い描く。自分の目の前に人があらわれるシルエットを。
今はまだ、山田くんの姿がわからない。名前も、まったくわからない。
だから、わからないといけない。知らないといけない。いや、知らなければならない。
「山田くんはさ」
『なんだ?』
「俺が呼んでないときはなにをしているの? 暇じゃ、ないの?」
『なに……って』
不意に聞かれた質問を答えるかのように、ぴたりと言葉が消えた。
何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと不安になる、長い沈黙が流れていく。
「もしかして、何もしなさすぎて、答えられなかったりして」
冗談混じりに、笑いながらそういってやると、しみじみとした返事が帰ってくる。
『あぁそうなのかもしれない。よく、覚えていない』
「え……」
『おまえがなにをしたのかは覚えてはいるが、自分のこととなると全然』
「まっまじかよ……」
そんなことを言われると、正直困る。
「あなたに過去はあった?」
記憶の片隅にでもいい。なにか、俺以外の記憶というものが、一つでもあってほしい。
どうしてかなんて、わからないが。
『いや……そうだな。ないに等しいが、これは言っておこう。与えられた宿命……いや、使命は覚えている。もっといえば、使命の下で生きている』
「使命……そう聞くと、縛られて息苦しいイメージだな」
『いや、そんなことはないが?』
「でもその使命って誰が下したの?」
『誰が? それは必要なのか?』
「は?」
その質問の意味を、理解することができずに、裏返る声をだしてしまった。
『おまえが生まれたときに俺は存在した。その時から必然的に持っていた使命だ。いや、やっぱり宿命のような言葉がしっくりくる』
自分一人で納得されても、俺にはわからない。
宿命と使命の違いがわからない。
どちらも縛られ、窮屈なことには変わりが無い。
「その使命の内容は?」
『沚を育てることだ。身も、心も』
「そっ育てるって……証なんだよね?だったら、証としてのなにか、目標とか目的とかはないわけ?」
『そんなものが必要なのか? 目標が必要ならば、おまえが作ればいい。おまえが、その目標に向かって頑張らせればいい』
「うっわ……他人事ぉ」
『そうか?』
「うん。でもいいや」
『?』
「それこそ山田くんらしいしね」
『いい加減、その山田くんっていうのはやめにしないか?』
「ん? そうだね」
そういって、なぜか自然と口元がゆるみ、ほほ笑みがこぼれた。
「じゃぁ、田中くん!」
『……はぁー……』
「ちょっ何その重っ苦しいため息!」
ひどいとブーブー子供みたいに、口を尖らせては、不安を口にする。
はじめてみたときのこの人の姿を思い浮べた。
赤い髪で、長くて肩辺りというくらい。少しチャラチャラしていてもおかしくない容姿なのに、少しもチャラチャラしてなくて。怖いイメージを与える目付きだけど、何だか淋しそうで。
身長は高くて、なぞを深めるマントをまいていて。
贅肉は無さそうに見えるけど、ガリガリ体質でもなさそうで理想的な体型。
ゆっくりと目蓋を閉じるようにして、再び目を開く。そこに、田中くんがいるのを願って。
「ようやく見れた」
『ついに見られた?』
「一回会ってるからかな?」
『かもな』
目を閉じ、うっすらと微笑むそのやさしい口元。
その人の名は、まだ呼ぶことを認められない気がした。
だからまだ呼ばない。まだ。