第11話
(お金は余分に持っていくっていうのを学習したな……)
早朝に出たおかげか、終電にのることができ、家に着いたのは深夜だった。
母さんはもうすでに眠っており、玄関以外は真っ暗だった。
母の優しさだろう。
もともと休み中は自由だった。学校にいって、問題さえ起こさなければそんなに文句を言わない、大雑把にできた家族だからこそ成せる遠出だった。
家の匂い。
家の床。
家具の配置。
なんだか、何十年も家に帰っていなかったかのような懐かしさを感じさせられる。
夏休みも、もうそろそろ終わりに近づいてきている。
その前には杵島達と話をしたい。
ぼんやりそんなことを思いながらソファに腰を下ろした。
「ただいま……我が家」
背もたれにだらしなく頭を乗せて天井を見る。
(短い期間にいろいろあると、その期間がすごく長く感じられるんだな……)
すごく眠くてすごく疲れた一日は、疲れすぎて、眠すぎてなにからすれば良いのかがつかめない。
寝ればいいのかお風呂に入るべきか。
「風呂だな」
風呂ならば寝れるし休める。
と思い、風呂の様子を見に風呂場に行くなり……。
「……つめてぇ」
風呂を追い焚きにする気もしなく、ため息を吐いて部屋に入って布団に潜り込んだ。
約束どおり、今度は俺から杵島に連絡を取った。
『こっちに帰ってきたから、約束どおりメールします』
約束というのは、向こうにいるときに来たメールの返事だった。「心の整理をするために遠出しています。帰ったらこっちから連絡します。それまで、待ってくれると嬉しいです」という約束。
わかってくれたのか、返事が来なかった。
『しばらく連絡を切っててごめん。心の整理がはっきりした……ってはっきり言えるわけじゃないけど、旅先で色々あって、色々な人に出会って……。
杵島や相澤が力を持ったことには素直にびっくりしてて、別人になったような気がしてたけど、やっぱり杵島は杵島で、相澤は相澤であることはかわりないんだよね。
実際、二人の力は怖いよ? でも、何かを守れる力になるってことを考えたら、いい力なのかもって思ったら、俺にもほしくなってきちゃった。
あの時、二人は俺にも力があるようなこといってた気がするけど、本当に自分にはそんな力はないんだ。
でももし、俺が努力すれば手に入れられるものだったら、俺は頑張るから……だから、まだ俺には二人と話したり遊んだりできるかな?』
すっと目蓋を閉じ、そこまで打って、送信ボタンを押すのをためらった。
本当にこんな文でおかしくはないのだろうか。
力がほしいというのは、もっぱら嘘ではない。
でも、力を手に入れることには少しばかりためらいがある。
そんな心でこの文を送ってしまっていいのだろうか。
グチャグチャ考えているうちに、また旅に飛び出してしまいたい衝動が舞い起きる。
でも……。
(もう逃げたくない)
勇気を持って送信ボタンを押した。
一息着くなり、服を寝巻からいつもの私服に着替えた。
夏休みもあともう少し。その間に仲直りをしておきたい。しておかなきゃいけないような気がする。
携帯をベッドに放置しておきながら部屋を出ようと、ドアノブに手を掛けたとき、ベッドに放置されていた携帯がバイブ音とともに、初期設定である “着信音1” が鳴り響いた。
一瞬携帯以外のすべての時間がとまったような気がした。
振り向くこともできず、ただじっと携帯に背を向けたままの自分がいた。
はっと我に返ったときは、鳴ってから数秒たっていた。
すぐに回れ右をしてベッドに振り向いたと共に駆け出し、携帯をキャッチしたと同時にだらしなくベッドにダイブしていた。
すぐに携帯を開いて通話に出る。
「……もしもし?」
『俺だけど、沚? だよな』
「うっうん」
この声は、相澤だった。
さっきは杵島にメールをしたはずなのに、どうして相澤が電話を寄越してきた。
しかし、携帯の画面を見るかぎり、携帯は杵島の物ではあるみたいだ。
『旅の感想、聞かせてくれないか?』
意外な言葉が飛んできて、素直に目を見開かせた。
「うん。でもその前にさ、今杵島もいるんだろう? 電話じゃ料金もかかるからそっち行って話さない? いや……二人に会いたいから行きたい。どこにいるか教えてくれない?」
『杵島んちきてる』
「そっか。なら、今から自転車でいく。途中でお菓子買っていくよ」
『わかった。待ってる』
プチッと電話を切るなり、少しだけホッとするとともに、全財産を旅に費やしてお菓子を買うお金がないことを思い出してしまった。
電車片道4,950円。往復して残るお金は、100円。もともと入っていた十円玉を足すと、120円のジュースが一本買えて、少しおつりが出る程度。
その料金から買えるお菓子を捜し出さなければいけない。
(つことは、お菓子一個程度か……)
少しがっかりしながらも、その価値のない財布を持って部屋を出た。
家を出たのはそれから数分後。
洗面所で、顔や歯のお手入れしたあとだった。
結局、普段自転車で二十分のところ、三十分かけて杵島の家に向かった。
途中、雲行きが怪しく、雨が降るんじゃないかと不安になる雲行きがつづいていた。
(そういえば、あの時も雨降ってたな)
ゆっくり指を伸ばし、呼び鈴をならそうとした瞬間、いきなり玄関の戸が開く。
驚いて目を見開いたまま目があったのは、杵島と、その奥にいる相澤だった。
「あっ……窓からくるの見えたから……そんなに驚かれるとは思わなかった」
「あぁそっか。杵島の部屋道路側だっけ」
「あぁ。とりあえず入って」
「うん」
(よかった。いつもの杵島だ)
もともと落ち着いている奴だからか、あまり動転動揺する姿を見かけない。
さすがに俺が驚いたのはびっくりした様子だ。
未だ一回二回程度しか来たことがないぶん、驚いて当然だ。
「相変わらず大きい家だよなぁ」
「無駄にねぇ。大きくて得したものは特にないな」
「損もないだろ?」
「まぁな」
ほほえんで聞いた言葉に、やさしく笑みを浮かべて返してくれる杵島。
両親が、政治家や資産家だったり、大手企業会社の社長だったりする特別な仕事に就いているわけでもない。仕事の要領が良いらしく、社長や課長のように上の人に認められ、給料が高いらしく、太っ腹に大きな家を建てたらしい。
外見だけではなく、内部もいい素材の物を使っているが、特別金持ちだと言うの見せないような、控えめに整われた家具。
もともとはかなりの貧乏な家に育ったらしい両親は、それなりに節約方法を使っているらしい。
見栄を張らないのが、憎いや羨ましいという感情を出させない。
いや、羨ましいには羨ましいが、皮肉さを持たせないというのか。
階段を上り、杵島の部屋に入る。
三人くらい入っても、狭いとは思わせなかった。
「あっそだ。これ、買ってきたお菓子……っていっても旅で使い果たしたお金でかったから、いいもんじゃないけど」
ガサガサッとビニール袋をならしながらも、杵島達にさしだした。
「あまりにも良いものだったらもったいなくて食べられないよ」
なんてクスリと杵島が微笑んだ。
新しく持ってきていたコップに、杵島や相澤と同じ飲み物を相澤が注いでくれて、はいっと手渡される。
にっこり頬笑んで、受け取った。
相澤は何度か来ているのか、何だかこの家になれているような様子だった。
「旅の話をしてくれないか?」
さっそくと、相澤が口を再び開いた。
「そうだね」
突発的に家を飛び出したこと。
電車に長い間揺られたこと。
計画性を持たなかった所為で、歩いて、何キロもある海に向かったこと。
ぶっ倒れたことに、その時出会ったキョウダイの事。
能力のことを抜き、あったことを事細かに説明した。
「途中で、すごく二人に会いたくなった。ホームシックって言うのかな? 自分の居場所はここなんだなって、しみじみ思わされた。
でも、それもまた嬉しかった。
メールが来たとき、まだ二人の傍にいても、許されるのかな? っておもって……だから帰ってきた。きっと、メールがこなかったら、二人のもとに帰ってくるのも、もう少し遅かったと思うんだ。
すごく、嬉しかった……。俺、まだ二人の傍にいても、許されるのかな?」
すべて話し終えると、相澤達は、少しだけ嬉しそうな。それでも、少しだけ驚いたような瞳を見せていた。
すっと頬笑み、二人はそっと近づいてきた。そして、挟むように俺を間にしてギュッと抱き締めてきた。
『当たり前だろ』
「もう、沚と連絡とれなくなるんじゃねぇかって不安だったんだぜ?」
「メールか返ってくるまで、何だか生きた心地がしなかった。メールが返ってきて、本当に安心したんだから」
「生きた心地って……大げさな」
「大げさなんかじゃねぇよ。俺たちはおまえが大事なんだってまぢで」
相澤は、照れる様子も、格好つける様子もなしに言ってくる。
それは力に関係するのだろう。もしかしたら、二人が守りたいものも、俺たち三人が関わってきているのかもしれない。
「二人はどうして力を手に入れたの? なにが目的なのか……聞いてもいいか?」
『この関係を守るため』
「それ以外に理由なんて、あとからついてくると思う」
「沚は、この関係、いやか?」
相澤は、そう不安そうな顔になる。
「いやなんかじゃねぇよ。俺だって、ずっとこのままいきたい」
でも、いやな胸騒ぎばかりが騒めいて、落ち着きをなくしてしまいそうだ。
あの時夢に見た、平原に並ぶオレら。
その中に、杵島はいても、関係を保ちたいと主張する相澤が、存在していなかった。
もしその場に麻紀がいなくとも、相澤はやっぱりいないような気がする。
麻紀たちが言った言葉が本当ならば、その証というものが麻紀にいることにはかわりはないし、それがいるかぎり、その力を持った他の者は食われてしまう。否応なしに、相澤が麻紀にあった時点で、相澤は……。
それが怖くてこの二人のことを、あのキョウダイに伝えることはできなかった。それとともに、この二人に、キョウダイのことを伝えることはできなかった。
「沚。おまえは今、なにを恐れているんだ?」
ボーッと手前のテーブルの足一点だけを見つめていた俺に、杵島がやさしく聞いてくる。
この二人だって、何も恐れていないわけがない。
「証……」
「え?」
「二人には、“証”って言葉だけで、なにが思いつく?」
それを聞いて、一番に反応したのは杵島だった。
ピクッと眉を一瞬ばかり揺らし、じっと見つめてくる。
「……沚。おまえは、旅をしてきて何を得たんだ?」
「先に質問したのは俺だよ?」
息をつく余裕も作らせない早さで、俺はきちんと言い直した。
もし杵島なら、話をナチュラルにずらそうとするだろうという予感はしていた。
でも、自分から話を振っておいて、この話をしてしまうと、自分に何かを確信してしまうようで不安になる。
じっと見つめあう状況で、最初に音を立てたのは杵島の喉だった。
唾を飲み込む音。
何か覚悟を決めたんだろう。
「力の話をしても?」
「かまわない」
「証と言うのかどうかもわからないし、実際相澤にはいないらしいから違うとは思うんだが、俺たちの力には象徴があるんだと思うんだ。それがいってる証のことかはわからない。実際関係ないかもしれないけど、その象徴は道しるべでもある。
自分が、今何を聞きたいのか。今、何を知ろうと必死なのかを、聞かずともわかってくれて、自然と答えを出して、自分で開こうと手招きしてくれる奴が俺にはいる。
それが何の証なのかはわからないけど、排除しなければいけないものではないと言うのは確かだと思うんだ」
そこまで言うと、まだ言いたげなんだけれども、悩んでいてはっきり言えないものがあるかのように、杵島の表情には迷いがあった。
あまりそういうのを顔に出すタイプではないのに、こんなにもはっきり悩んで、迷っている杵島は新鮮だった。
とまった口は、たまに開いたり閉じたりが繰り返され、言葉は出てこない。少しだけ、テーブルに軽く乗せていたては、急かされているように、絡ませ無闇に遊ばされている。
いきなりその手が離れると、杵島は自分の頭を抱え込んだ。
「わかんないんだ。どうして相澤にいないものが、俺には存在しているのかが」
そのことは、相澤も知っていたのか、特別驚いた様子はなく、ただじっと、俺でも杵島でもないどこか低めの一点を見つめていた。
杵島はきっと、はっきりとした何かがわかっていないだけであって、なにとなくと言う想像はついている。断言できるわけではないが、ついていないようすではない。しかし、それをまだ、相澤に相談するしないかを迷いつつも、いまに至ってしまったかのようだ。
相談すべきではない。
直感的にそう思っただけだが。
「杵島は、その存在するそれを恐れたり、敵視したりしてるか?」
「あ? いや。それはないな。怖くもないし、敵っていうのだって……まぁ、最初はさすがに……なぁ?」
誰に聞くわけでもないその問い掛けに、戸惑う人はいない。
「でも、会った瞬間から、“怖い”っていう分類がある事すら吹き飛んでたな。怖いかって、今言われて思い出したような感じだからな」
きっと、俺が見た怪しい人と、杵島の言っているその人とは、違う人だというのはいわれなくてもなんとなくわかった。
でも、きっと種類は同じだろう。
いつものこの三人が、一人一人違うけれど、“人”と言う分類では同じ事だ。それと同じで、きっと杵島には証がついている。それを本人は、“怖い”ということを忘れていられるくらいに楽にしていられている。
そりゃ迷ったり悩んだりしたかもしれないが、きちんとそれに向き合って生活しているように見える。なのに俺はどうだ。
恐がっていないかのように見せておいて、内心ではかなりビクビクして、落ち着きというものを忘れかけてしまいそうになる。
受け入れることをせず、必死になってそれから解放されようとしている。自分の都合のいいように、事を進めていこうとする。でもそんなことはそう簡単にはできっこない。
何一つ受け入れることをせず、逃げてばかりで手に入るものなんて何一つない。あって良いものではない。それはわかっているのだけれど、この三人の関係に、何かの邪魔が入ってきているような胸騒ぎがつづいている。
はっきりしたものではないから余計に怖いものだ。