069 憩いの在処
タチバナさんとド変態の間で視線をうろうろさせる私。
タチバナさんは先程「久しぶり」と言った。そしてこのド変態の反応……並々ならぬ事情がありそうだ。
そんな私の心情を正確に読み取ったらしいタチバナさんが説明してくれる。流石タチバナさん。キリュウに劣らず読心術レベルはカンストしている。
「ヒイラギがうちに来る2年前かなー。この子結界破ってひょっこりうちにやって来てー……はーい、逃げないでねー」
「――ッ!」
逃げようとしたらしいド変態の全身に水で出来た何本もの鎖が一瞬で絡まる。外見のみ柔らかなその無機物は、明確な意思をもって獲物を締め上げていた。
腹が立つ事に奴には無駄な肉などない。恐らくは筋肉質で完璧な身体の所持者だろう。しかしそれでも容赦なく固い肉にめり込んでいく水の鎖の様子から相当の力がかけられていると思われる。……うん、あれは痛い。絶対痛い。だというのに顔は苦痛に歪んでいながらも引き攣った笑顔を絶やさない根性は賞賛すべきかドン引きすべきか。……迷ったが、やはりドン引きした。奴のドMさ加減は半端ない。真正だ。近寄りたくない。
今の奴の全体像は、いつの間にか全身に渡り施されていた謎の切り口から血が滲み出してスプラッタ具合が格段に上がっている。最初は清んだ色をしていた水の鎖も血液と混ざり合って濁った色になってしまった。……何だかとても禍々しい。
そんな子供には絶対見せられないような光景を目の前にしても尚、ニコニコしながら話してくれるタチバナさん。とんでもなく怖い。
そして彼女に対し、二度と思い出したくないと言わん限りに顔をひきつらせるド変態。この図を見ればもう答えが出ているようなものだ。……何となく先が読めた。
タチバナさんは私が話の先を読めた事を分かっているだろうに、それを承知でうふふー、と続きを話してくれる。どうも彼女はこの状況を楽しんでいるらしい。
「誰が結界を張ったか気になったんだろうねー。彼は最初腕試しで来たみたいだったんだけどー、なんかナンパされちゃってねー?」
生きる芸術のタチバナさんだ。まぁナンパしたくなる気持ちも分からなくはない……が、無謀としか言いようがない。何せ相手はこのタチバナさんなのだ。
「適当にあしらってたら押し倒されちゃってー」
けしからんな。
思わずド変態を見ると心底後悔している様子だった。タチバナさんの件で後悔したのにまた今回私を押し倒してその結果再びタチバナさんの怒りを……阿呆だ。更に後悔していることだろう。少しは学習能力を養うと良い。
「退いてって言っても聞かないからー、遠慮なく実力行使しちゃったー。あ、内容も聞くー?」
「――もうやめて下さい申し訳ございませんでした勘弁して下さい」
もう聞くに耐えなかったのかド変態が音を上げた。
実力行使の内容は聞きたいような聞きたくないような……取り敢えず恐ろしい内容には違いない。一方的な甚振りになったのは明白だ。
タチバナさんはド変態に足取り軽く近付き、ニッコリ笑って右手を差し出した。ド変態は渋々といった様子でポケットから何かを取り出し、その上に乗せる。
うんうん、と手の中のそれを確認したタチバナさんが私に近付いてきた。キリュウと向き合っていた私は彼の腕の中でよいしょよいしょと身体の向きを変え、今度はタチバナさんと向かい合う。
「はい、今度から気を付けてねー」
――――あ、チョーカー。
私が確認すると同時にタチバナさんの手によって在るべき場所に収められる。すると強い光が辺りを包み、治まった頃には私の髪は見慣れた明るい茶髪に染まっていた。
本来の髪色ではないのに今ではこちらの方が落ち着く。それ程までに慣れてしまった、慣れざるを得なかった色。別に不満はない。今では気に入っている色だ。
しかし本来の色を堂々と出せないというのは自他共に嘘をついているようで釈然としないのは事実。仕方ないとはいえほんの僅か、小指に出来たささくれのような引っ掛かりは確かにあるのだ。
「……キリュウはどっちの髪が良いと思う?」
気が付いたらこんなくだらない事を問いかけていた。
キリュウは手を止めて一瞬考えるそぶりを見せたが再び私の髪を手に取り、サラサラとすかしていく。二度、三度とすかしたところで、彼はどうでも良さそうに一言だけ吐き捨てた。
「……変わらん」
彼は色でなく手触り重視らしい。
女性の提示する2択に対してどっちでも良いという返事はタブーだぞ、と本来は注意をするべきなのだろうが____やめた。
髪と瞳の色はこの世界において重要だ。家柄や種族などを証明するらしいそれらの色を変える事は公的な場において禁止されている。場合によっては罰せられる事もあるようだ。因みに私の場合は確実に罰せられる。髪と瞳の色を公的な場__つまり学校で偽っているわけだし。
変えるのはキリュウがしたように人間に紛れるときといったような特殊な場合だ。日常的に変える者はまずいない。ファッション感覚は皆無で、寧ろ意味もなく染色をすると奇異の眼差しを受けると聞いた。元日本人として染色はありふれた事なので抵抗はないが周りは違うのだ。しかしこれがこの世界の常識なのである。
……だというのに、このパートナーは。
心底どうでも良いと言わんばかりの先程の言葉____その一言が偉く私を満足させ、思わずへらりと笑った。
背後にいるキリュウに私のその表情は見えていない。そう、見えていないはずなのだがポンポンと励ますかのように軽いタッチで頭を叩かれる。少しばかり無口な彼が持つこの魔法の手は、形こそないがじんわりと暖かなものを私にくれるのだ。
___この場所が、心地好い。
いつまでも撫でて欲しい。
私がもしにゃんこだったら惜しげもなく喉を鳴らして擦り寄っているところだ。
絶対的な安心感。
これに名前を付けるとしたら____
「親子愛……」
「……」
この真綿に包み込まれる感じ、間違いない。
私は休息を求める本能に従い、ゆっくり目を閉じた。
◇ ◇ ◇
場所は変わって、広大な青空の遥か上空に浮かぶ島__天使の領域。
緑と水に溢れ、鳥たちが囀っているその場所は癒しの空間そのものだ。見事な調和を保ち、純白の建物が立ち並ぶ様は神聖な雰囲気を醸し出している。
その一角で一人の少女が深い溜息をついた。沈んでいる彼女を慰めようと思ったのか、小鳥が一匹彼女の肩に止まり、小首を傾げている。
その可愛らしい訪問者に気が付いた少女は覗き込んでくる小さな頭を指先で優しく撫で、ふわりと笑った。大丈夫、ありがとう。この優しい小鳥に伝わるように。
気持ちが伝わったのか、小鳥はピッ、と一声鳴き晴れ渡った空へ元気良く飛び立って行った。少女はその後姿を眩しそうに目を細めて見送る。
姿が見えなくなった所で神殿の鐘が響き渡った。
「――――また時間切れですね」
少女の口から鈴の鳴るような可愛らしい声が零れた。しかし声の調子が何処か沈んでいる。
少女は気持ちを切り替えようと、そっと目を閉じ深呼吸をした。
その後も同じ動作を何度か繰り返し、気持ちが落ち着いたところでゆっくりと瞼が上がる。
「次は絶対に逃しません――――ホヅミ君」
開けた彼女の空色の瞳は強い光を宿し、決意に満ちていた。