068 困ったときのアンフェア召喚
壊した。
壊しやがった。
パラパラと零れ落ちるバレッタの欠片と共に残りの髪もサラリと滑り落ちた。
キリュウは流れるような動作でそれを掬い、感触を楽しむかのようにゆっくり指を通していく。そしておまけとばかりに最後零れ落ちたそれを指の背で撫でていった。その手付きはこの上なく優しく、本人もひどく満足そうに目を細め、口角をゆるりと上げた。
対する私は怒り心頭だ。わなわな震え、頭上にある顔を睨み付ける。
魔力切れがなんだというのだ。風邪が、熱が、何だというのだ。
欲しくても手に入らないからって人様のものを破壊す奴が何処にいる。いや、目の前にいた。なんという自己中心的考え。どこぞの破壊的音痴なガキ大将もビックリだ。いくらキリュウといえどもこの報復はきっちりさせてもらおう。
____成敗ッ!!
私は心の中でそう叫び、力を振り絞って先程止めてしまったローキックを繰り出そうとした。
しかし、私の怒りの蹴りがキリュウに炸裂する前__髪に引っ掛かっていた最後のバレッタの欠片が地面に落ちた瞬間眩い光が辺りを満たし、私は思わず目を瞑って身体を硬直させた。
何だ、何がどうなって____
「喚ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん」
背後からこの場に そぐわぬ 呑気な声が響いた。
とても綺麗な清んだ声……あれ、ちょっと待てよ。この声を私は知ってはいないか?
もし当たっているなら何故こんな所に……いやいや、……まさか、そんな……。
徐々に光が収まり、私はそろりと目を開けた。
一旦怒りを頭の隅に押しやる。それより優先すべき事項が上がったのだ。私はギギギ、と油が切れたブリキの如く首を回し、後ろを確認する。
____サラサラと風になびく金色の髪、完璧なプロポーション、そして整いすぎてもはや芸術のご尊顔。
誰もが羨む……いや、羨みを通り越して崇拝してしまうだろう眩い限りの美女がそこに佇んでおられた。
「……タチバナさん」
目を見開き、呆然と呟く。
私に名を呼ばれた美女は「やほー」と片手を挙げてニッコリ返事をしてくれた。
思わずやほーと手を挙げ返しつつ、背中にだらだらと冷や汗をかく私。これはとても、凄く、かなり、マズイ状況ではないか。
何としてでもこの騒動を隠し通したかった相手が何故目の前に。
「あららー、チョーカー取られちゃったのー?」
「ごめんなさいっ!!」
バレた。当たり前だが即行でバレた。
タチバナさんのその言葉にビクリと身体が跳ね、反射で謝る私。大声を出したせいでくらりと目眩がし、よろけたところをキリュウに支えられた。かたじけない。
ヤバイ、あれだけ外すなと言われてたのにこの失態……どんなペナルティが待っているのだろうか。
恐々とタチバナさんの反応を待つ。きっと黒いオーラを纏いつつニッコリ笑顔で恐ろしい事を仰るに違いない……そう思っていたのだが、彼女が怒っている様子は見られなかった。何だ、これは奇跡か?
「大丈夫ー?……あー、魅惑にやられたかー。治してあげようー。よしよしー」
ちちんぷいぷいちちんぷいぷいー、しんどいのしんどいの飛んでけー。
私の頭を撫で、何処かへ何かを飛ばすように手を払いながら間抜けな呪文を唱えるタチバナさん。いやいやいやいや、いくら病は気からと言えどもそんなもので治るハズが…………治るハズが……。
「…………治った」
信じられない。
私は手をにぎにぎしながら自分の身体を確かめる。流石に熱の怠さや頭痛までは完全に取れなかったが、フェロモン酔いによる吐き気がスッと治まった。
キリュウを見上げると、何やら思案顔だ。どうやって治したのか考えているのだろうか?無駄だ。彼女は未知なる生きる芸術タチバナさんであらせられるぞ。こういった不思議現象は経験上深く考えても謎が解けることはない。この現象は強いて言うならばタチバナさんだけ使える未知の魔法____そう、タチバナマジックなのだ。
諦めろ、と目で語りかける私。しかしキリュウは尚思案中だ。諦めが悪いことこの上ない。考えても無駄だというのに。
もう放っておこう、と視線を外したところで後ろ髪がつんっと引っ張られた。
「……壊れちゃったねー」
ボソリと言われたその言葉に私は硬直する。壊れたものは一つしか思い浮かばない__バレッタ。
頂いてから2日……たった2日で壊してしまった。贈った方はさぞかしガッカリするだろう。これもキリュウが壊さなければ……。
再び怒りが湧いてきた。熱はあれども吐き気は止まった。蹴るくらいの体力は十二分に残っている。
キリュウ、覚悟ッ!
「あ、ヒイラギ。ストップストップー」
殺気を感知したらしいタチバナさんが何故か止めにかかる。
何で止めるんですか、と彼女を見遣ればニッコリと笑顔が返ってきた。
「ソレ、喚び鈴なんだよー」
「へ?」
ソレ、とさされた指の先には壊れたバレッタ。
……どういう事?
疑問符を飛ばしまくっている私にタチバナさんはうふふー、と笑って教えてくれる。
「ソレにはちょっとした仕掛けがしてあってねー。今回は何となく厄介な事になりそうだと思ったから、もしもの時はキリュウ君に私を喚んでもらうように頼んだー。……まぁ、少々予想外な事態になったけどー」
そう言いつつタチバナさんは意味深にキリュウを見た。対するキリュウはそっぽを向く。よく分からないが二人の間で何かあったらしい。
うふふー、ともう一度笑ってからタチバナさんが髪を離した。一度解放された髪が今度はキリュウに捕まる。サラリサラリと私の髪を梳く彼は一見無表情だがひどく満足そうだ。
危うく蹴りそうになってしまったが蹴る前に止めて貰えて良かった。気のせいでなければ前にも勘違いで同じような事をしようとした経験があったような気がする。
無罪な彼を蹴りかけたのは事実なので取り敢えず「ごめん」と謝れば「……いや」と少し間を空けて返事が返ってきた。微妙な返事だが許してくれたのだと思う事にする。次は気を付けるよ、うん。ごめんよ。
先程まであったピリピリとした空気は払われ、穏やかな空気が漂い始めた。平穏なのは良いことだ。しかし何だろう、何か忘れているような気が____あ。
ド変態の存在を忘れていた。
あれだけあった存在感が消え失せている。静か過ぎるのだ。気味が悪い。
気になったものは仕方ないので身体をずらし、キリュウの後ろを恐る恐る覗き込んでみる。
「…………わぁ」
思わずそう言葉を零す私。
視線の先にはド変態がいた。いたにはいたのだが、全身切り傷だらけになっている。ボロボロになったその様はボロボロの大剣と組み合わせると、相乗効果で芸術的な何かを生み出していた。外見だけは良いからだ。中身はド変態だというのに。詐欺罪でお縄になってしまえ。
しかし数分前までは無駄にピンピンしていたハズだが……何だ、何があった。
私が首を傾げていると、珍しく目を見開いて固まっていたド変態が呆然とした様子で口を開いた。
「……え、…………何で……」
ボソリとそう漏らしたド変態の顔色は心なしか悪いように見える。その目は何かを凝視しているようなのでその視線の先を辿ってみた。
奴が見つめる先はキリュウを通り越し、私を通り越し、そしてその後ろ……って、え?
勿論振り返った先にはタチバナさんしかいない。彼女はド変態の視線を受けてニッコリと笑った。キラキラしているのにどこか黒い。それを見てしまった私はぶるりと震えてしまった。
「やっぱりキミだったかー。お久しぶりー?」
「…………ちょ、ちょっと待って。何であんたが……」
いつでも余裕と気持ち悪い微笑みを見せていたド変態が目に見えて慌てている。とても慌てている。____何だろう、この見ていて感じるスカッとする気分は。実に愉快だ。今日は赤飯が食べたい。
対するタチバナさんは少々目を細めてうふふーと口だけで笑っている。つまり目が笑っていない。物凄く怖い。彼女は少々お怒りのご様子である……ってちょっと待て。
……お知り合いですか?