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勇者は奴隷に全てを捧げる

 人生の中、はっきりと残っている記憶のその最初から私はお兄様に護られて生きてきた。

 レンお兄様は、とてもしっかりした自慢のお兄様。私と同じ黒い髪と黒い目を私に優しく向け、私よりも背の低いその体で私をずっと悪意ある手から守り続けてくださった。お兄様は私の中で生まれた時からなくてはならないものだった。水や空気と同じ、少しでもお兄様から引き離されてしまったら私は確実に自身を保つことができなくなる確信を持っている。




 お兄様は、私の全てだ。




 けしてまともな生活ではなかったが、お兄様のいる私は幸せに溢れていた。そんな生活に変化が訪れたのは、あの孤児院に拾われた時であった。

 まともな食事を食べさせてもらい、同じ年の子供たちが楽しそうに笑い、そしてなによりもお兄様が穏やかに微笑んでいる。ここに連れてきてくださった院長先生には本当に感謝してもしきれないほどの恩を感じていた。

 幸せな生活が終わったのは、院長先生が亡くなられてからすぐに起こった。お兄様が、出稼ぎに出ると言い始めたのだ。聞くと、孤児院の経営を今まで支えてきた王国からの支援が院長先生の急逝と共に止まってしまったのだという。


――なぜお兄様が行かなければならないのか。


 私は必死に懇願した。お願いをして、泣き叫んで、喚き散らして、それでもお兄様は首を縦には振らなかった。そして私は疲れ果ててしまい、うずくまりながら気を失うように眠ってしまった。

 ここでお兄様を説得できなかった自分のことを私は今でも許せない。

 次の日、私が見たものは、孤児院をしばらく運営するのには十分ある金貨の袋と、お兄様からの手紙を握りつぶし、泣き崩れている孤児院の先生達の姿だった。手紙に書かれていた言葉は私の心を閉ざしてあまりある内容だった。お兄様は、自分を奴隷として売り払い、このお金を出したこと、もうここには戻れないであろうこと。そして最後に一文。


――妹を、よろしくお願いします。


 そこから先の事はあまり覚えていない。後に弟妹達に聞いてみると、どうやらお兄様を取り戻すためにふらふらさまよっていたらしい。次に思い出せる記憶が、途方に暮れ嘆く私の前に現れた、後の師匠になる女性だった。

 彼女はとても自由奔放な人だった。ふらりと私達の前に現れては、私達に剣術と魔術の手ほどきをして、おやつを買い食いしてどこかへ消えていった。それでも彼女は私達にしっかりと力を教えてくれた。

「その力は好きなように使うといい。キミたちなら分かるはずだよ」

 思えば、師匠は何かを分かっていたのかもしれない。その言葉を受けた次の日から師匠は姿を見せることはなくなった。




 それから数年の時が流れたが、お兄様の手がかりは一向につかめなかった。力をつけた私達は孤児院を維持するだけの財力を確保することができ、後はお兄様さえ帰ってきてくださったならまた昔のような生活が戻ってくる。

そんな中、街中に衝撃と悲壮感が漂い始めた。魔物の大進行。森、山、海、至る所から魔物が湧き出し、彼らの住処を彼ら自身で満たしてしまった。住処の無くなった魔物たちが向く先は新天地、つまり私達人間種の領域に住処を探し進行してくる。文字通り、生死をかけた戦いが始まろうとしていた。

 そこでお兄様を私達と引き離した元凶の国家、その手先の神殿の巫女が私達に牙をむいた。曰く、私達がこの大進行を何とかする事が出来ると。それを鵜呑みにした愚王は当然のごとく私達を魔物の群れの中に放り出した。私達は5人、対して魔物の群れは数多。町の外門は閉ざされ、私達を除いて籠城の腹積もりでいるようだ。勝機など全くない状況におかれ、即座に私達は逃げることを選んだ。魔術に秀でた妹のシンシアに牽制の爆発魔術を繰り出させ、その隙に逃げようと思案し実行に移した時、事態が急変した。

 爆発魔術で倒れる魔物の量があまりにも多かったのだ。10匹程度仕留め、100匹程度の足どめになればよいと思っていたが、足どめできるはずの100匹を仕留めてしまったのだ。シンシアの様子を見ても全力を振り絞ったようには見えない。試しに私も一発集団に放ってみると、かなりの数の魔物を仕留めることができたのだ。事前に聞いていたほかの街の惨状から察するに、魔物が弱いわけではない。

 ……私達はどうやらかなりの力を師匠から教わったのだと悟った。半ば人外と化したその力は魔物を圧し切り、焼き払い、物言わぬ塊へと次々に変えてゆき、やがて全てが消えた。




 態度を変えて王城に私達を招いた国に私達は嫌悪感を隠しきれなかった。褒賞を与え、爵位を授けるなどと喋る上層の人間を内心汚物を見るかのような気分で私は見ていた。お兄様を探す時間を無駄に費やさせた彼らとこれ以上一緒になどいたくはない。

 数年もお兄様にお会いできず、焦りばかりが募る私達を神は見捨てはしなかった。市場の大通りで、私の前にはこちらを目を見開いているお兄様。奴隷の首輪をつけ、女物の服で着飾られ、少しやつれてはいるが記憶と合致する容姿。お兄様に、間違いない。感動で言葉が出ない私の目の前で、困惑するお兄様。




 その次の瞬間、脂ぎった中年のブタが店の中から出てきて、お兄様を無理矢理抱き寄せて頬を穢い舌で舐めた。




 ……お兄様が、穢された、汚い穢いブタごときに、穢されたッ!!




 迷わず剣を引き抜き、ブタの首を切り飛ばした。本来なら十分に生まれたことを後悔させてから殺してやりたかったが、お兄様をこれ以上穢されるのは耐えきれなかった。素早く振りぬき、お兄様が薄汚れた血で犯されないようブタから即座に引き離した。手のひらに伝わる温かさを感じ、出てこなかった言葉が堰を切った。

「お兄様、お兄様、お兄様、あぁ、お兄様ぁ! リーナは、お会いしとうございましたっ!!」

 自分の気持ちが止められない。何年も何年も我慢していたお兄様が私の手の中でこちらを御覧になっている! それだけでおびただしい幸福感が私に襲い掛かってくる。お兄様はそんな私を見つめ、お休みになった。相当な無茶をなさっていたのでしょうか。屠殺したブタに再び言い知れぬ殺意が湧いてくるが、殺してしまったものはどうしようもない。

「其処の者!! 武器を捨てて大人しく投降するが……『勇者』様!?」

 ざわめきが大きくなる。大進行の後、烏合の衆が付けた異名にうんざりしつつも、顔に出さないよう気を使い、外警の騎士に答える。

「其処の者は私に極めて無礼なふるまいを行ったので処断した。あと、この奴隷は弱っているのでこちらで保護することとする」

 便利なもので、この国には上の者が下の者に極めて無礼な振舞いをされた場合、処断する権利を持つ事が出来るという法があった。普段ほとんどお目にかかれない法ではあるが、もらった地位の使い道としてはありがたい。騎士は報告のため城に向かうが、王だって大進行の立役者で力のある私達をどうこうすることなどできるはずがない。してきたならば、彼らはその時までだ。

 いま大事なのはそんなことよりもお兄様だ。早くお兄様を新しい家へとご案内し、今までできなかった恩返し、ご奉仕をしなければ。その後で、お受けできなかったお仕置きをしていたがかないといけない。じっ、くり、と、ね?

 ああ、そうだ、心やさしいお兄様は私達に心からお仕置きなどはできないはずですし、私達に迷惑をかけまいとご奉仕を断ってくるかもしれませんね。念のためですが、奴隷の首輪をすこしいじっておきましょう。




 お兄様のお体を清めさせていただき、寝台の上でお休みいただいた。恐れ多くもお兄様のお体を拝見し、その体にある傷の跡に気づき、私は悲しさと怒りを抑えきれなかった。相当なものになっているだろうから、お兄様がお休みなさっていて本当に良かった。後で妹のエリスに治療をさせることにしよう。

 お兄様に再び目を向ける。ぐっすりと眠っていらっしゃり、しばらく起きる気配はない。私は寝台に乗り、犬のように這いつくばり、お兄様のおみ足を感謝の気持ちと情愛の念と奉仕の精神を込め、ゆっくり、丁寧に舐めさせていただく。今の私はとても幸せだ。お兄様と、私達と、そしてそれを邪魔されないだけの力を手に入れた。ようやく、私達はお兄様に末永く飼っていただく事が出来るのだ。私達の悲観が間もなく完全になることに感謝の念をより強く込めて、私はお兄様の左足の小指の付け根を舌でチロチロと舐め上げた。


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