魔王は奴隷をその手に望む
「はぁい、れんくぅん、あーんしてぇ」
水晶玉より見える光景に血が滲むほどに唇を噛みしめている事を自覚しつつも、目の前の光景には激しい怒りを覚えずにはいられなかった。『賢者』シンシア・テリングワース。緑髪緑目の長耳族の魔女。大進行の際に強力な魔法を連発し、先頭集団を一網打尽にした化物。それが砂糖を煮詰めたような顔をして己が胸に少年を包み込んでいた。
きっかけは少年の妹だった。リーナ・テリングワース。同じく大進行において家族を率いて進行を鎮圧した、その長姉。国の『英雄』、『勇者』。その矛先が我らが魔人族に向けられた時、我々はどう立ち向かえるか。その弱みを握るべく、水晶玉を用いて『勇者』を監視していた。長丁場を想定し、様々な用意はしてあったのだが、意外にも『勇者』は弱みをすぐに曝け出した。
――それが妾の弱みになるとは思いもしなかった。
水晶玉に映るのは、憤怒の表情を浮かべる『勇者』と、首を斬り飛ばされる豚、そして豚に穢されていた少年。
一目見た瞬間に本能が理解していた。彼は妾の番になるべき存在だ。必ずや彼との子供を残さねばなるまい、と。それと同時に汚らしいメスの顔をして愛しの彼を抱きかかえる『勇者』に強烈な殺意を覚えた。慣れ慣れしく旦那様に汚い手で触るな。憤りと共に早急にあの人を魔の手から救い出す手を考えねばならなかった。その場で手を二回叩き、右腕でもあるメイドのニーナを呼び出す。
「お呼びでしょうか、女王様」
有能な妾のメイドはそれだけですぐに姿を見せる。内容を説明するべく、水晶玉を見せる。無表情でそれを眺めるニーナだが、長く主人をしている妾だからこそ、メイドの中の隠された欲望が透けて見えるようだった。妾の旦那様は魔人族から見れば恐ろしいほどに容姿が整っている上に、こ奴は筋金入りの少年趣味。間違いなく内心ではドス黒い欲望が渦巻いているに違いない。
「女王様、このお方は……?」
無表情で妾に尋ねてくるが、興奮が隠し切れていない。旦那様が『英雄』達の弱みであると同時に妾の番である事を告げると、妙に納得した様子で頷く。
「それでは、どのようにしてこのお方をお招きいたしましょうか?」
話が早いのはこ奴の欲望が急いた所為か、すぐに旦那様をお招きする算段の話に移った。妾としてもすぐに迎えに行きたいのだが、旦那様は『英雄』達の兄、忌々しい事だが、大事な弟妹を置いて何処かへ消えたりはしないお方なのはよくわかる。それに加え、奴らには『賢者』がいる。安易にお連れしてしまえば必ずすぐに妨害されてしまうだろう。
結局、その日には有効な案が出ることはなかった。
それより数日、妾は煮え湯を飲まされるような気分を味わい続けていた。
夜な夜な旦那様の寝込みを襲っては旦那様の足の指をなめ続ける『勇者』。
何を混ぜ込んだかわからないモノを旦那様に食べさせる発情した雌猫のような『風姫』。
優しい旦那様につけ言って己の被虐趣味の処理をさせる聖職者の皮を被った『聖女』。
洗脳するかのように魔法を使い、赤子のように旦那様を扱う『賢者』。
それに助長し、隙あらば旦那様に媚を売りつける『剣鬼』。
ああ、まこと可哀想な旦那様、大事に思っている弟妹には性欲の捌け口のように扱われ、国の王からは下卑た視線で見つめられ、衆人からは奇異の視線で監視され、日に日に疲れ果ててしまっていらっしゃる。妾ならそんな事はさせない。毎日精力の付く食事やお薬をご用意する。旦那様のお手を煩わせることは妾とニーナがさせない。いつでもお傍に侍らせていただき、お望みになれば幾らでも夜もお相手も務める。ニーナと私で満足させてあげますし、盛った雌猫達と違って旦那様に強制は絶対にしない。だから、一刻も早く旦那様をこの城へお招きせねばならない。
ニーナと策を練ってきても、今日まで良策は浮かび上がることはなかった。そう、今日までは。
「女王様、今日までの『英雄』達の所業により、旦那様は非常に悩んでいるようです。ここは旦那様に手紙をお渡しし、自らのご意思でこちらにいらしていただくのはいかがでしょうか?」
ニーナの案は悪くなかった。水晶玉をみる限り、雌猫達の発情によって旦那様が困っているのは一目瞭然だった。ここで旦那様に一時避難の出来る妾の城にお越し頂く事を提案し、旦那様が受け入れてくだされば、雌猫達から旦那様を助け出すことが非常に容易になる。何せ旦那様のご協力が頂けるのだから。そうときまれば話は早い。ニーナに旦那様のいらっしゃる場所の近くに一度きりの転移の魔法陣を書かせるよう指示を出す。『賢者』に悟られぬよう、発動後に証拠隠滅する式を混ぜるようにも命令する。そして同じ式を細工して作った手紙を旦那様のいらっしゃるお部屋に転送する準備をする。さすがの『賢者』とて、戦闘時でもないこの時に手紙を転送する程度の微細な魔力を感知する事は難しいはずだ。
私は旦那様に向けて、最初の手紙の内容を記すためにペンをとる。旦那様に嫌われぬよう、細心の注意を払いながら。いきなりの手紙で妾など書いたら嫌われるのではないか? どこまで進んだ事を書いても大丈夫だろうか? 弟妹がどれだけの事をしているかしっかりとお伝えしなければ。何としてでも旦那様にはこちらにお越しいただかねば。様々な想いを手紙に込め。一枚にまとめ上げる。
青い光を放ち、旦那様の部屋の机の上に手紙が届いたのを水晶玉越しに確認する。手紙を読み、驚いたようにあたりを見回す旦那様、すべて見終わった後、手紙は消えるようになっている。最初こそ青い表情を浮かべていたけれども、考え直すかのように顔色を戻していらっしゃった。あとは数日後の手紙でいらしていただけるか確認するだけ。
「あぁ、レンくんはほんとうに可愛い、甘えんぼさんねぇ……」
唇を噛みしめながら、旦那様を『賢者』が蹂躙する様を眺めざるを得ない妾。今は我慢の時、その行為が後に命取りとなる事をまだ理解出来ていない雌猫達を見て。妾、アーデルハイト・デリュジオンは魔女王として伴侶が穢される様に耐え続けている。




