3回目 高らかに鐘は鳴る
15/07/02 一部「ユスティア」となっていたところを「ユスティナ」に修正致しました。
15/08/09 サブタイトルを「白梅が香る頃に ①」から「高らかに鐘は鳴る」に変更いたしました。
15/10/20 ユスティナのセリフ「アリアットの巫女さまにしか召喚できない光の精霊さまで~」から「アリアットの神官さまと巫女さまにしか~」に変更いたしました。
それは12歳の冬の出来事だった。
仄暗い部屋の中。
パチリと暖炉の薪が爆ぜる音に、私は顔を上げ、何度目か分からないため息をついた。
赤々とした炎の熱が肌の表面を撫で、私の頰を火照らせる。
背後からは本のページをめくる音が一定のリズムで聞こえる。
不意に、髪飾りとして身につけていたのが白梅の生花だったと思い出した。
あまり熱に当てると萎れてしまうかもしれない。
私は暖炉から離れようと一人掛けのソファーから立ち上がった。
白いシルクのドレスとクリーム色をしたレース編みのショールの裾がシュッと擦れ、床へと流れる。
窓際に寄ろうと振り返ると、思わぬ視線とぶつかり息を飲む。
紙をめくる音が聞こえていたから、てっきり本を読んでいるものとばかり思っていたエリオリスの、深い青色の瞳が私を見ていたのだ。
暖炉の熱で潤んだ瞳。
何を思ってこちらを見ているのかは分からない。
長椅子に足を投げ出し、肩肘をついて、くつろいだ様子で寝そべっている。
本はサイドテーブルの上、ランプシェードの隣に置かれていた。
き、気まずい。
この部屋には私とエリオリス以外にも、私の侍女のメリオラとエリオリスが連れて来たセバスチャン的な初老の執事デアンさんがいるはずなのに、二人は部屋の隅の凝った影と一体となって、息づかいすら殺して立っている。
誰も言葉を発しない。
どうしてこんなことになっちゃったのかしら。
私はこれまでのことを少し思い返してみた。
◇◆◇
3回目の12歳、新しい年が明けた最初の日のことだ。
シュテインガルド王国では毎年、年が明けた第1日目に上位貴族は王城の神殿に集まり、祈りを捧げるのが慣例になっていた。
神殿といっても讃美するのは神様ではない。
シュテインガルド王国、延いては乙女ゲームの世界には精霊が存在した。
精霊の種類は7種類。
火、水、土、風、闇、光……そして王族のみを守護する叡智の精霊。
この世界の魔法はこの精霊達に自分の魔力を提供し現象を起こしてもらう、というものだった。
炎を出したければ火の精霊を呼び出す魔法陣を思い描き、内なる魔力を放出する。
すると放出した魔力を媒介に精霊が炎を出してくれるという寸法だ。
生じる現象は一つ一つ魔法陣が決まっており、複雑な現象ほど魔法陣も複雑になる。
このことから、この世界を創造し自然界で起こる現象はすべて、精霊様達のご意志によるものだという精霊信仰が一般的に信じられていた。
どんなに小さな村にも精霊を祀る神殿が必ずあり、神官がいて、前世の宗教と同じように神官達による宗教組織が形成されていた。
宗教組織の名はアリアット教という。
前世の宗教と違うのは、組織の頂点に立つ者が法王や大僧正のように組織内の人物ではなく、国のトップである国王が兼任している点だ。
これは王族が精霊の一柱である叡智の精霊の祖先である、という説に基づいたものらしい。
まぁ、建国神話にはよくある話よね。
実際は国教とはいえ国王がアリアット教に口を出すことはほとんどない。儀式の時に挨拶程度に一言述べるくらいだ。
私の婚約の儀の時も大神官様がほとんどを取り仕切っていた。
また、アリアット教は発祥が“精霊と魔法”ということもあって魔力を持つ人間の教育や魔導師の統制を一手に引き受けている。
乙女ゲームの舞台、リディシアやヒロインたちが15歳から通うことになる学園の教師にもアリアット教の神官様はいた。
それからアリアット教には独自の武装集団があった。
彼らは神殿騎士と呼ばれ、上位の神官や巫女、その他、式典や教会の重要拠点の警護を行う。
攻略対象にアリアット教の神殿騎士もいるんだよね。
えーと、確か、神殿騎士の出現条件は最高学年の始まる春までに、全属性の精霊魔法のパラメーターを最大値の80%まで上げて光の精霊の召喚を成功されるんだっけ。
今まで自分に関係なかったから気にしてなかったけど結構な鬼仕様だな、おい。
条件を満たすと神殿から巫女候補としてお声が掛かりそこで知り合うんだったかな。
ちなみにリディシアちゃんの魔法の実力は大したことない。
もしかしたら同学年では下から数えたほうが早いかもしれない。
私が魔法の勉強をサボっていたからじゃないよ。
もともとリディシアちゃんは魔力を蓄える器が小さいようなのだ。
いくら記憶力チートを駆使して複雑な魔法陣を覚えても精霊に与える魔力が小さければ大した事象は起こせない。
せっかくの乙女ゲーム転生なのにチート台無し。
「お姉さま、綺麗なステンドグラスですね」
おっと、話を戻そう。
12歳の冬、新年の最初の日。
グランベルノ家は父の公爵と母である公爵夫人、そして私と6つ下の妹ユスティナの4人で王城内の神殿に来ていた。
王城の東地区に建てられた神殿は、叡智の精霊を中心に7精霊が彫刻で彫らた石造りの、天までそびえる荘厳な建物だった。
前世で近い建物というとヨーロッパなどで見かける教会かしら。
中に入ると天井が吹き抜けになっており、陽の光をめいっぱい取り入れられるよう、天窓が大きく開けられている。
まるで光が降ってくるようだ。
そして何よりも美しいのは神殿の正面、少し高くなった祭壇の先にあるステンドグラスだ。
天井から床にかけて黄、白、赤、青、緑、茶、紫のガラスで彩られた7精霊が描かれていた。
私の隣で6つ下の美少女が首が痛くならないか心配になるくらい長い間、ステンドグラスを見上げ、魅入っている。
その間ずっと口をぽっかりと開けているものだから、お姉ちゃんとしてはいつよだれが垂れてくるか心配だ。
大丈夫、垂れても身を呈して周囲から隠し、妹の威厳は死守するよ!
「あんなに綺麗なもの、わたくし初めて見ました!」
興奮気味に何度も私のドレスの裾を引っ張っている。
ああ、天使!
「ユスティナは王城の神殿に来るのは初めてでしたね」
「はい。こんなに綺麗な所に毎年お姉さまたちはわたくしをおいて、来ていたなんて、ずるいです」
ぷっくりと薔薇色の頬を膨らまし拗ねる。
ああ、妖精!
「貴女はまだ幼かったですから。そうだ。初めてなら式典の最中、ちょうど国王様が演説をなさる時刻に注目すると良いですわ。もっとこの建物は綺麗になりますのよ」
「なぜですか?」
「南中に登った太陽の光がステンドグラスに差し込み神殿の中はより一層輝くのです。床に色とりどりの影ができるのですわ」
「わぁ! 楽しみです」
私と同色の若草色の瞳を輝かせてユスティナは微笑んだ。
その姿は美しい者しかいないというエルフにも勝るとも劣らない。
可憐だ!
「あの、お姉さま。もっと近くで見てもよろしゅうございますか?」
上目遣いにそう言われ、私は即答した。
そんな目で見つめられて断れるわけなかろう!
「ええ、もちろんですわ」
幸い、お父様たちも含め大人たちの動きを見るとまだ式典は始まりそうにない。
神殿内に居れば迷惑をかけることはないだろう。
私の言葉を聞くやいなや、ユスティナは私の手を引いてステンドグラスに向かってスキップをしだした。
ウェーブのかかったプラチナブロンドの髪と両サイドに結んだ赤いビロードリボンが揺れる。
ユスティナが跳ねる度にふんわりとした白いドレスが翻り、中のパニエが見えるんじゃないかとひやひやする。
なお、本日のドレスは姉妹でペアルックでございます。
襟ぐりは開き胸元に大きなリボン、裾口にはふんだんにレースをあしらってある。
腰はコルセットでキュッと締め、スカート部分はパニエでボリュームを持たせて。
典型的なロココドレスだ。映画でマリー=アントワネットが同じようなのを着てた。
色はそれぞれの髪色に合わせて私が赤、ユスティナが白という、新年にはめでたいカラーだ。
一歩間違えれば女芸人の漫才衣装。
しかしユスティナはもちろんのこと、幸いにもリディシアちゃんも見目麗しい容姿のため、ちゃんと着こなしている。
交流のある貴族の方々から数々の賛辞を頂いた。中には「まぁ! 並んでいると太陽と月の妖精のようね」と詩的に表現してくださるご婦人もいたり。
ありがとうございます。前世では考えられないお褒めの言葉でございます。
「うあぁ!」
祭壇へと登る階段の下まで来て、妹はまた見上げ始めた。
さっきよりも首を伸ばし体を仰け反らせて。
そのまま放っておいたらひっくり返りそうだったので、ユスティナの背後に回り、彼女が見やすいように頭と背中を支えるように小さな体を抱えた。
ユスティナも私に体重を預け、甘えるように腕を絡めてくれる。
私に掛かるユスティナの小さな重みが信頼感の証のようで嬉しい。
原作の乙女ゲームでグランベルノ姉妹は仲が悪かった。ううん、正確にはリディシアが一方的にユスティナを拒絶していた。
姉妹の関係はヒロインと関わりのないことなのでゲーム中にはあまり出てこない。
しかし公式ガイドブックやスピンオフの小説に出てきていた。
魔力の少ない姉リディシアに対して、妹ユスティナはヒロインに匹敵する魔力の保有者だった。それはゲーム後半でヒロインと魔法対決をして苦戦させられるくらいだ。
また、容姿も性格も姉より妹の方が良く、両親の愛情は二人の成長と共に、次第に妹に多く注がれるようになった。
ヒロインをいじめるほどリディシアの性格が歪んだ一部の要因。それがこの家族関係にあったと、公式ガイドブックのスタッフインタビューにもある。
ゲームでもリディシアのヒロインいじめが発覚した時、グランベルノ家は早々にリディシアを見放してエリオリスとの婚約を破棄しようとし、代わりにユスティナを勧めてきた。
リディシアがエリオリスに斬り殺された時もどこ吹く風。「そんな娘知らぬ」で終わり。
グランベルノ家自体は、多少権威は落ちたが没落はしない。
散々いじめられ憎々しい思いで前世の私もプレイしていたけれど、流石にこのエピソードには同情したものだ。
しかし、転生した私とユスティナの関係は良好である。
まぁ、ちょっとだけ魔法の才能は羨ましいなぁー、と思わなくはないけど、ちょっとだけだよ。
なんてったって可愛いは正義だ!
こんな美少女の成長を、姉という特等席で見れるなんて、辛いデッドエンドループ人生では一つの清々しい清涼剤だ。生きる活力だ!
姉妹、仲が良さげなので両親たちの目も優しい。私を見る目も「不出来だけど可愛い子」程度になっている。ありがたいことだ。
「うーん、もう少し近くで見たいですわね」
しばらくその場でステンドグラスを見ていたユスティナだったが、そう言って人差し指を前に突き出した。
指先が光りだす。
え。ステンドグラスに近づくって、ユスティナちゃん、まさか飛ぶの?
しかし、私の心配をよそにユスティナは青い魔法陣を宙に描き出した。
あ、飛ぶわけではなさそう。
私は魔法陣を見て安堵した。
重力キャンセルは陣に組み込まれているけど発動対象の術式はない。
それに青いから水魔法だわ。
命令者はユスティナ=グランベルノ。
発動時間限定なし。
ああ、構造変形魔法式が入ってるから、あの魔法ね。
私は魔法自体は得意ではないけれど、あらゆる魔法陣を覚えているので、見れば相手がどんな魔法を使おうとしているかが分かった。
それにしてもユスティナちゃん。この魔法、アリアット魔法局で公式発表されている陣ではあるけれど、難易度高いわよ?
天才か。
青い魔法陣が発光し、拳大の水球が現れる。
ユスティナはその水球を掴むような仕草をし、両手で左右に引っ張った。
随分と荒っぽい指示だが、精巧な魔法陣と、もともとユスティナと水の精霊の相性が良いおかげで水球は綿密な補正のもと、大きな凸レンズに変わる。
水でできた簡易ルーペの完成だ。
ユスティナはレンズの厚みをぐにぐにと引っ張ったり縮めたりと調節した後、水のルーペを宙に放った。
ステンドグラスとの距離を移動させて焦点を合わせる。
ルーペはある距離ではっきりとステンドグラスが見えるようになった。
「うふふ、水の精霊。ウンディーネさま」
ルーペの中に下半身が魚の青い肌の女性が映し出される。
やっぱりウンディーネ様を最初に見たか。
こういうところが水の精霊様に好かれる要因なんだろうな。
人と精霊との間には相性、好感度というものが存在した。
生まれつき相性が良い精霊というものが人には必ず1精霊以上存在する。
また、精霊は例え魔法を唱えた時でも基本的には姿を現さないが常に人々の行いを見ていて、その精霊が好む行動を行うと好感度が上がり、魔法陣で描く以上の効果、精度を発揮すると言われていた。
もちろん同じ魔法を何回も使うことで精霊もその人の癖というものを理解し、より精度や親密さも上がるという。
このあたりの設定はゲームっぽい、と私はいつも思う。
ユスティナの場合は先天的に水の精霊、ウンディーネ様と相性が良く、本人もウンディーネ様が大好きだった。
一度、何でウンディーネ様が好きなのか聞いたことがあったが、
「だって美人ですもの!」
と、キラキラした目で即答された。
子どもって正直だ。
確かに絵画やステンドグラスで描かれるウンディーネ様はスタイルが良くて美人だ。
しかし、美人な精霊は他にもいらっしゃる。
「あら、でもシルフ様も美人ですわよ」
シルフ様とは風の精霊である。
するとユスティナは恐ろしいことに即答で
「だって、シルフさまはお胸がちぃ」
っと、最後まで言っちゃダメ!
その時、私は慌ててユスティナの口を塞いだ。
貴女の言いたいことはわかるが、それを最後まで言ったら一生、風魔法を使えなくなるわよ!
子どもって正直すぎる。
さて、ずっとウンディーネ様ばかり見ている妹だが、それだと他の精霊様に嫉妬されそうなので他の精霊様にも目を向けさせないと。
「ユスティナがウンディーネ様を好きなのは分かりますが、他の精霊様の名前もちゃんと覚えていらっしゃるかしら」
「覚えていますわよ」
よし! ウンディーネ様から意識が逸れた。
「では、ウンディーネ様の横に描かれていらっしゃる赤い精霊様は?」
「炎の精霊、サラマンダーさま!」
「正解ですわ。ではその下。緑の精霊様」
「うーん、風の精霊、シ、ルフさま?」
ちょっ、何で疑問形! ユスティナちゃん、ほんと、シルフ様に興味ないのね……。
「じ、じゃあ、茶色のお髭の精霊様は?」
「土の精霊、ノームさま!」
「あと3精霊ね。この方々は一般の人間には召喚できないけれど覚えているかしら?」
「もちろんです! ステンドグラスの一番下にいらっしゃる紫の精霊さまが闇の精霊ダークさま。人間には召喚できない、魔族を守護する精霊様」
「よく知ってますわね」
そんなことまで知ってるなんてやっぱり我が妹は天才だわ!
「だって、紫色なんてかっこいいですもの!」
ああ、そうね。子どもの価値観ってそういうものよね。
「上の方にいらっしゃる白い精霊さまが、アリアットの神官さまと巫女さまにしか召喚できない光の精霊さまで、えーと、シプラスさま? そして、黄色い精霊さまがぁ……叡智の精霊さまでぇ、王族の方々のみを守護する精霊さまでぇ……エミュレ、さま?」
「……えっと」
私はそこで言い知れぬ違和感を感じた。
「お姉さま? わたくし、間違えてましたか?」
「え? えー」
「光の精霊さまはシプラスさまで、叡智の精霊さまはエミュレさま、ですよね」
そう、私の違和感はその名前を聞いた瞬間に起こった。
記憶力チートのおかげで、私は一度記憶したものは忘れるとか、間違えるということはまったくない。
シプラス、エミュレという名前はどちらとも存在し、ユスティナの言ったことは正しいと私の記憶力が告げている。
しかし、果たしてそうだっただろうかと、疑問に思っている自分もいるのだ。
叡智の精霊はゲームオリジナルの精霊なのだからエミュレでも理解できる。
けれど闇の精霊がダークに対して何故、光の精霊がシプラス?
ライトとか、ウィル・オ・ウィスプとかじゃないの?
実際、他のRPGなどでも出てくる4属性の名前は、よく一般的に使われているサラマンダーやウンディーネという名前だ。
なのに、なんで?
「お姉さま?」
ユスティナが私を不安そうに見上げた。
「あ、ああ。そうね、正解ですわ、ユスティナ。よくできましたわね」
私が褒めるとユスティナは満面の笑みを浮かべた。
と、そこで、式典がもうすぐ始まることを知らせる鐘が神殿に響いた。
「さあ、もうすぐ始まりますわね。お父様たちのところに戻りましょう」
ユスティナの手を引く。
澄んだ鐘の音。
神殿のそれは、魔を払う光の精霊さまの力が宿るという。
しかし、私が感じた違和感はその鐘の音も払ってはくれず、しばらく私の心の中に居座り続けた。