サラの願い
ドクはいつまでも襲ってこない痛みに、そっと目を開いた。
すると目の前で倒れているサラに駆け寄るサロメの姿が目に入る。
前方には硝煙を上げる猟銃を持ったカガミがうつ伏せて息を荒げていた。
銃声など聞こえただろうか?
ドクはよほどの覚悟を決め、全てを遮断していた自分に気付く。
「は、はは…」
自然に笑みが零れる。
助かったからではなく、自嘲故だ。
これほどまでに臆病だったとは。
ドクが自嘲に囚われている間、サロメは腹部から血を流すサラに止血を施していた。
「サラ、サラ…!しっかりしろ!死ぬな…!」
サロメの言葉に、呼吸を整えたカガミが近づいて言う。
「馬鹿を言うな。その子が死ななければ俺たち全員が死ぬんだぞ」
その声は弱々しくて力がない。
「黙れ!俺の娘なんだ!娘に死なれて喜ぶ親がどこにいる!」
叫びながら必死で止血するサロメだが、その手をどかそうとカガミが腕を掴む。
「この子に頼まれたんだ」
「…は?」
カガミの呟くような言葉に、サロメは一瞬固まる。
「この子がこの前、俺に言ったんだ。狼は本当にいるんだと。退治してほしいとまでは言わなかったが、自分がこうなった時のために、俺に告げたんだろうな。俺はこの子の意思を汲んでやりたい」
静かにそう続けたカガミは、力を無くしたサロメの手をそっと退けた。
サロメは何も言えないまま、目頭が痛くなるのを感じながらサラを見た。
苦しそうに呼吸をするサラは、ただの少女に見える。
「眠らせてやろう。それがサラの願いなんだろう…」
短時間でずいぶんやつれたドクがサロメの肩に手を乗せ、言った。
「…連れて行きたい場所がある」
サロメはそれだけ言うとサラを抱き上げ、歩き出した。
ドクとカガミは黙って後に続く。
村を出てしばらく森の中を無言で歩き、着いた先は17年前、サロメがサラを見つけて拾った場所だった。
大樹の穴は今でもぽっかり開いており、中には落ち葉だけが敷き詰めてある。
サラの母親はあの日、サロメがこの近くに埋葬した。
そしてサロメはゆっくりサラを落ち葉の上に寝かせ、その前に座る。
大の大人が1人入るくらいの穴はサラを包むように隠し、中には温もりが籠もっていく。
「……」
「サロメ、放っておくのか…?」
何も言わないサロメにドクが耐え切れずに問いかけた。
「このまま放っても、狼の治癒力で傷が癒えるぞ。そうすればまた村を襲いかねん」
ドクに続けてカガミが言い、サロメは2人を振り返って見つめる。
「それでもいいさ。その時はその時だ。俺は…俺には出来ない。サラの死ぬ姿も見たくないんだ…」
「言ったはずだぞ。サラの願いは…」
「分かってる!俺だってできることなら叶えてやりたい!だが、それだけはどうしても出来ないんだ…!」
サロメの悲痛な叫びにドクもカガミもそれ以上は何も言わなかった。
気持ちは解らないわけではない。
むしろ痛いほど解る。
ドクもカガミも子を持ったことのある身だ。
そうして3人は黙ったままその場を立ち去った。
そしてこの日の夜中、カガミは1人森の中にいた。
サロメが出来ないのなら俺がやるしかない。
親心は解るが、俺は狼にその家族を奪われたんだ。
それに、これ以上犠牲を増やすわけにもいかない。
カガミは猟銃を抱え、大樹に向かった。
「…!!」
しかし、昼間確かにサロメが横たえたはずのサラが、そこにはいなかった。
大樹に開いた穴は冷えた空気で満たされていた。
手に持ったランタンで中を照らしてみると、落ち葉に血がついている。
確かにここにいた。
一体どこに行ったんだ…。
こんなに早く傷が癒えるはずはない。
カガミは焦る心を抑えて辺りを捜し始めた。




