おんながおとこに抱かれるということ。 30年後のいつかのはなし。
まずは散歩でもしようかと、その背中がはなすのをみる。
その人はいつも自分のことをご老体といってわらい、
そんなことないのにと打ち消すためだけに私がいる。
そのとても簡単でわかりやすい役目は、私をだきしめる腕のように温かく、私は安心して道をあるく。
木と木のあいだを縫うようにあるき、その人のくちからこぼれる言葉を拾い上げながら後につづく。
年をとると腰が痛くなるんだよ。特に今日みたいにたくさん歩いた日だと。
というので、また変なこと言うと私はわらい、何も気づかないふりをする。
50になったら分かるさ、と返す言葉に思わず、
その時にこの事を覚えているのかなと呟いてしまう。
残響が部屋にごろごろと転がる。
温度も時間も年月もないこの部屋で、清潔で折り目正しいベッドのシーツの上で、
悲しいような嬉しがってるような笑い顔をみる。
こころの中で私はあやまる。
すこしの沈黙。
顔を見合わせて苦笑し、なんにもなかったふりをして
さっきまで私のからだをなぞりあげていた指先をみつめる。
指先がうごく。
30年後、腰の痛みとともに思い出すこと。忘れてしまうこと。