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女中は奴隷の匂いに夢中

 ようやくリーナは満足したのか、僕を止めて足を舐めるのをやめてくれた。ちゃんと終いに丁寧に拭いてくれたので安心した。このまま放っておかれていたらどうしようかと思った。リーナを蹂躙した事については途中から深く考えるのをやめた。僕にはどうしようもなかったし、踏まれて幸せそうなリーナを見て何も言えなくなったから。窓の外を見やると、日の出の時刻であった。ずいぶんと疲れていたのか、どうやら気を失ってから僕は数刻ではなく、一夜を越してしまっていたようだ。本来ならばこんな失態を犯せば主人からどんな処罰をされるかわかったものではない。奴隷として体に染み付いてしまった習慣は簡単には拭えず、体は無意識にそわそわし始めた。そんな僕を見てリーナは笑みを浮かべ、優しく諭すように話しかけてきた。

「お兄様、朝御飯ができるまでもう少しかかりますので、それまではゆっくりとお休みくださいませ」

 少々用事がございますので、とリーナは厭々ながらと顔で語りながら部屋を出て行った。

 そこからは誰もいない中、数分を過ごしてはいたのだが、動かないということは昨日までの生活では考えられなかったので、どうしても何かをしなければと強迫観念に似た感情が浮かび上がってくる。ちょうど今の時間帯だと、主人の命令でほかの奴隷たちの御飯エサを作っている最中だったろうか。僕は、あまり体が強いほうではなかったから、炊事・洗濯・掃除と家事の労働が多かった。それに加えて夜になると変態共の性欲の捌け口にされる生活を繰り返していた。今でもそのことを思い出せば悔しさとおぞましさが鮮明に蘇ってくる。リーナから聞くには孤児院にいた時の子供達四人もこちらに来ているらしい。リーナには最悪の場面を見せてしまったが、弟・妹達にはこのことは知られたくない。できるだけ隠し通そうと心の中で誓っている。事実がわかった時、彼らにどんな顔をされるかなんて想像したくはない。

 どんどんと思考が陰鬱な方向へ進んでいくのを感じ、その流れを振り切るようにして寝台から這い出て、部屋から出る。部屋の中もそうだったが、廊下もまた華美なものだった。広く、快適ではあるが、嫌味さを感じない程度の装飾しか施されていない。掃除も行き届いていて、清潔感が辺りを包んでいる。どうやら廊下は四角形になっており、その内二辺の内側に階段があり、僕がいた部屋は階段の付いていない辺に沿う一部屋だということが分かった。階段を下りると、目の前にはひときわ大きな扉があった。中をのぞいてみると、どうやら食堂のようであった。大規模なものではなく、十人程度が食事を取る時に十分な部屋といった感じのものだ。その脇には小さな扉があり、奥からはいい匂いが漂ってくる。どうやら調理中のようで、この先は厨房だとわかった。そうとわかると、先ほどから急かしてくる強迫観念がぐいぐいと体を押しやる。動かされるまま厨房に入り、中をのぞくと、メイドさんが数人で大きな鍋や大量の具材と戦っている最中であった。厨房は戦場を体現した状態に圧倒されつつも、その中で一人、別に料理を作っているメイドがいた。茶色い猫の耳をしきりに動かし、尻尾は垂直に立っている。彼女は数人分の量が作れるほどの鍋に一人でかかっていた。具材を切り、鍋で炒め、味付けなのか、瓶の中の液体を鍋に入れている。そこで僕は彼女の姿をどこかで見たような気がした。そこで気が緩み、ドアから少し不快なきしむ音を出してしまった。その音に気付き、こちらを振り返った彼女を見て、完全に思い出した。



 彼女は孤児院にいた妹分、リーナと同じくテリングワース姓を賜っている『英雄』の一人で、『風姫』ミリア・テリングワースだった。



 思い出した瞬間、胸に軽い衝撃が走った。ミリアが一瞬で僕の目の前に現れ、抱きついたのだと気がつくまでには少し時間がかかった。無意識のうちに彼女の頭をなでていると、不意に怖気が体中を走った。ほんのわずかな時間で気配が無くなりはしたが、とても恐ろしい気配だった。そこで改めて彼女を見ると、どうやらまた無意識に、今度は抱きしめていたらしい。彼女は僕の胸に顔をすりつけられてしまっていた。奴隷の体は悪臭がひどいので彼女を話そうと思った時、自分の体が清められていることに気づいた。僕が気絶している間にリーナが洗ってくれたのだろうか? だとするとリーナには僕の裸をまじまじと見られてしまったということになる。実の妹ではあったが、数年も離れていて見違えるほど美人になった彼女に見られたとなると少し恥ずかしく感じる。

 それにしても、先ほどからミリアが動く気配も喋る気配も見せない。不審に思ったのでよく観察してみると、小さくだが、長い呼吸音と、彼女の胸の辺りが上下しているのがわかった。まさか、体臭がまだひどくて気分が悪くなったのだろうか? すかさずミリアを引き剥がすと、彼女の茶色い目が少し虚ろになっていて、顔は若干赤くなっていた。

「ごめんねミリア、大丈夫?」

 声をかけたが彼女の眼はまだ虚ろなままだった。

「にぃに、にぃにぃ、うにゃぁ」

 僕の事を相変わらず「にぃに」と呼ぶ妹は再び僕に抱きつき、じゃれついてきた。

「ミリア、離れなさい。臭いでしょう?」

「にぃに、いい匂い。好き。くさい、ないよ?」

 妙に甘いような声で臭くないと否定するミリア。とりあえず僕の臭いは大丈夫だったようだ。にゃごにゃごと唸りながら頭と体を余すところなく擦り付けてくると同時に動くことができず、胸に当たる柔らかいものの感触に動揺してしまった。たっぷり自分をこすり付け、一旦離れた彼女は、すぐさままた僕に手足を絡め、今度は僕の耳を舐め始めた。生温かい感触と、荒い息遣いが耳元に直接届き、先ほどの感触の効果もあってか、少し邪な感情が顔を出してきそうになる。それを必死に抑え、ミリアを引き離す。きょとんとした顔で僕を見ている。

「にぃに?」

「ミリア、いきなり耳を舐めてきたらびっくりするでしょ」

「……ごめんなさい」

 少し考えるしぐさを見せて、素直に謝ってくる妹。こういう所は昔と何ら変わっていなかった。

「それにしても、なんでここで料理をしているの?」

 それが少し気にかかっていた。彼女はリーナの妹分、つまり孤児院の一員として大進行の最中に投げ出され、『英雄』にふさわしい結果をもたらした一人だ。それがリーナや僕の食事を作っているメイド達と一緒に作っているのには何か理由があるのだろうか。

「ミィ、にぃにだけのメイド。何でもする。今、にぃにの御飯をつくって、にぃにのお部屋掃除する。にぃにの服も洗う。ほかにも、いっぱい、なんでも、する」

 どうやらミリアは僕専属のメイドになるという事らしい。とはいえ僕は妹分をメイドにしてこき使って楽しむといった歪んだ趣味はないつもりだ、そういう貴族たちを見てきた分、それだけは確実だ。しかし、先ほどのリーナの件が頭をよぎってしまう。もしかしたら、ミリアもそうなのかも知れない。そう思いついた時、再び僕が見た彼女の茶色の瞳にリーナと同じ何かが見えてしまった。彼女は先ほどと同じように微笑み、それでいて先ほどとは異なる雰囲気を出しながら鍋へと戻り、仕上げの作業に取り掛かり始めた。僕はそんな彼女の中にある何かに若干の寒気を覚えながら、それから逃げるかのように調理道具と籠の中に入った具材を適当に取った。準備の整ったところで包丁を入れようと手を伸ばしたところで、細い手にそれをつかまれた。ミリアがいた。

「にぃに、なにしてるの?」

 その表情はどこか悲しげだった。

「ミリアがお料理を作っているから、僕も作ろうと思って」


「必要ない」


 その口から鋭く否定の語が飛び出した。

「にぃには何もしなくていいの。にぃにはミィの作った御飯を食べて、ミィの掃除したお部屋で寝て、ミィの洗った服を着て、ミィと一緒にいればいいの。お風呂も、おトイレもミィがやってあげる。だからにぃには何もしなくていいの、にぃにはミィ達とここにいるだけで大丈夫なの」

 あまり口数の多くないミリアの語気の強い言葉の連続を受けた僕は相当に動転していた。あのミリアがここまでするなんて。

「にぃにはミィ達のためにいっぱい御飯を作って、掃除して、洗濯して、沢山いたいいたいしてくれたの。今度はミィ達の番。ミィはにぃにの匂いがあるだけで幸せ。リー姉もにぃにといるだけで幸せ。エリ姉もシア姉もレオ兄もそう。だからにぃにはもう何もしなくていいの」

 ミリアの眼が若干潤んでいた。僕は彼女たちには奴隷になった事を内緒にするようにと手紙を書いて先生に残してきたが、どうやら皆にはばれてしまっていたらしい。そのことに後悔の念を抱きながらも、この先どうするかを必死に考え上げる。ここでミリアの言う通り、なにもせずに彼女達のお世話にずっとなるということは僕はおろか彼女たちのためになるわけがない。ここは彼女たちの好意はうれしいが、しっかりとけじめをつけるべき所だと決意し、改めて調理道具に手を伸ばした。

「にぃに!」

 再び手を伸ばしたことにめったに上げなかった声をあげてミリアが主張する。それに先ほどの決意をもって応えるべく、僕は彼女に向き合った、その時。




「レンお兄様、おやめください!」



 厨房に『勇者』の声が響き渡った。

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