魔王は奴隷の戒めを破る
「妾は魔女王アーデルハイト・デリュジオン。魔人族を束ねる唯一無二の女王」
茫然と立ち尽くしている旦那様に妾は抱きつく事を我慢できなかった。これからは今までに旦那様が受けた非道の限りを、永遠に近い永き時を以って癒す時が始まるのだ。滑らかに指が通る黒い髪が愛おしく、そのほぼ全てを妾で覆い尽くす事の出来るほどの華奢な身体が身を捩る感触に歓喜を覚える。
――ついに愛しの旦那様を救う事が出来た!!
忌々しいかの国の腐り果てた奴隷制度に、『英雄』共による欲望に塗れた恥辱。これまで堪え難きを堪え、ようやく救い出す事の出来た旦那様に対し、最後の枷を外す時が来た。
旦那様の首に巻き付いた首輪。家族を守るために家畜同然の身分に堕ち、そしてその家族にも束縛させるため利用されたその首輪を外してこそ、旦那様は真に救われる。首輪に刻まれた術式に手を当て、解析を始める。術式は憎き『賢者』により、当初の拘束の術式が書き変えられていた。奴隷に強制するための術をより強固なものにし、苦痛を伴わせる術式は全て消去されている、まさしく旦那様を意のままに操る事の出来る首輪。当初の拘束式を上書きして改変したその術式にはそれ相応の穴があった。妾は『賢者』の上書きした部分ではなく、当初の術式を再利用した部分から術式に干渉し、最も入念に改変されていた首輪の施錠部に侵入を果たし、強制的に首輪を解錠させた。それと同時にごく微量の魔力が彼方へと発されるのを見届けた。『賢者』は強制解錠された際にその場所を自身に伝える術式を首輪に組み込んでおった。そのまま解錠すると今にでも『英雄』共が乗り込んでくるであろう。妾は解錠前に術式に細工をし、場所を伝えずに解錠の事実のみ届くようにした。これで旦那様が自由になった事は伝わるであろう。どちらにせよ『英雄』共の強烈な力をもってされた命令が首輪に届かなければ外れた事実は発覚するのだから、先に済ませた方がよい。
「今までよく頑張ったのぅ……もう大丈夫じゃ。妾が汝を何者からも守り通して見せるからな……」
カシャリと首輪が音を立てて床に落ち、旦那様は真に自由となった。何者にも囚われず、自身の意志で何もかもを行うことが出来る。後は、全て旦那様の御心次第。
それを妾達にとって最高のものに導く事がこれからの目標。『英雄』共は旦那様により近い存在であったにも関わらず、旦那様を束縛し意志を尊重せずに自身の都合に従わせた結果、妾に旦那様を取られる事になったのだ。まこと愚かと言わざるを得ないが、そのおかげで妾に好機がやってきたのだ。そこには礼を言うべきところであろう。
妾達はそのようなヘマはしない。必ず、旦那様を妾のものにしてみせる。
「レン様も長い事首輪をしてさぞ大変じゃったろう……湯浴みや食事の準備もしている。落ち着くまでいつまでも此処にゆっくりしていて構わん……妾達は歓迎するぞ」
そう、いつまでも此処にいてよいのだ……。この魔人の国に。
この国は人間が住むには苛酷、不便極まりない。『英雄』達のように圧倒的な魔力をもつのであれば話は違うが、一般的な人間である旦那様はこの国では何も出来ないに等しい。水場で手を洗うにも魔力を流す、調理のために火を熾す、掃除を行う、全てに魔力が無ければ何も出来ない事を前提にした国なのだ。そこに人間を招いたのは妾。何も出来ない旦那様をお世話するのは当然。準備すると言ってある湯浴みも当然一人では出来ぬ。いつまでもいつまでも、この国にいる限りは妾が全て甲斐甲斐しくお世話してあげるのだ。
焦る必要はない。焦れば『英雄』共と同じ道を歩む。ゆっくりと時間をかけて、落ち着いて、じっくりと旦那様の心の中に入り込んでゆけばよい。
「は、はい、よろしくお願いします。魔女王様」
おずおずと妾にそう告げる旦那様。
「それでは湯浴み場にお連れしよう。それと、レン様は賓客じゃ。妾の事はアーデルハイトと呼んで構わん」
今は、な。




