騎士は奴隷の彼女に見える
お待たせしました。
「兄さん、起きてください、兄さん」
まどろみの中で体を揺さぶられる感覚に気がついた僕はゆっくりと重い瞼を開けた。昨日最後に見た食堂とは違う、それでいて同じ建物を感じさせる天井が見え、それから自分がベッドで横になっている事に気付いた。どうやら、昨日僕はシンシアに抱かれたまま気を失い、部屋まで運ばれてきたようだった。
「おはようございます、兄さん」
声をかけられて傍に人がいる事に気付いた。横を見るとレオンがその真っ赤な目をこちらに向けて優しく微笑んでいた。今だ寝ぼけている頭を回転させつつ、レオンに挨拶を済ませ、昨日の出来事を聞く事にした。
「あの後気絶した兄さんをボクがお部屋まで運びました。盛り過ぎたシンシア姉さんとミリア姉さんはリーナ姉さんが叱って今日は一日兄さん分没収との事ですよ」
兄さん分とは一体何なのだろうか? かなり気になるのだが、それをこの弟に尋ねるとどんな言葉が返ってくるかわからなかったため口に出すことはやめた。それで、今日はなにをしたらよいだろうか? レオンに聞いてみることにした。
「兄さんがしたい事が最優先ですけど……。そうですねぇ、まだ足りない兄さんの日用品を買いに行くのも良いかもしれません」
長めの銀髪を揺らしながら弟が一つ提案をしてくれた。来たばかりの僕には確かに必要な雑貨の類が足りないはずであった。せっかく外に出る事のできる機会、レオンと一緒に外に出かける事はとても魅力的に感じた。何せ今まで自由に外など出る事は出来なかったのだから。
「それじゃあ、ボクはリーナ姉さんに言ってきますね?」
そう言ってレオンは部屋から出て行った。
「あ、そうだ兄さんのお手伝いをしてから行きますね」
少しして引き返してきたレオンの手で僕は寝間着を剥がされ、服を着せられた。自分で着れると言った時の彼の表情の悲壮感を見てしまったので止める事が出来ずに最後まで着替えを任せてしまった。手際は慣れているかのように素早いものだった。
「それじゃあ兄さん、もうちょっとだけお待ちください」
着替えを終えたレオンは再び扉の先に消えた。
しばらくして、僕達は商店区画の入口に到着していた。僕とレオンの二人きりだ。
レオンが戻ってきた後、食堂に降りるとエリスとリーナが座っていた。両者共に浮かない顔をしながらも挨拶を交わし、一緒に食事を摂る。例の兄さん分没収の所為か、シンシアとミリアは姿を見せず、配膳は女中の一人が行っていた。厨房では浮かない表情でミリアが食事を作ってくれているらしい。
「……あのクソ王さえいなければお兄様とのデートを」
「こんな時に限って何故あの狸教皇は呼び出しするんですの……」
二人は僕達が出るまで用事に対して愚痴をこぼし、家を出て姿が見えなくなるまでずっと入口で立っていた。玄関を出る前のレオンの
「それでは姉さん、兄さんとのデートに行ってまいります!」
との宣言に二人とも足が動いていたが、堪えるようにふるふると震えながら僕達を見送ってくれた。
「せっかくのデートですから、姉さんたちには悪いですけれどね」
そう言いつつ僕に両手を絡ませて抱きついてくるレオン。昔幼かったレオンがこうやって僕に抱きついてきた事を思い出し、懐かしさを感じた。そんな僕を見つめてレオンは商店区画の入口まで終始上機嫌であった。
商店区画の入口から中に入ると、活気にあふれた商売の声がそこかしこから聞こえ、辺り一面大勢の人で賑わっていた。
「兄さん、はぐれたら大変ですから手を離さないでくださいね?」
まるで小さい子供の面倒を見るようにレオンが僕に注意してきた。子供じゃないし、そこまで忠告されなくてもと思ったが、奴隷から解放された直後の僕は彼から見るとまだ消えてしまいそうな存在に感じられるのだろうか。おとなしくレオンの左手を握ると、彼は満面の笑みを僕に向けて浮かべた。
「さぁ、いろんな所に行きましょう兄さん! まずは衣服からにしましょうか」
そう言ってレオンは近くの店の入口へ僕を引っ張っていった。
「いらっしゃいま……っ!!」
入るや否や、店員の言葉が途中で途切れる。視線はしっかりとレオンに向けられたままで、表情は驚愕のまま時間がとまったように動かない。
「衣服が欲しいんだけど、いいかな?」
レオンが話しかけると、店員さんの時間が戻ってきて、「ひゃ、ひゃいっ! 少々お待ちくだしゃい!!」と酷く落ち着きのない声で店の奥に下がっていった。少したって奥から大きな声が上がり、慌てた様子の女性がやってきた。どうやら店主のようだ。
「れ、レオン様。お会いできて光栄です! 衣服をお求めとの事とお伺いしておりますが……」
そうか、レオンは『英雄』だから、町の中では有名人なんてものではなかった。特に銀髪に緋の目を持つレオンは目立って仕方ないだろう。当の本人はもう慣れているのか、気にしていないのか端的に要件を伝えている。
「兄さんにふさわしい服を選びますからねっ!」
健気な弟は僕の服まで全部選んでくれるようだった。
選ばれてきた服を見て違和感を覚える。……僕の頭の中では、これは女性用の服であるのだが。そう思ってレオンを見ると、邪気のないニコニコとした笑みを浮かべながら服を差し出してきている。よく見ると彼が今着ている服も、女性用と見えなくもない。男女どちらにも似合うような服装だった。
「大丈夫ですよ兄さん。最近はこういうのもありますし、兄さんなら絶対に似合います」
それはどういう意味だろうか。僕とレオン、ミリアはあまり身長は高くない。兄弟姉妹の中で僕が一番上なのにそう思われない事も多々あったが、そういうことなのだろうか。少し複雑な気分だった。だからと言って弟が絶対と言って選んでくれた服を着ないという訳にもいかなかった。先程の着替えの時の様な表情はあまり連続して見たいものではなかった。
「わぁ、兄さん綺麗ですよ!!」
僕を褒める弟の目はとても輝いていた。隣で一緒に服を選んでいた店主もどうやら絶賛しているようだ。中々に複雑な気分を抱いたが、悪意があるわけでもなく、弟が僕のために買ってくれる物にケチをつけるというのも兄として悲しい事なので、何も言わずに笑うしかなかった。
次に入ったのは食事処だった。
「そろそろお昼の頃合いですし、ここで何か食べていきましょうか?」
レオンの提案を受け、お腹も空いていたので頷いて食事処を探すことにした。どうやらレオンには行きつけの食事どころがあるらしく、そこでお昼にすることにした。
「いらっしゃいませー! あらっ、レオン様!!」
食事処に入ると看板娘と思しき女の子が二人を出迎え、中の客が全員こちらに視線を向けてきた。
「こんにちは、エレンさん」
エレンという看板娘は先程の服屋の店主とは違いレオンを見慣れているのか落ち着いて出迎えてくれていた。
「あら? ご一緒の方はもしかして噂の?」
「ええ、ボクのレン兄さんです」
レオンの紹介の仕方に違和感を少し覚えたけれども、特におかしい訳でもないので気にしない事にした。
「はじめまして、レンさん。私はこの大衆食堂『野郎飯』の看板娘のエレンっていうの。よろしくね!」
看板娘が板についている彼女の口調に親しみを覚えつつ、僕も簡単に自己紹介を済ませる。
「今日は奥にいる厳つ〜い顔のマスターが美味しいお昼ご飯を食べさせてあげるからね!」
そう言うと奥の方から「余計な事を言うな」と低く静かな声が聞こえてきた。奥を見ると大きな鍋を片手に大柄な男が材料を炒めていた。額から右のこめかみにかけて切り傷の見て取れるその男は一見して裏の住人の様な印象を与える姿をしていた。
「ごめんね、ああ見えて自分の見た目を結構気にしてるのよ。それじゃあ、あそこの席に座ってね」
席について、レオンのお勧めの料理を二つ注文した。辺りからは賑やかな声が聞こえ、時折自分たちの噂が聞こえてくる。
「ここの雰囲気がボクは好きなんですよ。妙に落ち着くんです」
そう言って料理を待つレオンが辺りを見回す僕に話しかける。客層は見事に筋骨隆々と言った男に同じように豪快で体の引きしまっている戦士といった風貌の女。『野郎飯』の名前にぴったりと合った荒くれ者御用達の飲み食い処といった感じであった。その中で、実力は昨日見た通りではあるけれど、見た目は華奢で女の子の様なレオンが座っているこの光景はどこか危なっかしいような気がした。『英雄』を知る者であればちょっかいをかける様な輩はいないとは思うけれども。そんな雰囲気の中に好んで向かうこの弟もまた自分の見た目をかなり気にしているのかもしれない。
「兄さん、どうかしましたか?」
レオンの問いかけになんでもないと首を振った。
「また来てね! 可愛い二人ならお姉さんいつでも歓迎しちゃうよ!!」
食事を終え、外を出ると心地よい風が火照った体をゆっくり冷やしてくれた。レオンの注文した『肉飯』はまさに野郎飯と言った印象がそのまま当てはまるご飯に大量の肉が乗せられた丼物だった。肉も大きく、僕とレオンの口では一口で一切れを食べきれない大きさだったが、常連をよくわかっていたエレンさんは他の客には渡さないナイフをしっかりと僕の分まで用意してくれていた。レオンは慣れた手付きで肉をナイフで切り、小動物のように小刻みに男の代名詞の様なそれを少しずつ食べていく。僕もそれを真似てゆっくりとご飯に手をつけていく。肉の大きさとは裏腹にタレは非常に複雑に作りこまれていて、エレンの言っていたマスターの中の繊細さが感じ取れる美味しさだった。食べている際に周囲から感じる視線が増えたような気がしたが、今に始まった事ではなかったのでもう気にせずに食べていくことにした。
「あ、兄さん、ご飯粒が付いていますよ?」
そう言ってレオンは僕の頬についていたご飯粒を指ですくい取り、自分の口の中に指ごと含んだ。ちょっと気恥ずかしい気分になりながらも、レオンにお礼を言うと、「どういたしまして」と微笑みながら返した。ガタリと椅子が動く音が周囲から聞こえたが、それも気にしない事にした。
ご飯を食べ終え、エレンさんに見送られて、僕達は買い物の続きをすることにした。日用品を買いに行った雑貨屋では服屋と全く同じような展開にはなったけれども、概ね必要な物は買えた。食材はミリアや料理人が買うそうなので要らないようだ。
「すっかり日が暮れちゃいましたね? 今日は兄さんを独り占めできてとても楽しかったです」
僕のほうもとても楽しい一日になった。今までリーナ達に振り回されて少し疲れていた感じだったけれども、今日はとてもゆっくりと、長く味わうことのなかった自由な時間を満足に堪能することができた。レオンにお礼を言うと、少し頬を赤くしながら「ありがとうございます」とだけ小さく答えた。
後は家に帰って、憂鬱そうな妹達とゆっくりと過ごすことにしよう。特にリーナとエリスは疲れているだろうし、しっかりと労うべきだと思った。二人に重要な事は任せっきりなのだから。
「おう、そこの嬢ちゃん二人ぃ。こんな夕暮れ時にうろつくなんざ危ねぇぜー?」
帰ろうとした矢先、声をかけられた後ろ側には如何にも粗野な感じの男が五人、此方をニヤニヤと見ていた。




