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3回目 夏蝉は雪の下

 馬車は嫌いだ。

 どんな遊びをしてもすぐ飽きる。

 持ってきたボードゲームもカードもすぐに飽きてしまったが、馬車はまだまだ揺れている。

 休憩、宿泊を除けばあと32時間。

 座りっぱなしでお尻が痛くなろうが、向かいに座ったメリオラの顔に飽きようが、当分は箱の中だ。

 たまに石ころを踏んでガタッと箱が上下し、うっかり舌を噛みそうになる。

 前世のアスファルトって偉大だったんだな。


 私は今、ターロスが来訪する、エリオリスの領地コールドーテに向かう馬車の中にいた。

 そう、私はターロスの歓待に参加する権利をお父様からもぎ取ったのだ。


 新年の礼拝から帰ってきた翌日から、私はお父様に歓待のことを直談判した。

 1週間かけて! 1週間ずぅっっっとね! 

 朝から晩まで、ユスティナが行くのなら私も連れて行けと、訴え続けた。

 お父様はもちろん、耳を貸さなかった。

 地団太を踏んで駄々をこねても、恥も外聞もなく懇願してもダメだった。


 しかし1週間後、事態は一変する。

 あんなに私がコールドーテに行くことを嫌がっていたお父様から、許可が降りたのだ。

 ある日の朝、目が覚めて朝食前にお父様の執務室に呼ばれたと思ったらたった一言、許す、と言われた。

 それから急に忙しくなった。

 毎日のお稽古事、他家から呼ばれた催し、すべてをキャンセルしコールドーテに向かう準備にあてられた。


 歓待で着るドレスを新たに新調するために採寸したり、商人を呼んで靴やアクセサリーの類を取り寄せたり。

 突然決まったことなのだから手持ちのもので良いのでは、と言ってみたが、侍女たちは頑として首を縦に振らず、新しいものを揃えていく。

 幸いなことにドレスの生地は、ユスティナが先に作っていたものが多く残っていたので、取り寄せる時間を省くことができた。

 もし、一から取り寄せる事態になっていたら、うちの針子たちは馬車で移動しながらドレスを縫っていたに違いない。

 何とか無事にドレスも縫い終わり、身に着けるものも揃い、出発する日を迎えることができたのは奇跡だった。


 また、忙しくなったと同時にエリオリスから手紙が毎日届くようになった。

 毎日午前中、ひどい時には朝と夕の2回。

 内容は決まって「コールドーテには絶対に来るな」という内容だった。


 来るな来るなと言われると、日本お笑いの伝統芸『押すな押すなは押してくれの合図』で育った前世持ちの私としては、行かねばならぬという使命感さえ生まれてきて、逆効果なんだけどなぁ。

 忙しい日々と、来るなの手紙は出発の日まで続いた。


 そして来た出発の日。

 屋敷の正面玄関前に4台の馬車が並ぶ。

 4頭立て箱型のキャリッジタイプが2台、2頭立て荷運び用のワゴンタイプが2台だ。

 貴族としても長期滞在でもないのにワゴン2台は多い。

 現地では揃えられない晩餐の食材や歓迎の品だとメリオラたちは言っていたけれど、具体的に何かは聞けなかった。


 吐く息も白い早朝、馬のいななきとそれを諌める御者の声。

 私は馬丁が馬にハーネスを取り付けている傍で、馬の首筋を撫でていた。

 と、少女の泣き叫ぶ声が屋敷の3階から聞こえてきた。


「いやあぁあぁぁぁっ! 私もおねえさまと一緒にいーくーのおぉぉぉっ!!」

「ユスティナさまっ! お願いですから今回は聞き分けてください、当主命令ですので!」


 眠気も覚める、妹の金切声とそれを諌める侍女の声。

 撫でていた馬が突然の声に驚き、首をぶるぶると振った。

 無視しようにも無視できないかしましさ。


「ユスティナはコールドーテに行かないの?」

「はい。ご当主様からそう伺っております」


 近くに控えていたメリオラが即座に答えてくれる。

 メリオラも私の世話係としてコールドーテに行くことになっていた。


「急なのね……病気? な、わけではないわよね。あれだけ叫んでいれば」

「……はい。ユスティナ様自身は健康そのものでございます」


 新年のお茶会のウィルフの言うとおりなら、今回の歓待にはターロスとユスティナを会わせる目的もあったはずだ。

 それが急なユスティナの欠席と私の参加。

 何か予定変更があったようだ。


「お嬢様、そろそろ馬車に乗り込んでくだせぇ」


 荷運びをしていた従者のバルドがそう声をかけてきた。

 本当にユスティナは置いて行っちゃうのかぁ。


「分かったわ……と、そうだ。バルド、カーチェに伝言をお願いしたいのだけれど」

「へぇ。何なりと」

「ユスティナにはお土産にコールドーテ名産の細工飴を買ってくるわ。あの子、好きだから」

「了解致しやした」


 バルドは笑顔で了承し、屋敷に走って行ってくれた。


 カーチェとはユスティナ付きの侍女だ。

 子どもを二人育てたことのある肝っ玉母さんである彼女は、ユスティナの少々勝気なところや向こう見ずなところを、上手く手綱を引いて制御してくれる侍女だった。

 カーチェのことだから、ユスティナの今回の癇癪も一人で上手く宥めてくれるとは思うけど、少しでもお土産が力になれば良い。

 しばらくするとドラゴンの癇癪みたいなわめき声が地を這うようなゴーレムのうめき声に変わった。


 私はそれを確認すると自身の馬車に乗り込んだ。


 そっか、ユスティナ行かないのか。


 何か心の中にモヤモヤしたものが残る。そんなものに関係なく馬車が走り出す。

 庭を抜け、正門を潜り、見慣れた屋敷街を駆ける。

 郊外へと出てからは、収穫を終えた何もない畑が続いた。

 たまにちらほらと家が見え、そのうち森の中に入る。

 森では先日降った雪が、日陰になった地面にまだ残っていた。


 森、畑、森、森、畑、畑、森……。

 変化のない景色に飽きて、私は目を閉じた。

 ガタゴトという馬車の揺れも手伝って、次第に眠気が襲う。

 私はいつの間にか夢の中へと誘われていた。




 ◇◆◇


 懐かしい夢を見た。

 乙女ゲームの世界でループする前。

 前世の夢だ。

 夏のあの日によく似た夢だった。


 夢の中で私は冷房もつけず縁側に腰掛け、子ども用ビニールプールに足を浸し空を見上げていた。

 今日の夕方は雨が降るかな、とか考えながら。


 蝉が夕立の雨音のように激しく鳴いていた。

 足を水から入れたり出したり。

 跳ねる飛沫が太陽に反射する。

 汗が首から背中にかけて縦断し、「うひっ」っと、変な声が出る。


 私の隣には、ここは私の家だというのに、我が物顔でだらりと座る幼馴染みがいる。

 彼はいつものように残念なデザインのTシャツを着ていた。

「何その『素麺より冷麦』って」

「えーと、夏の主張?」

 顔もそこそこ良くてスポーツ万能、頭も悪くないはずなのに。

 残念だ。残念すぎる。


 今日に限って奴は仲の良い私の兄貴ではなく、私と話したがって側にいた。

 くだらない、でもちょっと笑える話をしていたけれど、そのうち蝉の声が五月蝿くて、奴の声は聞こえなくなった。


 こんなに近くにいるのに、変なの。


「だから…………っ!」

「でっ……だ…………」

 何を言われても聞こえないよ。

 必死に私に伝えようとしているのに、私には伝わってこない。

 その様子が可笑しくて、なんだか申し訳なくて、悲しくて、私はどうしたらいいか困ってしまう。

 すると突然、空から大きな蝉が降ってきて、奴をペシャンと潰してしまった。


 死んじゃったのは私なのに、何で君がぺしゃんこになっちゃうんだよ。

 私はオイオイ泣いて、蝉をどかそうとしたが、蝉はどいてくれない。

 押しても引っ張っても大きな体躯はびくともしない。


 途方に暮れて、しゃがみ込んだところで、私は眠りから覚めた。




 ◇◆◇


「お嬢様、これを」


 目を開けるとメリオラがハンカチを差し出していた。

 降るような蝉の声は消え、代わりに規則正しい馬の蹄と車輪の音が聞こえてくる。

 なんだか顔が冷たい、と思い両頬を触ってみると冬の空気で冷たくなった涙が、二すじの道を作っていた。


「ごめんなさい」


 メリオラからハンカチを受け取り涙を拭いた。

 夢で見た顔が脳裏をよぎる。


 ごめんなさい、君の元には戻れそうにないよ。


 馬車は嫌いだ。

 人を不安させる。


 いっそのこと、シュテインガルドの刑罰とか拷問の一つにしたらいい。

 罪人に目的地を教えず、窓の閉じた馬車に乗せて延々と走り回るのだ。

 椅子は、柔らかすぎて座り心地の悪いクッションをいっぱいに敷き詰めた椅子だ。

 高さは地に足がつかないようにして、常に体を不安定な状態にさせるのだ。

 同乗者は誰もいない。

 ただ、「お前はどこにも行けないんだよ」とひたすら繰り返し喋る人形だけがお供だ。

 精神なんてすぐ壊れるんじゃないかしら。


「お嬢様、何かお飲み物でも飲まれますか」


 メリオラが、そう提案する。

 優秀な侍女だ。

 私がイライラしていることに気がついたのだろう。


「いいえ、いらないわ」


 イライラが収まらない。


「それよりも、ねぇ」

「はい、何でございましょうか」

「昔の男を忘れるためにはどうしたらいい?」


 優秀な侍女が動きを止めて、目だけ見開いた。

 その表情を見て、私は気がついた。


 あ、やべ。

 今のは12歳の令嬢が言うセリフじゃないわ。


 私は何も言わず、メリオラの視線から逃れるように、傍に退けていた程よい心地のクッションに顔を埋め、足をぶらぶらさせた。


 どうしても消せない夏の熱が胸の中に残っていた。

 左耳を触る。熱い。


 私はエリオリスが苦手だった。

 彼はいつでも真剣だった。


 1回目、彼は私に依存した。

 なるべく近づかないよう私が避けても。

 味方のいない孤立した状態で、私を勝手に心の支えにし、それでも心は壊れて私と一緒に死んだ。


 2回目、彼は私を独占欲で縛り付けた。

 私が無理やり他の人に嫁ごうと画策しても。

 お気に入りのおもちゃを取られることを嫌がり、他人を巻き込んで事故とはいえ私は死んだ。


 そこに愛はあったのか。

 私は否定する。

 そこに愛があってはならなかった。


 本当はもうわかってはいるのだ。

 彼の心の奥底にあったものが何なのか。

 それでも…………


 それでも、それを思うたびに、夏の日の縁側を思い出す。

 エリオリスを受け入れてしまうことで消えてしまう思い。


 私は彼が好きだった。


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