071 絶大なる癒し効果
「――ッ!!」
い、痛い……、いや、ほんと痛い……。
守るべき小さなもふもふの無事を確認し、安心したところで忘れ去っていた感覚が戻ってきた。
私は横たえたまま恐る恐る手足に力を入れてみる――問題なく動かせた。当然痛みはするが感覚的におそらく骨折はしていないだろう。最悪な状態は免れ、私は安堵の溜め息を吐いた。
しかし、恐らく切り傷、擦り傷、打撲の嫌なオンパレードである。身体を少し動かすだけでどこかしらが悲鳴を上げるのだ。傷口もさぞ恐ろしい事になっているのだろう……が、私にそれを直視する勇気はない。見たら最後、絶対今より痛みが増すと分かっているからだ。私は怪我を喜び痛みに快楽を覚えるド変態マゾではない。どこぞの誰かさんとは違って。
先程は半ば自傷行為に走った私だが、痛みに対する耐性は高くない。寧ろ人一倍嫌いなくらいだ。じわじわと襲ってくる痛みに内心悶えながらも動くに動けず私は硬直する。しかしそんな事お構いなしと言わんばかりに手の中の毛玉が何やらもぞもぞと動き始めた。
「ふひっ」
小さな湿気ったものの感触――――どうやら掌をペロリと舐められたようだ。
そしてそれは一度では止まず、何度もペロリペロリと繰り返される。控えめに撫でていくそれは敏感な掌に絶妙な刺激を与えた。ハムちゃん、嬉しいけど、嬉しいんだけども、物凄く擽ったい。うへへ……っ、痛たたた……う、うへ、ぅあ痛たたたっ。
もふもふに擽られて幸せ気分で身を捩り、その結果怪我に響いて硬直という一連をひたすら繰り返す。色んな意味で悶える私の上からキリュウは身体を起こした。こちらに注がれる視線は明らかに呆れていたが、まぁ、いつもの事だ。気にしない。それより手の中のもふもふを愛でる方が遥かに重要である…………痛いけども……っ。
何度もいうが痛いのは嫌いだ。出来れば全力で避けたい。しかし、このようにハムちゃんに擽られるのは身体的にダメージをガッツリ喰らうが精神的癒しが半端ないのだ。気持ちがポカポカ暖かい。これがアニマルテラピーというやつだろうか。今、私はとても癒されている。こんな酷い怪我ですら癒し効果で治る気がする。事実先程よりも痛みが減って………………んん?
思わずハムちゃんを撫でていた指を止めた。同時にハムちゃんも動きを止める。
今まで私を悩ませていた擽りが止んだ事により、違和感がハッキリしてきた。
――――――おかしい。
ハムちゃんに熱中し過ぎていつからかは不明だが先程まで確かにあった痛みが消えていた。内心首を傾げながら恐る恐る足を屈伸させてみる。………………やはり痛くない。何だこれは。異常だ。私の痛覚何処へ行った。
いくら見たくないと思ってもこれは確かめなければならないだろう。
私は何度か深呼吸し、薄目になりながらもゆっくり自分の身体を見下ろしていく。そして全貌を確認したところで私は目を見開いた。
「んぇ?」
思わず間抜けな声も出るというもの。見下ろした自身は想像のものとかけ離れていた。
スライディングの結果だろう。身に纏う制服はボロボロで、土と自らの血で汚れた、見るも耐えない無惨な姿――――だというのに。
――怪我が一つも見当たらない。
何この超現象。おい、怪我よ、何処行った。
何故だと頭を混乱させている私の視界に入るのはつぶらな瞳で見上げてくるハムちゃん。あぁ、可愛い、撫でくり回したい。
へらっとだらしない顔でハムちゃんを眺める。やはりもふもふは癒しの塊だ。そう思った時、ふと先程冗談で考えた事を思い出した。
まさか、本当に――
「――――傷が治る程の癒し効果が……!?」
有り得る。有り得すぎる。私は神妙な面持ちで頷いた。
先程、あまりの精神的癒しに怪我が治る気がするとは思ったが、まさか本当に治るとは。……いや、何せこんなに可愛らしいのだ。やはりこの愛らしさから産み出される癒し効果が怪我の一つや二つ治してしまったっておかしくはないだろう。
私は自分の目線までハムちゃんを掲げた。彼女は疑問符を浮かべて首を傾げる。……あぁ、うん。これは、治る。だってほら、こんなにかぁいい。
この可愛らしい生き物がその可愛さを以て私の怪我を治してくれたのだ。思わず「ありがとう! ありがとうハムちゃん!!」と彼女を撫でくり回せばキリュウの溜め息が聞こえた。ついでに呆れたような、諦めたような、何とも言えない視線を送ってくる。……もしやこれも周知の事実だったのだろうか。しかし私はこの世界に来て5年目。つまり五歳児。しかも初めの3年間は迷いの森から殆ど出た事なかったので知らない事はまだまだ沢山あるのだ。仕方なかろう。
寝そべっていた地面から身体を起こし、先程確かめた全身を改めて見下ろす。やはり、怪我は何処にも見当たらない。
つい先ほどまで傷を負い、痛みがあったはずなのに、それが急に消えるのは何だか言い知れぬ違和感があった。制服がボロボロのままというのもそれに拍車をかけて………………この制服どうしよう。
スカートは魔物の酸で溶けた裾の部分からスライディングで被害が拡大し、大胆にスリットが入ってしまっている。シャツもあちこちに敗れた上、血と土がべっとりと付着してしまい、制服はもはやぼろ雑巾だった。いつも通りスパッツを着用しているのでスカートが破れようが恥ずかしさはないが、これはあまりにも酷い。もう使い物にならないだろう。……帰ってからタチバナさんに謝り倒さねば。
「――――あれ、良い格好してるね。ひぃちゃん」
思わず深い溜息を吐いて空を見上げると、そんな言葉と共に金色の頭が視界に入ってきた。
どこかで聞いた無駄にエロい声。そしてこの無駄に整った面。思わず顔が歪みに歪む。
……おい、どっから湧いて出た。
「近寄んな、ド変態」
条件反射のように言葉を返し、振り向き様に回し蹴りを加える。
手加減なしで仕掛けたのだが、やはりあっさりとバックステップで避けられてしまった。あぁ、ムカつく。いい加減爆ぜてくれないだろうか。
そんなイライラの止まらない私を映す空色の瞳が、さも愉快だと言わんばかりに細まる。同時にやわらかな風が吹き、太陽の光を浴びた少し癖のついている金髪がキラキラと揺れた。目の前で余裕の笑みを浮かべるのはド変態――――ホヅミだ。
外見を中身が恐ろしく裏切っているこいつはチョーカーの騒動以降、たまにこうしてふらっと姿を表し、絡んでくる。鬱陶しい事この上ない。
「相変わらずだねぇ。俺、番犬2号なんだけど?」
それを言われてはどうしようもない。私は今口から出かかった「今すぐ消え去れ」という言葉を飲み込んだ。
タチバナさん、何故こんなド変態を番犬なんかに…………こいつはどう見ても番犬ではない。駄犬だ。
つい最近のあれこれを思い出し、私はげんなりとした。