3回目 鏡越しの逢瀬
〜〜☆〜〜
木漏れ日がキラキラと光る森の中。
持ってきたランチを一緒に食べ終わった後のこと。
朝露に濡れた新芽のような新緑色の髪が揺れたかと思うとターロス様の身体が傾き、肩にもたれかかってきた。
「ああ、ごめん。つい、眠くなってしまって」
「いいえ、大丈夫です。お疲れのようですね」
「うん。昨日、実験で遅くなってしまってね」
眠た気な目が開かれラベンダー色の瞳が現れる。
「久しぶりに君に会えたのに寝てしまうなんて勿体ないな。でも、どうしてだろう? 君といると故郷の森にいる時みたいに心が安らぐんだ」
「寝てしまうほどに?」
「うん。もう何年も帰ってない故郷を思い出す。この国でこんなに穏やかな気持ちになれるとは思っていなかったよ」
「寝てもいいですよ」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えて」
そう言ってターロス様はまた肩にもたれかかってきた。
ターロス様の長い髪が首筋にかかり、くすぐったい。
そして顔が近い。
「え? この体勢で?」
「だめ?」
陽光が差しラベンダーの色が、より濃くなる。
ターロス様が眩しい笑顔でこちらを見ていた。
◇◆◇
……っていうターロス=オルフィートのスチルイベントがあってだなっ!
その眩しい笑顔ってのが、それはもう美しくて美しくて美しくて美しくて…………
5回はストーリー再生したともっ!
そのお美しいターロス様の少年時代!
見れるなら見せてくださいホトトギス!
私はにやけそうになる口元を、少し俯き加減に扇子で隠した。
幸いなことに、私がにまにま笑っているところはエリオリス、ウィルフを含め周りの令嬢令息には見られていない。
みんな自分たちのテーブルで交わされる会話に夢中だ。
さて、乙女ゲーム名場面を回想して、にやけながらターロス様の少年時代を妄想しているだけでは何も問題は解決しない。
考えなければならないことを考えねば。
攻略対象者、ターロス=オルフィートの留学に関する歓待の話が出たのは3回の人生で初めてのことだった。
このことを私はどう受け止めるべきか。
どの人生でも、学園生活が始まるまでイベントが発生したことはなかった。
正確に言えば私の知る範囲では、と注釈がつくのだけれど。
ターロスのそんな重要なイベントがあれば、攻略対象者を避けていたとはいえ、気がつくはずだ。
場所は私も内政を手伝っていた時に行ったことあるコールドーテだし、お父様とユスティナが関わっているのだから、「あれ?おかしいな。何かあるのかな」くらいには。
まず、あの隠し事が出来そうにないユスティナが私にばれずに隠し通せるとは思えないんだよね。
しかし、急にユスティナが挙動不審なった、なんて記憶全くない。
ということは3回目にして突然新しい要素が加わった。そう考えるのが一番自然だ。
今までなかったものが突然発生するのは、どう考えてもそれが重要なことに思えてならない。
特にどうしてこうなったのか分からない、乙女ゲームに転生して8歳から18歳の10年間ループしているという非常事態には、少しの変化も大事な手がかりだ。
気にかかるのはお父様が私に、ターロスが来ることを隠していたということ。
ユスティナと仲良くすることで、両親との関係は友好的になったと思っていたけれど、考え違いだったかな。
私に知られたくない理由は何なのか、考えてみるが、思い当たることが見つからない。
だけどお父様のことだから、私が知るとグランベルノ家に不利益が被ることなのだろう。
でも、コールドーテに行くことがループ解明の近道だとは思うのよね。
「その、まぁ……グランベルノ公爵がお前に言わなかったのも、たいした理由じゃないんじゃないか?」
うえ?
急に話しかけられ、驚きのあまり変な声が出そうになった。
ずっと扇子を手に俯いていたためエリオリスが、私が家族に隠し事をされて落ち込んでいると思ったらしい。
いつもは上から目線の俺様な態度のエリオリスが、珍しいこともあるものだ。
私としては家族関係のことはなるようにしかならないから、落ち込むことはないんだけどなぁ。
子どもだからやれることも限られているし。
でも、心配されたことが気恥ずかしくて自分を誤魔化すように皿に盛られた赤いジャムのついたクッキーを一口齧った。
ジャムはラズベリーに似た、でももっとねっとりと甘いいちごジャムだった。
その甘さが紅茶で流し込んでもしばらく残り、口の中を支配する。
「その、理由というのは?」
「ああ……それよりお前は理由を知ったとしてターロス=オルフィートの出迎えに参加したいと思うか?」
「ええ、それはもちろん」
「何故だ?」
「それは愚問ですわ。この世で一番美しいと言われている種族であるエルフの方に、早々お目にかかる機会なんてありません。お会いしたいと思うのは当然じゃございませんか?」
まさかお出迎えが転生ループにかかわる一大事かもしれないので、確かめたいなんて言えない。
エルフに会いたい! というミーハー丸出しの答えで誤魔化した。
エルフに会いたいのは嘘じゃないもんねー。
情報も欲しいしー。
しかし、この答えはエリオリスのお気に召さなかったらしい。
「はっ! やはり美人揃いのエルフ狙いか」
吐き出すように言ったまま、ラズベリータルトを口に放り込む。
「お前はぜぇっったい!!コールドーテに来るな」
え?えええっ!?
もぐもぐと咀嚼し、飲み込むと間を置かず新手が口へと運びこまれる。
…………で、理由は?
聞くだけ聞いたあげく、来るなとか言っといて教えてくれないのですかね、殿下。
じーっと、エリオリスを見つめるがエリオリスは何も言わない。
隣でふふっと笑う声がした。
ウィルフだ。
「リディシア嬢。失礼ですが、グランベルノ公爵が君に話さなかった原因はそれだよ」
「それ、とは?」
「君が見せる、その男性への好奇心」
おっと。それは予想外。
男性への好奇心とは、十中八九、私がところ構わず攻略対象者に話しかけていることだろう。それがターロスに及んだことと何の関係があるのか。
「君は、エルフの信仰を知っているかな」
「ええ。我が国の精霊信仰とは異なる、月神と森の精の信仰ですわね」
「そう、ソルバードは昔から月の女神を崇めている。月の女神は月光を思わせる銀色の髪を持っている。そして、森を連想させる緑はソルバードでは高貴な色だ。グランベルノ嬢、今日君たちは周囲の貴族たちに何と称されていたかな?」
そこまで説明されて私は、ウィルフの言いたいことを察した。
「……まぁ。並んでいると太陽と月の妖精のようね」
太陽とは私のこと。月とはユスティナのこと。
ユスティナの髪はプラチナブロンドで、目の色は若草色だった。
ああ、そういうことね。
お父様ならやりかねない。
「ユスティナ嬢の容姿はエルフたちにも通用する、希少な色合いだ。6歳の今でさえハッとするほど美しい。それにグランベルノ公爵はソルバードとの外交に積極的。相手の国の宰相の息子と懇意になるのは益になることはあっても不利益になることはないよね」
つまり、お父様はユスティナをターロスに嫁がせる気でいるのかっ!
この出迎えにユスティナが参加させられているのは、ターロスとの正式な見合いとまではいかないまでも、顔合わせをさせるため。
私がそれを聞かされていなかったのは、ミーハーでイケメンと見れば話しかける姉が邪魔だったから、ということかっ!
その場にいたら二人の仲が進展しないと判断された、と。
いや、でも教えてくれたら私だってちゃんと協力するって! ……ユスティナちゃんの意思を確認してから……あ、もしかしたらそれが駄目なのか。
「で、でもユスティナはまだ6歳です。対してターロス様は15歳。歳が離れすぎでは」
「確かに離れているけれど、僕たちにとっては珍しいことではないでしょ」
ま、まあね。歳の離れた貴族の結婚なんてよく聞く話だ。
自分の娘ほど離れた歳の令嬢を後妻に貰う禿デブ貴族なんて珍しくない。
歳が離れているとはいえ、禿げてもデブでもブスでもないノット三重苦で、しかも宰相の息子だから将来優良株!見目麗しいエルフに嫁ぐのは、ある意味勝ち組だ。
「でも、ユスティナはまだあんなに小さいのに。結婚に納得するとは思えません」
「フッ……貴族の結婚に納得が必要か?」
小馬鹿にしたような嘲笑でエリオリスが間に入ってきた。
「貴族の結婚なんて、政治の道具に過ぎない。納得するとしたら自分の立場と役割だ。政治的繋がりを保ち、家の後継ぎを作る」
うわ!それが乙女ゲームのヒーローが言うセリフか?
ヒロインちゃん、敵は手強いぞっ!
「恋愛の自由なんてあるわけがない」
エリオリスの口が歪む。
その視線が野ばらの間をさまよい、ある一点で止まった。
「貴族の大半はそれが分かっているはずだ。その証拠があのアロルズ家の取り巻きだろ?」
視線の先の小さな少年は自分より年上のお姉さんたちに囲まれ、無表情で紅茶を飲んでいる。
「あの取り巻き令嬢の何人がクリフォード自身を見ている?5割はアロルズの権威を見ているだろう。2割は容姿か?あとの2割は結婚はできないまでも顔を売ることでおこぼれを貰おうとする禿鷹で、残りの1割は足を引っ張ろうと失態を狙う野良犬だ」
「それでも、一人くらいは彼の冷たい孤独を暖めようとする令嬢がいるかもしれませんわ」
エリオリスが私の方を向いた。
深く青い色の瞳で睨まれる。
「それが結婚相手とは限らないだろう。お前はそれが身にしみているのではないか?」
「身にしみて?何のことでしょうか」
「あくまでもしらばっくれる、か。まぁ良いだろう。どちらにしても公爵家で外交促進派筆頭のグランベルノ家に自由恋愛の結婚なんてあるわけがない。諦めることだな」
む、むう。
家の立場を引き合いに出されるとグゥの音も出ない。
「それでも恋愛がしたいというなら、精々ばれないよう、裏でやるんだな」
冷たい視線が飛び、すぐに逸らされた。
「エリオリス、それを僕の前で言う?容赦ないな」
本来なら王位継承権第一位だったはずの少年の笑い声が一際大きくなった。
私はいたたまれなくなり、テーブルの外側へと目を向けた。
明るい室内、交わされる談笑。
その一画、壁にはめ込まれた大きな鏡の前で淡い黄色のドレスの女の子が髪型を整えているのが見えた。
真珠色の扇子で顔を隠し、前髪を気にしている。
女の子には見覚えがあった。
私よりも3歳上のその女の子は先日、婚約を発表したばかりだった。
しばらく女の子を見る。
鏡と女の子の後ろでは男の子4人のグループが立ち話をしていた。
そのグループの中の一人が女の子に気がついた。
男の子は私からは後ろ姿しか見えなかったが、鏡を通して女の子を見ていることが分かった。
二人は鏡越しに見つめ合う。
女の子がふんわりと微笑み、扇子を動かした。
扇子を閉じて先端部分を指で触る。
“あなたに話しかけてもいい?”
男の子はそれを見て、長めに目を瞑った。
女の子が膨れっ面をする。
今のは“いいえ”ってことかな。
今度は扇子を開いて仰ぐ。扇子を持っていない手は扇面を触っていた。
“あなたのそばにいつもいたい”
再び男の子の答えは長めの瞬き。
“いいえ”だった。
女の子の顔が泣きそうになる。
それを見た男の子が困った様子で、野ばらの間の外を指した。
“庭で会おう”、かな?
嬉しそうな女の子。
扇子を少し閉じ、扇骨を指差す。
“何時に?”
男の子は仲間の子たちに見つからないよう気にしながら、右手の指を控えめに3本立てる。
“3時に”
女の子はそれを見て、嬉しそうな輝く笑顔になった。
扇子を閉じて頬をなぞる。
“愛しています”
男の子の頬が染まる。
少し間が空いた後、2回瞬きをした。
視線がぶつかる。
同じタイミングで二人が微笑み合う。
それは永遠のようで一瞬だった。
すぐに二人は鏡の世界から出て、それぞれの世界へと戻る。
男の子は友人たちのグループの中へ。
女の子は歩き出し、同じ年頃の女の子たちがいるテーブルの席に着いた。
とても穏やかな時間だった。
二人だけの空間、二人だけの時間。
しかし彼女の婚約者は彼ではない。
彼女の婚約者は見つめていた彼の5歳上の兄。
すでに大人たちのサロンに出入りしていてここにはいない。
婚約が先だったのか恋が先だったのかは知らないが、彼女たちにはどうしようもないことだった。
私が彼女たちの恋を目にしたのは今回が初めてではない。
前回の人生でも前々回の人生でも、彼女たちは恋をした。
そして二人は…………いや、これ以上は考えるのはよそう。
2回の人生がそうだったからといって、今回も同じ結末が待っているとは限らない。
繰り返されるループを、殺される運命を変えたい私が、彼女たちの運命を決めつけるのは私の運命も変えられないと肯定することになる。
幸せな結末は自分で切り開くものだ。
私はまだ諦めてはいない。
やはり、コールドーテには行くべきだ。
私は皿に残していた齧りかけのクッキーを口に入れた。
「貴族も王族も個人で出来ることは少ない」
鏡の方を見、忌々しげに呟くエリオリス。
「どれを選びとったとしても自分の責任だが、自分だけのことなんて一つもないさ」
クッキーの甘さが脳髄に突き刺さる。
宝石のように赤く、可愛らしい見た目で糖分過多のそれは、立派な凶器だった。
◇◆◇
王城から帰宅して自分の部屋へと戻ってきた頃、私はある重要なことを思い出した。
ターロスのお出迎えイベントは乙女ゲーム本編シナリオにない。
乙女ゲーム本編、そしてエンディング後のネット配信追加エピソードにも攻略対象者の過去のエピソードはないのだ。
スピンオフで過去編メインの小説が出てはいたが、私は読んだことがない。
つまりはコールドーテに行ったとしても私には初見で、転生シナリオ知ってますわよ特典が使えない!
このイベント、初見殺しだったらどうしよう。
いや、乙女ゲームで初見殺しってどんな無理ゲーだ、とも思うが。
な、なんとかなるの、かな?
2015年9月22日
デッドエンドサークル〜小話!を投稿いたしました。
本編よりちょい甘です。
よろしくお願い致します。