070 確固たる優先順位
※流血表現といいますか、読んでいてあいたたたーな表現がありますのでご注意下さい。書いている本人も痛かったです。
「――ッ、キリュウ、そっちは!?」
「いない」
____現在位置は森の中。私は目を凝らし道なき道を闇雲に走り抜ける。キリュウも木々を挟んで少し離れたところで並走中である。
前へ進むと同時に纏わりつく葉がガサガサと騒がしい音を立てる。ここは人の手が入っていない獣道だ。枝が邪魔で仕方ない。足場も悪い。何度も転びそうになりながらも私はせっせと足を前へ運んだ。
動かす脚はそのままにポケットに突っ込んでいた時計を取り出した。チラリと確認した時間に思わず眉間へ皺を寄せる。駄目だ、もう時間がない。速く、もっと速く。
額から斜めに汗が滴り落ちた。森の中はいくらか涼しいが、今は夏真っ盛りである。くそ暑い中全力でマラソン……もう全身が溶けた。気持ち悪い。しかしそれでもひたすら私は走り続ける。止まってはならないのだ。絶対に。
そんな焦る私を嘲笑うかのように、突如茂みの影から魔物が飛び出し立ち塞がった。私の腰辺りの大きさのそれはモンブランケーキのようなもじゃもじゃとした何かが身体を纏い、中から不気味な赤い目が光ってこちらを見ている。「キシャキシャ」と不快な鳴き声はどうやら威嚇をしているようだ。やる気は満々らしい。私は一つ舌打ちをし、苛立ちをぶつけるように時計をポケットへ乱暴に突っ込んだ。
何故かこういったものはこのような緊急時に限って涌いて邪魔をするのだ。私は盛大に顔をしかめた。足により一層力を込めて地面を蹴る。速度を落とすつもりは毛頭ない。私には時間がないのだ、時間が。そしてこいつは邪魔だ。物凄く。
「――――あと1分……ッ!!」
そう、あと1分。立ち止まってこいつの相手をしている時間などない。
振り上げた足に風魔法を纏わせそのまま叩き込む。衝撃で魔物の涎らしきものが辺りに飛び散った。掛かった草木がシュウシュウと溶け出す光景が視界に流れて消える。涎だと思ったそれは強い酸だったようだ。
勿論蹴った本人である私にも掛かった。走ったまま視線を走らせ確認するとブーツと服の端が溶けてしまっている____が、少量だ。問題ない。
私の蹴りを喰らった魔物はというと、悲痛に叫びながら何処かへ飛ばされていった。大義の邪魔をした酬いである。遥か彼方まで飛ばされると良い。飛ばされたくなかったら私の進む道にもう二度と出てくるな。
一連を見ていたキリュウが何か言いたげな視線を寄越してきたが、敢えて気が付かない振りをした。足癖が悪いって? 仕方ないだろう。緊急事態だ。細かい事は見逃すのが男ってものだろう。……いや、まぁそんな事今は良い。怒られている時間もないのだ。後にしてくれ。
そうこうしている内に木々がだんだん少なくなり、視界が開けてきた。夏の眩しい日差しに目を細める。
辿り着いたのは目的地____崖だ。
高さは100メートル程。スパンと直角に切り取ったようなそれを間近で見るとかなりの迫力がある。
ギリギリ時間内に辿り着いたがまだ安心できない。私は立ち止まり、素早く辺りを見回した。……もうそろそろ予告の時間になる。
「何処に――」
そう呟いた時だった。
向かって左上の崖が崩れ、直径1メートル程の岩が落ちてきた。____そこだ。きっとそこにいる。私の勘がそう告げている。
考えるより先に身体が動いていた。疲れて休憩を求める足を叱咤して地面を強く蹴り、再び走る。
もっと、もっと速く。早く辿り着かねば。
しかしどんなに頑張ろうとも走る速度には限度というものがある。このままでは____間に合わない。
「――ッ、させるかぁー!!」
腕を薙ぎ払い、鎌鼬を放つ。
私の手から離れたそれはしっかり目標に命中したが真っ二つになっただけだ。まだデカイ。足を止めないまま更にもう一発、二発____切断されていくが駄目だ、間に合わない……ッ!
急いで落石の落下地点を確認する。
____いた!!
私は落石を粉砕する事を諦め、風魔法を両手に纏わせた。片足で深く地面を踏み込んで後ろを振り返り、両手を降り下ろして風魔法を地面へと叩きつける。それと同時に重くて邪魔な金属製の鎌を手放した。
「――ッ!!」
爆風が起き、それに乗って私の身体がもの凄い勢いで吹き飛んだ。足で走るより断然速い。
計画通りなのだが少々気合いを入れすぎた。横Gが、横Gが凄い、ヤバい。この何とも言えない浮遊感、泣きそうだ。いや、しかしこれで間に合う。
私は歯を食いしばり、気合いで目をこじ開け、猫のように身体を捻って前方を見据えた。重力に従い、宙を飛んでいた身体が地面と接触する。半袖とスカートのスタイルで自ら望んでの腹這いスライディングをする酔狂な阿呆は私くらいであろう。怖いので後の事は考えない。考えたくない。兎に角今は間に合えば良いのである。
砂埃を盛大に巻き上げながら弾丸のごとく私が突っ込んで行く。露出している部分が痛いを通り越して熱い。それを無視して滑走中目的のものを拾い、大事に抱えて今度は横向きに丸まって滑っていった。次はいくらか小さくなった岩がじゃんじゃん降ってくる予定だ。来るだろう衝撃に備えて身を構える。
打ち所が悪ければ危険どころか逝ってしまうだろう。自分の運を信じるしかない。目を固く瞑り、潰さないよう気を付けながら抱える腕に力を入れた。
地面に岩が衝突する音が次々と鼓膜を揺さぶる。
「――ッ、――……………………?」
……あれ。
何やらおかしい。落下の音はすれども衝撃が全くないのだ。大きなものは外れたとしても細かいものは当たると思ったのだが。
まさか全て私を避けて落ちたのだろうか。だとしたら私は驚く程幸運の持ち主ということになる。……ひょっとして日頃の行いが良すぎたせいだろうか? わんこ信者共の更正ボランティアばかりやっていたし。……いや、そんな事より今は現状把握をしよう。
私は恐々と瞼を上げた。
「おぉう……」
思わず呟く。
目先30センチの位置にデカイ岩が転がっていた。危ない。頭が粉砕されなくて良かった。
兎にも角にも最悪の事態は免れた。そう認識した途端、疲労が一気に押し寄せ暫く動く気になれず、ボーッとそれを見る。何分割したっけな、とどうでも良い事を考えたところで目の前に何かがヒラリと落ちて来た。次いで落ちてくるのは深い溜息。
「……急に飛び出すな」
おまけに完全に呆れた気配を纏った声も降ってきた。
やたら近くで聞こえたその声の発信源を見上げる。予想通り呆れ返った半目の赤い目が間近からこちらを見下ろしていた。あれ?
よく見るとキリュウは翼を広げ、覆い被さるように私を庇っている。更に片手を天にかざし、薄い膜みたいなものを展開していた。このサングラス色の闇魔法は知っている……盾だ。
「誠に申し訳ありませんでした……」
漸く状況を把握した私は彼に謝罪した。
落石の餌食にならなかったのは運なんかではない。只単にキリュウが助けてくれただけだのだ。
責めるような視線をへらりと笑って誤魔化し、先程からもぞもぞと掌を擽るそれをそっと覗き込む。
「あー……無事で良かったぁあぁああー……」
「ぷ?」
私の視線の先にはハムスターだと思われるちっさい生き物がこちらを見上げていた。……ハムスターに鳴き声ってあったっけ? いや、そもそもその鳴き声事態がおかしいが多分そうだ、うん。ハムスターだ。ついでに小さな角なんかも生えちゃってるけどそれ以外の外見は間違いなくハムスターだ。毎度この微妙なズレに驚かされるが、ちっさい生き物の額にちょこんと生えている角は悶絶級にかぁいい。
そう、彼女は本日の実習のターゲットさんである。