第13話
「おはよう」
「おぅ」
「あれ? 杵島は? 寝坊かな……」
珍しく杵島が朝の待ち合わせ場所にいない。
今日から学校があるというのに、初日から寝坊もしくは遅刻だろうか。
寝坊や遅れ自体杵島にはめずらしかった。いつもそれらをやるのは俺か相澤くらいだった。
「なんか不吉な予感が……」
そうゲッソリした顔で言うと、相澤もそれに倣うかのように、俺もと同意してきた。
「なんか雨降りそうだな」
今は晴天夏日和。こんな日に言ってしまうのは、杵島が休んだせい。
『日頃のバカがいきなり天才になったときは雨が降る』きっとその真逆だってありえる事だろう。
日頃の天才が、いきなりバカになる。それとイコールで繋がってしまうのではと。
「何不吉そうな顔してんだバカもん」
「そうじゃなくて、してるんだよって……」
「杵島!」
「よう! 遅れてわりぃな」
なんて、なんでもなかったかのような顔をしているが、俺にはわかった。
遅れてきたのは、寝坊なんかじゃない。違うなにかがあったんだと。
「まぁ、間に合わないわけじゃねぇし大丈夫だよ。早くいこー」
「あぁ」
歩きだすとき、ちらりと杵島を見た。
先頭切って歩いている相澤の後ろ姿を、じっと淋しそうな顔で見つめている。
この顔を知っている。
この顔は、俺が旅先で出会った麻紀に、“証”の話を聞いたとき、海に反射して見えた自分の顔だ。
「杵島。今日の夜電話していいか?」
相澤に聞こえないように、ボソボソッと杵島の耳元でそうつぶやく。
少し驚いた様子で振り返った顔は、助けがあったかのように、半分安心したかのようなあいまいな表情だった。
放課後。
言ったとおり本当に雨が降ってきた。
これはただの偶然か。もしくは、本当に不吉な予感があたったのか。
「なんか前にもこんなことあったよな」
「あっ? あぁ」
窓を開け、外をじっと眺めていった相澤に、動揺した声で答える杵島。
風もなく、まっすぐに力強く地面を叩きつける雨は、二人の声を俺の耳から遠ざけた。なんだか、テレビドラマのように、囲われた声を聞いてるみたいだった。
これも何も考え事のせいだ。
「相澤今日は傘持ってきてないのか?」
「んなもんもってこねぇよ。降るって知らないかぎり」
「こういう話良いかどうかわかんないけど、相澤の力で全部送り返せないかな? 空に」
不意にそんな提案を出してみるが、他の人から言わせてみれば、ただの怪奇現象だ。
「あっ。なら、オレらの周りにだけ水の膜張ろうか? 地面から」
「ばあか。変に目立つぞ」
『杵島可愛げねぇ!』
「んなもんいらねぇっつかなんでだよ!」
相澤と息を合わして言うなり、呆れたように杵島がそれに答える。
確かに傘もささずに濡れないのは、ただの悪目立ちかもしれない。
「なら、三人で相合傘する?」
『きっつぅ』
俺の提案に二人して却下を出す。
(速答って……)
「んじゃ買いに行くかな」
よっこらせとオジサン臭く立ち上がる杵島に、相澤とともに立ち上がる。
「こういう時って、売店儲かるよな」
「確かに……」
結局別れるところまで来たら雨は止んだ。
水溜まりを避けながら家に着き、夕飯を待った。
電話をするのは、夕飯がおわったらと、一応迷惑にならない時間を目指すのがいつもの約束だった。なのにいま、いきなり電話が鳴った。
「はい?」
『ごめん。こんな時間に。今平気か?』
相手は杵島だ。
電話をするといったのは俺の方なのに、向こうから電話がくるのは、予想外だった。
「うん大丈夫だけど、どうかしたのか?」
『どうしたっていうか、電話するって沚がいってたから、気になって待てなかったから。今話せれるなら、気になるしダメかな?』
「うん。そっちが良い言うなら。うんとさ。あの時、相澤をじっと見つめてたから。至極淋しそうだったから、何か知ったのかな? って」
実際夕飯までに、その聞く質問の仕方をじっくり考えようと思っていたから、聞きたいことを聞かずに過ごしてしまいそうだ。
『あったのかじゃなくて、知ったのか……か。ってことは、もしかしてオレらよりも沚のほうが色々知ってたりして』
「あっ……えっと……。二人がどんなことまで知ってるのかわかんなくって」
ベッドにきちんと座りなおし、少しだけ前かがみになり、膝に肘を乗せ、話に集中する。
『沚はどこまで知ってるの?』
「……杵島らしくないね。最初に質問したのは俺だ」
クスッと軽く聞こえるように微笑み、自分を主張する。
『そう、だったね。昨日の夢でね、カリフォンスって言うやつに会ったんだ。そいつは、“俺”の証なんだけど、そいつが言ったんだ。「相澤は、偽の選ばれし者だ」って』
(偽の……選択者?)
麻紀と話していても、そんな単語は聞き覚えがなかった。
『もともと、沚のことは教えてくれたとしても、相澤のことは頑固に口を開かなかったんだ』
そこで杵島の言葉は途切れた。これは口を開いても良いぞ、という証拠なのだろうか。
今の杵島は少しだけ動揺し、微かに落ち着きがないだろう。すごく“偽の選択者”ということばがきになるが、今直球で聞くのは避けたほうが良さそうだ。
「で、淋しそうな顔は、どうしてだったの?」
『……偽の選択者は、落とされるんだ。そうカリフォンスは言ったんだ』
「落とされる?」
『あぁ。願ってもいない世界に、落とされ苦しみながら永遠なる命と戦うんだって』
(永遠なる命……戦う?)
もしかしたら、それは証を持たなかった者が行く末のことを言っているのだろうか。
麻紀の話にあった、優貴の話。
(世界へ行くって……“食われた”後の世界……! じゃぁ、偽の選択者って言うのは、証の現われなかったもののことか)
「んな話……聞いてないぞ」
電話中だというのも忘れて、ついついそう呟いてしまった。
『なに?』
「あっいや……」
『質問していいよな? 沚の知ってる話を聞きたい』
「うん。えっと……その、杵島達の力はダブっていることがある。でも、その力同士集まってはいけない。ヒトは権力を争いはじめてしまうから。自分のほうが強いと……それと同じで、能力同士が強さを求め合ってしまう。それで中にはリーダーがいる。そのリーダーには、特別な“証”が手に入る。その証が現われるのは、力が手に入る前らしい。ってところかな? でも一部はあいまいで本当のところはわからない。でも、一部は本当のことらしい」
麻紀から聞いた言葉を、少しばかり言い換えた形で説明した。
少しばかりの無言がつづく。
『沚には現われたのか?』
「……実際わからない。そのことを言っているのか、ただの一般人なのか。杵島が言ってたカリフォンスっていうのはだれ?」
『力の源。そいつ……カリフォンスの力が俺の力とイコールで繋ぐことができる存在。うるさいやつだけどね』
うれしそうな声。
力が手に入ったことについての喜びではなく、カリフォンスに執着していて、そのことについて喜びを覚えているみたいだ。
『だいたい俺の情報は、そいつ……カリフォンスから聞いた情報だ。沚が言う証ってのは、たぶんカリフォンスのことだと思う。で、その証(だろう人)とその媒体……つまり、俺みたいに使う側は、力を使うとき、一心同体に近くなる。意思や意気が合わないかぎり、“力”をうまく発揮・コントロールすることは難しい』
一心同体。意思・意気。
その言葉が思考を回した。
一番に今までのことを思い出したのは、俺が俺じゃないけれど、あれは俺である姿を見た夢。あの時の俺を、強いと思った。弱い自分なんて蚊帳の外に放り投げた。
だんだん思い出してきた。
あいつ……あの人は、話したいときにあらわれてくる、幻想・幻覚みたいな雰囲気を醸し出している人。いや、声をしていた。
自分の都合よくしゃべってくれるんじゃないかと、解釈してしまいそうになる。
名前だって、山田太郎や、田中勇作などではなく、俺が名付けるといった。力を獲るにも名前が必要だといった。
「じゃぁ、そのカリフォンスっていうのは、どうやって名を付けた?」
そう聞くと、耳元……電話の向こうで何かを置く音がした。そのあと、ズズズッと飲み物を啜る音が聞こえてきた。
何か飲み物を飲んでいるのだろう。
一呼吸おいてから、返事が来た。
『覚えてない。でも、教えてもらったわけでも、俺のセンスでもない。そうだなぁ〜……いうなら、不意に脳裏を走ったって感じかな?』
「脳裏を? ならそれを待つしかないのか……」
時間が掛かるかはわからない。
どれくらいの状態でそれがおきて、不意に聞き漏らしているかもしれない。でも、脳裏を走るものというのも、今は思い出せない。
『急ごうとしないで、沚。沚の言う“証”ってやつと、仲良くやっていけばいい。問題は、どちらが早く打ち解けるかだ。あとは、沚が打ち解ければいいのか、向こうが打ち解けるだけなのかだ。お互いをお互いに知り合うのがいいと思う』
「俺とあいつが……? そっか。頑張ってみる。いや、心得ておくよ」
『うん。知りたいことや、わかんないとこがあったら、できるだけ教えたいとは思ってるからさ』
「ありがと」
『あぁ。じゃぁまた明日な』
そういって電話は切れた。
この会話を聞かれているとも知らずに。
何もかも変わってしまったのは、夏休み前の、ある雨の日。
不意に降ってきた雨に、杵島と相合傘をした傘。相澤は予備の傘を持ってきていて、折畳み傘を女々ちゃんと名付けた。
(そういえば、相澤はあの時持っていた傘……)
いったいどうしたのだろう。
今日は持ってこなかったし、今日だってあの日だって、雨が降る予兆はなかった。なのに、降るってわかっていないのにと相澤は言った。
なら、あの時はわかっていたのだろうか。降るということを。それともただの偶然か。
「偶然……だよな」
そう思い込み、すっかり忘れかけてしまった。
『報告します。あいつには、まだ力は宿っていない。むしろ、名前すらわかっていないようです』
『そうか』
籠もった声の主が、薄暗く、必要ある場所だけ、黄色に近い光で照らされながら答えた。
置かれている家具類は、ふるく、よく音を響かせる鉄のような素材でできていて、あまり目立たせないようになっている。
この場に人がいるのは、籠もった声の主と、その主を守るもの数人のみ。
籠もった声の主のすぐ手前には、数量の水が入った入れ物。声はそこから報告をしていた。
『何か特別なことを?』
『いや……様子を見たいところだが、そうだな。おまえの意見を聴かせてくれないか?』
『私の……ですか? そうですね。私の命もそう長くはつづきません。なので、今、少しでも自分達が危険な状況にあるということを示してみては? まだあいつは力を得てはいない。しかし、力の使い道や、その力そのもののお手本を見ています。もしかしたら、状況を把握したとき、何かおもしろいことが起きるかもしれないと思うのですが』
『おもしろいことか……おまえは、あいつが覚醒したら、強いと思うか?』
『弱いと思います。もしくは、見かけ倒し……というんでしょうかね? バカでかい能力があっても、それ相応の威力はないでしょう。あいつは、人を傷つけることなんかできない』
『そうか。あとはおまえに任せた。何かあったらまたこちらから連絡を入れる』
『御意』
ぷつんと連絡は切れた。
その場には、籠もった声のみが響く。
『あいつには“証”をあつめることはできない……絶対に』
世界はだんだんと変わっていく。
どちらが間違いか、どちらが祝福できるか。
そんなこともまともに判断することが困難になるくらいに、団体と団体が別々の……対立する……曲がりくねった人間関係になりつつあった。
なにを滅ぼすためか。
なにを正当化するためか。
なにを覆すためか。
いったい誰がリーダーとなるべきなのか。
人と人が裏切り合い、人と人が信頼し合う。しかし、信頼して味方と思ってしまっても、片方は敵に繋がっているかもしれない。そこには信頼関係があり、裏切りを知らないかもしれない。しかし違うところに繋がった裏切りもあるかもしれない。
どこでどう繋がっていくのかがわからないから世界は繋がり、離れていっている。